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空を仰ぎ見て、見るは龍の翼

「とりあえず、どこに行こう」


 ―――――思いだせたのは、あれだけだった。


 今の自分には、どうやってここに来たのかは、皆目見当がつかなかった。どうしてここにいるのか、経緯も原因もはっきりしない。


 記憶に靄がかかっている。


 対して目の前の景色はくっきりと僕の眼に映っていた。


 遠く見える青々とした山。


 広がる地平線。


 僅かに冷たい風に草葉が舞い上がり、僅かに潮の匂いが混ざって空へと幅いていく。


 どれも、知らない匂い。知らない景色だった。


「……」


 あの荷馬車の老人にもらった刀を腰に下げ、僕は誰もいない街道に一人立つ。


 ここがどこかはわからない。


 だけど、道は前後にまっすぐ広がっていて、その向こうには人や街があるのだろう。


 鼻がよく聞く。


 歩く人の匂い、羽ばたき翔ける山風の匂い、野を走る動物の匂い。


 遠くに町があるのがわかる。


 音もよく聞こえる。


 動物たちの息遣い、心音。耳を澄ませば植物の鼓動まで聞こえてきそうで、困惑で目が回りそうになる。


 視界だけじゃない。


 嗅覚も聴覚も――――五感全部が全く別の何かに置き換わっていて、周りの世界がまったく別のものに映った。


 僕は誰だろう。


 ここは、どこなんだろう。


「……行こう」


 風が背中を押す。銀色の体毛を撫で上げていく。


 いつまでも同じ場所にいるわけにもいかず悩んでも答えは出ず、答えを求めて、元いた場所へと戻るために、僕は眼前に広がる長い街道を歩こうとした。


 アスファルトなんて一切ない、砂利道広がる細長い道。


 左右には緑の平原が広がり、草葉の陰から小さな動物が顔を出すのが見える。


「……なんにもないや」


 ここは異世界。


 ビルや駅はなくて、歩道も信号もなくて、車も笑い声も、怒声もなくて、あるのは本当に獣が住みつく巨大な草原。


 社会のルールなんて、ここにはどこにもなかった。


 あるのは獣の気配と、息遣いと、大地と草原。


 そして光を纏い走る風。


 見上げれば、碧く塗りつぶした空に浮かぶ白雲、そして太陽。


 僕は、まったく別の世界に来ていた。


「……」


 熱い。


 風が制服のワイシャツを撫でていき、肌が呼吸できず、内側の体毛がゴワゴワして息苦しくて、僕はワイシャツのボタンを外した。


 風がシャツの内側に入り込み、胸元の銀色の体毛を撫でる。


 はだけたシャツが歩く僕を引っ張りながら、風と共に翼のように広がる。


 風が気持ちいい。日の光が心地いい


 なんだろう。


 懐かしいような、ここが僕の本当の居場所のような――――


「はぁ……どこだかはわからないけど」


 ―――――悲鳴を上げる腰につりさげた【刃】


「わからないけど……」


 かすかな風鳴に共鳴するように、甲高い光を放つ刀に、僕は呟きつつ目を丸くし、腰に下げたその刀に手を添えようとした。


 刹那、足元から全身を突き上げるような衝撃。


 土の匂いが押し出された風に交じって突き出た鼻先をよぎる。


 轟音が尖った耳につんざき、僕は吸い寄せられるように眼を見開き、衝撃の発生源へと目を向け、爪を砂利に立て足を止めた。


「……」


 遠くに見えるのは、草原広がる地平線から垂直に空高く昇る土煙。


 粉塵はまるで花を咲かせるように広がり、やがて土煙りを払うように、巨大な物体が一つ、躯体をよじり顔を出した。



 それは【ドラゴン】



 立派な二枚の翼を広げ、後ろ脚だけで立ち上がり、前足を大きく掲げるくすんだ赤い鱗の龍が長い首を伸ばして、脚下の何かを睨みつけているのがわかった。


 「わからないけど……やばそうだ」


 バサリとはためかせる約四メートル強の巨大な翼。


 そうして躯体をよじり、風を払うだけで衝撃波が彼の化け物の身体に広がり渦を描き、立ち込めていた茶色い土ぼこりが一瞬で晴れる。


 その衝撃波は、地面を撫で呆然と立ち尽くすぼくの体を叩く。


 鋭い風。


 今にも四肢が切り裂かれそうな痛みが身体を襲う。


 逃げないと―――――そう意識がよぎった刹那、魂が警鐘を鳴らした。


「……あ」


 そうだ。あっちの方向には、刀をくれたおじいさんと、あの少女が乗った荷馬車があるはずだった。


 もしかしたら―――――


「ドラゴン、か」


 翼を広げる竜は、体長十メートルは超えるだろう。潰されたら一瞬で殺される。逃げることの方が賢い。


 このまま背中を向けろ、走り去れ。


 敵う相手じゃない。立ち向かうな。殺される。


「……」


 ―――――理性が悲鳴を上げ、魂は奮える。


 戦えと、身体が震え、全身の体毛が逆立ち、尻尾がピンとそり、牙を覗かせ僕は自然と笑う。


「……退かない」


 ああそうだ。


 退いて終わるような人生は嫌いだ。だからいつだって前のめりで戦うはずだって決めたじゃないか。


「はぁ……行こう」


 ここは知らない世界。


 知らない人が集う場所。


 だけど、目の前に助けを求める人がいるなら――――僕は、地面をけって走り出した。


 風が背中を押す。


 尻尾がたなびき、銀色の体毛が揺れる。


 そして僕は地を這うオオカミのように、大地を駆け抜けていく。



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