灰色の世界
「私が巡拝を終え、ラグディスの町を出てすぐでした。あの辺りは荒野なんです。このローラスで一番寂しい景色かも知れませんね」
「すごく不思議な景色よ。茶と灰色に染まった景色に、蜃気楼みたいに神殿が浮かび上がるから」
ラグディスには何度も足を運んでいるのであろうローザが頷いた。
「その荒野にぽつんと佇んでいる少女の姿を、私は一生忘れることは無いでしょうね。……痩せて髪もパサついた少女はまだ三歳ぐらいに見えました。その頃には既に私は孤児院を経営していましたから、幼子の大体の年頃はわかります。少女が、あまり幸せな境遇には見えないこともね」
マザーターニアの話しに、わたしの頭にも灰色の世界にぽつんといるミーナの姿が浮かび上がる。それは何故か今のミーナの姿ではあったのだけど。
「私は少女に尋ねました。『お名前は?』『おいくつ?』『何処から来たの?』答えは曖昧で的を得ませんでした。しかし『お父さん、お母さんは?』この質問にははっきりとした答えが返ってきました。『いない』と。……私にはこの少女を置いていくことは出来ませんでした。軽はずみな行動と思われるかも知れませんが、ラグディスである噂を聞いたばかりだったので」
「噂?」
アンナが尋ねるとマザーターニアはゆっくりと頷く。
「ラグディスにある孤児院はあまり良い状態ではない、という噂です」
「ええっと、フロー神のお膝元なのに?」
わたしは不思議に思い聞いてみる。答えたのはローザだった。
「ラグディスの大神殿にも孤児を引き取る施設はあるわよ。でもそれは孤児院とは違うわね。僧侶の見習いとして育てるから。ラグディスも神殿以外は普通の町だし、他に孤児院があってもおかしくはないわね」
「そうなんです。それに大神殿に引き取られた孤児はお揃いの薄黄色のローブを纏います。荒野で出会った少女はぼけた灰色のスモックのようなものを着せられていました。この時点で私はラグディスの町に出来たという孤児院の子ではないかと判断していました」
マザーターニアの話しにアルフレートが手を上げる。
「その孤児院の噂を詳しく聞きたい」
マザーターニアは答え難そうに手の甲を擦る仕草を続けた。その手は長年子供の世話をしてきた勲章として筋張っている。
「……まず明らかに子供達の栄養状態が良くないことです。これは孤児院から顔を見せた子供を見れば分かることなので噂ではない……事実ですね。もう一つ、巣立った子供達の行方がよく分からないこと。大きくなった子が暫くすると姿が見えなくはなるのに、どこへ行ったのか分からないままの子ばかりだそうです。里帰りする様子も無い、新しい親元、職場、そういったものも見かけた事が無い。そして最後が」
マザーターニアはゆっくりとわたし達を見回した。
「そもそもその孤児院にいる子供達が、捨て子などでなくさらってきたのではないか、という話しがあるんです」
一瞬の沈黙の後、わたしは喉を鳴らす。ざわざわと木々の揺れる音が窓から入ってきた。
「よけいな事したんじゃないか、と思っては駄目かね」
バクスター邸の薄暗い談話室、今日泊まらせて貰う部屋の用意が出来るまで移動した、この部屋にいるのはわたし達メンバーだけだ。しかしそれで良かった。今のアルフレートの台詞はマザーターニアの事だろうから。
「何でよ」
わたしが口を尖らせると彼は腕組みを解いた。
「もし『さらってきた』というのが本当なら、子供を探している親がいるのかもしれないじゃないか。しかもそんな劣悪な環境が見えてる孤児院が長く続くとは思えない。警備隊の捜査が入ったりした時を考えるとそのままの方が本当の親元に帰れた可能性が高いんじゃないのか?」
わたしはアルフレートの台詞を聞きながらミーナの事を考えていた。彼女がもし、その連れ去られた子供の一人だったとしたら?ミーナの本当の両親が、今も彼女の帰りを待っているのだとしたら?
「じゃあアルはそのままにしておけるのかよ、マザーターニアと同じ境遇に立ったとして」
フロロはそう言ってから「分かりきった質問するんじゃなかった」とソファーに寝転がる。
「逆に聞きたいが、私が連れ帰って、その子が幸せになると思うのか?……おい、なんで目を逸らすんだお前ら」
アルフレートが薄目でわたし達を睨んでいると、談話室の扉が開く。
「ねえ、送ってって貰える?寝ちゃったチビ達が多くて……、運びきれないのよ」
そう言って顔を出したのはアンナ。腕には既に小さな子供が寝息をかいている。うわー、すっかりお母さんっぽい。いやお母さんではないのだけど。
「もちろん、手伝うよ」
そう言ってヘクターが立ち上がった。
「私も行くのか?」
アルフレートが恍けるのを引っ張って、わたし達も続いて部屋を出る。するとそこにミーナが駆け寄ってきた。
「リジア、今日私、教会に泊まっちゃ駄目?」
ううーん、わたしは唸る。予想はしてたんだけどね……。
「俺も教会に泊まるよ」
フロロが大きく頷いている。フロロがいるならまあいっか。彼ならサイズ的にもお邪魔にもならないだろうし。
「じゃあ何も無いだろうとは思うけど、何が起きるかわからないから、なるべくフロロと一緒にいてよ?」
わたしが言うとミーナはほっとした顔になった。
「ありがとう!」
フロロの腕を取り、ぶんぶんと振る。よしよし。
行きと同じ栗色の髪の女の子を抱えて教会まで戻る。マザーターニアから女の子――リズを預けられた時は「う」と声を漏らしてしまった。寝ている子ってやっぱり段違いに重い。これ教会まで行けるかな……。
「大丈夫?」
ヘクターに聞かれるが無理矢理笑顔で「大丈夫」というしかない。だって彼の腕にも更に大きな男の子がぐーすか寝息をかいているんだもの。
「じゃあ、気をつけて」
玄関口でマルコムがアンナに声を掛ける。
「ええ、また来るわ」
この短い挨拶の時にだけ、二人の間に熱っぽい空気が感じられたことが、わたしは逆に寂しくなってしまった。
「はい、どうも皆さんご苦労様」
全員が教会に入ったことを確認するとマザーターニアがわたし達に頭を下げる。小さい子を入り口からベッドに運ぶのは年長の子供がやる。皆、わたしより抱き馴れていて偉いな、と感心してしまった。
「明日また来ますので……」
ローザがマザーターニアと挨拶をし始めた時だった。わたしはアンナに腕を取られる。皆と少し離れた脇に連れて行かれると、耳元で囁かれた。
「で、どうなったの?彼とは」
アンナからの質問にわたしは顔が赤くなる。が、それは一瞬のことだった。ここ最近の連日の流れを思い出して気分が暗くなる。
「なんだかもう、疲れちゃって……」
苦笑い半分、黄昏れ半分にわたしが目を伏せるとアンナは一瞬目を見開いた後、向こうにいるマザーターニアに声をかける。
「ちょっと買い出し行って来まーす!明日の朝の卵が切れてるの忘れてました!」
「あら、悪いわね。……でももうこんな時間よ?」
マザーターニアは首を傾げるがアンナはにっこりと笑顔を見せる。
「大丈夫、叩き起こしますから!教会からだって言えば断れないでしょーし」
うふふ、と笑った後、わたしの肩をがっしりと掴んだ。
「リジアも来るわよね?」
わたしが返事をするより早く、アンナの顔が目の前に迫る。
「来る、わよね?」
有無を言わせない空気にわたしはこくこくと頷いた。
「じゃ、リジアをお借りしますねー」
手をひらひらと上げるアンナにメンバーがぽかんとするのを見ながら、わたしはずるずると引きずられて行く。なぜだ、なぜこの人の言う事は断れないんだ……。
「で、何があったのよ」
フェンズリーの商業地区に抜ける小道を歩きながらアンナが口を開く。
「何って言われると何も無いんだけど……」
わたしは思わず言い淀む。どこから話せば、と考えてみると改めて自分の一人相撲具合に恥ずかしくなってきた。暫く「うー」と唸りながら頭を掻いていたが、意を決して聞いてみる。
「アンナはさあ、好きな人の前でバナナ食べられる!?」
「は、はあ?」
困ったような顔をするアンナにわたしは間を置かずに続けた。
「わたしはダメなのよ。なんか『猿みたいだな』とか思われたらどうしよう、とか、くだらない心配しちゃうわけ!」
「あ、あー……、びっくりした、いきなり下ネタかと思っちゃった……」
「ちょ、ちょっと変な話ししないでよ」
自分でも『お前がな』と思う言葉でアンナを窘める。
「他にも『鼻の中に指突っ込んでるように見えたらどうしよう』と思って小鼻掻けなかったり、自分でもくだらないと思う心配ばっかりしちゃうわけ!そ、それにアルフレートとかに『馬鹿』とか言われてもムカつくだけなんだけど、わたしヘクターに言われたらショック死するかもしれない!」
「いや、言わないと思うけど……」
アンナが頬を掻く。
「ま、まあ確かにね。……でも、あの人が言うことは一々考えちゃうの。どういう意味で言ったんだろう、とか、昨日も夜遊びに行くの断られただけで『わたしと行きたくないのかな』とかマイナスの方にばっかり考えちゃって。み、ミーナに嫉妬したのよ!?頭おかしいと思う!」
アンナが真顔になるのが横目で窺えた。わたしは恥ずかしくなってきたがそのままの勢いでぶちまける。
「自分が嫌なの。こんなにうじうじ考えるタイプだなんて思わなかった。今までこんなに一つの事に気を取られるなんてことなかったし……。暗くて陰気で嫉妬ばっかりで、そのくせ臆病で何も行動できなくて行動が全部裏目に出ちゃうし」
今日の朝食の時間を思い出して目が涙で滲んできた。なんであんなことしたんだろう。自分の馬鹿さ加減に泣けてくる。
ふ、とアンナの温もりに包まれる。柔らかい胸が顔に当たり思わず赤面するが、頭を撫でられているのに気が付き、力が抜けていった。
「あんたって可愛い子」
アンナにクスクスと笑いながら言われるが、わたしは怒る気にはならなかった。
「ひ、一言一言が重いの、誰よりも」
「うん、分かるわ」
「他の人に言われるより倍嬉しくて、倍傷つくのね」
「うん、そうよね」
「何かそういう自分が嫌なの。ウジウジしてるしネチネチしてるし。……多分、わたしヘクターとした会話は全部覚えてるかも」
「……それはすごいわね」
そこは流れ的に同意してくれよ……。
引いた面持ちのアンナに、わたしは若干裏切られた気分になった。
町の中心にある簡素な公園、ベンチに腰掛けるわたしは随分とすっきりした気持ちだった。
「てっきりもう付き合ってて、それで上手くいってないから『疲れた』なんて言い出したのかと思った」
くすくすと笑うアンナをわたしは赤い顔のまま睨みつける。
「ごめんね、子供で」
「良い事じゃない。簡単に始まる恋愛より、一番良い時期が長く続く方が良いわ」
アンナはそう言うとわたしの顔を覗き込む。
「あのね、恋をするのに綺麗なままでいよう、なんて絶対思わないことね」
何だかアンナが言うと重みがあるというか……。茶化せない雰囲気なのは間違いない。
「でもそういう自分を周りに見せるのも抵抗があるっていうか……」
言い淀むわたしにアンナはにやりと笑う。
「そう?自分の本性が知れて良かったじゃない」
自分の本性、だと?わたしは首を振る。認めたくない。でもそうなのかも。感情の浮き沈みが大き過ぎる自分を思い出し、わたしは眉根を寄せた。本当の自分っていうか、感情が剥き出しになって無防備になったような感覚?
「……わたし、ヘクターの事好きなんだ?」
自分で言って顔から火がでそうになる。アンナがはあ?という顔でこちらを見るのが分かった。
「何を今更……」
「い、いやだって」
これまではかっこいい男の子にはしゃいでいた、というか触れ合えてラッキー、というかそういうミーハーさが優先されていたんだもの。それにヘクターに対して好きな人だよ、というのは何だかおこがましいというか、自分が図々しいというか何と言うか。
「憧れが好きに変わったってことじゃないかしら」
アンナの台詞は気恥ずかしいが、すうっと胸に入ってくる。頭の中でスイッチが押された感覚に、わたしは妙に落ち着いてきた。
「アンナはどうなの?……その、マルコムさんと会ってるの?」
話しを変えたかったわけではないが、一番気になっていた事をわたしは尋ねる。アンナは暫く目を伏せていたが、その顔は悲しいというより随分と穏やかな顔つきだった。
「……あたしね、マルコムとはきちんとした形で二人で幸せになりたいの。不幸な境遇に酔いたくもないし、傷を舐め合う関係にはなりたくないのよ」
彼女の笑顔にずきりと胸が痛む。
「でも、今はその方法がはっきり分からないから、分かるようになるまでは今のままでいようと思う」
「そっか……」
擦れた声で返事をするわたしをアンナは笑う。
「結局姉さんを失う前から変わってないのかもしれないわね。……リジアは今のまま、自分を嫌いにならないでね。あの人を大切にして」
アンナの言葉にわたしは成長したい、と急に思う。この人の話しをきちんと聞けるように、アンナの気持ちを少しでも理解できるようになっておきたい、そんな風に思っていた。
「あら、お迎えみたいよ?」
公園の入り口方向に顔を向けるアンナの目線の先を追う。少し気まずそうに佇むヘクターの姿があった。
「えっと、卵は?」
こちらを咎めているのかと思ったら真剣に聞いているらしい。ヘクターの質問にアンナが吹き出す。
「売り切れてたの。ごめんなさいね、リジアを付き合わせて」
立ち上がるアンナに合わせてわたしもベンチから腰を上げた。
「送っていくよ」
ヘクターからの申し出にアンナが頬を赤らめわざとらしく腰をくねらせる。
「あらやだ、送りオオカミになっても良いのよ?」
「わたしも一緒に決まってるでしょ?」
睨むわたしにアンナは妙にうれしそうだった。