4話 巫子様のひみつ
『トラステの玄関口』、ガイナトン国。
北を山岳地帯に、南には商業の発達した国々、西にさらに広がる穀倉地帯に、東を宗主四国に囲まれた内地であるために、ガイナトンの食文化は穀物や野菜が主流だ。南方には港湾都市が在るが、国を二つ挟んだ向こうにあるために、そこから輸入される海産物は、干物や冷凍保存に強いものに限られている。
それでもこの『金のもぐら亭』オーナーが直々に仕入れる食材の中には、生鮮食品が含まれている事が多い。内地としては珍しい食べ物が並ぶこの宿の客層は、どちらかといえば一見の旅行者よりも国内の人々や、内地の食事に飽きた冒険者たち、故郷の食事が恋しくなった人々の方が主立っている。しかも、彼らは大概が常連客であり、一見に荒らされたくないためかこぞってこの宿を噂することもない。それがこの『金のもぐら亭』を知る人ぞ知る存在に仕立て上げているといっても良いのである。
その『金のもぐら亭』の夜は長い。
未だ冷めぬ盛況のなか、二人は言葉少なく食べ物を口に運んでいた。
供された料理は日本にいた頃と大して変わりがない。和食こそ無かったものの、洋風レストランでも十分出せそうな物だ。本場の人間が見れば恐ろしく別個の国々の食べ物が混ざっていることに気づくだろうが、アレンジした料理に慣れていた庄助には特に気にする事でもない。自分の食べる料理がどんな材料からどんな調味料を使い、どの味が出るなどほとんど気にしたこともない。そもそも普段から食べるものは和洋中そのほかにこだわらず、好きな食べ物はファーストフードのハンバーガーや牛丼で、苦手な食べ物は寿司である。そんな庄助にとっては馴染みの味付けがいつもよりも少ないだけで、特にナショナリズムが刺激されるという事はなく、和食へのこだわりというものもないのだ。
庄助は無心に数種の根菜であろう野菜ととトマトのような野菜のサラダをつつきながら、向いで甘辛い味付けのひき肉と野菜が詰めてある揚げ餃子のような食べ物を摘んでいるカイエを見上げた。
「やっぱ気になるんだけど」
「ん?」
首を傾げられて、庄助はフォークを下ろし、飲み物に手をかける。
「さっきの話の続き」
「巫子様について?」
一口飲み、うん、と頷いて先を促す。話の続きは食事のあとでと言われたが、やはりどうしても気になるものだ。なかなかにハードでヘヴィな話で食事中は考えないようにしていたものの、落ち着いて考えればそれほど差し迫った話題という訳でもない。そう思えば思うほど話の続きが気になって落ち着かなくなってしまった。
カイエは自嘲気味に軽く苦笑していた。話すタイミングを若干誤ってしまった事を反省しているらしい。「後でぶーぶー言わないでよ」と前置いて、フォークを置いて手を組んだ。
「昨日言った巫子様の役目の事と、さっき『巫子様は引き摺られない』って言ったの覚えてるかな。それは巫子様の有り様でね、巫子が巫子としてなすべき事とほとんど同一でもあるんだよ」
「え、あ? ああ。巫子は国について情報を知る役目を負っている、ってのに何か関わってるんだよ、な?」
カイエの言葉を記憶から引きずり出しながら口にする。相手が頷いたのを見てとって、間違えてないことにほっとした。
「じゃあ、その情報はどこに行くか想像はつくよね?」
「……巫子って言う位だから、神様?」
「正解。ちなみに引き摺られた異世界人にも、元々こちらに居る者にもできない。それは真理だの天則だの、そういうものでね」
またもや間違いではなかった。カイエは言葉を続ける。
「神……超神に具体的な情報を正確に持ちかけられるのは、巫子様だけなんだよ。さっきメタフィクションの話をしたよね? あれを言い換えれば、こちらが登場人物、超神が作者であり読者だ。巫子様は唯一作者に情報を正確に提示できる。想像で補われていた部分──視覚だとか、聴覚だとか──そういうものを伝えられる。超神はここを俯瞰しているから、相当大きな事がなければ気づかないし、直接目にすることもできない。誰それが死にかけている、小さくてまだ大きく露顕していないけど確実に見逃せない災害がある、陰謀がある、なんて言うことは俯瞰するだけではわからないからね。けれど『そこで知るだけで』情報を正しく伝えられ、超神がそれに対する力の行使をする時、正しく力の指向を持たせられるのは巫子様なんだよ」
「え? いきなりそんな話されても訳分かん……ちょ、ちょっと待った、チョウシンって?」
手を上げて話を遮る。一度にずらずらと並べ立てられた上に色々な単語が出過ぎて、正直なところ17歳の理解力でもはいはいと処理することは難しい。よくもそこまで口が回るものだと逆に感嘆しそうになり、慌てて正気に返る。
そんな庄助の様子にカイエはしまったと顎を軽く擦って、口を開き直した。
「超える神と書いて超神。ま、とりあえずは実在する神様だと思っておけば良いんじゃないかな」
「とりあえず?」
「これを説明すると更に話が長くなるけど、それでもいいなら」
「いや、いい、いらない」
そう聞いて軽く青ざめた。これ以上処理しきれなくなる話をされても非常に困る。激しくかぶりを振るとカイエが口角を少しだけ上げて了承を示した。
超神は神、しかも居る。そう頭の中で呟きながら、庄助は顔を僅かにしかめた。あまりに突飛で、しかも曖昧な話に頭が痛くなりそうだ。気を紛らわすように揚げ餃子を口に放り込むと、その美味しさに張り詰めた表情がいくらか和らぐような感じがする。
それでもまだ気が晴れず、一口飲み物を嚥下した。蜜酒を発泡水で割ったものであるが、カイエの話では子供でも飲むような酒精──アルコールの殆どない飲み物らしい。蜜酒そのものが子供の腹痛の薬がわりらしいので、それを薄めたものを庄助が飲んでも問題がないのだと言う。
結露が指を濡らし、冷たさと発泡が気分をさっぱりさせる。ふう、と息を吐いて、カイエを見上げ、話を戻すように促した。
「……とりあえず、ここの全ての者は神様に助けを求めたい、伝えたくても伝えられない。でもショウスケが知ると神様に伝わる、そんで神様がショウスケを通じて何かする、ってこと」
「最初からそう言ってくれりゃ言いのに……てか、単純にそれで何もかんも片付けるのかよ? それでいいのか? 神様任せで?」
疑わし気な視線に、カイエは一旦口を閉ざした。組んだ手を解いて暖かい茶の入った木製のゴブレットを両手で包む。暖かくはないだろう、だが、まるで冷たくなった指先の熱をゴブレットから取り戻すかのようだった。
「基本的には超神はその手を差し伸べないからね」
存在はするけれど、やはり神なのだと、やや乾いた声が言葉を紡ぐ。
その声にふとゴブレットからカイエを見上げれば、その眼差しは、初めて見る表情をしている。言い様のない違和感とでも言うのだろうか、不可思議な感覚が胸の奥に沸いた。
「なんと言えばいいのかな。巫子様は分かり易い特徴を持った、媒介者、と言うのかな。超神の力はね、あまりに強大すぎて巫子様っていう媒体を通して、指向や限度を持たされなければ結果的に毒になってしまうんだよ」
「?」
「例えばね、誰かが干ばつで喉が渇いて死にそうで助けて欲しい、たくさんの水が欲しい、そう強く願った。実際に遠くからでも良く分かるほど大規模な干ばつが起きていた。それをたまたま超神が気付いて水を与えた。……そして遂に上から大量に水が降ってきた。でもそれは雨どころの話じゃない。湖や海がそのまま降ってきた。そうしたらその人はどうなる?」
「……」
死ぬ。死なないわけがない。
ただ水が欲しかっただけで、それが一杯の水でも、むしろ水でなくても良かったはずだ。けれど神は、超神はその限度がわからなかった。果たしてどのような情報が超神に与えられたかは計り知れない。
超神がどんな存在か、庄助はしらない。人のように情をもつのか、機械のように合理的に動くのか、人間の認識で計るなどおこがましいという程の複雑さを持っているのか、神話の中でしか神を知らない庄助には分からない。
ただ、超神は万能ではないのだ。それだけは分かる。
巫子という存在がいなければ、どんな結果を齎すか分からない。だから超神は介入すら出来ない。目に見える災厄ですら、見ているだけなのだ。
「巫子様は何もしなくていい。それは本当の事だよ。国から出続けさえしなければ、何をしても自由なんだ。もちろん害を為せばいずれ誰かに罰されるけれど」
いつのまにか、カイエが目を覗き込んでいた。そこで初めて、彼が砂色の瞳をしていたのに気付く。どうしてだろうか、何度も見上げていたはずなのに、たった今初めてそれを知ったのだ。
庄助にはカイエが何を言わんとしているか、分からないでいた。ただ、不思議な違和感が胸の奥で燻っている。巫子という存在について、こんなに詳しく話してくれた。勉強はゆっくりで良いと言ったのに、ここに来た途端に急かすように。一体何故?
「カイエ……あんた一体、何でそんな話してくれるんだ」
おかしい。何かがおかしい。
何がと限定できない。少しずつ、何かに違和感を感じる。
砂色の瞳を細める、その笑顔に不安を感じる。唾を飲み込む音が、妙に大きく聞こえた。
「認識がずらされる前に──」
カイエが口を開いたのか、開いてないのか、わからなかった。ただ声だけが聞こえた。
砂色が、庄助の目を捕えていたからだ。
未だ冷めない喧騒の中、このテーブルだけ水を打ったように感じる。喧騒が遠くに霞む気がする。
初めて、何もかも、初めてだ。
大して長い付き合いじゃない。だから初めてなのはおかしくない。でもこんなにも何かの感情が掻き立てられる。これは、不安なのだろうか。悪い予感かもしれない。
「──本当の『あなた』と『私』を知ってもらうためにね」
口調が砕けてから、カイエが自分自身を呼ぶのを、庄助は初めて聞いた。