終わりのはじまり
1章 終わりのはじまり
夏の暑い日だった。
エアコンをがんがんにきかせた部屋の中、流行りの音楽を、
いつもよりすこしボリュームをあげてかけている。
「ちょっと音が大きすぎるんじゃないの?」
と、階段の下から叫ばれることはないとわかっていても、
やっぱり最大ボリュームにはできない。
小心者のぼくはパソコンの前で新しいゲームソフトの攻略法について
掲示板にカキコミをしていた。
「ネタバレOK」とはいっても、苦心して見つけ出した裏ダンジョンのことは書いてやらない。
何ひとつ自分で考えないで、板を見てラクしてクリアしようってヤツは好きじゃない。
そんなヤツに限ってトモダチの間じゃ、さも自分が発見したかのように、
自慢気にいいふらして、トップ気取り。
つばをとばしながら自分だけテンションあげてしゃべるヤツは
横でみていて滑稽だと思う。
ヲタと呼ばれている人種が嫌いなわけではない。
ぼくと温度差がありすぎて、一緒の環境に住めないというだけだ。
なんにせよ、極めるっていうことはすげえことだと思う。
その点はぼくには真似できない。尊敬すべきところだ。
ようするに、極めるならばひとの手柄を横取りするなってことだ。
ぼくは何にでも手を出す主義で、器用貧乏の見本だと親父に言われたことがある。
小学校のときにやっていた剣道もあと少しというところで熱が冷めてしまったし、
バスケもレギュラーになってしばらくして飽きてしまった。
友達の影響で集め始めたトレーディングカードも押し入れのどっかにまぎれている。
高校二年の今までどれだけのチャレンジをして、どれだけのドロップアウトを繰り返したのだろう。
大きい小さいはあるにせよ。
「中途半端なんだよ、お前は」
こつこつ働いて、転職もせず、
大学を出てからひとつの会社に尽くしているオヤジの言葉は、説得力がある。
一日の使える時間すべてを証券取引にささげているのではないかと思う。
そんな親父に「ごもっともです」と言わんばかりの指摘をされると
ちょっとばかり、へこむ。
いや、かなり。
それでも今度買ったゲームは最後までクリアできそうだ。
親父にいえば、
「そんなのはカウント外だ」
と、鼻で笑われそうだけれど。
電話が鳴った。
もちろん誰もとらない。
親父もお袋も妹のヤヨイも、今日は郊外の大型量販店に出かけている。
トイレットペーパーや冷凍食品、
妹はナントカ言うキャラクターの文房具を買うために。
親父は運転手だ。普段、電車通勤をしている親父は、
土曜・日曜くらいしか、家の車を運転する事は無い。
もう八年も乗っているトヨタ車だ。
「いい加減買い換えたい」
と主張するお袋に、
「あと一年な」
とのばし続けてここまできた。
最近ちょっと根負けして、今日はショールームへも足を運んでみようか、と言っていた。
「お前も来るか?」
と聞かれたが、約束があると言って断った。
日曜に家族そろってお出かけなんて、なんだか陳腐だ。
電話は鳴り止まない。
やれやれ。
ぼくは部屋を出てリビングの受話器をとった。
「もしもし」
「アイザワさんのお宅ですか?こちら県警です」
はあ?
ぼくはいたって真面目というわけではないものの、
やばいことに手を出すようなタイプではない。
それなのに警察だと言われてドキリとした。
信号無視やいたずらで煙草を吸ったくらいで家まで電話をかけてくるわけがない。
「もしもし?」
「あ、はい。相澤です」
相手が一拍、間をおいて言った。
「アイザワさんですね?落ち着いて聞いてください。ご家族が事故にあわれました。すぐに身元確認のために千代総合病院まで来てください」
頭が真っ白になるというのはこういうことなのか、とぼくは思った。
ドラマなんかでパニック状態になって叫んだり、
受話器を取り落として倒れたりする場面があるけれど、
ショックも度を越すと、人間はへんなところが冷静になるらしい。
受話器を置くと、思いつくがまま、財布と保険証をポケットにねじ込んで家を出た。
通りに出てから、セコムをかけるのとトイレの窓を閉め忘れていることに気がついた。
いいか。
とりあえず窓は格子がはめ殺しになっている。
手をあげるとライトをパッシングさせてタクシーが止まった。
乗り込んで病院の名前を言う。ここからは結構遠い。
運転手がぼくに話しかけようと、ミラー越しにこちらをうかがったが、
前を向きなおして運転に集中した。
ぼくはそうとう深刻な顔をしていたに違いない。
あるいは真っ青だったのかもしれない。
ふと、足元を見ると、右と左で違うスニーカーを履いていた。
全然冷静じゃないな。
ぼくは不安を消したくて窓の外を見る。
ネオンや明かりのついた窓が後ろへ後ろへと流れていく。
頭の中には気になる言葉がリフレインしている。
身元確認。
どういうことだろう。
ミモトをぼくがカクニンしなければいけない事態。
嫌な想像が頭をくらくらさせる。
携帯が鳴った。メールだ。親友のカズからだった。
『明日カラオケ行かね?マサがナミエたち誘うって』
マイクと音符の絵文字。
『行けね』
三文字を返信した。
そう、行かないんじゃなくて、明日はきっと行けない。
ぼくの日常はさっき受話器を取った瞬間に終わってしまっているから。
カラオケもゲームも、カズもナミエも、学校やいつものコンビニも、
きっと明日のぼくにはとても遠いものになっている。
タクシーのラジオが交通情報を伝えている。
「現在都市高速千代町付近は事故のため通行止めです。トラックが乗用車に追突する事故が起きており、トラックの運転手と乗用車に載っていた男性ひとり、女性ふたりが病院に運ばれた模様。現場付近はトラックの荷台に乗っていた鉄骨が散乱しており、上下線とも封鎖中」
流れるように原稿を読む女性アナウンサーの声がよそよそしく響く。
原因とか道路の状況とか、そんなのどうでもいい。
まきこまれたのはどこの誰で、生きているのか死んでいるのか教えてくれよ!
ぼくは窓の外を見た。
うっすらと白い月があった。
月は全部見ていたのかな。
やけにタクシーが揺れると思ったら、ぼくの足ががくがく震えていただけだった。
両手で太ももをぎゅっとおさえてみた。
まだガクガクしている。
遊園地の海賊船で急降下するときの、ずうんとする感じ。
足元から全部が抜け落ちて宙ぶらりんになってしまったような心もとなさ。
このイヤな夢はいつ覚めるのだろう。
夜はだんだんとせまってくる。無言のぼくと運転手、月とタクシーとラジオ。
それだけが今のぼくの世界で配役をもっていた。