まるで夢
次の日の朝、私は彼の声で目覚めた。
「…んん…」
「おはよう。七時だよ。起きなくて平気?」
「起きる…」
身体を起して目をこする。彼も毛布を脚に掛けたまま上半身だけを起して、眠そうにしていた。
私は改めて、昨日の出来事は夢では、嘘ではないんだなと実感する。
こすった目をぱっちり開けて、彼に微笑みかけた。
「おはよ。…朝ごはん作らなきゃね」
「ごめんな、何から何まで。俺も着替えようかな」
毛布をどけて、行動開始だ。まずは洗面所に行って顔を洗って歯を磨いて、私は朝食の準備を始めた。
「昨日のご飯でいい?パンが良かった?」
「いや、だいひょうぶ」
リビングでは顔を洗った彼が、真新しい歯ブラシを銜えたまま着替えを始めていた。
昨日のあまりの炊き込みご飯に、和えものに、卵焼きにウインナーを焼いて、コーヒーを淹れる。
コーヒーは紳司が置いて行ったもので、紳司はこのコーヒーじゃないとダメだ、とか言って、うちにはいつも買い置きがあった。
本当においしいコーヒーだけど、私はどこに売ってあって、いくらするのかも知らない。
「できたよー。食べよう」
着替えを終えた彼に声をかけ、お皿を運ぶのを手伝ってもらう。運び終えた所で、私はマグカップにコーヒーを注いで、テーブルに置いた。
「いいにおい。あ、悪い、砂糖貰っていい?ブラック飲めないんだよね」
照れくさそうに言う彼に、私は笑いながら砂糖の入った小瓶を渡す。紳司は、大の甘党なのにこのコーヒーにだけは絶対に砂糖を入れなかった。
彼も甘党なのだろう、コーヒーにどばどば砂糖を入れている。…彼は紳司じゃない。もちろん、紳司も彼じゃないように。
「いただきます」
手を合わせて明るく言う彼に、どうぞ、と言って私はブラックコーヒーを啜った。
朝ごはんを済ませ、私も着替えたところで、彼と一緒に家を出た。
いつもの駅までの道のり。隣にはスーツ姿の彼。慌ただしいだけだったいつもの日常が、今日はきらきらして見える。
「じゃあ、またな。気を付けて」
「うん。またね」
”また”という言葉を交わして、改札の前で別れた。私は夢のような現実が、それもまた夢のように、ぼやけて離れていくように思えて、彼の後ろ姿を見えなくなるまで見つめていた。