青葉の中に溺れる
部屋の明るさと周りのゴソゴソと動く音に目が覚める。覚める、といっても再び夢の中に帰るのは容易な状態。薄目から見えるローザらしき影に、いかん、起きなきゃ。そう思うものの凄く眠い。
「……むー」
呻きつつ、のっそり起き上がると同じタイミングで起きたミーナと目が合う。
「おはよー、昨日はよく寝てたね」
わたしはそう言いながら枕元に置いておいたお菓子を引っ張り出した。
「ミーナ疲れてるみたいだったから起こさなかったんだ。代わりっちゃなんだけど、これ」
ミーナは頭に「?」が浮かんでいるようだったが、ぱっと目を見開いた。
「ありがとう!すごくうれしい」
「おはよ、二人共」
『よく寝た!』と書いてある顔でローザが言う。
「本当なら出店の物が良いだろうけど、商人祭ならウェリスペルトでもすぐにやるだろうから、ね」
ローザがミーナにタオルを手渡しながら言うと、ミーナは首を振った。
「ううん、本当に嬉しいよ!こういうの、孤児院でも年に一回貰えたの。もう貰えないと思ってたから嬉しい!」
わたしとローザは顔を見合わす。……ええ子やのう。
ミーナはそのまま、ベッドで着替え始めたフロロにお菓子の詰め合わせを見せに行っていた。「いいでしょー」という言葉からフロロを何か勘違いしている気がしないでもない。
「顔洗ってくるね。洗面所、下?」
わたしは鞄からタオルを取り出しながら、既に身支度が整っているローザに聞く。
「ううん、廊下を出て左にあったわよ。各階にあるみたいだから」
へえ、実質使うのはわたし達だけなわけだ。それは有り難い。わたしは髪をひとまとめすると廊下に出た。
言われた方向へ行くと水の音。部屋にいなかったメンバーを考えれば誰だかは分かる。わたしは顔が腫れてないか気にしながら洗面所と思われる扉を開ける。
ざばざばと軽快に顔を洗うヘクターの後ろ姿をそーっと見ていると、昨夜の会話を思い出した。痛みがどうの、って言っていたんだよね……。それが気になっていたのだ。怪我をしたのだとすれば昨日の獣人との戦闘だと思われるが、わたしは遠くにいたので途中から何があったかは知らないんだった。でもそんな怪我の話しは無かったけど……。イルヴァの痛々しい傷痕は見たが、他のメンバーに関してはローザも何も言っていなかったし。
ヘクターの頭の上から足の先までじー、っと観察するものの特に異常はない。これまで痛そうにかばったような仕草も無かったけど、我慢していたりするのかな。しかし足なげーな。
などと考えていたわたしはいつの間にかヘクターがこちらを向いていることに気が付いていなかった。
「……おはよ、どうした?」
恐る恐るといった感じの声に「ひゃ!」と小さく悲鳴を上げてしまった。どうやらじろじろと見つめる不審な動きに戸惑わせてしまったらしい。
「おはよ!今日も良い男だなぁと思っただけだよ!」
ごまかすように言葉を重ねてから洗面台の蛇口を捻る。
「え」
ヘクターの動揺の声と鏡越しに見える赤い顔。……ん?
「ぎゃあー!!」
一瞬前の自分の台詞に顔から火が出た。いや、火が出るどころか爆発しそうだ。
「違う!違うの!いや違わないけど違う!」
両手を振るわたしを困ったような顔で見ていたヘクターの顔が、一瞬にして険しいものに変わった。
「これ、どうした?」
そう言ってわたしの腕を取る。
「はい?……何これ!?」
わたしの腕の関節より少し上、二の腕あたりに青い痣のようなものが大きく広がっていた。気持ち悪っ!と思ったところではっとする。昨日、あの酔っ払った大男に掴まれていた所だ。寝る前に「ちょっと赤くなってるな」とは思っていたんだ。騒いでいたのが一瞬にして静まり返る。
「大丈夫、見た目はグロいけど痛くないし」
気まずさを追い払いたくてわたしは大丈夫を連呼するが、ヘクターはわたしの腕を取ったままだった。
「どけ」
それを打ち破ったのは相変わらず朝の弱いアルフレートの不機嫌な声。目も開いているのか分からない顔だ。
「うぶぅー……」
そして同じような夢遊病患者の動きで現れたイルヴァがわたし達を突き飛ばす。
「……おい!」
アルフレートが洗面台を奪われ、怒鳴り付けると漸くイルヴァの目が半分開いた。
「おはようございますぅ……」
不機嫌さをそのまま怒鳴り声に変えて騒ぐアルフレートに、聞いちゃいないイルヴァ。再び騒がしくなったところで、こっそりとわたしはその場を後にした。
朝食の席、気まずい雰囲気に喉が開かない。いや、わたし以外のメンバーはいつも通り騒がしく喧嘩……もといおしゃべりしてるんだけど。
あの後すぐにローザに腕を見せると、一瞬ぎょっとしたものの一番簡単な初級治癒術で治してくれた。わたしでも使えるその呪文に、やっぱり大したことはなかったのが分かる。今は綺麗さっぱり消え去っている跡をわたしは擦ると食堂に来た時の失態に溜息をついた。
(えっと……)
前を歩いていたアルフレートとヘクターが食堂の席に着くのを見て、一瞬躊躇する。長方形の8人掛けタイプのテーブルが横一辺を壁に付けた配置。左右に分かれた二人の行動は流れとしては当たり前のことだ。男二人が続けて隣同士に座る方が変だし。やっちまったのはわたしがそれを見て躊躇したことだ。明らかに「どっちに座ろう」という迷いを見せた上で、……アルフレートの隣りを選んでしまった。後ろから来たメンバーはそんな様子など知らないでどかどかと座っていたが、
「ふうん」
アルフレートの呟きにわたしはどっと嫌な汗が出た。わたしが躊躇する様子を見せなかったら、何て事はない行動だったんだと思う。いつも誰がどこに座る、なんて気にしたことも無かったし。ただ、迷いを見せた上でとった行動は最悪だった。これって誰が相手でも失礼だと思うんだよね。ただ、例えばイルヴァとかなら「イルヴァの隣り嫌なんですか!」とか軽口言い合う流れになるけど。
わたしはひたすらメニューで顔を隠すしかなかった。
「真っ直ぐフェンズリーを目指さないか?」
ヘクターの言葉に皆の手が止まる。いや、イルヴァは目玉焼きを食べ続けているけど。
「……あの二人組は首都経由だろう。良いんじゃないか?」
アルフレートはとっくに食後のコーヒーに移っている手を置くと、満足げに頷いた。
「首都行きとは道が違うの?」
ローザが投げた質問に、フロロは小さいが分厚い本を取り出す。ローラスの交通網が書いてある時刻表だ。巻頭にある地図を広げて指でなぞる。
「ここがコルトール。で、東に行ってここが首都レイグーン、その先にフェンズリー、と。見て分かる通り、若干三角形になってるわけ。コルトールと首都を結ぶ一直線よりは北寄りだからね、フェンズリーは」
フロロの隣りからミーナが興味深そうに地図を覗き込んでいる。フェンズリーの名前が出るだけで嬉しそうだ。
「で、道だけど首都行きほど立派な街道じゃないけどちゃんとあるみたい」
フロロの言う通り地図にも首都に結ばれる線――主要街道よりは細い線でコルトールとフェンズリーが結ばれていた。
「良いと思うわ。でも長い移動になるからお弁当みたいな物欲しいわね」
ローザがうんうんと頷いている。距離からいってフェンズリーに着くのは夜になるかもしれない。お昼の用意は必要だし、うちにはただでさえイルヴァがいるからなあ。
「簡単なサンドイッチとかで良いなら用意出来るよ」
そう声を掛けてくれたのは昨日、この宿を紹介してくれたおばちゃんだった。どうやらあの食堂もここも、このおばちゃん一家の経営らしい。
「ほんと!?じゃあお願いしていいかしら」
ローザにおばちゃんはにこやかに頷く。
「はいはい、いいわよ。こんなに良い食べっぷりのお嬢さんがいるんだから、量だけは奮発するから」
「ありがとうございますう」
イルヴァはおばちゃんに頭を撫でられながら満足そうだ。
さて、この先あの獣人達が現れなければそれでよし、現れたなら真相に近付けるのかもしれないのだ。わたしはミーナの頭を軽く撫でながら、彼女の両親の顔を思い出す。一度フェンズリーで連絡取らなきゃな。向こうからは連絡出来ないんだし。しかし何も起きないに越した事は無い。向こうに何か動きが無いことを祈りつつ、紅茶を飲み干した。
フローラちゃんにご飯をあげ、宿のおばちゃんからずっしり重いお弁当を貰ったわたし達は早速移動の為に馬車に乗り込むことになった。
「これ絶対サンドイッチだけじゃないよね」
サンドイッチの入っているはずの重たいバスケットを持ち上げ、わたしが言うとローザは首を傾げた。
「でも宿代合わせてもそんな大した金額じゃなかったけどな……、オマケして貰っちゃって悪いわあ」
「またこの町来た時は、ここ利用すればいいんだよ」
フロロがそう言って馬の方へ行こうとするのをローザが「ちょっと」と言って止める。
「交代制にしない?御者席につくの」
ローザちゃんの提案にわたし含め数人が嫌な顔になる。だって、ねえ?この馬車の御者席につくって結構な勇気がいるわけでして。とはいえフロロにばかり押し付けるのも可哀想かな、と思っているとフロロは早速馬車内に入っていった。
「やりい、寝て行こーっと」
という声が聞こえてくる。ミーナもそれにくっ付いていく姿はなんだかとても自然なものになりつつある。
「じゃあイルヴァもローザさんにお菓子貰い放題です」
「そんなに無いわよ……」
イルヴァがわくわく顔でローザの腕を引っ張っていった。昨日から貰い放題だったと思うけど……。小窓を通すというのはちょっと面倒だったようだ。こっそりと後ろを付いて行くアルフレートに気が付き、わたしは慌てて彼の服を後ろから引っ張る。
「ちょっとアルフレート!ずるいわよ!」
「ぜ、絶対にい、や、だ」
扉に手をかけ踏ん張るアルフレート。するとローザが中から出てきてアルフレートを押し込めると、後ろ手に扉を閉める。
「ちょ、ちょっと!」
「……良い機会だから仲直りしておきなさい。あんたずっと変よ」
耳打ちするローザの目線の先、きっとヘクターを見ているに違いない。振り向くと諦めた様子で御者席に上るヘクターがいた。
「何が……」
「食事中、リジア、一言も喋ってなかったわよ?気が付かないわけないじゃない」
そ、そんな普段わたしって食事中も騒がしかったっけ?色々反論したくてあぐあぐと口を動かしていたわたしだったが、ふと急にどうでも良くなる。確かに一度謝っておきたいこともあるし、今更二人っきりになることなんてどうってことはないじゃないか。そう思ったのだ。
「もう、明日はアルフレートとローザちゃんだからね!」
そう言うとわたしは御者席へと駆け出した。
ヘクターの手が差し出される。それを握るとわたしは馬の背が見える御者席についた。
「うわあ」
思わず漏れる感嘆の声。いつもより高い目線に広がる景色と真っ白な馬の背のコントラストが美しい。
「結構いいもんだね」
ヘクターも笑っている。後ろの小窓が開くとフロロが顔を出し、馬に声をかけた。
「じゃあ、フェンズリーまでちょっくら頼むよ」
意味がわかっているかのように、馬二頭は美しいを嘶きあげた。