山に捧げる鎮魂歌
「……で、どうやるんだよ?」
当然の突っ込みをヘクターから受けるとアントンはふい、と横を向く。
「あんたねー……!」
セリスがアントンの耳を引っ張り上げた。呆れる気持ちの中、わたしにある考えが浮かぶ。
「ウインド・ボイス……。ねえ、アルフレート!」
わたしはアルフレートの肩を叩いた。
「バンダレンで祭の実行委員が使ってた精霊魔法!あの声を響かせる魔法で何とかなるんじゃない?」
音楽祭の始まりにわたし達が町の壇上に並ばされた時に係の女性が使っていた魔法だ。わたしのナイスアイデアにアルフレートは顔をしかめる。
「どいつもこいつも他人任せな……」
「ちょっ……、わたしとあいつを一緒にしないでよ!」
アルフレートの嫌そうな顔にわたしはムキになって叫んだ。「あいつってなんだよ!」というアントンの声は無視する。
「こんな屋内で風の精霊のご機嫌取るのは大変なんだぞ?……まあいい、面白い案だ。問題はチャイムの音をどうするかだ」
「少し違う音色でもいいならやるぜ。こっちは弦楽器だがよ」
そう言ったのはフッキさんだった。
「だがな、やるのはヤッキ、お前だ」
「ええっ!ぼ、僕っすか!?」
慌てるヤッキさんにフッキさんは左手を突き出す。その手の中指は腫れ上がっていた。
「これじゃ弦が押さえられねえ。……どうせ弾きたくてうずうずしてたんだろ?」
フッキさんの真っ直ぐな瞳にヤッキさんの顔が真面目なものに少しずつ変わっていった。
「……同じメロディーを弾いていくだけでいいですかね?」
「充分だ」
アルフレートはそう答えると立ち上がった。わたしはちらりとローザの顔を見る。
「……良い雰囲気だから、止めておきましょ」
わたしの視線の意味が分かったのか、ローザは小声で答える。あのぐらいの傷ならローザは簡単に治せるはずだ。だが、水を差すようで二人には黙っていた。
問題は本当にこんなんでヴェラが釣れるのか、ということだった。
暗がりに浮かぶ『ライト』の明かりとアルフレートの精霊語が響く様子は心地好いぐらい美しい。歌うような彼の声に「こういうのは音痴と関係ないのか」と、くだらないことを考えてしまい頭を振った。犬の寝床を出て上までやって来たわたし達。ケルベロスのような姿の犬にびびった場所である。
呪文の詠唱が終わるとアルフレートは隣にいるヤッキさんに合図を送った。ヤッキさんは小さく頷くとギターの弦を弾き始めた。演奏では無いので一本一本を弾いてチャイムの音を模しているだけだが、それが残念に思える程綺麗な音色だ。普段の学園のチャイムは鐘の音だが、こっちに変えればいいのに、と思う。
『二人に届くまでやるので、しつこいぐらいに長く』と予め決めていたのでヤッキさんはかなり集中しているのがわかる。あらやだ、なんだかかっこいい?
が、そんなことは必要無かった程早く動きがあった。わたしの後ろの壁がめこっ、という音を立てて隆起する。わたしは慌てて飛びのいた。土が沸騰しているようにぼこぼこと音を立てる。ヤッキさんも思わず演奏を中断し、こちらを見ている。これって……、もしかして『トンネル掘り』の呪文だろうか。今回わたしが何度となく覚えておけばよかった、と思った呪文だ。
ぼこん、と鍋の蓋が開くような音を立てて壁に穴が完成した。
「……良かったあ、いたよー」
少々土で汚れた顔を出したのは栗色の髪をした少女サラ。後ろにはヴェラの顔もある。
「良かった……、助かったよー」
そう言うとサラはおいおいと泣き出すヴェラを抱きしめ、土煙の中座り込んだ。
「ヴェラを責めないでやってちょうだい。最後に音の場所を探し当てたのはヴェラなんだし」
「何にも言ってねえよ……」
アントンが干し肉を頬張るサラに突っ込こむ。可憐な少女そのものの彼女が干し肉を噛みちぎる姿というのもなかなかシュールなものだ。
「あら、そう?」
サラは無表情のまま口を動かし続ける。……これは遠回しの怒りなのだろうか。そうとも知らずヴェラは夢中で干し肉とわたしの水袋の中身を頬張っている。
「まあそんな事より、どう思う?」
ローザが尋ねるとサラは頷いた。
「……そのビョールトさんの霊体ね?高レベルな知能を保っているのに、無作為な破壊に走っている。明らかにレイス化しているわ。……私も神官の端くれ、放っておけないわね」
「レイス?」
後ろから尋ねてきたヘクターにわたしは答える。
「普段『悪霊』なんて呼ばれ方するのはゴースト、所謂お化けってやつね。それよりも内面からデーモンに食われつつあって、破壊力が強まっているのが……、要するにたち悪いのが『レイス』ってやつよ」
わたしの大雑把な説明に神官職の二人は眉をひそめるが、ここで講義を開いてもしょうがない。次の話題に移った。
「取り敢えず儀式用の魔法陣作らなきゃ」
サラが言うとセリスが間に入ってきた。
「指示出して貰えれば私達でやるから、二人は少しでも休んだ方が良いんじゃない?」
魔法陣を描くのにも微力ながら魔力を消費する。今は極力、消耗を抑えるべきかもしれない。と、セリス達の視線がわたしに注がれているのに気が付いた。
「……やっぱわたし?」
「だって一番元気なんだもの」
ローザは肩を竦める。わたしだって肉体的にはボロボロなんですけど。
「私だってやるわよ。……そこで関係無い、って顔してるエルフさんもね」
セリスはアルフレートを指差した。
「出来たよー……」
憔悴しきったわたし、セリス、アルフレートは神官様を呼びに行く。最後の最後で腰を屈めながら巨大魔法陣の作成という地獄が待っていたとは。こういう時、どういう態度でいるかで戦士達の性格がよく分かる、と済まなそうな顔のヘクターとイリヤを見て思う。
「ご苦労様」
妙に貫禄のある様子で現れたサラは仮眠を取ったせいか肌がつるっ、としたものに戻っていた。
ローザとサラは二人で打ち合わせを始める。話しが専門的で解り難くなってきたところでわたしは漸く腰を下ろす。
「お疲れ様。これからどうするの?」
ヘクターが隣に来て聞いてきた。
「後は二人に任せて、わたし達はお祈りしてれば大丈夫。そういう『想う』力も反映されるから。……問題はどうやってビョールトをここに連れてくるか、よね」
「それは彼がやるよ」
そう言ったのはイリヤだった。わたしはイリヤの傍らにいるビョールトの飼い犬であった彼を見る。
「……そう」
最後まであなたがやるんだね。わたしは初めて頭を撫でた。ふわふわとした毛が指に絡む。それは不思議と温かかった。
ローザとサラの神聖魔法を唱える声が響く。威厳を感じる朗々たる声の合唱。
「こういうのって異教徒同士でも良いんだ?もっといがみ合ってるもんだと思ってた」
フロロが感心したように呟く。
「神殿なんかでも積極的にやるみたいよ、異教徒交流みたいに。まあ牽制の意味が強いでしょうけど」
セリスの言葉にデイビスが「面倒くせえ世界だな」と正直な感想を漏らした。
ローザが片手を上げた。合図だ。名前を聞きそびれてしまった彼が魔法陣の真ん中で遠吠えを始める。ここが坑道内だと忘れてしまう、空へ昇るような声。わたしに彼の感情は読めないが、この時を待っていたんじゃないだろうか。
ヘクターがロングソードに手を掛ける。わたしはそれを手で制した。ビョールトが現れたのだ。空間が歪む突風のような音がした。黒い霧を纏った姿は少し宙に浮いている。黙って飼い犬に近くと頭を撫でた。
「不思議な光景だ」
ビョールトはそう呟く。
「久方振りに『表』に出てみれば、お前が人間と一緒にいるとは」
そう言うと口元が大きく孤を描いた。
「……フレデリクはどこだ?」
彼の言葉に急激に込められた憎悪の色。その瞬間、魔法陣が光を帯びた。生前に魔術の心得が無いからだろうか。力無く窪んだ目で魔法陣を眺めるビョールト。その意味はまだ理解していないように見える。わたしは祈りのポーズを取る。彼はもうすぐ消えてしまうのだ。そう思うとせずにはいられなかった。ローザとサラの浄化の呪文が再び始まる。その声が徐々に大きなものになっていく。
始めはぼんやりとした顔のままだったビョールトが見る見る内に怒りの形相へ変わっていった。いや、怒りではなく苦痛に歪んでいるのかもしれない。いつの間にかわたしの腕を取っていたイルヴァの手に力がこもる。
「嫌だ!また殺されるのか!?」
ビョールトの悲鳴に神官二人の声が一瞬止まった。が、すぐに再開する。ビョールトの悲鳴は終わらなかった。
その悲痛さにわたしの中に突然、怒りのような感情が沸き上がる。
殺された人の悲鳴は、終わることはないのだ。事前に『負の感情は込めないように』とローザから言われていたにも関わらず、わたしは気持ちが押さえられなかった。
生きている間の喜び、この世への希望、明日の天気を気にする時間も、夕餉への楽しみも、来年の自分を想像することも奪われた一人の男。わたしは額に汗が滲み出る。
次第に自分の中で『悔しい』という思いが芽生えたことにはっ、とする。これは……、レイスの能力だ。悲鳴によってこちらの感情を乱している。慌てて顔を上げると、ローザとサラも酷い汗だ。目をつぶり、祈りを続けてはいるものの明らかに動揺していた。どうする?今からでも魔法でビョールトを撃つべきか。ローザ達の消耗にわたしは焦る。アルフレートも同じ事を考えていたようで彼の方は既に何かを唱え始めていた。
そこに聴こえてきたのはギターの音色だった。音の方向を見遣ると座り込みギターを抱えるヤッキさんがいる。彼はただ静かに演奏を続けている。普段の慌ただしい性格など微塵も感じない様子にわたしは見入っていた。
これはレクイエムだ。音楽の教養は乏しいわたしにもわかる。死者へ捧げる鎮魂歌。穏やかに眠りにつくことを促す祈りの歌。教会などで誰もが一度は聞いたことのあるメロディー。
いつの間にかビョールトの悲鳴が消えていることに気が付いた。ビョールトの顔は驚いているようにも見える。戸惑っているようにも見える。ただ、彼を取り巻く黒い霧が徐々に薄くなっていくのははっきりと分かった。足元を見ると茶色のブーツが見える。わたしはあの白骨姿の彼を思い出し、再び祈りを捧げた。
ここにいるべきじゃない。あなたはもう休んでいいの。
魔法陣が今までに無い強い光を放つ。わたしは思わず目をつぶり、顔を伏せた。風が唸る。その間もヤッキさんの演奏が止まることは無かった。