お兄ちゃん
お店について席に案内されると、美那がおっそーい!といって私を引っ張って、高原さんの隣に座らせた。近田はトイレに行っているとかでいなかった。
私が会釈すると、高原さんは笑顔でこんばんは、と言った。
「すいません、遅れちゃって」
「いえいえ、大丈夫だったんですか?」
「はい」
高原さんは店員を呼んで、私の分のビールを頼んでくれた。
「ありがとう」
美那がこちらを見てニヤニヤしてる様子が伺えたけど、無視した。
「恵利華なんか食べたいものある~?私達もある程度のものは頼んだけど」
美那がメニューを渡してきたので見ていると、高原さんがメニューを覗き込んできた。…近い。
近田の言いかけたことも気になるし、嫌に意識してしまう。私はメニューをテーブルに置いて、見やすいようにした。
「今のところ何頼みました?」
「あぁ、俺もちょっと遅れてきたんでその前はわからないけど、適当にサラダとかは頼んであるみたいです」
美那と近田、ちょっとくらい待てばよかったのに…。
「じゃあ、私はまだいいや」
「そう?あ、近田戻ってきた。恵利華来たわよ」
「おお、上村。大丈夫だったか?」
なにが…と言おうとして、近田は空気が読めないことを思い出した。さすがにあまり親しくない人がいる前で、元彼の話なんてしたくなかった。
「…うん。だ、い、じょ、う、ぶ。」
思い切り皮肉をこめて返すと、近田はやべぇ、という表情になって、大人しく席についた。
私の分のビールが届いたところで、改めて乾杯した。
「てか三人、仲良いよね」
高原さんがそう言いだして、私達はそうかなあ~と口々に返す。
「みんな同級生だしね。高原さんも同じ部署だったらよかったのに」
美那がおどけて返す。なにが同じ部署だったら~よ。ニヤニヤしながらこっちを見てるの、バレバレなんだけど。
「高原って、高校どこ行ったっけ」
「俺は中央付属だった」
「え、めっちゃ近いです。私、S女でしたもん」
私がそう言うと、高原さんはハハ、と笑った。私がきょとんとしていると、彼はつづけた。
「知ってました。高校の時、見たことあるから」
「ええ!?」
私が思わずそう反応すると、高原さんは尚も可笑しそうに笑った。
近田と美那はそれを見て、ええー、と驚いた顔をしている。
「そんな、一回見ただけで覚えてたんですか?」と美那。
「いや、多分上村さん覚えてないと思うけど。上村さん、学校の帰りに小学生くらいの女の子を保護したことなかった?」
「保護…?あっ、なんか転んで泣いてた子どもを家まで送り届けたことがある気がする」
「そうそう、その時、助けてもらったの俺の妹で。そんときに、上村さんを初めて見た」
そういえばあの時、女の子を家まで届けて、玄関まで迎えに来たのは優しそうなお兄ちゃんだった。まさかあの時のお兄ちゃんが、高原さんだったなんて。
「よく覚えてましたね…」
「いや、その後にも、学校の行き帰りに見かけることがあったし。卒業式の日に、妹があのお姉ちゃんにバイバイしてくる、なんていうから、俺もその様子を窓から見てて」
そういえばその女の子とはあれ以来仲良くなって、卒業式の日、その子の家の前を通った時に声を掛けられて、お菓子をもらったんだ。
「もう、上村さん、原形をとどめないくらいに泣いてて。俺思わず笑っちゃったもん」
「な…高原さんのぞき見とか趣味悪い!」
私が反論するも、高原さんは笑顔で続けた。
「そしたら、俺の妹もつられて泣いて、二人でわんわん泣きだして。近所迷惑だと思って、家の中に入れてあげたじゃん」
「…・・」
そういえばそうだ。こんなに人様に迷惑をかけておいて、すっかり忘れていたなんて、最悪だ私…。
「俺の妹からもらったお菓子を泣きながら、でも無理に笑って美味しいよって言いながら食べてて、もうなんか、すごかった」
「う…恥ずかしい…」
「へえー…そんなことがあったんだ。恵利華…恥ずかしいわね」
高原さんは改めて私を見る。恥ずかしくて私はそっぽを向く。
「いまの会社入って、もしやとは思ったけど、まさか本当にあの時の人だとは思わなかったです。妹がずっと、えりちゃんえりちゃん呼んでたから、ビンゴだと思って」
「私全然気がつかなかった…」
「上村、そんだけ世話になっといて薄情だなー」
近田がゲラゲラ笑いながら言うのが腹が立って、私はムカついておしぼりを投げつけた。
そこから結構盛り上がって、私と近田は焼酎の飲み比べなんかを始めて、二人ともつぶれてしまって。その後の記憶がない。
心地よく揺れる感覚で、目を覚ました。
「…んん?」
「あ、起きた」
なんだかあったかくて、揺れが心地よい。ずっと眠っていたい。
「上村さん」
「…んー?」
閉じかけた目を開いて、あたりをよく見ると夜の住宅街、目の前には高原さんの後頭部があった。わ、私、おんぶされてる…!
「た、高はらさ…ごめんなさい!」
私が慌てておりようとすると、高原さんもバランスを崩しそうになる。
「ちょ、危ないって!じっとして」
「ごめん…なさい」
まだ少し頭がくらくらする。私は大人しく高原さんに身を任せた。
「飲みすぎだよ、いくらなんでも」
可笑しそうな高原さんの声がする。
「う…美那と近田は…?」
「タクシー呼んで帰って行ったよ。終電出ちゃったから。上村さん、適当にホテル入るけどいい?俺は家すぐ近くだから帰るけど、泊まってくわけにもいかないでしょ。あ、彼氏とかに連絡しとかなくていい?」
「…うん…」
「でも、心配するでしょ?」
「いや…彼氏、いませんって…」
私がふにゃふにゃながら笑ってそう言うと、高原さんが一瞬止まる。
「…そうなんだ」
「すいません…ほんとに・・ホテルまで、お願いします…」
高原さんはゆっくり歩き出す。私はまた眠ってしまいそうになる。これじゃ家まで帰るのは無理そうだ。
「上村さん、今意識しっかりしてる?」
ふいに彼が声を掛けてきたので、私は目をぱっちり開けてはい、と返事をした。
「俺の妹さ、今でも上村さんのことけっこう覚えててさ」
「そう…もう三年くらい前なのに」
「うん。俺も、忘れてなかったし」
「ふふ、それはあれだけ見知らぬ女子高生に迷惑かけられたらね…」
そう言うと高原さんもハハッと笑って、よいしょ、と私を背負い直した。
「それだけじゃないけど」
「ん?」
「多分俺その女子高生のこと好きになってたんだよね」
「……へ?」
「あの卒業式の日に、無謀でもいいからコクっとけばよかったなー、って後から思ったんだよね。それ以前に、妹に負けないくらい仲良くしときゃよかったなーって」
「…」
「あ、ごめん、流石にその時から今までずーっと好きだったわけじゃないんだけどさ、会社入って、もしかしてって思ってからずっと気になってて。やっぱ面影とかあるし、変わってないなーとか思った」
「高原さん」
「けど、あの時とは違うわけだし。よかったら、これから、もっと…上村さんのこと、知りたいんだけど」
「っ…‥」
私はお酒が抜けてなくてぼうっとした頭で、なんと答えたらいいのか必死に考えていた。
「あ、今返事とかいいから。これから友達として仲良くしてください、っていう意味で受け取って」
優しい声で高原さんが言う。私は睡魔に耐えきれなくて目を閉じて、はい、と答えた。
ホテルの部屋について、高原さんがお茶をいれてくれた。
「ありがとう、…ございます」
わたしがお茶を受け取りながら控えめに言うと、高原さんは笑った。
「そんな変に意識しないで下さいよ。すぐ帰りますから」
「いや、別に、そんなこと心配してるわけじゃなくて」
私が慌ててそう言うと、急に高原さんが近づいてきて、私の頬に触れた。
「…っ?」
「あ、ごめん、ゴミついてました」
ほら、と言って指についた糸くずなようなものを見せてくる。私、こんなに意識しまくって馬鹿みたい。今、好きですと言われたわけじゃないんだから、恥ずかしがることないのに。
「ありがとう…」
「じゃあ、俺はこれで。ちゃんと鍵かけてね」
「あ、はい。ほんとに、いろいろありがとう」
私がふらふらしながらもドアまで見送ると、高原さんはまた、優しく笑って、私の頭を軽くくしゃっと触った。
「…高原さん」
「このままだと帰りたくなくなるから、なにも言わないでくれる?」
「…」
「おやすみ、えりちゃん」
悪戯っぽい、子どもみたいな顔をして、私をえりちゃん、と呼ぶ高原さんは、確かにあの時の女の子の、お兄ちゃんだった。
「…おやすみなさい」
高原さんの手が頭から離れて、扉が閉まった。
なんだか、頭がふわふわする。お酒のせいだ、きっと。
そのままベッドに倒れこんで、眠りそうになった時、携帯が鳴った。
すっかり忘れていた。彼に、電話しなくちゃいけなかった。
そう思ってディスプレイを見ると、思った通り”彼”だった。