5話 騎士のひみつ
決定的な違和感が、精神の静寂のど真ん中に横たわっている。
カイエは言った。
「本当の『あなた』と『私を』知るため」、と。
それは庄助にとって、カイエが嘘を吐き騙していたと言う事にほかならなかった。優しい言葉で上手いように言いくるめて連れ出し、それを話すためにここに来たのだと言う事だ。
ああ俺は浮かれていたんだ──そう、強く実感する。相手の声色も、笑顔に見える表情も真剣なものだ。ただのお話を聞かせているわけではない。
本当に、大事になっているのだ。
色々な可能性を少しは考えていたはずだった。だが、やはり予測と実際は違うものだ。ふと、超神もきっとこんな思いをしているのだろうか、と違う考えが過ぎる。
ただ、騙されていたと思った一方で、仕方ないと思う気持ちも確かにあった。カイエの言葉をよく思い出せば、またこれからカイエの言い訳を聞けば、言葉を濁して庄助を連れ出した事に理由があったのではないかと思うだろう。庄助が「そんなに」と思うだけであって、この世界の巫子事情とやらはもっと難しいものなのかもしれない。聞きたいことは沢山あった。けれど多分、今この場ですべてを飲み込むことは不可能だ。
騙されたと思うことそのものが、自分の子供さをむざむざと見せつける。
「え……と……」
向かい合う瞳が余りに静かで異様だった。何か言おうとして、二の句が継げず唇を噛み締める。どうしてこんな場所でこんなことをと思っても、一度釘を刺された身分だ。不満を口にするのも憚られた。
カイエはあれきり口を開かないで庄助の出方を静かに待っている。
じわりと脂汗が浮いた。手が痺れるようにかすかに痛む。
その時、じわじわと感じ始めた苦痛と静寂を払ったのは、カイエの一言ではなく明るい女性の声だった。
「おいおい、ウマくやってると思ったらなにやってんだよ? カイエ、そこまで真面目腐ってやるとは思ってなかったぜ」
「フィデリス」
その声に気付いてようやくカイエは視線を外した。その先を言葉の主に向けて、名前らしき言葉を呟く。
カイエの視線の先で、輝く淡黄色が、長くゆるやかに揺れた。淡黄を纏う体は女性のもので、先ほどの声の主だと判断できる。いつの間にかその女性はこちらに近づいてきていたようだ。
フィデリスと呟かれた金髪の女性は呆れたように顔を歪めて、了承も得ずにテーブルの余った椅子に座る。片手には発泡酒を持っており、座った衝撃で水滴が飛んだ。
カイエは手元に飛んだ水滴を払いながら、笑顔を崩さずにゆったりとまた呟く。
「……緊張して」
「えっ」
緊張?どう見ても緊張しているようには見えなかった。
庄助が驚愕に目を見開いたのと同時に、更に大きな驚愕の声音で女性が素っ頓狂な声をあげた。酒の入ったゴブレットをテーブルに叩きつけて、テーブル越しにカイエに身を乗り上げる。
「はあ!? 嘘だろ! 言うに事欠いて緊張かよ……こんな坊主に!?」
「坊主じゃない、巫子様だよ。協力を仰いだ時に言ったよね、忘れたのかい?」
「ちょっと……ホントどうした? どうせここじゃ気にしなくていいんだぞ? 『金のもぐら亭』まで来てそんなことしてるとか、うわ、巫子様どんだけ……」
女性はオーバーリアクションに身を引いた。こわ~と口にだしながら両手で体を抱えて二の腕を擦っている。その様子に見合う過度に露出された胸が、腕を動かすたびに形を変えているが、庄助に気付く余裕はない。
カイエの協力者らしい女性の突然の出現、加えて話している内容にも頭が混乱する。嫌な沈黙や苦痛が払われた事はありがたいが、こちらとしては意味不明な『何か』をいつの間にか巫子のせいにされて腑に落ちない気分になる。
そもそも人との付き合いも浅い庄助には、唐突に目の前に現れた交友関係に口を挟むなどとんでもない。自分の友人でさえ知らない人と話し出せば、特に興味を惹かれる話題があるか、請われて口を開く以外はおとなしく聞き役に回って相槌を打っているほどだ。
そうして目を白黒とさせていると、相変わらずオーバーに振舞っている女性が「あ」と声を上げて視線を向けた。
「ヤベ、あんまりにコイツがおかしいからすっかり忘れてた……」
「あ、いえ」
「ご迷惑をおかけした。オレの名前はフィデリス、フィデリス・モーレ。この『金のもぐら亭』のオーナーだ。無礼に非礼を重ねて大変申し訳ない、巫子様、どうぞ今度ともよしなに」
「あ、その、俺は伊丹庄助です」
その巫子様を前にして先程思いっきり貶さなかっただろうか。と無性に追求したくなったが、巫子の存在の大きさに自分でも萎縮してしまった今の状況では何とも言い出しにくい。結局とっさに自己紹介を返すだけに留まってしまった。
フィデリスはそれでも良かったようで、顔を輝かせるとまたもや身を乗り出して庄助に近づいた。
「な、巫子様。どうだい、ここの料理は? まだメインが来てねえみたいだがイケるだろ? なんたってオレが厳選した素材調達して直々に作ってる上、いくつか任せてる調理師共はオレの肝いりだからな。異世界人の口に合わないモンはつくってねえ」
「美味しい、ですけど……異世界人って? え?」
ぽかんとして首を傾げる。この料理はここの世界のものではないのだろうか。いや、異世界のものだろうが……分からなくなって更に首を捻る。
フィデリスは満足げに頷きかけ──庄助の言葉を聞いて先程までの輝いた表情を一気に曇らせた。うんざりと首を巡らせてカイエを見やる。
「なんだ、聞いてないのか? おいおいおい……カイエ、お前ってやつは。一番大事なトコだぞ!!」
「後で説明するつもりだったんだよ。……ああもう、いいわ。口調、やっぱり無理だったしアンタには奇妙がられるし……もう面倒だわ、ホント、出てくるタイミングが悪すぎるのよ」
カイエはそれまでの笑顔を不機嫌そうに崩した。ふうと息を吐いて椅子にもたれかかる。フィデリスは面白げに口角を上げて笑った。
「どうせ気張って回りくどく予防線でも張ってたんだろ。やめろって、最初から話すにゃ話が長すぎる。お前のガラでもねえ。すぱっとずばっと言ってやりゃ良いだろうが」
「アンタ私の立場わかってる? 神殿が関与してるなら慎重すぎる程でいいの。私みたいにならなくてすむでしょ。それに別に予防線って訳でもないのよ。一番初めに話さなきゃいけないことだわ」
「知ってるよ。相変わらず巫子様ってのは七面倒ばっかりだなぁ。お前がかわいそうに思えてくるよ」
「思えてくるんじゃなくて思ってて欲しいわ」
そう言ってカイエがその短髪をくしゃりと掴んだ瞬間、ゴトン、と何かが落ちた音が響いた。
フィデリスは不思議そうに喉を鳴らして音の方向を振り返る。めぐり回した首を元に戻して──そこで、音の正体が庄助であることに気付いた。
二度目の「あ」は、失態に気がついた声音ではなく、やはりという感情が含まれていた。
緩んで開かれた手の下には、少しこぼれた形跡の見られるゴブレットが鎮座している。先ほどの音はこのゴブレットの落ちた音だったのだろう。庄助でさえ気づかなかったらしく、会話を遮った落下音の原因を確かめるように手の中を見て、落ちたゴブレットに視線を移し、再度二人を見た。
落ちたゴブレットと共に、腑に落ちたこともあった。あまりに得心がいったのでしばらくそればかりを考えて思考が停止してしまったほどだ。
不思議な違和感を感じていた。それはカイエが何かを隠していたせいだ。言いくるめて連れ出してまで巫子についての知識を焦ったように詰め込ませ、何かを話そうとしていた。それはカイエにとって至極重大なものだ。庄助にとって重大なことではないと、無意識に感付いていた。だからこそ違和感を感じたのだ。
この話は庄助の事だが、庄助そのものについては何ら話していないと。
カイエは、この事を話すために、庄助を連れ出したのだと。
庄助は余りにも間抜けな声を上げた。
「カイエ、あんた、おか、オカマ……だったのか!」
「違うわよ! 間違えないでちょうだい、私は『女』よ。厳密にはオカマじゃないわ」
「ちなみに言えばオレは『男』だぜ」
「へぁ!?」
更に間抜けな声を上げる庄助に、フィデリスは笑い声を上げる。カイエはそれを横目でじとりと眺め、長く深い溜息を吐いて、からから笑うフィデリスを小腹を肘で突くと笑みを浮かべ直して口を開いた。
「ねえ、庄助。言ったでしょ?『異世界人は引き摺られる』って」
「そしてオレたちはな、異世界人なんだ」
「まさか『姿かたちも』って、そういう……」
「そうよ。そうなのよ」
向かいの男は笑っていた。
まるでなんでもなさそうに、笑っていた。
「私達、体と心が違うの」
「カイエが……女?」
おずおずと口にすれば、フィデリスが返答に困って押し黙りそうになる庄助の頭に不遠慮に手を差し伸べて、優しく撫でる。細く繊細な指先なのに、何故か無骨な印象を受けた。
優しげな女口調のカイエと、乱暴な男口調のフィデリス。そう言えばカイエは女口調でないときも、決して乱暴な男口調ではなかった。普通に女の子が話していてもさほど違和感が少ないような言葉遣いで喋っていたと気付く。
「オレたちはな、ここの同士なんだよ」
「どういうことだ?」
「そういや、ここの事、言ってなかったんだっけ。丁度いい、教えてやるよ」
撫でる手が頭をぽんぽんと軽く叩く。フィデリスと目を合わせれば、彼女は気の強そうな瞳をいたずらっぽく細めた。
「ここ『金のもぐら亭』はな、異世界人だの、中身と外見が一致しない奴らだの、人間じゃないやつも、老若男女悲喜交々、まー個性豊かな奴らが常連で集まる場所なんだわ」
だから安心しろよ、巫子様だって浮いたりしないぜ。無礼講だ。
淡黄の女性は、女神のような笑顔で、思い切り目を見張る事実を言ってのけた。