不協和音が聴こえる
「……おやぁ?」
わたしは馬車の後部の窓から見える影に呟きを漏らす。向かいに座っていたヘクターもわたしの声に窓の外を見た。
「さっきの馬車だね」
そう、わたし達の馬車の後方からやって来るのはオットーの停留所で見たド派手仕様の黒い馬車だった。
「同じ方向に向かってるっぽいな」
ヘクターの言葉にわたしは頷く。向かう先、コルトールはウェリスペルト方面から首都レイグーンに行くには良い宿場町になる。だから不思議ではないのだけど、寄りにもよってあの馬車が道連れとは。遠目から見たらわたし達の馬車といい、連れ立って走る姿はどこぞの王族がやってきたみたいじゃないか。たまたま見掛けた旅人がびっくりしたりして、なんて想像をしているとアルフレートが口を開く。
「さっきのお坊ちゃまだったりしてな」
「やめてよ……って実はそうだって知ってて言ってたりするんでしょ。精霊の種類が~とかで」
わたしが疑いの目で見るとアルフレートは眉間に皺寄せた。
「そんなことまで分かるか。大体そんな便利な特技あったらとっくに自慢してる」
……さいですか。
「でもあの馬車ならあり得なくないかもね。随分身なりの良い坊ちゃんだったし。舌も肥えてらっしゃるようで」
ローザが嫌味を垂れ流しているとアルフレートが「しっ」と指を口に当て、真顔になる。いきなりの緊迫感になんだ?と思っていると、そのまま彼は跳ね起き前方の小窓を開け、御者席にいるフロロに声を張り上げた。
「速度を上げろ!そのまま突っ走るんだ!」
馬車が振動を増し、スピードを上げるのと窓からの景色が一瞬にして様変わりするのは同時だった。
「なにこれ!?」
ローザが悲鳴混じりの声を上げると、ミーナがわたしの腕をぎゅっと掴む。わたしはその手を握り返した。真っ暗な闇が広がる。太陽が消滅したのかと思ってしまう暗闇に馬車の走る音だけが響いている。
しかしすぐに明るい日差しの元へと戻ってきた。一瞬の視界の眩みの後、後ろをみると街道に黒い雲のような物が漂っている。さっきはあの霧の塊の中にいたのだろう。
巨大な霧の塊を前に何なのあれ、と考えた瞬間、黒い霧に向かって無数の矢が降り注いだ。発光する魔法の矢。もし突然の暗闇に馬車が停止し、あの場に残っていたら、と背筋が寒くなるのと同時に足に力が入った。……何処かに呪文を唱えた人間がいる!
「フロロ、馬車を止めてくれ!」
今度叫んだのはヘクターだった。
「なんだよー、今度はなにー!?」
フロロの問いかけと共に馬車がスピードを緩める。馬の嘶きが聞こえた。
「後ろの馬車が『あの中』にいるんだ!」
ヘクターはそう言うと後ろのドアを開け放つ。そのまま少しスピードが残る馬車から飛び降り、駆け出した。
「せっかちなお兄さんだね」
アルフレートもそう言って馬車から降りていく。残されたわたし達が茫然としていると、
「皆さーん、ちょっと今は降りて来ないでくださーい」
イルヴァの間延びする声がする。
「ちょっと!何!?」
ローザが窓の外を指差した。わたし、ミーナも馬車の左側面に張り付く。
巨大なサーベルがぬらぬらと不気味な光を放っている。刀身が黒く光る曲刀を構えるのは、対峙するイルヴァより頭二つ分は大きなワーウルフだった。ローザが喉を鳴らす。
「だ、大丈夫かしら」
「わたしに聞かれても……」
ローザからの問いにわたしは眉を下げるしかない。その時、ヒュン!というような空気が震える音がした。音の方向を見ると街道に広がっていた闇が消え去っているではないか。アルフレートの周りを光の精霊が漂っている。あれで消したのだろう。黒い馬車が姿を現す。やはり巻き込まれていたのだ。矢の集中砲火を浴びたはずだが、一見無事に見える。少しタイミングがズレたのだろうか。
ミーナが息を飲む。わたしの腕にかかる力が増した。わたしも思わず手を握りしめた。ヘクターの前にもまた、亜人間が立ちはだかっている。黒い猫科の肉食獣を思わせる顔。細身だがしなやかな筋肉が逞しい体。その彼の手にも黄金色に輝くロングソードが携えてあった。
「行きますよー」
緊張感を削ぐイルヴァの掛け声の後、耳障りな金属同士のぶつかる音が鳴り響く。イルヴァのウォーハンマーを器用に受け止める相手のシミターを見て、わたしは鼓動が早くなった。
「あれ、毒じゃないよね……?」
ここで呟いたところで答えなど降ってこないのだが、わたしは黒光りする刀を前に思わず口に出していた。窓枠に掛かる手の力が強くなる。
イルヴァのウォーハンマーが青い線を描きながら相手に迫る。何度と無く鋼の割れるような音が耳に響き、土煙が舞った。イルヴァが押している、ようにも見える。が、相手のワーウルフは不気味に笑っているようにも見えるのだ。イルヴァはというと、相変わらずの無表情で全く思考が読めない。余裕なのかもしれないし、焦っているかもしれない。あああ!面倒な奴だ!
「や、やっぱフォローした方が良いよね!?」
わたしがそう言って立ち上がろうとした時だった。フロロがわたわたと馬車内に入って来る。
「もう一人、魔術師がいるっぽい。リジア、付いてきてよ」
周りの音を拾ったのであろうフロロに提案されるが、わたしは一瞬頭が真っ白になった。
「まままマジ!?」
そりゃ魔術師相手ならわたしが行くべきなんだろうが、相手になんのか、わたしが!?あの黒い雲を出現させたり無数の光の矢を撃ってきたような相手ってことじゃないか。
「アルが行けりゃいいんだけど、あっちも忙しそうなんだよ」
フロロの言葉にわたし達は馬車の後方に目をやる。……ヘクターが黒い猫人間を相手にしているが、アルフレートも腕に収縮した光の矢でちょっかい出している。二人掛かりの相手ってことだ。
「……他に敵は?」
わたしは極力気持ちを落ち着かせるとフロロに問う。
「行くの!?」
ローザが驚きの声を上げた。
「いないっぽい。相手が魔術師なら接近戦は嫌がるだろ。この場にも出て来てないし。ちょっくら威しかけて追い払うんだよ。また攻撃してくるかもしれないし」
フロロが早口にまくし立てるのを聞きながら、わたしはミーナとローザの肩を叩く。
「二人はここにいてね」
わたしが言うとローザは何か言いかけたが、口を閉ざした。自分の役割を考えると動くべきじゃない、と判断したのだろう。
「よし、行くぞ!」
フロロが飛び出し、駆けていくのをわたしも追う。馬車の死角から岩場の影に移り、林の中に入る。
「どの辺にいるの!?」
「あの大岩の方だ!」
フロロから返ってきた答えにわたしは一瞬眉をひそめる。まるきり反対方向じゃないか、と思ったが円を描くような動きに、裏から回って相手の隙を狙っているのだと理解した。
「ややややばかったら、即行で逃げるわよ!」
わたしが吠えるとフロロは前から笑い声を響かせている。
「だいじょーぶ!威しかけるにはリジアより適任いないじゃないか!」
どういう意味だ!
「あの大岩を狙えば良いわけね?」
わたしが呪文の準備にかかりながら聞くと、フロロは大きく頷いた。わたし達がいるのは街道脇、皆の所から少しオットー側へと戻った位置だ。
「あの大岩の影から魔法撃ってる、早く!」
フロロが焦りの声を上げた瞬間、ボボボ!という明らかに何かの攻撃魔法だとわかる音がする。青ざめるわたし達。
「……だいじょぶ、皆の声はするよ!誰か防いだっぽい!」
耳に手を当て頷くフロロにわたしはほっと息つくと呪文の詠唱に入る。また、相手が唱える前に終えなくちゃいけない。
「あんだけでかい的に当てるんだ、大丈夫だろ」
フロロの呟きに、それが約束出来ないからわたしなんじゃないか、と思いつつ、わたしは早口にマナを集めていった。
「ファイアーボール!」
わたしの指先から放れた大きな火球が空を切っていく。ジリリ、という火花が散った後、聞こえてくるはずの轟音にわたしは耳を塞いだ。ズズズとお腹に振動。熱波が頬を撫でていく。綺麗に大岩の半分程が吹き飛んでいる光景にふう、とわたしは息をついた。
「す、すげ」
フロロの呟きに、もし皆の方に飛んでったらどうしよ、という不安があった事は黙っていようと決める。
「……おし、やっぱ逃げてくな」
「岩場にいた魔術師?どうする、姿だけでも見ておく?」
わたしが相手を追いかけるか聞くとフロロは暫く黙った後、首を振った。
「いや……、あの獣人達も退いたっぽい。やめとこ」
それを聞いてわたしも頷いた。もし魔術師を追って獣人達とも鉢合わせしたらまずい。わたしとフロロは顔を見合わせると街道を元いた方向へ歩き始めた。
「これでミーナの変装は意味無いこと分かっちゃったわね」
「まあでも何かに役に立つかもしんないし、街中とかね。あいつらにも連絡ミスとかいう事態も有り得るわけで」
フロロの返事にわたしはウンウンと頷き、ふと思ったことを聞いてみる。
「フロロから見てモロロ族に見える?かわいい?」
「……うーん、随分な大女だな、って感じ?」
ふむ、やっぱり『本物』から見ると不自然なわけか。フロロと比べたらミーナの方が大分大きいしね……。わたしは唸りながら前を見る。黒い馬車が見えてきた。その前にはわたし達の白い馬車。
「おーい!」
わたしが手を振るとヘクター、アルフレートが振り返る。一緒にいる背の高い異種族に、あっと声を上げそうになった。
「ドラゴネルの姉ちゃんじゃんか。……アルの読みが当たっちゃったわけだ」
フロロも驚いた後、嫌そうに顔をしかめる。ドラゴネルに嫌な印象があるのではなくアルフレートの言う通りになっていくのが癪なのだ。わたしもそうだし。街道に一緒にいるのはオットーの町のレストランで見掛けた竜人の女性だ。すらりとした体に大きなバスタードソードがかっこいい。
「どこ行ったのかと思った」
ヘクターがほっとしたように息をつく。怪我は無いようでわたしも安心した。
「また派手なことやってくれたな」
アルフレートが呆れたように言う。こっちは感謝して欲しいというのに。わたしとフロロが見ていると、それに気が付いたドラゴネルの女性が口を開いた。
「ウーラと申します。おかげで助かりました」
ウーラからの握手を求める手を、わたしは微妙な笑顔で握り返す。わたし達に巻き込まれただけなのだが、一々説明するのもおかしい気がしたので黙っておく。
「なーにが助かっただあ!!」
突如乱入してきた声にわたしは身をすくめる。ボカリ!とウーラの頭が叩かれた。
「いたたっ!直ぐに叩かないで下さい、レオン様!」
涙目のウーラが抗議する相手は予想通り、白いローブのお坊ちゃまの姿。自分より大分背の高い相手をジャンプしながらポカポカと叩く。
「お前が『助かった』などと寝言を言うからだ!見ろっ」
レオンのびしりと指差す先には、馬車の車体側面に出来た穴。魔法でやられたのだろう。握り拳程の大きさで焼かれたような跡になっている。あれだけの攻撃を受けたのだから、これで済んだのが奇跡だと思うのだが……。お坊ちゃまは気に入らないようで目を吊り上げている。ウーラは気まずい顔でわたし達を見ると、
「お仲間の治療も終わったようですし、お先に失礼します」
レオンをひょい、と持ち上げ、馬車へと戻っていく。治療?とわたしは白い馬車の方へと目を走らせた。ローザとミーナ、そして肩を回す仕草をするイルヴァ。
「イルヴァの肩に受けた傷が少し深かったんだ」
ヘクターが言った言葉にわたしはあのワーウルフの持っていたシミターを思い出した。今動き回っているということは毒ではなかったらしい。ふう、と息をつく。
「我々も行くか」
走り出す黒い馬車を見ながら、アルフレートが言ったことにわたし達は頷き返した。