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記憶の中では、まだ一日前

 さかのぼること――――多分一日前。


 夕焼けが下校時の学校の空を覆う4時。


 あの時、僕はいつものように学校の体育館の隅にいた。


ここは、清隆学園高等学校―――――都市部から離れた新興の住宅街の一角に建てられた、歴史も浅い私立高校だった。


「……ふぅ」


 いつも道着。袴と羽織を着こんで、床に正座して、一分。


 目を閉じれば、体育館の小窓からこぼれる夕焼けが遮られて、代わりに体育館の喧騒が聞こえる。


 周りはバスケ部にバレーボール部の部員ばかり。


 皆、楽しそうにワイワイとやる中、僕は隅で一人正座をして、時が来るのを待つ。


 心を静め、闇を見計らうのを待つ。


 そして、刹那を視る――――


「……」


 構え。


 一歩踏み出し、腰の模擬刀を手に取り、目を開き、目の前の何もない空間を捉える。


 敵として。


 僕の――――



「―――――」



 風を切る音。


 遅れて、ダンと床を踏み抜く音が体育館に響く。


 刃が確かに僕の前を駆け抜ける。


 一瞬だけ鞘から引き抜く刃の感触は造り物だけど、それでもその刀から放たれる真空は確かに空気を裂いた。


 振りぬいた刀を止める。


 心を残す――――言葉のままに、僕はゆっくりと止めた刀の切っ先を鞘に納めて、僅かに持ち上げた腰を落とした。


「……うーん。もう少し」


「チャンバラお見事お見事」


「先生……」


 と、体育館のコートの隅を周り、僕のところにやってきたのは、若い女の先生。


 僕よりももっと背があり、立ち上がる僕を見下ろすその人は、プリーツスカートのスーツ姿で小さく手を叩いて僕の頭を撫でる。


 名前は、宮川 歩之華。


 僕の部活の先生。


 たった一人しかいない居合部の、顧問の先生だ。


「よしよし今日もしっかり練習しているな、少年。そんな重たいもの持参してよくやるじゃないか」


「僕は龍藤です……」


 頭を撫でる手が馴れ馴れしい。


 僕が手を払いのけると、先生は笑っていっぽ下がった。僕の気配がわかったのか、少し警戒感が笑みに顔に滲む。


「感心してるんだよ、邪険に扱わないでくれ」


「そうですか」


 多分、言っていることに嘘はない。


 現にこの人は、たった一人の部『居合部』の顧問を自分から買って出るっていう、ばかばかしいことを平気でする人なのだ。


 そして、学校から支給されている部費をもぎ取り、僕に部活動用の模擬刀や道着を買わせてくれるいい人。

 

 だけど――――


「どうした? 練習しないのか? 先生見ているぞ」


「わかんないでしょ?」


「まるでな」


「なんで誇らしげなんですか……」


「わからんものに興味はないし、触れる気にもならない」


「じゃあなんで部活の顧問なんてしているんですか?」


「君を見下すためだ、少年」


「僕は龍藤です」


 最低な人だ。


 嫌いじゃないけど、苦手だ。


 だけど、役に立つから邪険にはするが、言われた通りには一応している。でないと部費がでないからだ。


「とりあえず、そこらへんに座っていてください。周りのみんなの邪魔になるんで」


「私のパンツが見えるぞ」


「うるさいから死んでくれます?」


「ははは」


 僕は刀を手に持ち、背中を向ける。


 もう一度、喧騒の中に見える刹那の静寂に意識を投げ込もうと、僕は腰に手を当て片膝を立てようとする。


「ソラッ」


「……美月」


 もう一人、けたたましい体育館にタオルケットを持ってかけてくる影に、僕は目を開き立ち上がった。


 同じ学校の制服。


 チェックのスカートを靡かせ、長い髪を結って走ってくるのは、僕と同じクラスの女の子だった。


 龍恩寺 美月。


 昔から顔なじみで、幼稚園から今に至るまでずっと同じ学校同じクラスの女の子。


 僕の――――


「もぉッ、待ってくれてもよかったのに。先に始めちゃうなんてひどいよ」


「生徒会は?」


「今終わったッ」


「じゃあさっさと帰りなよ」


「私居合部のマネージャーだもん。ほら汗ふくからこっちきてよ」


「いいよ……」


「いいからッ。汗だくじゃない。ソラの世話をするのが私の役目なんだからねっ」


「……」


 背は、161センチ。


 いつの間にか彼女の方が一センチ大きくなっていた。


 それだけがショックで、僕は居たたまれずに俯いて、美月がするままに汗だくの顔をタオルで拭かれていた。


「ソラドロドロ。一時間ぐらいしたの?」


「走り込みを先にしただけだよ。居合で汗かいてるわけじゃない」


「そうなの?」


「顔近い……見るなよ」


「しかたないよ。ソラ背低いし。可愛いし」


「……」


「あ、怒った」


 ムスッとする僕をからかうように美月は微笑み、一センチ低い僕を見下ろし、僕は踵を返して背中を向ける。


 屈辱――――というわけじゃない。


 ただ、なんだか、僕のそばにいる彼女になんだか申し訳なくて。


 僕なんて――――


「……。僕もう少し素振りして帰る」


「そうなんだ」


「なんで他人事なんだよ―――――早く帰りなよ美月。おばさんに怒られるよ?」


「一緒にいるッ」


「頑固だね」


「ソラと一緒だね」


「……好きにしなよ」


「ふふッ。私飲み物持ってくるね。何がいい?」


「美月が好きなものでいいよ」


「じゃあ空が好きなアレ持ってくるねッ」


「……」


 リボンで結った長い髪を振り乱し、体育館を走り去っていく美月を横目に、僕は彼女からもらったタオルを肩にかける。


 少し、彼女の匂いがした。


 いい匂いだった。


「……」


「龍恩寺はお前に尽くすなぁ」


「まだいたんですか先生、臭いからあっちいってください」


「私に対する扱いがどんどんひどくなってないか龍藤?」


「仕様です」


「なら仕方ない。別にどこにもいかんが、私はお前たちのやり取りを見ているのは好きだな」


 快活な笑いを覗かせ、顧問の宮川はプリーツスカートが破れんばかりに股を開き、肩を震わせる。


 その男みたいな、大女(174センチ)が心底憎くて、僕は今にも模擬刀を投げ出しそうになる気持ちをぐっとこらえて背中を向ける。


「気持ち悪いですね」


「これでも健全な婦女子だからな」


「腐ってるでしょ。職員室に同人誌持ちこんじゃだめですよ」


「教頭以外誰も見とらんさ。私の給料の額に響くだけだ」


「末期症状ですね」


「そんな人生も楽しいぞ?」


「最期に地獄を見ますよ?」


「どの生き方をしても同じだよ。結局墓に入るまで人間は苦しみ続ける」


「僕はその考えを軽蔑します」


「お前はどうなんだ? どんな生き方が好みだ」


「この刀を振り終えたら、考えますよ?」


「待ってるぞ、彼女」


「―――――許嫁ですよ」


 僕は刀を振るうことをやめない。


 驚きに少し目を開く宮川顧問を横目に、僕は刀を振り、汗を払い、虚空を鋭く切り、そして風に言葉を載せる。


「彼女、僕の許嫁です」


 ―――――龍藤家と龍恩寺家。


 二つは双龍と呼ばれる程の旧い家。龍藤家は古くから伝わる抜刀術、居合道、剣道などの武術を担い、龍恩寺家は古くは皇族共付き合いのある貴族の末裔で茶道や華道に古く精通していた。


 二つの龍は絡み合い、互いを補う。


 二つの龍を縛るのは血と因縁、。


 そうして積み上げられた狭い二つの歴史は、未だに僕らを縛っていた。


 僕は――――彼女に申し訳がなかった。


 僕は、彼女を開放したいと感じた。


 だけど―――――


「空ぁ!」


 だけど―――――ぼくらは。

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