黒の襲撃
「御者席の仕事ってこんなもんだっけ」
ヘクターの呟きにわたしも首を傾げる。フロロ達モロロ族は動物と「何と無く」程度に意思の疎通が出来る。だからだと思うけど、フロロの最初の一言によってか馬達は勝手にフェンズリーに向かう街道をすたすたと歩いていっているのだ。「はいどう、はいどう」などと言って馬を操る必要があると思っていたわたし達は、何だか拍子抜けしていた。
すっかり夏に入り込んだローラスは青々とした景色が広がっている。春とは明らかに違う濃い緑の匂い。アルフレートやフロロは「過ごしやすい」と口を揃えていたローラスの夏だが、ローラスから出た事の無いわたしにはやっぱり暑い。日に日に強くなる陽射しを受けてうっすら汗ばんていた首筋に、馬車の移動によって起こる風が気持ちいい。
「寝ててもいいよ」
わたしが目をつぶっていたからかヘクターがそう言ってくれるが、「ラッキー」と横になる程、図太くはない。さらっと気になっていたことを聞いてしまおう、とわたしは拳を握り締めた。
「あのさ、昨日……」
そこまで言いかけてわたしは止まってしまった。街道の前方に黒い線が見える。いや線ではない。人の列だ。ここからではよく見えないが、多分黒いローブか何かを来た集団が横一列になり、道を封鎖しているのだと思う。明らかに、敵。しかも見るからに異様な装いの集団は、わたしの頭に「邪教徒」という言葉を浮かばせた。
ヘクターが馬の手綱を取り、引いた。大したスピードは出ていなかった為かゆったりと止まる。ヘクターがぴくりと上体を揺らすのが分かった。黒い点線にしか見えなかったものの真ん中、同じ黒いシルエットだが一回り大きな影がゆらりと現れたのだ。尖った耳と金色の剣が光っているのが見てとれる。昨日の獣人じゃないか。やっぱりわたし達を追って来たってことだ。そう考えていると隣から御者席を飛び下りる姿。
「皆を!」
そう叫ぶとヘクターはそのまま前に駆けて行く。ああそうだ、皆を呼ばなきゃ!とパニックになりつつわたしは声を張り上げた。
「で、であえー!であえええい!」
今の台詞がまずかったか、ヘクターが転びそうになるのが見える。
「なんつー呼び方してくれるんだ」
アルフレートがわたしの脇を走り抜けながら呆れた声を吐いていった。イルヴァも続いていく。わたしも慌てて御者席から飛び下りると、鉢合わせしたフロロに尋ねた。
「ミーナは!?」
「ローザが見てる。俺は一応馬車の後ろを見張るから」
「から?」と聞き返したくなるのをぐっと堪える。自分で動かなきゃ。そう思うもののどうしていいか分からない。
えーと、援護に回ればいいんだよね。誰の?で、どうすりゃいいんだろ。……あああっ!駄目だパニックになりそう!
「今日も楽しもうぜ!」
前方から聞こえた場違いな明るい声に思わずそちらを見る。黒豹を思わせる顔に、同じ黒い体毛で覆われた上半身、黄金色のソードを構えた獣人は真っ直ぐヘクターを見ている。何て言うか、二人の世界?言葉はおかしいかもしれないが、すでに二人には周りが見えてない、そんな空気。しゅるり、と澄んだ音を立ててヘクターがロングソードを引き抜くと、それを合図にしたかのように二人は間合いを取りながら林の方へ駆け出していく。
うわ、離れないでよ!そんな事を考えていると、空を何か黒い影が飛んでいるのが見えた。
「ぎゃ!」
ドカッと痛そうな衝撃音と共に、足元に落ちてきた黒いローブの人物にわたしは悲鳴を上げる。イルヴァのウォーハンマーが鈍く光るのが見えた。
イルヴァの一撃で吹っ飛んできたと思われる黒ローブは体が妙な方向へ曲がっている。げぇ、と思ったが頭を覆うローブがちらりとめくれた部分、何か違和感を感じたわたしはそおっと覗き込んでみた。土気色のカサカサの肌に窪んだ瞳。唇は妙にシワシワな上に色がほとんど無い。これって……、眉をひそめた瞬間、倒れたと思っていた相手にがっつりと腕を掴まれ心臓が跳ね上がる。
「うわわー!ごめんなさい!」
わたしは体を不自然に曲げたまま立ち上がる黒ローブに思わず謝る。しかし枯れ枝のような腕は体温も無い。ひんやりとした感触に再び悲鳴をあげた。
ドス、重く鈍い音を立てて黒ローブの胸元から光る矢が飛び出している。
「ぼさっとするな」
アルフレートが光る指先をこちらに向けたままわたしに言うと、そのまま林の方向を見た。ヘクターと獣人の消えていった方向とは逆側だった。
「……あっちか」
そう呟き、アルフレートは見ていた方向へと駆けて行こうとする。
「ちょ、ちょっと!」
わたしが抗議の声を上げると、彼は振り向いてイルヴァを指差した。
「あいつはどうも大雑把だ。肩から上を狙え」
「狙えって……何処行くのよ!」
わたしの突っ掛かりにもアルフレートは肩を竦めるとニヤリと笑う。
「こいつらの元凶を折っとかないとな。フロロを手伝ってやれ」
そう言われて馬車の後方へ目を向けた。いつの間にか黒ローブ達が馬車の後方にも集まり、フロロがわたわたと飛び跳ねている。黒ローブ達が馬車の扉に食いつこうとしているのをダガーを振り回しつつ止めているのだ。
「なな何なのこいつら……」
わたしが呟いた時にはアルフレートは既にいない。
えーと、どうしよ。ピンポイントで当てられる呪文ってことだよね!?
頭の回転をフル起動させているとふと思う。こういう混乱する状況になると「もうどうにでもなーれっ」と考えてしまうのは何故なんだ。とりあえず思い付いた呪文を唱え出す。馬車を壊すのだけは避けなきゃな、と思いつつ呪文を発動させた。
「フレイムランス!」
熱波を撒き散らしながら赤い魔法の槍が走っていく。あ、やばい、フロロの方に行ってるかも。
「うおおいっあぶねー!」
フロロがぎりぎりでかわした赤い槍は、その先にいた黒ローブ数人に襲い掛かり、そのまま地面に突き刺さる。
「ひー!」
三体の消し炭と地面に赤い跡を残した光景を見て、フロロが悲鳴をあげた。駄目だ、やっぱり危なげないな。わたしは次の呪文に取り掛かりながら馬車へ声を張り上げる。
「ローザちゃん!出て来て!こいつらアンデットだわ!」
そうは言っても扉に纏わり付く黒ローブ達をとりあえずは引きはがさなければ。フロロが再びダガーを片手に黒ローブ達の腕を切りつけたり、頭を蹴りあげる横からわたしも呪文を放つ。
「エネルギーボルト!」
「ひいっ!」
フロロが慌ててしゃがみ込むと、その場にいた一体がエネルギー弾に吹っ飛んでいった。
「ささささっきから俺狙ってないか!?」
「気のせいよ!」
フロロに反論しながらも、もしかして『狙ってないから狙っているように飛んでいく』んじゃないか?と思い始める。じゃあ狙って撃てばいいんじゃないの?自分でも危ないと思える考えに傾きそうになった時、バタン!と馬車の扉が開かれた。
「ターンアンデッド!」
予め唱えてあったと思われる呪文をローザが解き放つ。まばゆい光が辺りを覆い、わたしは思わず目をつぶった。
近くから小さな呻き声がしたことで目を開けると、黒ローブ達が次々と倒れていくではないか。おお、なんかカッコイイなローザちゃん、と思ったのは一瞬だった。
「げえ!なんだよ気持ち悪りー!」
フロロが叫びながら飛び跳ねる。倒れていった黒ローブ達がしゅーしゅーと煙りを出しながら、酸でも浴びたように溶けていくのだ。ローブで覆われているので良かったが、地面に広がる緑のヘドロにわたしも後ずさる。
「なな何でよ!ビョールトを埋葬した時はこんな風にならなかったじゃない!」
わたしはこの前の冒険で、天国へと昇っていった霊体の名前を叫んでからはっとする。多分肉体があるか、無いかの差なのだろう。でもやっぱりアンデッドだったんだとすれば、こいつらを呼び出し、操っているネクロマンサーのような術者がいるはずなんだけど……。
何か感じるものは無いか、わたしがローザの方を見遣ると、
バタン!
目の前で馬車の扉が閉められた。……まあミーナを守るのにテンパっているんだろうけど、何と無く感じ悪いと思っては駄目だろうか。とはいえ今のローザの一手でかなりの数が減った。わたしとフロロはイルヴァのいる馬車前方へと走る。
「イルヴァ!」
わたしが声を掛けるとアメジストのような瞳がこちらを向いた。
「こっちも片付きましたよー」
イルヴァがのほほんとした声を上げた時、彼女の背後に黒ローブが一体立ち上がる。
「あ、ちょっ……」
わたしが指で指し示そうとすると、それよりも素早くイルヴァの体が動いた。
めこっ!軽快な音を立てて頭部を奇妙な形に変えた黒ローブが吹っ飛んでいく。イルヴァのウォーハンマーを見るわたしとフロロは、きっと同じ顔に引き攣っていたに違いない。
「皆さん大丈夫でしたか?」
イルヴァの言葉にはっとしたわたしは林を指差した。
「イルヴァ、ヘクターを追ってくれない!?あの黒豹みたいな獣人と一人で戦ってるはずだから!」
自分が行っても役に立てそうにない。そう思ってイルヴァに頼むと、何とも戸惑う声が返ってくる。
「でも、戻って来ましたよ?」
え?わたしは一瞬ぽかん、とした後振り返る。体のあちこちから血を滲ませたヘクターが疲れきった顔で歩いてくるではないか。
「だ、大丈夫!?」
慌てて駆け寄るわたしに苦笑混じりに頷くと、
「また逃げられた」
そう呟いた。
「代わりにあいつが着けてたアイテムっぽいものなんだけど」
ヘクターがわたしに手渡してきたのは宝石が埋め込まれたペンダントトップ。触った瞬間に魔力が込められているのが分かる。確かに何かのマジックアイテムっぽい。
「逃げたって……、なんでだ?」
フロロが疑問の声をあげる。わたしも同感だ。あんなに好戦的な雰囲気の奴だったのに。すると街道を挟んで反対側の林から不機嫌そうな声が返ってくる。
「仲間が死んだからだろ」
「アルフレート、何処行ってたの?」
わたしが口を尖らせるといつものように肩を竦める仕草を返される。
「あのアンデット集団を操ってた魔術師の所だよ。昨日こそこそしてた奴と同じ奴だろうな」
「で、死んだって……」
わたしが眉をひそめるとイルヴァが言葉を引き継ぐ。
「倒しちゃったんですかー」
捕まえて話し聞いた方良かったんじゃない?と聞く前に、アルフレートから溜息が返された。
「鉢合わせした途端、自害された。流石に私も気分が悪い」
「だーから!サイヴァの信者だったら自害なんてしないってば!」
馬車内から漏れ聞こえたローザの怒鳴り声にヘクターが驚いたように背筋を伸ばす。馬車の中では今もわーわーと言い合っているようで、わたし達のいる御者席にも響いてきている。
「何の喧嘩なの?」
ヘクターに聞かれ、わたしはふー、と息を吐き出した。
「さっきアルフレートが追っていった……多分あの黒いローブの集団を操ってた魔術師なんだけど、まあどうやってかは聞きたくもないけど自ら命を断ったらしいでしょ?」
邪神の教徒が出てくるような小説だと、主人公達に追いつめられて自ら首を掻き切ったり、爆発系のアイテムで自害したりなんて展開は読んだ事がある。情報漏洩を避ける為に死を選ぶのだ。
アルフレートに「見に行くか?」と言われたが冗談にしても質が悪い。ちなみにヘクターが拾った獣人のペンダントトップもアルフレートにあっさり破壊されてしまった。探知器のようなものでお互いの存在を確認する為のものだったらしく、わたし達が持つには逆に危ないからだ。
「フルソウルって神様、聞いた事ある?」
「名前ぐらい、かなぁ」
ヘクターの反応はこの辺りの一般的な市民の反応といえる。フルソウルはこの地域では極端に信者は少ないし、シンボルからして『邪神』の括りにされることが多い。
「『死』や『魂の流れ』を司る神様らしいんだけどね、その教義が『死は怖いもんじゃないですよー』みたいなもんだから、過激な行動になる教団が多いらしいのよ」
そういったネガティブなイメージがごちゃ混ぜになって、邪教徒といえば自らの命を捨てる事も辞さない、というような思い込みが多い。
「でもね、サイヴァっていうのは『混沌』を司る神様だから、『無秩序こそが本来のあるべき姿』っていう教えなのよ。だから教団の為なら命を捨てても、っていう考えはまた別なわけね。……ううん、逆にらしくないかもね」
わたしの眉をひそめる仕草にヘクターも頷いた。
「まあ……ある意味『秩序立ってる』もんね。それだと」
ヘクターは言い難そうに言葉を濁した。どうやっても正しいとは言えない考えだが、『教団の為なら命も捨てます』だとそれだけ集団の維持には役立つ考え方といえる。無秩序を目指すならもっとやりたい放題なんじゃないだろうか。
「じゃあサイヴァの教団は関係無かったってこと?」
ヘクターの問いかけにわたしは答えられない。自分でもさっぱり分からなくなってきた。
「でも……あのメモがあったしねぇ。『食卓を囲むには一人足りない』ってやつ。あの言い回しだとサイヴァの信者ですけど、って言ってるようなものなんだけど……他の教団がサイヴァ教団の振りをする、なんていうのも現実的ではないし」
落書きや置き手紙までして自分達の教義を広めたいのだから、他人の振りは意味が無い。きっと馬車内でも同じような会話で盛り上がっているのだろう。半分喧嘩のような声が今も響いている。
「お腹空きません?」
小窓から顔を出し、可愛らしい声を上げるのはイルヴァ。暢気な申し出だが彼女のお陰で食事時間が毎回規則正しくなっているとも言える。
「じゃあ何処かで一旦止まって、お昼にしようか。馬も休ませなきゃ」
わたしの返事にイルヴァは嬉しそうにこくこくと頷いた。イルヴァの肩に残る傷痕を見て思い出す。そういえばあのワーウルフは来てなかったな……。何処かで見ていた?もしくは全くの別行動だった?だとすれば……。わたしの頭にあの二人組が思い浮かぶ。
「はあ……」
こんがらがる状況と自分の頭の中に、わたしは無意識に大きな溜息をついていた。