商人祭
走り続ける馬車の中、寝ているミーナの髪をそっと撫でた。目元に残るのは涙の跡。イルヴァの怪我にショックを受けて泣き出したのだ。張り詰めていたものが一気に吹き出したのかもしれない。連日の非日常的な出来事に疲れもあるはずだ。
イルヴァ本人はあっけらかんとしていたが肩の傷はローザの術でも傷痕が残っていた。ラグディスには高レベルな神官も多いし綺麗にしてもらえるだろう、とローザは言っていたがイルヴァは『戦士の勲章』を取るか、『コスプレ時の見た目』を取るか迷っているようだった。
結局、相手を無傷で逃がしてしまったという話しから今回の敵もかなり油断出来ないものかもしれない、とわたしは溜息をつく。しかしそれよりも……、徐々に赤くなりつつある空を窓から眺めながら、わたしはぼんやり考えていた。
「何考えているか、当ててやろうか?」
アルフレートからの恋人のような質問に、微妙に気持ちが悪いなあと思いつつ、わたしは薄目にしていた目を開ける。暫く黙っているとアルフレートは勝手に話し出した。
「妙な二人組は何処に向かっているのだろうな」
「……ウーラとレオンの事?」
聞き返したのはローザだった。わたしはゆっくり頷く。
「やけに別れ際が呆気なかったなー、って。……あんな明らかに山賊にも野生モンスターにも見えない連中に襲われたっていうのに」
「助かった、っていうのも変だよな。後ろから見てたなら、こっちが標的になってたのは見えてただろうし」
ヘクターが言うのは始めの『黒い雲』の事だろう。確かに後ろから見ていた彼等なら、わたし達の馬車が本来狙われていたのが分かっていたはずだ。
「あの人達はあの人達で、何かに追われてる身なのかな、って思ってたのよ」
わたしが言うとアルフレートがゆっくり頷く。
「もしそうだとしたら、だ。あの獣人達も『本当にあの二人を狙っていた』のかもしれない」
だとすれば、わたし達こそ巻き込まれた側ということになる。何しろ同じようなど派手仕様の馬車というのが相手にとってはややこしいものなのではないか。やっぱりミーナの変装は続けていた方が良さそう。わたしは眠るミーナの頭に付いたフワフワの耳を指で突いた。
「……成る程、そうなると確かにあの二人が何処に向かってるのか気になるわよね」
ローザがうんうん、と頷いている。
「それでちょっと聞きたいんだけど、レオンが着てたローブってフロー信者のものだったりしない?」
わたしの質問に暫くキョトンとしていたローザが「あ」と呟いた。
「認定式ね……!確かにこの時期にラグディス方面に向かってるんだから有り得なくないけど、ああ、あの年頃ならきっと司祭の認定式だわ。同じ期間に行われるから。でも修行中の僧侶のローブが白、っていうのは結構フロー神以外でも多いし……」
わたわたと身振りを交えながら話していたローザだったが、
「ごめん、わかんないわあ」
としょんぼりする。いや、そんな真剣に聞いたわけではないし……。
「とりあえず、あの二人組とずっと同行することになると、ちょっと面倒だなって認識でいい?」
ヘクターの言葉にわたしは頷いた。わたしが言いたかったのはそこなのだ。あの二人がもし、本当に認定式の為にラグディスに向かってるんだとすればわたし達と同じ道程を行くことになる。
「こっちもぎりぎりの日程だから、こっちから距離取るわけにいかないもんねぇ」
ローザが大きく溜息をついた。馬車前方の小窓が開かれる。
「もうすぐコルトールに着くよ。順調な旅だね」
フロロの言葉は合っているようであり、何だか的外れなようでもあるな、とわたしは考えていた。
旅人が多く集まる町コルトール。首都に近い為か立ち寄るついでに露店を出す商人も多い。道端で突然大きな武器が売っていたりとなかなか面白い。もう暗くなってきた時間だというのに大通りはまだまだ賑やかだ。前回来た時は直前で悪魔ヴォールドールとご対面したり、アンナがいなくなったりしてバタバタしてたっけな。わたしは通りの喧騒を前に、異界へと帰っていった悪魔の姿をぼんやりと思い出していた。空の藍色と朱の混ざる色合いが彼(?)を連想させたのかもしれない。あの悪魔、無事に帰ったのかな、と変な心配をしていると前を行くフロロと手を繋いだミーナが振り返り、はしゃいだ声を上げた。
「良い匂いがするよ!これ、カステラの匂いじゃない?」
「屋台のカステラだな、よし、おっちゃんが買ったる」
フロロがそう言って内ポケットに手を入れると、ローザが止めに入る。
「お夕飯入らなくなるわよ!」
母ちゃんかよ!と突っ込みたくなる台詞を聞きながら、わたしは甘く香ばしい匂いにフェンズリーのカステラ屋台を思い出す。あそこでサイモン達と会って、ミーナにも出会えたんだっけ。最近毎日毎日が濃いせいか、妙に昔のように感じてしまう。特にアンナとの旅はまたもうすぐ会える人、もう会えない人、色んな人と出会った旅だった。
イルヴァがお腹を押さえてうなだれる。
「早くご飯にしたいですー」
「食い物の話題ばっかりだな」
アルフレートが心底嫌そうに吐き捨てた。アルフレートの食が細いのってあれかな、周りのマナを吸い取ってたりするのかな。妖精族に近いっていうし。そう考えるとちょっとカッコイイな。
わたしがじっと見ていたのが気に食わなかったらしく、
「なんだ?」
とアルフレートに睨まれる。
「……前から思ってたけどさあ、あんた沸点低すぎじゃない?」
「無駄な会話は嫌いなんだ。こう言えば良いのか?『どうしたの?私の美しい顔に見とれましたか、お嬢さん』」
「腹立つわねぇ!」
わたしはアルフレートの背中を叩きながら思う。アルフレートとはこうやって普通に喋れるのにな。アルフレートだってイケメンの部類には入ると思うんだけど。緊張はしないもんな。
「おーい、ここに入ろう」
フロロからの声に振り返ると、イルヴァが一軒のお店に首を突っ込んでいる。ああなると移動させるのは困難だ。看板を見ると素朴な雰囲気の羊と野菜の絵に『緑の恵亭』の文字。イルヴァ、ラム好きだなあ。
「こういう店の方があの二人に会うこともないかもね」
すぐ後ろからした声にわたしは一瞬肩を震わせた。
「おっとお!……そ、そうかもねー」
わたしが動揺を出さないようにこやかに答えると、ヘクターは少し不思議そうな顔をした後にっこり笑う。わたしもつられてにへっ、と笑った。ダメだなあ、なんだか最近になってまた緊張するようになってしまった。一時期は結構まともに話せたと思うんだけど。
「今日はこの町、泊まれないかも」
フロロが言った言葉に全員が驚いて彼を見た。
「え……でももう真っ暗だけど、このまま進んでもあたし達は馬車で休めるけど、馬は休ませた方がいいんじゃない?」
ローザがアスパラをかじりながら言うとフロロは首を振る。
「この町にしちゃやけに人が多いな、と思ったら今晩は商人祭があるらしい」
耳の良いフロロのことだ。周りの会話を聞いたんだろう。わたしは満員の店内を見回した。確かに前回立ち寄った時に比べても人は多い。
「お祭りですかあー」
イルヴァが目を輝かせた。
「ご飯食べながら食べ物の事考えてるでしょ」
わたしが突っ込むとイルヴァは「わかりますう?」と首を傾げる。お祭といえば屋台。しかも商人達の祭といえば商売根性たくましく食べ物屋台が並ぶものなのだ。わたしもちょっと楽しみかもしれない。前回の冒険でもバンダレンの町の音楽祭に参加したけど、出店を見て回るような余裕は無かったし。
「あんた達、宿決まって無いの?」
テーブル拭きを畳みながら声を掛けてきたのはお店のおばちゃんだった。
「そうなのよー、祭があるなんて知らなくて」
ローザが答えるとおばちゃんはうんうん、と頷いている。
「あんまり宣伝打たない身内同士の祭みたいなもんだからねぇ。……どうだい、うちの民宿に泊まっていかないかい?個室は埋まったのに大部屋は空いたままなんだよ」
わたしは「また大部屋か……」と思ったが、口に出すのは止めておく。どうやら贅沢は言えない状況のようだし。おばちゃんの話しによると流れの商人達は家族連れが多いらしく2、3人用の個人部屋の方が人気らしい。わたし達はありがたくお世話になる旨を告げた。
「結構いい部屋じゃない」
ベッドに腰掛け、足を伸ばしながらローザが言った。わたしも三階からの景色に見とれながら頷く。街中に点在する様々な像、ドラゴンやらミノタウロスやら剣士、魔導師といった『勇者』の像もある。文化遺産でもなんでも無い新しめの銅像は、下で見た時は「悪趣味な……」と呟くものだったが、こうやってライトアップされた姿は綺麗だ。
先程の食堂のすぐ裏手に民宿はあった。民宿といっても普段わたし達が使うような旅の宿と変わりは無い。新しくは無いけれど綺麗に掃除された良い部屋だった。ベッドが四つに簡易ベッドが二つ。ミーナとわたしが一緒のベッドを使えば充分だ。三階部分にはこの一部屋しか無いというのも地味に嬉しい。
「フェンズリーからラグディスってどのくらいかかるの?」
誰に聞くでもなくわたしが尋ねると、隣で町の景色を見ていたヘクターが答える。
「今の馬車なら……丸二日ってところじゃないかな。ただ一直線に行こうとなると、間には町なんかが無いから野宿も考えておいた方がいいかも」
「へー……、あっそうか、ヘクターはサントリナから来たんだもんね。東の方は詳しいんだ?」
わたしが再び尋ねるとヘクターは少し首を傾げた。
「いや、それよりも授業の遠征であちこち回ってるから、かな。野宿ばっかりだから町の様子とかはよく知らなかったりするけどね」
「でもイルヴァは地形も覚えてないですよー」
偉いですね、とイルヴァが可愛らしい声を上げるが、皆、無言のままになる。前からイルヴァの遠征時の話しは聞いた事があったが、何を尋ねても「キャンプの時のご飯」の話ししか引き出せ無かったからだ。とことん自分の興味あるもの以外は頭に入らない娘。まあ人によってはすごく可愛いく思えるのかもしれない。
黙って鞄の整理をしていたローザがふと、手を止めた。
「明日の朝で認定式まであと五日、かあ。まあ余裕でしょ」
その言葉にわたしはミーナの家に書かれていたという数字の落書きを思い出す。ユハナさんが来た日に『あと10』と言っていたのだから……、今指されているのは『8』?ゼロになった日に何かが起きるんだろうか……。何かが起きるとすればこちらに、なのかアントン達が警護するミーナの両親に、なのか。
あれこれ考えている時だった。町の中心からポンポン、という花火の音がした。外を見ても火花が散った様子はない。音がなるだけの物だったようだ。
「祭が始まったみたいよ?」
わたしは先程まで祭を楽しみにする台詞を言っていたミーナに声を掛ける。が、
「あらら、寝ちゃったみたいね」
ローザがミーナの顔を覗き込み残念そうに呟いた。そう、ミーナは服は勿論、カチューシャもそのままにベッドの上ですうすうと寝息を立てていた。枕元にはフローラちゃんも目をつぶっていたりする。
「ありゃりゃ、あんなに楽しみにしてたのに」
フロロも残念そうだ。
「疲れたんだろうね」
わたしはそう言うとミーナにそっと毛布を掛けてやる。一瞬、起こしてやるべきか迷うが、旅の目的を考えれば無理はさせない方がいいだろう。
「お祭……」
イルヴァが口元に指を当てながら窓の外を眺める。するとアルフレートが顔を上げた。
「皆で行ってこい。私は人混みは御免だ」
アルフレートが残るなら心配は無いかもしれない。わたしとローザは顔を見合わせる。
「じゃあ、お言葉に甘えて行ってこようか?」
わたしが言うとイルヴァが顔を輝かせ、フロロがローザに手を出した。
「……何よ」
「お駄賃」
フロロの言葉にローザは「そこまで面倒見れるか!」と出された手をひっぱたく。
「あれ、ヘクターは行かないの?」
皆に続いて部屋を出ようとしたわたしは、窓際から動かないヘクターに声を掛けた。すると彼は静かに頷き、苦笑する。
「待ってるよ。俺も人混みは少し苦手なんだ」
その返事に妙に胸の中が掻き乱された。大した事じゃないのは自分でもよく分かっている。でも、何だか拒絶されたような気持ちになっていた。単に寂しかったんだと思う。あ、一緒に来てくれないんだ、というガッカリ感。
馬鹿じゃないの!?
自分で自分の気持ちに呆れながらも平静を装う。
「お土産買ってくるね」
わたしは笑顔で言うとヘクターの笑顔で片手を挙げる姿を見て、扉を静かに閉めた。