ウェリスペルトを走る闇
人間は一生のうち、どのぐらいの食事を摂れるのだろう。例えばわたしとイルヴァを比べたら確実にわたしの方が少ないであろうし、食の細いアルフレートとは彼が長寿だとしても合計量でいったらどっこいどっこいになるかもしれない。食べる事は幸せだ。なら幸せが多い方が良い。一食をまずい物で終えるはめになると損した気になるし、直ぐにお腹がいっぱいになると勿体ない気がしてならない。
「わかるわ、それ」
わたしの我ながらくだらない話しに、親友は意外にも深く頷いている。
「あたしもたまに思うのよね。一生のうちどのくらい神に祈りを捧げることが出来るんだろう、って」
ローザから返ってきた高尚なお答えに、わたしは頬が引き攣る。違うんだ、違うんだよローザちゃん……。
目の前にいるニヤニヤ顔のフロロとアルフレートをわたしが睨みつけるのと、ローザの家のチャイムが鳴るのは同時だった。暫くするとわたし達のいるダイニングに見知った顔が現れる。
「こんにちは」
少し頬を上気させた少女はミーナ。なぜかわたしに弟子入りした魔術師の卵である。
「こんにちは、ミーナ。ご飯は?」
ローザが聞くとミーナは首を振る。
「お家で食べてきたわ」
「あらぁ、そう。家には別に遠慮しないでね?」
ローザが残念そうに呟いた。
「母ちゃんの飯の方が良いもんな?」
フロロが言うとミーナは嬉しそうに「ふふっ」と笑う。両親の話をされると本当に嬉しそうな顔をする。それがわたし達にも幸福感を振り撒いてくれているのだ。
「ミーナ、リジアの話しは楽しい?」
ヘクターが聞くとミーナは何度も頷いた。ヘクターの隣りでイルヴァが「偉いですねー」と感心している。わたしも昼食に出されたスパゲティーを食べ終わると立ち上がった。
「よし、今日も始めますか!」
わたしはミーナを連れ添って部屋を出る。ミーナの顔には相変わらずわくわくという期待感が溢れていた。わたしは自分の話しでも楽しませる事が出来ているのか、と少しほっとする。ローザが提供してくれた司書室に入ると、部屋の中央にある机に二人で向かい合わせに座る。
「おし、今日は予告してた通り『古代語魔法』の説明にいくわよ」
「はーい」
張り切って手を挙げるミーナにわたしは頷くと、用意しておいた大きめの用紙にデフォルメした人間を書き込んだ。
「あ、リジア上手ーっ」
年下の友人はこんな事でもいちいち感心してくれるのが嬉しい。頭部分に二本の尻尾、ツインテールにすると「あ、私だ」とはにかんだ。
「さて、ここにミーナがいて、その周りを漂っているのが……」
わたしは紙に小さな丸をたくさん書き足していく。
「『マナ』と呼ばれる力の粒子よ」
ミーナはふんふん、と頷いた。
「今もこの周りに無数のマナが漂っているわけだけど、その力を利用するのが古代語魔法。今から何千年も前にこの世界にいた古代人が生活の為に生み出したものね」
「へええ、すごいんだね」
ミーナの感心にわたしも頷いた。
「古代人は今の時代の人間よりもずーっと魔法の解明を進めてた程頭が良かったらしいし、今よりももっと魔法に頼った生活だったみたいよ?だから古代語魔法はすごく幅広い用途があるわ」
「幅広い?」
ミーナが首を傾げる。
「火種を作ったり物を浮遊させたり、鍵を掛けたり鍵を開けたり、……破壊力の大きな攻撃呪文もあるわ」
わたしは言いながら、戦争へとひた走った混沌とする古代文明末期を想像していた。一度世界が滅んだ日、何が起こったのか知る人はいない。一瞬にして人類の大半が消えてしまった時の事を記録する物は無いのだ。それこそ、神に教えを乞うしかないのかもしれない。
「古代人はマナがどういう言葉に反応するか、どういう言葉でどういう力を引き出せるのか、それを理解出来たのね。その知識を今、わたし達が利用させてもらってるわけ」
わたしが言うとミーナは暫く考えるように唸っていた。
「マナが何なのか、わかっていたのかな?」
「そうかもしれないわね……。わたし達現代人にはサッパリなもんだから『古代語魔法』にお世話になってるわけだけど。古代人は生きてく上で色んな場面で魔法使ってたわけだから、詳しくもなるよね」
「だから古代語で唱えなきゃいけなくて、生活に関係あるような呪文が多いのね」
「そうそう、そういうこと。だから覚えるのは大変だけど、色々便利よ。ミーナも火を熾すような呪文覚えればお母さんに喜ばれるかも」
わたしは自分が家のコンロが壊れた際に母親に褒められた呪文をお勧めしてみる。
「そっかあ、そうだね」
ミーナは嬉しそうに、どこか恥ずかしそうに笑った。が、ふと真顔に戻る。
「……ねえ、リジア」
「何?」
「関係無い話しなんだけど、いい?」
ミーナの様子にわたしは大きく頷いた。なんだ、流れからいって家のことっぽいけど……。思わぬ重要な話しの雰囲気にわたしは身構えた。
「お父さんもお母さんも『何でも無いよ』しか言わないんだけど……なんだか様子が変なの。……上手く言えないんだけど、何かに怖がってるような、私をかばってるような感じもするし……」
ミーナの言葉にわたしは思わずきょとん、としてしまう。怖がっているようでいて、かばっているような空気、と。どういうことだろう。
「……怖がってるって、ミーナのことじゃなくて、でしょ?」
「うん、私にはいつも優しいよ。お母さんはいつも私の事考えてくれてるし、お父さんは毎日おみやげ買ってきてくれてお話も面白いし」
ミーナが養子、ということを忘れさせるような幸せ家族じゃないか。わたしは胸がきゅ、とすると共になんだかざわついた。
「……もうちょっと話してくれる?」
わたしが言うとミーナは頷く。
「始めに気が付いたのは……三日ぐらい前かも。夜にお父さんのお話を聞いてたら、外から『コトン』っていうような音がしたの。私は風かな、って思ってたんだけどお母さんがすごくびっくりして声をあげて、お父さんがすごく怒ったの。怒ったっていっても、いつも優しいお父さんにしては、だけど……」
ミーナは思い出すように手を合わせ、指を動かす。
「……『ミーナが怖がるだろう、大げさに驚くな』って言って、お母さんもすごくオーバーに頷いて『そうね、ごめんねミーナ』って……。でもね、もう部屋も薄暗かったけど、二人とも真っ青だったのよ?」
「素晴らしい推理小説展開じゃないか」
アルフレートの感嘆の声にわたしは彼を睨みつけた。
「……でも、本当に心配になっちゃう話しね」
ローザがわたしに紅茶を渡しながら言った。わたしはガトーショコラを飲み込む。
「そうなのよね、ミーナは普通の子より空気に敏感というか……ほら、能天気な子供とはちと違うわけだから、大げさに言ってる気もするけど……でもやっぱり心配よね」
わたしは無意味だと分かっていながら窓の外からミーナの家の方角を見た。もちろんこの場からミーナの家は見えない。ミーナは「お母さんとクッキー焼く約束だから」とすでに帰っている。
「他にも『お母さんが外出を避けてる感じがする』とか、その割にここまで来るのにもお母さんが送り迎えしてるんだって。前は一人だったのに。『お父さんが庭にいることが多くなった』とかも言ってたな」
「庭に?何してんのさ」
フロロの質問は尤もだが、わたしが知ったこっちゃない。
「さあ……、わたしも聞いたんだけど別にガーデニング趣味も無いみたいだし、それにお父さんは帰宅は夜でしょ?夜に水撒いてもねえ……。それでも帰ってくると庭に出て、ぼんやりしてるんだって」
わたしの言葉に皆「へえ……」と何とも言えない返事だ。ヘクターが頬を掻いている。
「朝に植物に水をあげ忘れると、日中じゃ日にやられるから暗くなって水やることもあるけど」
「く、詳しいのね」
ローザが驚く。ヘクターの意外な一面に皆そっちに集中してしまう。
「ヘクターさん、何か育ててるんですか?」
イルヴァも珍しく話しを聞いていたらしい。アルフレートもニヤニヤと笑う。
「良い男は何やらせても似合うもんな。どれ、今度お邪魔してみるか」
「あ、いいね」
とフロロも乗り気だ。
「い、いや、うちは花が多いんで手伝わされる時多いんだよ。……俺の話しはいいよ」
そう言ってヘクターがわたしに「続きをどうぞ」とばかりに手を差し出すが、わたしもヘクターの家の方が気になってしまっていた。
窓からの日差しがオレンジ色に変わった時、アルフレートが立ち上がった。
「うだうだここで話しててもしょうがない。『依頼人』がいないんじゃ事情の聞きようが無いしな」
「帰るの?」
わたしが聞くと謎の笑みを見せる。
「時が来れば動き出す。なに、すぐに分かるさ」
彼がそう呟くように言い終わった時、再びチャイムの音がした。
「おや、思ったより早かったみたいだな」
アルフレートはそう言うと再び椅子に座り直す。まるで家人かのような振る舞いにわたしとローザは顔を見合わせた。すると直ぐにパタパタと廊下から足音がする。続けて開かれる扉。入って来たメイドのメリッサちゃんがわたし達を見回した。
「良かった、まだお帰りじゃなかったわ。皆さんにお客様ですよ」
「俺達に、ですか?」
ヘクターが聞くとメリッサちゃんの後ろから一人の男性が顔を覗かせた。薄茶の髪に柔らかい金の瞳をした男性はぺこり、と頭を下げる。
「ユハナ・ニッコラと言います。あの……ミーナの父です」
わたしはその言葉にはっ、とした。思わずアルフレートの顔を見る。長椅子に深々と腰掛け腕を組んでいる様子を見ると、この展開まで読んでいたといいたいのか?なんつーか、気に食わない。
「今日は俺、泊まり決定だな」
フロロはそう呟くと出窓の枠に腰掛けた。
「突然すいません、ミーナにはいつも話しを聞いています。お世話になっているようで……ありがとうございます」
ミーナのお父さん、ユハナさんは深々と頭を下げた。30過ぎの大分年上に見えるユハナさんは、わたし達のような子供にもきっちり挨拶する出来た人だった。それだけで人の良さが窺える。
「リジアさんというのは?」
出された紅茶に口をつけつつ尋ねるユハナさんにわたしは手を挙げた。
「あなたが……、いつもミーナが嬉しそうに話すんですよ。魔法を教わっているそうで。他にも色々お世話になったと」
その光景を思わず想像してしまい、わたしは気恥ずかしさから頬を掻きつつ「いえいえ」と手を振る。謙遜する気は無いが本当に大したことはしていないのだ。
「こちらのお宅にも大分お世話になっているようで」
「それは本当に気にしないでくださいな」
頭が下がりっぱなしのユハナさんにローザが強めの口調で止めに入る。
「で、どういった用件かな?」
アルフレートがニコニコと切り込んだ。全員同じ気持ちだったとはいえ失礼な態度にイルヴァが部屋にあった火掻き棒でアルフレートの頭をぽこぽこと叩く。
「すいません」
ヘクターが謝るとユハナさんは首を振った。
「いえいえ、こちらこそ皆さんの都合も聞かずに押し掛けてしまって……、あの、皆さんはプラティニ学園の方々だそうで」
わたしは頷きながら、やっぱりそういう事で来たのか、と思っていた。一般の人が学園に用がある時、それは何かを依頼したい時。イルヴァにぽこぽこと叩かれながらもニコニコとするアルフレートの顔は「面白くなってきた」と語っていた。
「ミーナが私達の養子、というのはご存知なんですよね?」
「……フェンズリーにいる時に出会ったんです」
ユハナさんはわたしの答えを聞くと少し驚いたようだった。
「では、あまり説明する必要は無いですね……。ミーナが我が家に来て一月が過ぎました。初めから本当に良い子で、手がかからな過ぎる程だったんですが、最近では本当に家族としての空気が感じられるようになってきたんです」
それはわたし達もよく知っていた。定期的にミーナの家族の話しを聞いてきたのはわたし達なのだから。
「もしかしたらこれから血の繋がりが無いことでの試練が振ってくるかもしれない。私達夫婦が親になって、まだまだこれからですからね……。でも、こんなに早く、しかも外から何か不穏な物が近づいてくるとは思わなかったんです」
ユハナさんはそう言うとふう、と息をつく。わたし達は黙ってそれを見守っていた。




