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共鳴する  作者: はなぶさ
1/3

前編

※異世界です

※架空の宗教です

彼女は幸せそうに笑っていた。


*


窓辺に膝を付いて祈るように頭を垂れているのは、彼女の恋人だ。

もう1年も自我を失ったままの彼女の恋人で、私の友人でもある。

名をクライドと言った。


「こんなことしても無駄だって知ってるんだ」


クライドはぽつりと呟いて、膝に置いたイススマリ教の聖なる書に視線を落とした。

彼は元々、神なんて信じていなかった。

形のないものに心を捧げるなんてそんな馬鹿なことはしたくないと笑っていたのを覚えている。

神を信じる誰かを馬鹿にしているというわけでもなく、本気でそう思っていたみたいだった。


そんな彼が聖なる書を手に、毎週日曜日祈りを捧げに教会へ通い、毎夜彼女の顔を見つめながら救いの言葉を口にしている。

彼に、神を信じさせたのはまさしく彼女だった。


「信じてれば、救われると思う?」


泣きそうな声で問われて思わず力なく肯いた。

そんなの何の意味もないと分かっていたけど、彼には何でも良いから言葉が必要だった。


「何でかな、何でキャシーは目を覚まさないのかな」


そんなの私だって知りたいわ、クライド。

だって、幸せだって笑っていたのよ。

貴方と一緒になれるのが嬉しいって。


そんな言葉は何度となく彼に言って聞かせた。

だけど何度そう口にしたって彼を励ますことも自分を奮い立たせることもできなかった。


「ジョイスおじさんは、キャシーが悪魔に取り付かれているだって言うんだ。本当だと思う?」


馬鹿ねクライド。そんなのでまかせだって私にも分かる。

そんな荒唐無稽な話に縋ってしまうほど、心が弱っているのね。


「キャシーは何で、どうして、」


こうしてクライドは自分の世界に篭ってしまう。

私の声なんて聞こえないところに行ってしまうのだ。

追いかけても追いかけても無駄だって分かっているのに、私は、そんな風にどこかに行ってしまうクライドから目を離すことができない。


恋をしているわけでもないのに、彼から目を離すことができない。ずっと。ずっと。


*

*


キャサリンと私は同じ日に同じ母親から生まれた。

つまり双子だ。

だけど、二人一緒には育てることができなくて、私だけが修道院に預けられた。

なぜ私だったのかというと、ただ選ばれなかったからとしか言えない。

もしくは選ばれたからかもしれないが、理由など知らないし、知る必要もない。


だけど、私は幼い頃からキャサリンの存在を知っていた。

そして、キャサリンもまた私の存在を知っていた。

誰に教えられたわけでもないのに、お互いの存在を知っていた。

記憶があったわけでもない。

ただ知っていた。それだけだ。


そして、そんな私たちはある日、何かに導かれるように道の真ん中で出会った。

10歳か11歳かそのあたりだったと思う。よく分からないのは、私自身が自分の年齢を数えていないからだった。


待ち合わせをしていたわけではない。

花を売っていた私の前を、キャサリンとクライドが通りかかったのだ。

一瞬だけ交錯した目線が、私たちを結びつけた。

同じ顔をしているのだから、引き合わないわけがない。

クライドも目の玉が落ちそうなほどに驚いていた。


道の真ん中で顔を会わせたまま立ち竦んだ私とキャサリンだったけれど、次の瞬間には、ただただ、両手を握り合って喜びあった。

やっと出会えたと、この時を待ち望んでいたのだと、抱き合ってその存在を確認し合った。


そのときの感覚を何と呼べば良いのか分からない。

足りなかったものがやっと揃ったような、空っぽのコップに水を注ぐようなそんな感じに似ていた。

双子というのはこういうものなのかと漠然と思った。


だけど、キャサリンの両親には知らせなかった。

知らせたところでどうにかなるとは思えなかったし、両親が私たちの再会を喜ぶとは思えなかった。

生まれてすぐに預けられてからずっと同じ修道院に居たのに、両親は一度も会いに来なかった。

それが答えだと思っていた。

彼らの中で私の存在がさほど重要ではないように、私にとっても両親の存在は重要ではなかった。

キャサリンは不満そうに唇を尖らせていたけど、彼女には私の置かれた微妙な立場がよく理解できないようだった。

失ったはずの娘が現れれば、両親はきっと喜ぶだろうと、なぜかそう信じていたのだ。


「キャシーはね、人の善意というものを全面的に信用しているんだよ。人間は善で、時々悪に惑わされるだけなんだって。そういう信念からいけば、人は皆、イイヒトなんだ」


クライドはそう言って苦笑した。

そして、どうしようもなく愛しいと、そんな眼差しをしてキャサリンを見つめた。

何も分かっていない様子のキャサリンが首を傾げて不思議そうな顔をした。

けれど自分を見つめるクライドの優しい顔に絆されたのか、やがて考えることを放棄してふわりと綻ぶようにして笑った。

そんなキャサリンを見て、また、クライドが愛しげに笑う。


私は、そんな二人を見ていられなくて売れ残った花の籠に視線を落とした。

同じ血を分けた人間であるにも関わらず、なぜにこうも違うのだろう。

キャサリンのように誰も彼もが良い人間だとは思えない。

キャサリンのように無垢な瞳で誰かを見つめることなどできない。


いや、違う。

きっと血を分けたからこそこうなのだろう。

母親のお腹の中で、心も二つに分けたに違いない。

だから私は、キャサリンのように他人の良心を信じることはできないし、この世には根っからの悪党というものが存在していることも分かっている。


私にはキャサリンの気持ちはわからないし、キャサリンにも私の気持ちは分からないだろう。


でも、それで良い。

それが、良いのだ。


*

*


そんなある日のこと。

異変は突然起こった。


キャサリンとの出会いからだいたい5年の年月が経過した頃だった。


突然、何の前触れもなく、気分が高揚して、何をしていても唇が自然と綻ぶようなそんな不思議な気分になった。

どれほど感情を抑えようとしても、内側から沸き起こるそれに肉体が引きずられて言うことをきかない。

心臓がとくとくと高鳴り、脈も少し速い。

体温が僅かに上昇して、頬が熱くなった。

病気ではないことは分かるが、明らかにおかしい。

気分が浮き立つような出来事は何も起こっていないのに、滲み出るのは明らかな「喜び」の感情だった。


首を傾げながらうがいをする為に洗面台の前に立ち、ついでに鏡を見て愕然とした。


そこに映っていたのは私ではなく、キャサリンだったのだ。


いや、厳密には、私で間違いない。それは分かる。

見回してみても、そこは住み慣れた修道院の簡素な部屋で、ひび割れた鏡も、端が欠けたコップも、当て布だらけのワンピースも変わりなくそこにあったし、こめかみに入った小さな傷も含めて間違いなく肉体は自分のものだった。


ただ、表情が、自分のものとは違っていた。


この緩んだような穏やかな、気の抜けたような柔和な表情は、キャサリンのものだ。

何、何が起こっているの、私は一体どうしてしまったの。

震える指先で自分の顔を撫でると、歪に割れた爪先が頬に線を描く。


怖い。


自分で自分の感情をコントロールできない。

知らないうちに変な薬でも飲まされたのではないだろうか。

だけど思考が分散しているわけではない。


私は慌てて、キャサリンに連絡用の鳩を飛ばした。




待ち合わせ場所でキャサリンと顔を合わせた途端、

お互いに「「どうしたの」」と小さく声を上げた。

不可思議なことに、私を見ているキャサリンの顔はまさしく、私が普段鏡越しに見ている自分の顔だった。

まるで、目の前に自分が立っているような感覚に足がすくむ。


キャサリンは、陰鬱で、憂鬱そうで、辛そうで苦しそうな、そんな顔をしていた。

それは間違いなく私だった。

私はその顔を、その感情をよく知っていた。

鏡を見ながら、同じ顔立ちなのになぜこんなにもキャサリンと違うのだろうと、よくそんな風に想っていたから。

けれど彼女自身は、そんな顔をしていることに気づいていない。


ただ「おかしいの」とキャサリンは言った。


「何だか朝から気分が優れなくて。何をしても楽しくないの。クライドと話をしていても気分がどんどん沈んでいくのよ」


ふう、と息を吐き出して、喋ることさえ憂鬱だと目線を下げた。


「貴女は?」と聞かれて、答えに窮する。

「貴女もいつもと何だか感じが違うわ」とキャサリンが首を傾ぐ。

だからそれに合わせて「私も、何だかおかしいの」と首を傾いで見せた。


実際、おかしかったから。

だけど「辛いわね」と言われて、また返事に困った。


辛くなかった。


初めて、人生を辛いと思わなかった。


そして、キャサリンは黙ったままの私に言った。

「私、こんな気持ちになったの初めてよ」と。


戸惑うキャサリンが、待ち合わせ場所の噴水で自分の顔を水面に映している。

不思議そうな顔をして横を向いたり、前を向いたり、何度も繰り返して首を傾いでいる。

いつもと違うと呟いた声が耳に響いた。


その横顔は紛れもなく、私だった。

だけど中身が入れ替わったというわけでもない。

表情だけが移ってしまったというのも違う気がする。


しいて言えば、欠けていた感情を取り戻したというところだろうか。

キャサリンが持っていたキャサリンだけの感情を私が得て、私が持っていた私だけの感情をキャサリンが得た。

そういうことだったと思う。

キャサリンは間違ってもあんな顔をする人間ではなかったし、私もそうだった。

私は、自身が、こんな顔をするとは思っていなかった。


だけど、それをキャサリンに説明することはできなかった。

こんな荒唐無稽な話を信じてもらえるとは思えなかったから。


そして、ふと、思う。

キャサリンは、ずっと、こんな気持ちで生きてきたのか。

こんなに穏やかで満ち足りた心で。


「何だか気分が悪い気がするの」


キャサリンが泣き出しそうな顔で言う。

お願い、手を繋いでいてと懇願するようにすがり付いてくる。

私はその体を抱きしめながらそっと心の中で呟く。


その、貴女が不快に思っている感情は、私のものなのよと。

暗く、どこまでも沈んでいくようなその気持ちは、私がずっと抱えていたものなのよと。


―――――貴女はそんな気持ちを知らずに生きてきたのね。

































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