養父は語る
「……ミーナが家に来てすぐの事ですね。妙な落書きを見つけたのは妻のハンナでした。春の花が終って、そろそろ植え替えようとしていた植木鉢に「50」という数字があったんです。これ自身は別に二人とも気にしませんでした。私は植木に触らないし、妻も覚えは無いけれど『近所の子供がいたずらしたのかしら』と少し愚痴をこぼす程度で終ったんです。植木鉢に50リーフという値段はおかしいですが、子供のお店屋さんのようなままごとに使われたんではないかと。次に見つけたのは門の隅に書かれた『47』の文字です。これは後から気が付いたんですが……急に数字が飛んだわけではありません。間の49、48は気が付かなかったんです。後から使っていない外箒、郵便受けの足部分にあるのを見つけています。……この時点で『腹の立つ落書き』から『何だか不気味な落書き』に変わりました。何しろ不審な人物は見ていないし、子供の騒ぎ声も特に無かったようですから。誰が何の為に?そんな疑問を少し感じ始めた時です。……数字が減っているって不気味じゃないですか。何と無く」
その気持ちは良く分かる。同じ50のままなら何も感じなかったに違いない。減る数字は直ぐにカウントダウンを連想させるからだ。
「その疑問が大きく膨らんでいったのは次の日でした。玄関扉から門までの飛び石の一つに『46』を見つけた時は流石にどきり、としました。仕事に行く前に簡単に消して、帰ってきたら前述の47、48を見つけていた妻が半分怒ったように、半分怖がるように報告してきたんです」
「あの……何で書いてあったんですか」
少し気になったわたしは質問してみる。
「それが木の実の汁のような……染料の原料っぽいものでした。インクのように鮮明でなくまだらな感があって、でもはっきりと目立つ藍色で」
ローザの体が少し動いた。藍色、というと混沌の神サイヴァを思い出されるからだろう。……まさかそんな物騒な話しにはならないわよね?
「それからは不安が急激に大きくなっていきました」
ユハナさんが話しを続ける。アルフレートが、
「よくわかります」
と呟いた。
「毎日色々な場所で一つずつ数字の減る落書きを見つけました。妻同様私も腹立ちの方が大きかったですけどね。連日のいたずらに妻は相当気が立ってましたから物音には敏感になっていました。私に『昼間では絶対にないと思う。常に表の音に注意していたけど』と愚痴を言っていましたね。逆にそれが私には不安を加速させました。それなら落書きは夜、寝静まった後ということになってしまいます。いたずらにしては随分悪意が籠ったやりかたじゃないですか。……そして新しい展開が起こります。ちっとも望んでいなかったですけどね」
そう言ってユハナさんは苦笑した。
「数字が30になった時です。帰宅した私に妻が泣きそうになりながらすがってきました。『郵便受けにこれが』そう言って一枚の紙片を握らせてきたんです。……実は今日、持って来たんですけど、これです」
そう言ってユハナさんがテーブルに置いた物に皆、身を乗り出す。これといって特徴の無い羊皮紙。大きさはわたしの手のひらくらいだろうか。真ん中にきっちりとした神経質そうな文体で書かれた共通語の文字。
『みつばちは役目を終えて巣箱に帰る』
わたしはぞくりとする背中に身を縮こませると同時に、ミーナの蜂蜜色の髪の毛が揺れる様子を思い出していた。わたし達が神妙な顔になるのを見て、ユハナさんは改めて不安を感じたらしい。眉間に皺寄せ、冷たくなった紅茶のカップを指でなぞった。
「何を想像しました?」
絞り出すような声にわたしは躊躇しながら答える。 「……ミーナの、金髪を」
「そうでしょう、私もでした。妻もです。そして気が付いたんです。落書きが始まったのはミーナがうちに来た日からだったことに。……帰るって何です?ミーナの家はうちなんです。養子に迎えた子を馬鹿にしているんでしょう。こんな悪質ないたずら、早く止めさせたい。いや、止めさせるのもそうなんですが犯人を捕まえたいんです。どうしてこんなことをしたのか、それを聞いてみたい」
段々と冷静さを失い、声を荒げていくユハナさんにアルフレートが咳払いした。ユハナさんははっとしたように顔を赤らめる。
「すいません、良い大人がこんな事に振り回されて、おかしいでしょう?……でも、何故か言いようの無い不安でいっぱいなんです。数字が0になったら、ミーナが消えてしまうようなどうしようもない想像を振り払っても何度もしてしまうんです」
「……ミーナが来た日から、って言いましたよね。今、数字はいくつ何です?」
わたしが尋ねるとユハナさんはわたしの顔を真っ直ぐ見た。どこか縋り付かれている感覚になりどきりとした。
「『10』です。ミーナが家に来て、40日経ったんですね、はは……」
すっかり暗くなってしまったことで、ローザ宅で遠慮無く夕飯を頂くことになったわたし達。ユハナさんの話しをしたかったこともある。
「一月でそんなに愛情たっぷりになるもんかね」
空になったユハナさんの座っていた席を眺めながら、アルフレートが大変彼らしい感想を漏らした。
「一月って人間には結構な時間よお、それに待望のお子さんだったらしいじゃない」
ローザが塩釜にハンマーを入れつつ冷酷エルフに突っ込む。
「養子制度って意外と面倒なんだよ。何度も顔合わせして相性を確かめたりするから」
ヘクターの言葉にわたしは頷いた。だからこそ待望の子供なのだ。
「それより嫌な予感、っていうのをなめちゃいけないわよ?」
ローザが切り分けた魚の塩釜焼きを配りつつ言ったのは、神からの啓示ってやつかもしれない。彼女曰く、信仰者には『インスピレーション』の力で神からの言葉を授かるが、普通の人間に対しても神が気に入った者に対してちょっかい出す、ということが有るそうなのだ。
「藍色の染料、って言ってたわよね。まさかサイヴァ信者が絡んできたりしないよねえ。……ミーナは信者ではないけどフローの教会出身なんだし」
わたしは自分で言いながら首を傾げた。今の言い方だと落書きの犯人はマザーターニアになってしまう。彼女があの孤児院にミーナを呼び戻そうと……と想像するも、あの聖人らしい彼女からそのような想像を膨らませるのはわたしには無理だった。
「藍色の染料であたしも同じこと考えちゃったのよねー」
ローザも溜息混じりに呟いた。アルフレートがにやりと笑う。
「わからんぞ、サイヴァ信者は『警告』に藍色の染料を使うんだ。性格には『ロッドーの実』を砕いた物だな」
木の実を砕いた、ってユハナさんの話そのまんまじゃないか。まさか本当に?と不安が大きくなってきた。
「警告って、……何?」
ヘクターがわたしに尋ねるが、答えるのに躊躇してしまう。
「……教団にとって不利益になる人物の抹殺よ」
ローザが代わりに答える。ヘクターは少し驚いたように目を大きくした。
「抹殺って……、でも警告は与えるんだ?」
「そりゃあ相手に理解させないといけないからね。相手の過ち、自分達の高尚な考えを」
フロロが面白そうに笑い、イルヴァの耳元に顔を近付け「悔い改めよ」と囁く。ローザがそれを睨みつけた。
「言っとくけどフロー神を一緒にしないでね?人間の間でサイヴァ信者は少ないから、そういう過激な方法をとりがちなのよ」
「で、なんでそんなことしてるんですかね、犯人は?」
イルヴァがフロロの頬を引っ張りながら首を傾げる。それを今考えてるんじゃないか、と言いたいところだったが、どこか引っかかるものを感じたわたしは塩釜焼きの魚を喉に詰まらせそうになった。
「……んぐっ……、まあ明日以降色々調べてみたいもんね。フロロ、今晩ミーナの家張り込んでよ」
わたしが言うとフロロは顔をしかめる。
「冗談だろ?俺だって夜は寝たいよ」
バスの中から眺める景色はすっかり夜遅くのものだ。なんだか最近帰りが遅くなってばかりだな、とわたしはぽつりぽつりと浮かぶ外の明かりを見ながら考えていた。
「……心配?」
隣りから声がかかりわたしは向き直る。ヘクターがわたしの顔を覗き込んでいた。わたしは顔が赤くなるのを見つかりやしないか、と慌てて少し彼と距離を取りつつ答える。
「うん……。その、ミーナは妹みたいなもんだし、両親が出来て嬉しそうな様子をずっと見てきたわけだし」
ヘクターにそう答えると彼は一瞬目を伏せた後、わたしの顔を見た。
「あんまり無理はしないようにしよう」
わたしは彼の言葉に驚いて目を大きくした。が、すぐに「もう!」とヘクターの肩を叩く。
「そんなこと言って、目の前で悪魔がミーナ抱えていこうとしたら自分こそ突っ込んでいくくせに」
わたしが頬を膨らますとヘクターは「そうかもしれない」と苦笑した。おし、認めたぞ。
ヘクターがそんな風に無茶をとがめることを言うのは、いつも自分以外の人に対してだ。彼自身は何でも自分でやろうとする。そういう部分が最近見え始めて、わたしは少しもどかしかった。
「明日、ユハナさんに学園に依頼してもらえないかな」
「あ、そっか」
わたしはすっかり忘れていたシステムに手を叩いた。学園に依頼してもらわないと単なる私的な行動になってしまう。時間も自由にならないし色々面倒だ。
「でもそれだと依頼料がかかっちゃうよね。何か言い難いなあ」
わたしが頬を掻いているとヘクターが首を振る。
「大事なことだよ、これから先を考えても」
ヘクターの答えはシビアなようでいて、わたし達のこの先のことをしっかりと考えている意見でもあった。わたしは軽はずみな意見ばかりの自分を反省する。ヘクターの真っ直ぐ前を見ている横顔を気がつかれない程度に眺めた。『これから先』か。この先、どのくらいわたしはこの人と旅が出来るのだろう。ついついにんまりとしてしまう頬をわたしは慌てて引き伸ばした。
「おはよー、っと……」
朝のミーティングルームに珍しく一番乗りだったわたし。おや、いつも一番乗りのローザちゃんは?と思ったところに当の彼女の声が響いてきた。
「おはよーリジア」
廊下を歩いてくるローザと彼女におんぶされたフロロの姿。珍しい組み合わせだ。
「おはよう、どうしたの?」
わたしの質問にフロロがひょい、と顔を出す。
「張り込み、してきたよ。……俺ってば健気な男だね」
ふう、と眠そうな目を伏せるフロロにわたしは慌てて賛辞を送る。
「ほんと!?偉い偉い!で、何か分かったの?」
「それがねえ……」
ミーティングルームに入り、お湯の用意を始めながらローザが説明をしだした。
「夜中に見るからにあやしーい黒ずくめが来たんだって、ミーナのお宅に。で、捕まえようとしたんだけど……」
「捕まえた犯人に振り落とされたんだろ?」
現れたアルフレートが言葉を続けた。
「全く惜しい盗賊だな。その体じゃボーラか何か使っても引きずられるだけだろうしな」
「何もしてない奴が文句言わないの、アルフレート」
わたしが窘めるが、当のフロロは「どうでもいい、寝る」とソファーに横になっている。しかし実際に怪しい人間の存在が浮き彫りになったのだ。それだけでフロロの行動には意味があったし、わたしは不安が更に大きくもなった。
「おはようございますう」
間延びした挨拶と共に入ってきたのはイルヴァ。
「何、今日の格好は?」
「南の方の国のダンサーですよ、どうですか?」
どう、と聞かれても目にうるさいわ、すごい露出だな、としか言いようが無い。わたしがキラキラと光るイルヴァの衣装に顔をしかめているとイルヴァが思い出したかのように口を開いた。
「あ、ヘクターさんは遅れてきますよ」
「え、どうしたの?」
学園までは一緒に来たわたしは少し驚く。
「学園長さんに呼ばれたらしいです」
ぶっ、とローザがお茶を吹く。何も知らされていないらしい。
「何か悪い事したんですかねー、ヘクターさん」
イルヴァののほほんとした声は内容に反して心配する様子は無い。
「それはあり得ないでしょ……。うちらに関して代表して注意、とかならあり得るけど」
わたしは自分で言ってみて、今更彼をリーダーにしたことに申し訳ない気持ちになってきた。