はじめてとか
このお話には特に内容はないのです
「イチゴとかレモンとか、あとマシュマロとか!」
友人の柴田が昼休み終了間際の教室で咆哮する。みんなが見ているからやめてほしい。制服という同じ格好に身を包んで、他に騒いでいる奴らもいるが、目立つには目立つ。
「なあ、どうなんだ、なあ!?」
「どうと言われても……」
剣幕に押され、なんと答えようかと真面目に考えたが、凄く困る。
何故ならはじめてなんて覚えていないから。
はじめてじゃないのなら昨日にも味わったので余裕で覚えているが、はじめてと言われるとむずかしい。
「どうなんすか、先生?」
鼻息あらく柴田が詰め寄る。うざい。あと俺は先生じゃない。
「いや、そんなん言ってもしょうがないだろう」
「言ってもしょうがないって言った! やっぱり経験はあるんだ!」
違うというのは簡単だがそれは嘘だ。そうだというのは簡単だがそれは面倒事になる。実際に俺たちがそういう関係だと思われていることはわかってはいるが、それとこれとは話が別だ。
そんな俺が選んだのは沈黙。昔の人は言いました、語られざることには沈黙をもって答えとする。いい言葉だね。
「答えろよ」
俺の首根っこを掴んでぐらぐらと揺り動かす。こんな漫画的表現にリアルでお目にかかれるとは思わなかった。そしてその対象が自分だとはもっと思わなかった。
しばらくして、始業のチャイムが響く。
柴田はゴングに救われたなという意味不明な供述をして去っていった。
それを遠くの方で千紗がひごとごのように(事実ひとごとだが)ニヤニヤしながら見ていた。
あの女、後でヒイヒイ言わせてやるで!
/
俺と千紗は二人で宿題を片付けていた。
学校が終わると放課後は大体俺の部屋で、最初にそうするというのが定番コース。
こうして帰ってすぐ課題をやるのはけして俺たちが真面目だからではない、先にやらないと後でやる可能性が相当に低いからだ。
「あの教師私がボクサーだったら殴ってる」
「その時は俺がきっちりフォローするから安心しろ」
千紗はぶつくさと文句を言いながらペンを動かす、対する俺もぶつくさ言いながらペンを動かす。
今日は一教科だけだが出された量が多いのだ。さらにいうと千紗が苦手な古典。俺は千紗ほど苦手ではないが得意というわけでもない。
正直ふたりとも勉強なんてしたくはない。
したくはないがそういうわけにもいかない、それが学生の悲しいところ……というか一応義務だ。
そこで勉強なんてほっぽりだそうぜとはならないあたりは、お互いそれなりに真面目みたいだ。
だいたい下手に今日やらないで、明日面倒になるよりは、マシだと言い聞かせる。
そうして時間にして一時間。俺の方は課題の大体四分の三が終わった頃だった。
「悠、あたしは限界だ」
真顔だった。真顔というか固まっている。能面といったほうがいいか。これはほんとうに限界だと見ればわかる。
「……休憩するか」
となると選択肢はそれしかない。
俺が答えると同時に千紗は横に倒れこんだ。
力が抜けた千紗は虚脱しきって、奮発して買ったコートをすでに持っていた時のような顔になっていた。
もしかしたら涅槃にたどり着けるんじゃないかと思えるぐらいの酷い有様だ。
「私、思うんだ前世は日本人じゃなかったんじゃないかって」
だからって言って千紗が英語がべらぼーに得意とか言うわけでもないから、それは違うと思う。
俺は部屋の片隅に置かれた小さな冷蔵庫から炭酸飲料を二本取り出し、一本を千紗の前に置いた。
「あんがと」
のっそりと起き上がった千紗は気だるげに蓋をあけると口をつけた。
「生き返るわ~」
「教師もまさか課題で生徒が死んで、ジュースで生き返るとは夢にも思ってないだろうな」
「ああ~もう投げ出したい」
「そういうわけにもいかないだろ、ここまでやったんだし」
千紗の課題をみると半分は終わっている。
丸写しするわけにはいかないが、俺の方が終わればあとは幾ばくか楽になるだろう。
「だといいけどね」
非常に遠い目だった。
「悠、なんか気晴らしに適当な話ししてよ」
「適当ねえ……」
いつも通りアバウトな指定だった。
考えてみても、俺の方も古文で頭がいっぱいなのでパッとは浮かばなかった。
仕方がないので、朝からの出来事を思い出してみて、ふと昼休みの話題を思い出した。
「ファーストキスって何味?」
「それは女の子としては適当な話にはならないでしょ」
「それは一般的な話だな」
ぶっちゃけ生まれてからずっと付き合っているような俺たちなので、そんなのは世間話と変わらない。
「で、ファーストキス……ねえ……?」
千紗が俺の目を見る、どうしてそんなの出てきたのかと訝しむような視線に、俺は事のあらましを語る。
「いやな、柴田がどうなんだと? どんな感じだったんだと? 昼間問い詰めてきてな」
「ああ、アレね」
千紗がニヤニヤしながら見てたやつだ。助けてくれなかったやつだ、まあ、あの時に千紗が入ったらさらに大事になっていただろうからそれは構わないが。
「なんて答えたの?」
「言っても仕方がないだろって」
「実に正論ね」
はっきり言えばキスに味なんて無い。確かに相手が食べていたものの味はするが、それは意味が違うだろう。だからそれを言っても仕方がない。
「でも柴田くんが聞きたいのはそういうんじゃないんじゃないの?」
「っていうと?」
「思い出補正の味っていうの? 青春は甘酸っぱいとかいうじゃん? それと同じ事」
意味合い的には理解できる。
実際に味はしなくても付加するイメージからそういう味のようなものはあるということ。
しかし問題があるとすれば、そもそもその瞬間が記憶にないことだ。
「もしかしなくてもファーストキス覚えてないでしょ?」
呆れているわけではないだろうけど、半眼で千紗が俺を見る。
俺は黙って頷く。
「ゆーは酷いね、大切な思い出なのに」
「じゃあ聞くけど、いつ?」
「幼稚園」
「それは俺も覚えてる、問題はそのどれが最初なのかが思い出せないんだよ」
そう、俺たちが初めてキスをしたのは幼稚園の頃。よくある話だと思うけど興味本位で好きな子とやってみたというのが始まり。
ただ普通と違うのは、その後もごく普通にそれを続けていたことだ。それは現在に至るまで。
「それは……たしか、なんだっけ先生が大人になったらどうのみたいな話をした日じゃなかったっけ?」
「それは違うな。その時にはすでにしていた記憶がある」
やべ俺まだ子供なのにしまくってると思った記憶があるから。
「となると」
そうして千紗は思案する。そして出した答えは、
「うん、私もわかんない」
「おーい」
とかいう俺も同罪だけど。
「まあ、仕方ないよ、あの頃だけでも何回したか数えきれないもん」
けらけらと千紗が笑う。
「だよなあ。味も何もあったもんじゃねえよ」
俺もつられてわらった。
「でもさ」
そうして笑ったあと千紗が、ぽそりと言った。
「いつだったかは覚えてないけど、正直すっごい嬉しかったのは覚えてるよ」
「そっか」
俺もそれは同じだった。胸が暖かくなるというか幸せになるというか、なんだかわからないけど頭が浮ついて。そういう感覚は今も忘れていない。
だからこそその後もずっと続けてしまったのだけど。
「ゆー」
千紗が四つん這いの姿勢で俺の方に寄ってくる。それがどういう意図を持ったものか。その瞳を見れば何を求めているかは一目瞭然だった。
千紗はそのまま俺の隣に来ると肩に頭をあずけて、俺を見上げる。
重なる視線。
俺は少しだけ首を動かして、千紗にキスをした。
子供の頃にしたのと同じ触れるだけのもの。
「キスの味はジュースの味だね」
夢のない話だった。
でも、
「あの時と同じですっごく嬉しいよ」
はにかんで千紗が言う。言葉通りにとても嬉しそうに。
「ああ、俺も」
だから、もう一度そのうれしいが欲しくてキスをする。
けど、今はあれから何年もたって、あの頃みたいに唇が触れるだけじゃあ終わらない。
舌を絡ませて、唾液を交換して。
俺の手は無意識に千紗の腰に手を回して離さないようにしていた。
しばらくそうしたあとに、息苦しさにお互い口を離した。でも、まだまだ足りなかった。
あの頃とは絶対的に違うこと、それはキス以上のこともあるっていうこと。
「千紗、ベッド行こうか?」
「……うん」
酸欠と興奮とで真っ赤な顔をした千紗が頷く。
普段はほとんど見られない気が強い千紗の、しおらしくてかわいい表情だった。
/
――ということで、俺たちはその後くんづほぐれつだらりとなったわけだけど……。
「……終わんない」
そう、課題は途中だったわけだ。
行為の後は満足感と虚脱感、それから疲労に満たされれる。そんな状態で勉強なんてぶっちゃけ無理なのだ。
だがそういうわけにもいかず、俺たちは開きっぱなしの教科書に戻る。
今『終わらない』といった千紗ではあるが、実際のところは『終わらない』のではなくて『進んでいない』のだ。
俺だってそうだ。千紗よりはマシにやってはいるが、だらだらやってるという意味では似たようなものだった。
これが俺たちが最初に勉強をする理由。
以前考えなしにダラダラと(性的なことも含む)していたところ、後で困るという事態が多発したため、そうするという結論を出したのだ。
だが、そう上手く事が運ぶことも少なく、今日みたいになることも少なくはなかった。
そうなると出る千紗が出す結論はひとつ。
「諦めよう」
だが俺はそれを断る。助け合うのも甘えるのもいいと思うが、それと放棄するのは話が別だと思う。それではお互いが邪魔をしているだけだ。
「がんばれ、後少しで俺は終わる。そうすれば、あとはなんとかなるだろう」
嘘も方便。俺の少しもほんとうに少しといってもいいかは怪しい。
「先に夕ごはんを食べるっていうのは」
時間としてはもう母さんも帰っていて、夕食も出来ている時間だ。提案そのものは間違っていない。だがそれも却下。
「食べたらお前は百パーセントやらない」
なお、俺もやらない自信がある。
「うぐ、仕方がない」
のろのろとした動きで再びペンが動き出す。
答えの正確性はともかく、進んではいるようだ。
俺も、少しとか言ってしまった手前、ゆっくりしている暇はない。
千紗と致すことには悪い感情なんて何一つなくって、最高だとは思うが、こうなるといつも後悔する。
だが今日も結局そんなことは、頭からすっこ抜けて致してしまったのだから、それだけ自然にそうなってしまってるんだろう。
それがいいのか悪いのか。
少なくとも学業に影響が出ない程度には自制したいと、だいたいいつも思うようなことを考えながら、本日含めあまり効果のなかったことを片隅に俺も課題をすすめるのだった。