優しい人
『いたーっ!』
目が合ったローザとわたしは同時に声を上げていた。水竜像の前、案の定座り込んでいたローザがわたしに駆け寄ってくる。
「んもう、何処に居たのよお!」
怒っているというよりは呆れたように言うと、わたしの背後に目を移しぎょっとする。
「あ、えっと……」
「またお会いしましたね」
ウーラは動揺するローザににこっと微笑んだ。
「さっきそこで会ったのよ」
わたしは二人に振り向き、再びローザに向き直る。
「暴漢に襲われていたところを救出した」
レオンが後ろから言った言葉にローザが「ええ!」と悲鳴を上げて顔を青くした。
「……その言い方だと誤解を与えかねませんよ。柄の悪い連中に少々絡まれていたんです」
ウーラの訂正にわたしも慌てて頷いて見せる。
「そ、そうよ!そんな大事じゃないからね!?」
わたしが手を振るとローザは少し落ち着いたようで、ほっと息をついた。
「びっくりした……、なんにせよ、ありがとうございました」
ローザがお礼を言うとウーラは少し目を伏せる。
「いえ、こちらこそ私達に関わったばかりに……」
「……は?」
わたしとローザは同時に声を上げていた。その反応にウーラは慌てて首を振る。
「いえ、何でも無いのです」
その様子は言い間違えたというより明らかに「口が滑った」というような感じだ。妙に芝居がかる態度にわたしがぽかん、としていると、
「行くぞ」
またレオンの冷たい台詞が掛かる。ウーラはぺこ、と頭を下げるとレオンに続いて人混みへと消えて行ってしまった。態度のでかい金髪の子供と長身のドラゴネルの女性、という目立つ二人組。嫌でも目につくというのに。
「……どういうこと?」
まだぽけっ、とするわたしにローザが混乱気味に聞いてきた。
「よ、よくわかんない……」
正直それしか言いようがない。わたしは頬を掻いた。明らかにわたしが酔っ払いに絡まれた事すらも自分達のせいにするような言い方だったけど……。んなわけはない。
わたしはその時になって漸くローザしかいない事に気が付いた。
「そういやイルヴァとフロロは?」
「あんまり遅いんで交代で出店を見て回ることにしたのよ……。それでも流石に心配になったんで宿に戻ってみようかと思ってたとこ」
ローザの言葉を聞きわたしはほっと息をつく。大事になる前に合流出来て良かった。
「ほんとに大した事じゃ無かったから、宿の二人にはあんまり言わないで。その……」
わたしが言い淀むとローザは肩を叩いてくる。
「うん、わかってる。それよりも……」
ローザが言い終わる前に、後ろから聞き慣れた声がする。
「リジアー!ドラゴン二つあったんだな!もしかしてあっちにいたー?」
フランクフルトを頬張りながら駆け寄ってくるフロロと、その後ろには腕いっぱいに食べ物を抱えたイルヴァ。祭は充分楽しめたように見える。わたしは少し安心した。
「ん?どしたの?」
わたしとローザの様子に違和感を感じたのか、フロロが首を傾げる。
「それが……」
わたしは酔っ払いに絡まれてからの事と、ウーラの謎の台詞を言って聞かせる。フロロとイルヴァは顔を見合わせると揃って首を傾げた。
「リジアは大丈夫だったんですかあ?」
イルヴァが眉を下げたのでわたしはまた慌てる。
「単に酔っ払いに絡まれたのよ。……どんな魔法なら騒ぎにせずに追っ払えるかを考える方が大変だったんだから。まさかファイアーボールぶちかます訳にいかないでしょ?」
「確かになー。追っ払うどころか消し炭の出来上がりだあ」
フロロが「うけけ」と笑った。そうなのだ、単に酔っ払って気が大きくなってる連中にそれでは夢見が悪過ぎる。
「とりあえず宿に帰らない?うちの『参謀長』に報告しといた方が良さそう」
わたしが言うとローザも頷く。
「確かに。やっぱ変よ、あの二人」
わたし達は顔を見合わせると、揃って頷き合った。
「祭は楽しめた?」という食堂でこの宿を紹介してくれたおばちゃんの言葉に返事をしつつ、部屋に戻ると出ていく前と余り変わりない光景があった。
「ただいまー、はい、お土産」
わたしはヘクターに出店で買っておいた串焼き肉と綿菓子を渡す。そしてミーナの枕元にも可愛いラッピングに包まれたお菓子の詰め合わせを置いておいた。祭じゃなくても買えるような駄菓子の詰め合わせだが、他の物になると翌朝までもたないような物ばかりなのでこれで我慢してもらおう。
「私には?」
アルフレートからの思ってもみない言葉にわたしが固まっていると、
「どれがいいですか?」
イルヴァが腕いっぱいの食べ物を見せ付ける。アルフレートは「これはお土産じゃないじゃないか」とぶつくさ言いながらリンゴ飴を貰っていた。どうせ屋台の食べ物など好きでもないくせに、結構めんどくさい奴だ。
わたしは空いているベッドに腰掛けるとお世話にも『美味しそう』とは言えない顔でリンゴ飴にかぶりつくアルフレートに声をかける。
「ウーラとレオンに会ったわよ」
アルフレートの目が一瞬、すうっと細められた。
「……どうして蜜をかけるなんて余計な事をするんだろうな、旨いか?これ」
暫くブツクサ言うと「それで」と先を促される。わたしは口を開きかけたところでどういう風に話すか迷う。あの二人組みに会った話しをするにはわたしが男共に絡まれた部分に触れなきゃいけないからだ。するとローザが横から切り口を出してくれた。
「あたし達、途中ではぐれちゃったのよ、予想外の人の多さで。リジアだけ別になっちゃって……」
「途中でちょっと酔っ払いに絡まれちゃって」
あくまでも軽い調子で言うと、
「凄いじゃないか、物語のヒロインみたいだな」
アルフレートがにやにやと笑う。こういうのはこういうので嬉しくない。わたしはむっとした後、恐る恐るヘクターの様子を伺った。……やっぱり少し険しい顔に変わっている。怒っているならまだ良いんだ。でも、この人の場合は自分の責任を感じてそうだから気になるんだ。
「ま、まあね。……で、その時ウーラがちょっと助けてくれたのよ。しかもあのレオンって坊ちゃんが『汚い手を離したまえ』なんてあの調子で出てきてさ、それで自分は何もしないんだもん」
わたしは笑いながら軽い調子で話しを続けた。ローザも隣りで吹き出している。
「そうなの?まあったくあの坊ちゃん、あたしにも『暴漢に襲われているところを救出した』なんて言うから血の気が引いたわよ!」
そこまで言ってからあからさまに「やべ」という顔になるローザ。
「……そ」
口を開きかけたヘクターにわたしは慌てて立ち上がる。
「ちちち違うわよ!?単なる町の酔っぱらいが絡んできただけなのに、ウーラが躊躇無く叩きのめした事にすらちょっぴり可哀想、って思ったぐらいの話しよ!」
「あたしは見てないから何とも言えないけど、でもあの二人組みやっぱちょっとおかしいのよね。その話し聞いた後にお礼言ったら『私達に関わったばっかりに』なんて言い出したのよ?何、リジアが酔っぱらいに言い寄られたのも自分達のせいだって言いたいの?ってぽかんとしちゃったわよ」
ローザは半分怒っているようにも見える。わたしもあの時、正直良い気持ちはしなかったんだよね。何て言うか、もやもやとするというか。
「なんだあ、それは。頭がおかしいのかね」
アルフレートからの予想以上の暴言にわたしとローザの頬が引き攣る。それを破ったのは真っ直ぐの視線と耳に響く声だった。
「リジア、ごめん、俺が一緒にいればよかった」
ヘクターの目線に思わず顔が赤くなる。イルヴァがぶんぶんと首を振った。
「それを言うならイルヴァが手を離さなきゃ良かったですう……」
「まあまあ、あんまりお姫様扱いしてもリジアが困るだろうし……」
一番空気を読める男フロロがなだめると、二人は顔を見合わせている。二人の気持ちはありがたいんだけどフロロが言う通り少し重い。自分が情けなくなるのを強要される、というか対等でないと言われているような気分になるのだ。でもやっぱり一人だとたかが酔っぱらいにもおたおたするのは事実だし、それがまた自分に重くのしかかる。
わたしがしょんぼりする顔を上げると、アルフレートと目が合う。その顔はやっぱり予想した通り、にやにやと笑っていた。く……本当にむかつくエルフめ。
眠れない。隣りからのミーナの寝息を聞きながらわたしは寝返りをうつ。眠れないのに無理矢理目を閉じていたからか、瞼がぴくぴくしてしょうがない。薄ら目を開けると真っ暗な室内が広がった。
何の気無しに男連中の寝ている部屋の反対側に目を向けると、窓の外を見てぼんやりするヘクターの姿があった。あの人も眠れないんだ。と思わぬ「お揃い」に少し嬉しくなるが、まさか見張りじゃないわよね、とも思う。
いや、流石にそれは無いか。襲撃があるかもしれない移動中に寝不足で元気がない方がわたし達には痛手だし、彼も充分、分かっているはずだ。どうしよう、話しかけようか。でももし他のメンバーが起きていたら恥ずかしいな。会話が丸聞こえだろうし……、と迷っているともう一つ、黒い影がむっくりと起き上がる。
「寝れないのか」
アルフレートだ。続けて水の音がする。水差しからコップに水を注いだらしい。一気に飲み干す良い音に、わたしも何だか喉が乾いてきてしまった。
「何だろう、色々考え出すと止まらなくて。……不安なのかもしれない」
苦笑混じりのヘクターの声。珍しく弱気とも取れる発言に、わたしは鼓動が早くなる。
「まあ邪教徒相手じゃしょうがない。こいつらは暢気だからな」
アルフレートの返事に「何をー!」と立ち上がりたくなるが、今更会話に入るのも、聞き耳がばれるようで恥ずかしくて止めておいた。それに、アルフレートの言い様にも無理はないかもしれない。全く全貌が見えてこない今回の騒ぎだけど、相手はサイヴァの狂信者かもしれないんだ……。あの獣人達だって凄腕みたいだし、もしかしたら今日、一人歩いたあの道で暗殺者に毒の短剣でぷっすり、なんてこともあり得たわけで。
今更ながら出掛けにサラから言われた言葉を思い出す。
『相手は厄介なんだから』
少し軽い気持ちでいたかもしれない。サイヴァ信者の怖さなんて日頃から起こる事件で知っていたはずなのに。それをヘクターは一人で考えていたのかな。今日、暢気に遊びに出掛けるわたし達をどう思ってたんだろう。
「少し痛むからって億劫になってたら、今頃リジアに何かあったどうするつもりだったんだろう」
ヘクターの呟くような声に更に心臓の音が速まる。え、え、え?何、痛むって。どこか痛めてたの?わたしは二人の会話を聞き逃すまいと耳に神経を集中させる。するとアルフレートの芝居がかった声。
「私もマヌケだった。どうして敵の正体が見破れないのだろう!ヒントはばらまかれているというのに!襲撃者も逃す失態だ。こいつらに何かあったら、私の責任だ!」
頭がおかしくなったような台詞にわたしは固まってしまった。ヘクターも同じだったようで暫く沈黙が続く。
「……どう思ったかね?」
アルフレートのにやり、とする顔が浮かぶようだ。ヘクターの「あ……」という気まずそうな呟きが響く。
「ごめん、アルフレート。俺……」
「いや、君のような男でも悩む時があるというのは面白いと思っただけだ」
ふふ、とからかう調子だったが、きっと彼以外にヘクターはこんな話しをしなかったと思う。わたしはアルフレートに少し、ほんの少しだけ感謝した。
明日、謝ろうかな。でも何と言って切り出せばいいんだろう。きっと彼の場合謝り合戦になるのは目に見えているし……。そんな答えの見えない『作戦』を考えていると、今までの目の冴えが嘘のように眠くなってきてしまった。段々と夢の中に入るのが分かる。遠くで二人の会話が未だ続いているのを感じながら。