5.転校初日①
教室は多少なりともざわついている。
俺には前世の記憶がある。と言っても1000年以上前のことだ。
もうおぼろげになりつつあるが、転校生が来れば大体こんな雰囲気になるものと聞いている。
大騒ぎされないのは俺が男だからだろう。
女の子なら馬鹿な男どもが大騒ぎしていたはずだ。あるいはイケメンだったら。
「まあ普通かな」「中の上」といった忌憚のない評価の声が聞こえてくる。
忌憚がないのは、親友同士のコソコソ話だからだ。
残念ながら俺の邪耳には聞こえてしまうのだが。
「あいつなんか見覚えない?」
ジェミーも仲間の3人に話しかけているが、みな首をかしげている。
「知らないですね」
ティライザは興味なさげに一言で片付けた。
3人ともに否定されて、ジェミーは「気のせいか」とひとまず引き下がった。
俺の姿は別に変わっていない。中肉中背の普通の少年。もっとも漆黒の大きな翼は収納済みだ。
背中の中に出し入れできるのだが、どこに入っているのかは自分たちにもわからない。
物質ではなく精神体のようなものと考えてよい。
服装は制服に変わってはいるが、それ以外は前回会ったときと同じ。
それなのに俺を同一人物だと見抜けないのは、今の俺は邪神族が放つ気配の源――邪気を一切発していないからだ。
眼鏡をして、ボサボサの髪で目元まで隠している女性が、いきなりコンタクトをしておしゃれをするとまるで別人になる。
長年の友人ですら気付かないほどの変貌ぶりだ。
まあそういうことだ。
邪気を発していたときの俺は恐ろしい存在に見えただろう。
しかし今は特徴のない少年。
彼女らには同一人物だとわかるはずもない。
ジェミーが感じたのはほぼ直感によるものだろう。戦士の勘恐るべし。
生物であれば大抵気というものを発している。
人が放つものは人気。魔族なら魔気、龍族なら龍気というものを発している。
それを0に収めるというのは高等技術。常に維持するのは俺でも大変。
なので今は道具のサポートを受けている。
左手の人差し指にあるルビーの指輪。
これが俺の邪気が出るのを防いでいる。
「ではアシュタールの席は一番後ろな」
担任に提示された席はユーフィリアの後ろだった。
ホームルームが終わると担任は足早に去っていった。
座学がはじまるまでのわずかな時間。ジェミーが俺に近寄ってきて尋ねる。
「なあ、お前どっかで会ったことない?」
まだ気になっているようだ。
だが、あの状態の俺と今の俺が同一人物だと認識することは人間には不可能。
ヤマ勘など否定すればそれで終わりだ。
「hyんなctあlwけなうdひょ(訳:そんなことあるわけないでしょう)」
俺の返事は理解不能の言語となっていた。
くそ、特訓したがやはり数日の付け焼刃では無理だったようだ。
「やっぱおめーじゃねえか! まさか復讐に来たか!?」
「mと! なmヴぉwあなぐkわcrまいds(訳:待って! 何の話かわからないです)」
「なに言ってるかわかんねーよ!」
ジェミーは俺の首を締め上げてくる。ぐるじい。
邪神だから首絞められたって死ぬことはないけどな。
「ジェミー。止めなさい!」
ユーフィリアに制止され、ジェミーが手を放した。
落ち着いてもらったことで、俺は自分の事情を話した。
山奥の村で育ったこと。
たまたま訪れた人に才能があるといわれて、その人の紹介でここカンタブリッジ学園に編入を許可された。
女性と話すのが苦手で、話そうとするとこうなってしまうこと。
学校に通ってそれを治そうとしていることを。
半分は本当、半分は嘘。全部嘘だと怪しいが、本当のことを混ぜると信じやすい。
そういうことでこの設定になった。
編入の手続きをしたのは爺やだが、どうやったのかは聞いていない。
簡単に入れる学園ではないはずなのだが……。
当然のことだが邪神であることは否定。何の話かさっぱりわからないとすっとぼける。
「落ち……着いて、ゆっくり……話せば……なんとか……話せます」
これが特訓の成果。
とりあえず女性がいようが、男や物体に向って話しかければ普通に話せる。
女性相手でも心を落ち着けて、ゆっくり話せばなんとかなる。
俺がゆっくり話すさまをジェミーはイライラしながら聞いていた。
「あんな謎言語になる奴が世界に2人いるとは思えないけどなあ」
ジェミーは納得がいっていないようだ。
「仮に邪神だとして何か問題ありますか?」
ティライザが核心を突くと、ジェミーが頭をガリガリとかく。
「あーよくわかんねえけど、別に問題はないか!」
「はい、そういうことです。仲間もおらず、何の力もない邪神という存在だったとしても、何の問題もないでしょう。まあ邪神だったとしたら色々話は聞きたいですけどね。1000年の間のこととか、邪神とは何なのかとか」
俺も色々と話してみたい気もするが、残念ながら邪神族が自分たちのことをべらべらと話すのは禁則事項だ。
誰にも喋るな、ということではないが、必要もないのに話すわけにはいかない。
「実は強かったらどうします?」
アイリスがティライザに問う。それは可能性を聞いているというより、そうであってほしいという願望。
アイリスは自分の村の伝承が豪快に間違っていたという不名誉を晴らしたいのだろう。
本当は協力してあげたいのだがすまない……。俺がこの弱点を克服するまで待ってほしい。
「伝承にあるような圧倒的な力――魔王が裸足で逃げ出すような強さがあるなら、そもそもこんな小細工をする必要がないですね。というか伝承だと邪神は外に出てこないはずでは?」
「なるほど……」
そう言われるとアイリスは納得せざるを得ない。
邪神が外に出ていけないのは、勇者に会うまでだ。
今の俺は多少の自由を得た。
それは感謝している。
「まあ本人も否定しているのだし、もうこの話は終わりでいいわよね」
ユーフィリアがジェミーを見る。ジェミーも頷いた。
カンタブリッジは冒険者を育成する学園である。
もちろんその他分野の人材の育成もやっていて、さながら総合大学のようなものだ。
貴族の子弟も多く在籍している。
教育の充実度は世界一との評判で、ブリトン王国人だけではなく、外国から来るものも少なくない。
ブリトン王国は大陸のど真ん中にあり、その首都ローダンは国際色豊かな大都市となっている。
その首都の一角にカンタブリッジ学園はあった。
このクラスは冒険者育成コース。その中でも一番上のAクラス。
次いでBクラス、Cクラスとなっている。
1クラス30人程度。冒険者育成コースである以上、座学など1日で1、2時限しかない。
最初は国語の時間である。
30歳前後のナイスバディの女性が担当であった。
「転校生がいるらしいな。おいアシュタール。読め。137ページの最初からだ」
「wヴぁfいhぬろdgm(訳:吾輩は猫である)」
アカン。精神統一に失敗した。
これなかなか難しいな。
クラスは爆笑に包まれた。
「ああ、若い女性と話すのが苦手なんだったな」
国語教師は資料の注意事項を見る。
「だがうれしいぞ。私もまだ若い女性に入るんだな」
先生の自虐ネタで再度クラスは笑いに包まれたのだった。