祭の夜に
「あんまりいい子になろうとし過ぎない方が良いんじゃないかしら」
表に出た瞬間、隣で言ったローザにわたしは眉を寄せる。
「……何が?」
「別にー」
ローザは静かな微笑みを浮かべた顔のまま前を行く。いい子なもんか。今だって頭の中はグチャグチャだというのに。わたしはモヤモヤを振り払うべく、息を吸い込む。
「……っうがー!」
妙なファイティングポーズをとり叫ぶわたしをフロロが呆れた顔で見ていた。
「良い匂いですう」
イルヴァが鼻をひくつかせる。町の中心、祭の本会場にはまだ遠いが出店がチラホラ見え始めたのだ。わたしは海産物を焼く屋台に、イルヴァは串焼き肉の屋台にそれぞれ目が釘付けになる。が、人の波に押されそうになり慌てて歩き出す。迷ってるうちは止まらない方が良さそう。
「結構人多いね。フロロ平気?」
わたしが聞くとフロロは既にローザの肩によじ登る途中だった。
「ヘクターの兄ちゃんいないと不便だなあ」
「じゃあ降りてよ!」
溜息をつくフロロにローザが頭を振るが彼はガッシリ離さない。わたしもあまり背の高い方じゃないから人混みでは埋まりがちだ。だから気持ちは分かるんだよね。息苦しいというか、圧迫感は背の高い人には分かりにくいと思う。
「イルヴァ、手繋がない?」
わたしが言うとイルヴァはにぱっと笑い、手を出してきた。これではぐれる心配は無いし、温かい手が何だか安心させてくれる。
周りの歩く人達は一般の住民やわたし達のような冒険者風の人もいるが、やっぱり商人らしいおじさん集団が多い。商人祭は色んな町の活性化の為に商人達が各町に集合して開くのだ。わたし達の町ウェリスペルトでも定期的にやっている。店を出す商人もいれば単に「お金を落とす」側に徹する商人もいる。ようするに人が集まるイベントを起こし、お金を動かしているのだ。
暫く歩いているとますます人の密度が増してくる。
「あっ」
川の流れに飲み込まれたように人混みにもまれ、イルヴァと手が離れる。すると前の方で警備団らしき人がテープのようなものを伸ばしながら道を遮断し始めた。
「ちょっとここでストップさせてくださーい!」
おいおい、と思ったら十字路のちょうど道と道が交わる場所だったようだ。交差する道に荷物を乗せた馬車が横切る。この為に止められたらしい。ぼーっと見ていると遠くから「リジア!」と名前が呼ばれた。
「あ、あれっ」
見るとローザ達は反対側に既に渡っているではないか。まだ馬車の列は続くようだし、人の流れの中、ローザ達も立ち止まるのに苦労しているようだ。
「ドラゴンの像の所にいて!」
わたしは迷った挙げ句、宿の部屋から見えた銅像を叫ぶ。聞こえたらしく三人はこくこくと頷いている。一際大きな荷馬車が通った後、テープは警備団の男性に取り除かれたが、視界の先、既にローザ達はいなくなっていた。いざ一人になると意外と心細さは無いものだ。わたしはふう、と息をつくと周りの人に合わせて歩き始める。
「お父さん、チョコバナナ買って」
隣の親子連れ、ミーナぐらいの女の子が父親にねだる声が聞こえた。確かに甘い匂いがするな、と前を見ると道の左側に黄色の旗が出ている。
食べたい……。
わたしも親子に便乗して屋台に寄ることにした。
「はい、いらっしゃい」
褐色の肌に恰幅のいいおじさんがバナナの山の中、甘い匂いの元である茶色のドロリとする液体を混ぜている。その鍋ごとおくれ!と言いたくなる欲求を抑えつつ、わたしは小銭をおじさんに渡した。手渡されたチョコバナナは串に刺さったバナナにたっぷりとチョコがかけられ、砕いた木の実とドライフルーツが振りかけられている。商人祭の出店ってこういう風に他より商品が豪華なんだよね。自分でも分かる満面の笑みを浮かべながら大口を開けると、さっきの親子連れと目が合った。
「女の子はチョコ好きだね」
父親の方に笑顔で言われ、わたしは頬を赤らめつつにっこり頷いた。
「来ない、だと!?」
いい加減痺れを切らしたわたしはドラゴンの像の前、一人雄叫びを上げる。隣のカップルがびくん、と肩を震わせるが知ったこっちゃない。
待ち合わせに指定したドラゴン像を改めて見上げた。……どう見てもドラゴンだよね?実はバジリスクなんです、なんて言われたらキレる自信がある。ブレスを吐く寸前の大きく開けた口の中に鋭い牙、頭には角、大きな羽、誰が見てもどこから見てもドラゴンの像を前にわたしは爪を噛んだ。
三人を追いかける形になっていたわたしはてっきり、ローザ達はすでにここにいると予想していた。予想に反して三人が居なかったことに驚きはしたが、どうせイルヴァがあっちこっちの屋台に引っ掛かって遅れているのだろうと、大して気にしなかった。しかしチョコバナナはとっくに食べ終わり、さらに結構な時間をぼーっとしていたというのに、一向に三人は姿を現さないではないか。
わたしはイライラと足を組み直す。像の土台はちょうど座るのにいい高さなので、周りも待ち合わせや休憩に腰かける人が並んでいる。その中で何人の人が入れ替わるのを見送ったと思ってるんだ!
こういう時は下手に動かない方がいい、というのは分かっているがこうなったら一人で出店を楽しんで、さっさと宿に帰ろうかな、と思い始める。こののどかな町でしかもこんなに人の多い日だ。大して心配もされないだろうし。
そろそろ周りの「可哀相な子」を見る目にも耐えられなくなってきたわたしは立ち上がる。石作りの上に座っていたからかお尻がペッタンコになってしまったような感覚がする。
わたしは初めから大したボリュームは無いお尻を叩くと一人、祭の町を歩き出した。
「ちょっと会場から外れてきちゃったわね」
さっきまでの喧騒がやけに遠くに聞こえる住宅街、わたしは一人きりになった開放感からか声に出して呟いていた。両手に持った出店の食べ物を見ながら、このまま静かな通りを歩いて宿まで帰るか、最後にドラゴンの像を通って帰るか迷う。少し考えてからやっぱりドラゴンの像を見ていこう、と踵を返した。
「へぶっ!」
じーんと鼻が痛む。振り返った先に急に現れた壁に思い切り顔面を打ち付け、わたしは間抜けな声を出してしまった。
「おっと!」
わざとらしい驚きの声を上げたのは大きな壁、いやお酒の臭いをぷんぷんさせた大男。
「お嬢ちゃん危ないぜ?」
にやにやと笑う男の左右には同じように柄の悪い男達がいる。逞しい筋肉を被うタンクトップ姿。うげ、これにぶつかったのかよ。わたしは頬を引き攣らせた。
「あはー、失礼しましたー」
引き攣った笑いを浮かべたまま、わたしは男達の間を通り抜けようとする。すると半ば予想された通り、がしっと腕を掴まれてしまった。一気に血の気が引く。
「そんなに慌ててどこ行くのー?」
「いやー、仲間のところに戻らないと……」
もごもごと答えるわたしの顔に男の酒臭い息がかかった。
「まあまあ、こうやって出会ったのも何かの縁だから、お茶でもどう?」
一見穏やかなお誘いだが、だからといってのこのこ付いていく程、わたしも世間知らずじゃない。
「いやいや、心配されちゃうんでぇ……」
わたしのやんわりとしたお断りの言葉に大男は更に腕の力を強めた。
「そんな事言って、本当は振られちゃって一人なんだろ?」
ぞわり、背中が震える。待ちぼうけを食ったことを知っている……ということは、何、こいつら大分前から付いてきたの!?
「さあさあ、俺達の家で飲み直そう。慰めてやるよ」
そう言って腕を引っ張る男に、わたしは意を決して何か呪文を唱えようと頭を回転させた。力では敵わない、口元を押さえ付けられたりしたらオシマイなんだから三人一気に足止め出来る魔法、そんでもってわたしがコントロール出来て辺りにも害が出ない魔法……って何だ!?
混乱してアワアワとなるわたしを変に勘違いしたのか男の引っ張る腕の力が増す。
「そんなに怖がんなって……」
男の酒臭い息が再び顔にかけられた時だった。
「その汚い手を離したまえ」
通りに響く妙に威圧的な声に、わたしと男達は同時に振り返った。
ピンチの時に颯爽と現れるのに、『彼』を期待していなかったといったら嘘になる。が、目の前にいたのはもっと驚く相手だった。
「な、なんだチビ。早く家に帰んな」
男が現れた少年に驚き半分呆れ半分に言うと、しっし、と手を振る。そこにいたのは金髪に白いローブを着た少年。えーと、確かレオンだ。初めて見かけた時と同じく偉そうにふんぞり返り、腕を組んでいる姿はこの状況にも自信満々に見える。やっぱりこの町にいたんだ、と思うのと同時に「なんで君が現れるんだよー」と八つ当たりしたくもなる。だってこの男共をどうにか出来るのか!?
男達も同じ思いだったらしく呆れたように「ったく脅かしやがって」と呟くと、
「正義の味方の僕ちゃんに俺達倒されちゃうのかなー?」
とからかう声をあげた。レオンは無表情のままだ。
「それは俺の役目じゃない」
真っ直ぐに言うレオンに、はあ?とわたしと男達は同じ顔をしていたに違いない。
「ぐはっ!」
いきなりの苦痛の声はわたしの腕を掴んでいた男のものだった。横目に入ってきた光景が確かなら、長い足から繰り出された膝蹴りをモロに顔に食らっていたはずだ。
「な……」
左右にいた男達も驚きの声を一瞬出せただけだった。あっという間に顔面、鳩尾に叩き込まれた拳に倒れる。一瞬にして通りに伏せた男達。男が「う……」と微かな呻きを上げた事によって、わたしは漸く自由になったことを思い出した。
「あ、ありがとう」
わたしは前に立つ青い肌の女性、ドラゴネルのウーラにお礼の言葉をかける。振り返るウーラは息一つ乱れていない。こんなに細いのに。やっぱり筋肉の質が人間とは違うんだろうか。ウーラは穏やかな笑みを浮かべると、
「いえ、大丈夫でしたか?」
とわたしの腕を取りざっと見た。
「あ、大丈夫です。何ともないです」
わたしは手を振りつつ答える。ウーラがほっとした顔になった時だった。
「行くぞ」
レオンが冷たく言い放つ。不機嫌そうに腕を組んだまま歩き出す彼の態度は、何だかわたしよりも年上に見えた。ウーラは黙ってそれに従い、二、三歩足を出すとわたしに振り返る。
「人の多い通りまで、一緒に行きましょう」
「ありがとう」
わたしは頷くと改めてお礼を言った。ふと町の中心へと目線を上げる。
「……あ、ああーっ!」
わたしの上げた大声に二人が驚いた顔で振り返った。
「どうしました?」
ウーラの問い掛けに暫く口をはぐはぐと動かした後、わたしは向こうを指差す。
「あれっ、ドラゴンっ!」
「……ドラゴンの像がどうした。あんなの町のあちこちにあっただろう」
レオンが舌打ち混じりに言う。確かにそうなのだが……。何!ドラゴンの像って二種類あったの!?
そう、今わたしが指差しているのは蛇のような身体に角を生やした水竜のようなタイプ。そしてわたしが待ちぼうけをくっていたあの像は大きな蜥蜴のようなぶっとい足があるタイプだった。長い待ちぼうけが納得出来たのと共にショックを受けるわたし。……というか今も皆待ってたりするかも知れない。まずい、これはまずい。
「大丈夫ですか?」
冷や汗をかくわたしにウーラが再び聞いてきた。
「い、いやあ、よく出来ていて恐いなあ、なんて」
わたしはしどろもどろに変な言い訳をするしかなかった。