旧き盟約の下に
一撃が重たい。
身体が砕けそうな衝撃に、関節がギシギシと軋んで、踏ん張ったはずの足が後ろに押し出されて引きずり跡を地面に作る。
胸がつぶれて一瞬息ができない。
それでも、ぼくは肩を盾にして踏ん張って迫る巨塊に身体をぶつけて、押しとどめる。
この尾撃、止める――――
「ぐぅ……!」
やがて全身を響かせていて衝撃が止み、側面から叩きつけられた尻尾が地面にだらりと横たわる。
すごい力だ。
今でも受け止めた右腕がビリビリとしびれる。
だけど、ぼくはまだ戦える。
「ふぅ……」
指先の感覚を確かめ、ぼくは大きく息を吸い込み、呼吸を整えると、軋む右腕を回しながら、土ぼこりを払いつつ目の前の巨大なドラゴンを見つめた。
眼の前には高層ビルかと思えるほどに巨大な竜が一体。
得物は、刀一本。
どう戦う――――
【……獣人。旧き盟約の友よ】
頭の中に響く声。
僕は眉をひそめて、声なき声に違和感を覚えつつ、警戒だけは解かず、腰に指した刀の柄に指を掛けて囁く。
「あなたが、喋っているんですか?」
【若き獣人よ。我は竜族、人の言葉は持たぬ】
「僕は人間です」
【……。飼いならされたか、或いは世界を知らぬか】
「僕はこの世界を全く知らない。おそらく別の世界の人間です」
真実だ。
全く知らない世界に放り出されて、困惑を覚えつつも、僕はそう答えると、巨大なドラゴンは目を細め、背を丸め長い首を伸ばしてこちらを覗きこんだ。
そのく澄んだ眼には、【僕】が映っていた。
全身銀色の毛だらけで、頭は狼のように鼻筋が突き出て耳が尖っていて尻尾が出ていて、だけど背丈は変わらない男。
それは僕だった。
【……不思議な匂いだ。獣人であり、人でもあり、精霊の子でもある】
「……おじさん、大丈夫ですか」
相手への警戒を見せつつ、僕は、茫然と立ちつくす、さっきの馬車のおじさんの所へとにじり寄った。
おじさんはその両腕に巨大な弓のようにしなった機械を手にしつつも、ぼくをみると、ギョッとした眼をしていた。
「お前、どうしてここにおる……?」
「借りですよ。刀、貰いましたし」
「……義理がたい獣だ」
「それに少しぐらい、僕が来るの、期待したんじゃないんですかおじさん?」
「――――ガナン・アークフォール」
「ガナンさん。相手を退かせます。いくらぼくが世間知らずといえど、二人で相手をするのは辛いのはわかる」
「……」
「僕も、あの子を護ってまで戦える自信なんてありません。実戦なんてやったことないんですから」
ふんと鼻を鳴らすと、おじさんは、僕の提言に無言の了承をすると、両腕に担いだしなった機械を地面に突き刺し、片膝をついて地面に座り込んだ。
其れは――――恐ろしく巨大な弓。
片手に鉄筋のような太く長い矢を機械の弓に装填すると、ガナンさんは、目の前の巨大なドラゴンの膝を捉えて、力強く弦を引っ張る。
僕は刀を構える。
できることはわからないけど、やれることは全部する―――――
【獣人――――ウォルフィアードの子よ。お前は我に敵対するか?】
「僕はこの人たちに借りがあります。寄らば斬ります」
【その人間の為に戦うか?】
「ぼくが刀をもつのはただ一つ――――大切な人のためです」
【……鋼のような強き意志よ】
「闘いますか?」
【――――名を聞こう】
「ソラ。龍藤空です」
【風のオオカミ。その名を深く我が体に刻もう……】
僕を見る目は優しく、竜は膝からドクドクと紅い血を流しながら、ユラユラと長い首をもたげて青空を懐かしむように見つめた。
その瞳から、怒気が消えていき、ぼくはゆっくりと腰の刀から手を離した。
【その名は魂を記す。その名はソラ。虚空を泳ぐ風の如く】
「……」
【――――我は聖地に帰る。盟約はすでになされた。獣人とは闘わぬ、それは百年経とうと、幾星霜経ようと変わらぬ】
「……退いてくれますか?」
【撃たれたのは、額ではなく膝だけだったからな。幸いにも】
大きく広がる巨大な翼。
その巨体を持ち上げるほどの風を纏い、ドラゴンはゆっくりと血を流した足を浮かせ、青空へと昇り始める。
その長い首を伸ばし、僕とガナンのおじさんを見下ろす。
【興が覚めた。王女よ、そしてその守護者ガナン・アークフォール。ここはひとまず去る】
「……」
【だが、覚えておけ。貴様たちがやってきたことはただの侵略だ。ヒトという生き物がそれほどに傲慢であるなら、我らも相応を以て対処しよう】
「……次は額を穿つ」
【その寛容に今は感謝しよう。獣人の子よ、精霊の加護があらんことを】
血を滴らせ、轟音のような雄たけびを上げて竜が空へと飛び去っていく。
そして、風が尾を引き、翼のように左右に広がり草原を撫で上げ、青空の彼方へと飛び去っていく。
何もなくなる。
大きな爪痕と、僅かな土ぼこりが舞うのみ。
ぼくは深いため息をこぼすと、刀に添えていた手をおろし、ほっとしているガナンさんを横目に尻尾を翻した。
「お疲れ様です」
「まったくそのとおりだ……」
そう言って、大きな機械の弓から矢を外しつつ、力なく崩れ落ちるようにおじさんは地面に腰を落とした。
「まったく、独りで竜族相手にするのは本当に久しぶりだ。しかも若い竜とあっては、血の気が多くて太刀打ちできん……」
「負けてました?」
「さぁな……」
疲れているのかな。ぼくはさして気にも留めず、腰にさした刀の柄を撫でる。
「貰うものもらいましたからね」
「勝手に捨てただけだ」
「人づきあいは良い方なんですよ、僕」
「こんなことに付き合って、ロクな死に方せんな、お前も」
「悪態付いている暇があったら、馬車追いましょうよ。逃げちゃいましたよ」
そう言って、僕が指させば、衝撃で馬車の拘束を外れた馬はすでに草原へと逃げ出し、遠くの地平からこちらを見つめているのが見えた。
草葉の陰から見つめるその瞳は震えていて、今にも逃げ出しそうだった。
「ほら」
「いい。お嬢様は?」
「ガナン……」
か細く響く声に尖った耳が自然とヒクつく。
聞こえるのは、横転した馬車の中。ぼくは刀を腰から引き抜くと、四つん這いになるガナンさんに不可解な思いを抱きつつ地面をけって歩いた。
「何してるんです?」
「こ、腰が抜けた……」
「年ですね」
「やかましい……!」
悪態をつく初老の男。
そりゃそうだ。あれだけでかい弓を担いで撃っていれば、自然と固まった身体に罅でも入ろうもの。
ぼくは深い溜息をつくと、這いつくばり近づこうとするガナンさんに肩越しに手を振り、横転した馬車の扉へと飛び乗った。
横転した馬車の扉は天窓のようになっていて、僕は刀の鞘の先を歪んだ扉の隙間に食い込ませ、無理やりに扉を破った。
「よっと」
「きゃっ」
番が剥がれ、扉が宙を舞い、木くずが風に乗る。
ぼくは腰に刀を差しこみ、中を覗きこむ。
「大丈夫?」
「が、ガナン……?」
「ぼく」
光を背に、見つめるぼくの姿は暗く映るのだろう。
そう囁いてから、数秒たった後、馬車の隅で背中を丸めてうずくまっていたドレス姿の少女は潤んだ目を丸くした。
「……あ」
「驚いた?」
「……あなた、さっきのオオカミさん」
「食べに来たわけじゃない。君を助けに来た」
そう言って、僕は手を差し出す。
恐る恐る少女はその小さな手を伸ばし、ぼくの毛深い指に絡めて、恐る恐る掴み、ぼくの瞳を見つめる。
その目には、オオカミの頭をした少年が映った。。
相も変わらず、ソレはぼくの身体だった。
「……。オオカミさん」
「ソラ」
「ソラ……?」
「君の名前は?」
「――――フィリア・アルドシア」
「よろしく」
ぼくはその小さな手を握り返し、少女を引っ張り上げる。
フワリと羽根のように軽い体躯の彼女は、軽々と持ちあがって、ぼくの腕の中へと吸い込まれいって、ぼくは彼女を抱きしめる。
小さく幼い身体。
少し潤みながらこちらを見つめる少女は、ぼくの妹を思いだすようだった。
「きゃああああ! ひっつかないでぇええ!」
「いたたた、暴れないですぐにおろすからぁ!」
「きゃあああ! ガナン、ガナぁああん!」
「……ほんとそっくり」
頭にこぶを浮かべながら、ぼくはそう思うのであった。