39.綻び③
ブリトン王国王都ローダンの高級住宅街。
スコットヤード王国第一王子ヴィンゼントの邸宅はそこにあった。
「クソッタレ!」
ヴィンゼントはグラスを床に叩きつた。
グラスは当然のように砕け散る。
そばにいるメイドがおびえながらそれを片付けた。
合同訓練で恥をかいた日以降、ヴィンゼントはイライラしていた。
いずれ報復したいと思っているが、アシュタールがそれなりに強いことはわかっている。
その機会を窺ってはいるが、なかなか訪れそうにはなかった。
そのヴィンゼントに、来客があると告げられる。
「誰だ?」
「ブリトン王国のエルドレッド財務長官です」
「またか」
ブリトン王国の財政は芳しくない。
そしてスコットヤード王国は最大の貸し手である。
エルドレッドは財務のトップとして、本国だけではなくヴィンゼントにも会ってご機嫌取りをしていた。
下手に出て、こちらを持ち上げるのだから、ヴィンゼントも悪い気はしない。
気晴らしにはちょうどよい。
そう思って屋敷の中に招いた。
「エルドレッド長官。そう何度も来られても、こちらにできることはない。お金というのは期日にきっちり返すもの。債務の棒引きには応じされないぞ」
ヴィンゼントが横柄な態度で出迎える。
エルドレッドは何度も頭を下げつつ話す。
「いえいえ、いつものようにしていただけるだけでもこちらにはありがたい話で」
エルドレッドは応接室へと案内される。
エルドレッドは財務を預かる身として、ひどく苦労していた。
就任当初から粉骨砕身で働いた。
すべては国のために。
慢性的な財政赤字で借金まみれの王国。
それをなんとかやりくりするために、方々に駆けずり回った。
しかし、そんな彼にもスコットヤードの調略の手は伸びていた。
最初はほんの小さなこと。
融資がほしければ、国家機密のうち別に漏れても問題ない情報をよこすように要求した。
エルドレッドは悩んだが、そのくらいならばと漏らす。
しかし、その要求はだんだんエスカレートしていくことになる。
また、見返りとしてエルドレッド個人に多額の金品を贈っていた。
公私にわたってそのように揺さぶられたエルドレッドは、いつの間にかスコットヤードに重要な情報をも流すようになった。
本人は国のために働いているつもりであろう。
スコットヤードは別に忠誠など求めていない。
これで十分であった。
エルドレッドだけではない。そういった人間は他にも何人もいる。
「何かこの国に問題でもありましたか?」
エルドレッドはヴィンゼントの機嫌がいつもより悪いことを察した。
「たいしたことではない。個人的なこと、学園に関することなのでな」
「ユーフィリア殿下と何か……」
エルドレッドは恐る恐る尋ねる。
「そういえば縁談もはやくまとめてほしいものだな」
「申し訳ございません。その件は国王陛下とユーフィリア殿下がともに頑なでして」
エルドレッドは頭を下げる。
「代わりといってはなんですが、先日ちょっと面白い話を小耳に挟みまして……」
エルドレッドは茶飲み話のつもりで語りだす。
それは先日フィオナがブリトン国王リチャード二世に報告した話。
邪神族の3名に関することであった。
「ほうほうほう。それは興味深い」
ヴィンゼントは歓喜していた。
その話はまさに今ヴィンゼントが欲していた情報。
父、ジョージ三世に調べるように言われたことであった。
「この件。もう本国にも教えたか?」
「いえ、何しろこの情報の価値を測りかねてましてな。ヴィンゼント様に話してからと思ってました」
エルドレッドは財務、算術には秀でていても、それ以外には疎い。
特に戦闘に関することなどからっきしである。
フィオナの説明も雑だったこともあり、この情報が意味するところを理解していなかった。
また、自分が情報を漏らすことで、他人がどう困るかについても想像が働かない。
情報を漏らされて、外交で苦労しているものの気持ちなどわからないのだ。
「この件。私から報告する。感謝するぞ」
ヴィンゼントが興奮している様を見て、エルドレッドは安堵した。
歓心を得ることに成功したのだと。
それが何をもたらすのかなど考えもせずに。
スコットヤード国王ジョージ三世は、王都グラーゴの執務室でヴィンゼントからその報告を受ける。
「これが唯一の手がかりといってよいでしょう」
ヴィンゼントがしたり顔で語る。
「確かに、初めて掴んだ尻尾であるといえる」
ジョージ三世はジロリと息子を見つめる。
この情報はブリトン王国にいる情報提供者がもたらしたものであろう。
ジョージ三世がヴィンゼントに期待した情報とは微妙に違う。
「これで、あの計画を進めてもよろしいですね」
「……まあよかろう」
それでもヴィンゼントに許可を出した。
重臣が聞けば甘いというかもしれない。
それはヴィンゼントの婚約に関する計画。
なかなか首を縦に振らないブリトン王国に、これまでにない圧力をかけることになる。
「ありがとうございます。では早速」
ヴィンゼントは待ちきれないというように、そそくさと執務室をあとにした。
その息子に苦笑しつつも、報告書を読む。
最近大魔道士セリーナの近くに現れたもの。
この3人がとにかく怪しい。
人を超えた力を持っている可能性も高い。
「しかしこれでは調べようもないな」
棲家は不明。便宜上の住所はほとんど使用しておらず、毎日転移している模様。
素性は不明。能力も不明。種族も不明。
「うかつに手を出すと火傷どころではすまない」
そのように警戒せざるをえないことに、ジョージ三世は怒りを覚えた。
スコットヤードは武力のみに頼ることはしなかった。
しかし、武力で圧倒的に負けるようでは策のうちようもない。
スコットヤードがどう動こうが、相手が力でもって対抗してきたら打つ手がないのだから。
50年前に第六魔災を終わらせた力。
先日のローダンでの戦争を終わらせた力。
これらに対抗できなければ何をやっても無駄なのだ。
そしてそんな力は存在しない。
「いいや。違う」
それがまもなく手に入る。
うまくいけばの話ではあるが。
すべてはそれからであった。