表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

月を仰ぎし、祖は銀の狼

 夢に見たその人は、綺麗な銀の体毛を帯びた狼の人でした。


 ―――――お前は、いずれ夜の者と共に草原を歩くだろう。


 それは一年ぐらい前でしょうか、お城に来ていた占い師のおばあ様の言葉でした。


 おばあ様の占いは本当によく当たり、でも言葉自体はよくわからず、その言葉は【事】が終わって初めてわかるようなことばかりでした。


 だから、この言葉もよくわかる。


 ―――――其れは古き勇者、銀の獣。風の大君。天の竜の翼を得し、黄昏の狼。


 きっと、あの人なんだろうって。


 綺麗な紅い瞳。


 スラッとしていて、でもがっちりとした獣の身体、汗のにおい。


 柔らかな尻尾。すらっと大人びた鼻筋。


 柔らかな口元、牙を覗かせていても、ちっとも怖くなくてその人は、私のことを撫でてあやして、そして囁いてくれる。


 心地いい声。


 ―――――全ての精霊が彼にひれ伏し、全ての世界が彼に突き従う。


 風のような性格。空のように澄んだ心根。


 だけど、手はとても熱い。


 傍にいるだけで、翼が生えてきそうでした。


 夢の中で、私はあの人の背中を見つめる。


 ―――――大いなる獣、凶獣の化身。名を。


 なんでだろう。私はずっと昔からあの人にあっている気がして、昔からあの人のそばにいる気がして。


 夢の中の、その人は――――




 ―――――草むらが揺れる。


「1番……」


「状態変化なし。このまま接敵を続ける」


「続け」


『了解……』


 月明かりを遮る丈の長い草葉に身を覆いながら、蠢く影が五つ。草原の真ん中にて立ち上る白煙を目指し、姿勢を低く地面を這うように駆け寄っていた。


 その姿はまるで蛇。


 地面を四つん這いに身体をよじりながら近づく、彼らを包み込み、月明かりの下、草むらが夜風に揺れていた。


 星が瞬く空の下、どこまでも山合野中に広がるそこは、ラナクの大平原。


 街道が南北に走るその草原は、かつて旧き精霊が悪魔と戦い、そして山一つがなくなった跡地とまで言われる場所だった。


 事実その場所には、砕けた岩が辺り一帯に転がり、森と思しき場所には崩れた木の洞が散乱し、草むらで覆われた地面には、大きな爪痕がいくつも刻まれていた。


 精霊戦争と呼ばれた、遥か昔の景色が月明かりの下に広がっていた。


「……接近まであと十五分ほど」


「……止まれ」


「どうした二番……」


「歴戦の勇士と呼ばれた、ガナン・アークフォールがこれほどの距離で気付かぬわけがない」


 茂みのどよめきが止まる。


 風が静かに丈の長い草原を揺らし、冷たい月明かりが静かに、黒づくめの潜入服を纏った人影を照らして、影を地面に移す。


「……罠か」


「気づかぬままか」


「どれだけ戦歴を重ねようが所詮は年老いた老兵」


「攻めるぞ。ここを逃しては、更に闘いは難しいものとなろう」


 夜風のどよめきが、さざ波のように辺り一帯に広がる。


 舞い上がる草葉が夜の空へと昇る。


 それは翼を広げ舞う鳥のように、空へと駆け上がっていく―――――


「我らに勝利を」


「共和国に栄光を」

 

 夜風を掻きわけ、五つの蛇が再び走り出す。草むらを掻きわけ、風を避けるように傷だらけの地面を這うように、走り出す。


 そして、月明かりを横切り、焔を覗かせた白煙立ち上る野営地へ――――



「そこで止まりなよ」



 ―――――聞こえるのは、甲高い少年の声。



「!」


「接敵ッ」


「後方四時ッ」


「構えろッ」


 夜風が強く渦を描くように、辺り一帯に激しく吹き荒れ、草穂が大きくしなり、千切れた葉が月明かりの下へと舞い上がり、視界が開ける。


 草葉の隙間から見えるのは、銀色の体毛。


 風になびく長い尻尾。


 ニィと俯きがちに笑う鋭い牙を覗かせた口元。


 手には、岩肌に突き立てた細長い杖。


 獲物を見定め細める赤い双眸。


 尖った耳を揺らし、ぼろぼろの白い服を宵の闇に靡かせ、突き出た鼻筋に皴を浮かべ、そこには獣人が一人、草原から突き出た大岩の上に片膝を立て座り込んでいた。


「君たちは何者かな?」


 ―――――ウォルフィアード。


 深淵の森にすむとされる、獣人族の中でも希少種とされる一族。


 その青年は、伝説と謳われるほどの種族によく似ていた。


「なぜこのような所に……!」


 四つの人影の問いかけに、ニィと口の端が歪み、俯いていた瞳が開く。


 その目はまるでナイフのように鋭く紅く、月明かりに照らされ、優しく狼男の少年は微笑み、夜風を全身に受け月明かりを背に受け立ち上がる。


 スラリと延びた背丈は、どよめく四つの人影を見下ろし、悠然と狼男は囁く。


「なぜ、彼らを襲うの?」


「接敵開始。散開しろッ」


「了解ッ」


「ばれた以上は貴様もろともに……!」


 草むらの合い間を縫うように散り散りになっていく四つの影。


 少年は表情一つ変えず、眼前に残った一つの蛇のような細長い影を見下ろし、優しく囁いた。


「敵か……まぁそうだろうね」


「帝国は我らの言葉を何も聞かぬ。ただ闘いを広げ、民を苦しめるのみだ」


「それで恩恵をあずかっている人もいるよきっと」


「それは一部の富裕層にすぎない、我らは貧困にあえぐ民の代弁者だ……!」


「そうして振り下ろす刃が正義と語るなら、やがて貴方が立てる信念は、あなたの心臓を貫くだろう」


「戯言を……!」


「貴方はいずれ断罪を執行し、王の冠を戴く。そしてその正義が【方法】も【定義】も正しいと勘違いし、やがて民の上に立ったあなたは、こう考えるだろう。


 人を殺して為した正義こそ、正しい。力を以て為した正義こそ正しい。私に従わないものは、殺せ、と。


 広がるのは骸の山だ」


「……違う! 我らは貧困を、彼らを助けるために!」


「なら、その正義は王にではなく民に向けるべきだ。なぜ人を助けるために人を殺す。人を助けたいなら人を助ければいい。そうしないのは、貴方は助けたいと願望を持っていないからだ。


 憎しみで人を殺そうとしている、貴方の本心に潜むのは、正義ではなく、殺意だ。それを正義と振りかざし、多くの民を殺す。


 その殺意はやがて無辜なる人に向けられる。そして自らの心臓を喰らう。


 ウロボロス。自らを食み、そして増え続ける其れは憎悪である」


「知ったような口をぉ!」


「心の淵を知らぬものに、魂の慟哭は聞こえない―――――刀を振るうことは魂を垣間見ること」


「撃てぇ!」


 草間から飛び出すボウガンのボルト。


 鋭い矢が眼前へと迫り、狼の少年はゆっくりと目を開くと、紅き視線を虚空に浮かべ、そして僅かに腰を落として岩肌に爪を立った。


 風を切り裂き、矢が狼男の眼前に迫る。


 狼は、眼を閉じる―――――



「――――龍が哭する」



 風を切り裂く、まるで龍の嘶きのような鋭き金切音。


 刹那。


 虚空を斬る刃の閃きが走り、次の瞬間には、構えた狼の少年のすぐそばで、矢が微塵へと文字通り砕け散って夜風に舞い上がった。


 少年に一切の動きはない。


 ただ微動だにせず、杖の先を握りしめ、構える―――――


「何を……!」


「――――精霊展開!」


「だがここでやれば!」


「構わぬ、どの道ガナン・アークフォールにはばれている。ここで奴が出ていないと言うことは、先の龍との戦いで傷を負っている!


 ここでこの狼を殺し、皇女を殺す、大義を為すのだ!」



 ―――――【風】が翼を広げ嘶く。



「龍刃式抜刀術」


 消える。


 夜風と共に舞い上がる土ぼこり。


 岩壁に爪で蹴った跡を残し、叫んだ男たちの視線の先、四つの視線でとらえていたはずの狼男の姿が一瞬で、風に融けて消えた。


「な……!」


 尾を引き草葉の穂が舞い上がり、夜風と共に草原を撫でる。


 残るのは、草原の音色。


 どこに行ったのかもわからない―――――


「くっ……夜の精霊よッ。この卑しき獣に」


「叫ぶな、位置が!」


 ―――――飛び散る草穂。


 虚空に走る一文字。


 宙に舞う胴体は、舞い上がる草葉と絡み合うように、宵の闇へと放り投げられ、やがて草むらに吸い込まれ、地面に鈍くぶつかった。


 血飛沫は出ない。


 浮かぶのは、鋭き刃の傷痕。


 まるで表情を統べるかのごとく、それほどに滑らかに断面を覗かせ、やがて力なく男の下半身が崩れ落ちた。


「な……な……!」


 男は驚愕に目を見開いて、胴を落とされ崩れる仲間の躯の先、丈の長い草葉の向こうに広がる闇を見つめる。


 スゥと闇に閃く紅い瞳。


 疾風を纏い靡く長い尻尾。


 風を纏い、闇に融けるように、そこには身体を低く構える狼男の少年が、崩れ落ちた下半身の前に立っていた。


 地を滴らせず月明かりを照り返す碧水晶の刃。


 スッと鞘に納めるは、約七十センチの大振りの刀。


 闇に目を細め、ゆらりとシャツを靡かせ、再び草むらへと潜るように身体を低く、走り出す銀の影に、残った四人の男は叫んだ。


「集合しろ! 奴は暗殺タイプだ! 背中を見せると」



 ―――――宵に尾を引く深紅の残光。



 純度を増す殺気。

 

 ハッとなり男は後ろを振り返ろうとした。


 ダンッ


 地面に罅が走り砕かんほどに、強く踏み込む前足。


 それだけで衝撃が周囲の空気を震わせ、周りの草葉を大きくしならせ、男は数センチ先に踏み込む爪に僅かにのけぞり、目を見開いた。


 そこには、闇から這い出す鋭い影があった。


 腰に携えた刀の柄に手を掛け、一寸先と言わんばかりの間合いの先、風を纏い詰め寄る銀のオオカミの姿があった。


 その目は刃の如く。


 その殺気は、宵闇の月の如く――――


「……ガリエンテ……さ」


 ―――――虚空に走る【一閃】


 バサッと草葉の穂先が一斉に円状に切り裂かれて、衝撃波によって一斉に舞い上がり、夜風が真空の刃となって辺りの草木を切り裂いた。


 そして、首に走る冷たき刃の跡。


 ツゥ……


 斜めに走る刃痕に沿うように、滑らかに崩れ落ちていく男の首。


 鮮血一つ流さず、まるで電池が切れたように男の躯がドサリと、地面に転がり、銀の狼は静かに破れた白のワイシャツを靡かせ、静かにその身を闇に潜り込ませた。


「……」


「ば、バカな……一瞬で二人も」


 ザザザッ


 草葉を掻きわけ、地面を抉るように走る音がどこかしこからも聞こえる。


 紅き瞳が月明かりを帯びて闇に尾を引く。


 獣が野を駆ける


「ウォァアアアアア!」


「失敗だ逃げるぞ! 早く来い!」


「こいつを殺すこいつを殺すこいつぉおお!」


 闇に走る刃の旋律。


「あ……」


 僅かな血しぶきの尾を引き宙に舞う両腕。


 握りしめていた剣ごと、月明かりの下へと放り投げられ、男は前かがみのまま茫然と、草むらの向こうに見える月明かりに目を見開く。


「あ……ああ……」


 ―――――闇に尾を引く紅き瞳。


 息をひそめ、草むらを掻きわける音を消し、地面を走る足音すら消し、獣が前かがみに潜り込むように、立ちすくむ男の足元へと踏み込む。


 そして身体をよじり、腰の刀に手を添え囁く―――――


「円陣抜刀……」


 ――――――袈裟に走る刃の閃き。


 振りぬいた刃の切っ先が円状に走り、次の瞬間、草葉が根元から切り裂かれて、衝撃波に浮き上がって、押し出されるように飛び散った。


 立ち向かった男の背中にうっすらと刃の跡が走る。


 次の瞬間、悲鳴一つ上げず、皮膚と肉の擦れるような音と共に、男は崩れ落ち、その向こうに振りぬいた碧水晶の刃を宵の月に掲げ狼男の青年が、地面に片膝をつき佇む。


 ドサリ……


 その断面は綺麗なまま下半身も、大地に沈み、狼男の少年は静かに、刀を鞘に納めて、地面をけり上げた。


「……」


「に、逃げろ。地の利が悪い、こいつは強すぎる!」


「う、うぁあああ!」


 悲鳴と断末魔が闇に響く。


 そして、その悲鳴と足跡を追いかけるように、夜のオオカミが草原を駆ける。


 それはまさしく狩りの如く―――――紅い瞳が闇に尾を引き、銀の体毛を靡かせ、狼が走る。

 






 ――――夢の中の、その狼は、白く美しいものでした。


 風を纏いたゆたう長いしっぽ銀色の毛、夜を見つめる紅い瞳。牙は鋭く鼻筋はすらっとしていました。


 月を見上げ、立ちつくす大きな背中。


 碧い水晶を削り出したような鋭い刀を片手に、その人は岩の上に立ち、降り注ぐ星に紅い瞳を細め、立ちつくしていました。


「……美月」


 ポタリと黒い滴が刀の切っ先から滴りました。

 

 その狼は泣いているようでした。


 たくさんの屍を背に、その狼は月を見上げ、哀しげに――――


「ぼくは……必ずきみの所に」


 強く握りしめた拳から血が滴り落ちて、痛そうでした。


 その狼は泣いていました。


 

ウロボロスは本来、完全、完璧を意味するそうですね。主人公が使った意味とはかけ離れていますが、まぁこれも一つのミームということで。このミームが伝染しているのか、或いは私の中から生まれたものかは知りませんが。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ