魔犬
「だからどうしてあなたが泣くんです」
ヘクターが珍しく呆れたように言い放つ。
「だって……、情けないけど怖くって……。もしもの事が起きたら、僕はどう謝罪すればいいのか……」
歩きながらメソメソと泣くのはヤッキさん。こんな乙女キャラの立ち位置はわたしに譲って欲しいところではあるが、わたしはヤッキさんの背中を擦りながら歩いた。それを横目にヘクターは続ける。
「危険は承知に決まってるでしょう。あなたが気にすることじゃない」
ヘクターはふう、と息をつくとヤッキさんに振り返る。
「俺の方こそ、さっきはどうしようもなく甘かった。あの場でやられていたら、責められるのは俺の方だ」
アントンがわたし達を惨殺、なんてあり得ない事と思いたいのだが、それでもヘクターはわたしとヤッキさんに深く頭を下げる。ヤッキさんは更によよよ……と涙汲む。
「無事だったんだからいいじゃないっすか……。僕が連れてきたんだし、僕が悪いんす……」
もしかしてずっとこのノリに付き合わされてるのか。ヤッキさん、明るい時は底抜けに明るいのに一度ネガティブのスイッチが入ると弱いようだ。ヘクターの疲れきった顔にわたしは同情した。そこでふと思い出すのが不気味な音のことだった。わたしは二人にも尋ねることにする。
「ちょっと前に変な音がしてこなかった?」
ヘクターとヤッキさんは同時にはっ、としたような顔をした後頷く。
「鐘みたいな……鈍い音だろ?」
ヘクターが言うとヤッキさんは嫌なものを思い出すように首を振った。
「僕は無駄に耳が良いもんで……吐きそうになりましたよ……」
音楽家であるヤッキさんにはあの音の乱れは堪えただろう。
「終った後、虚無感みたいなだるい感じにはならなかった?」
わたしが尚も聞くと、二人は顔を合わせた。
「かなり不快にはなったけど、そういうのは無かった、かな?」
ヘクターとヤッキさんは首を傾げる。アントンも特に言ってなかったな……。わたしだけだったんだろうか。
薄暗い道はまた狭いものに変わっていった。転がる石に足を取られるとヘクターがよろける体を受け止めてくれる。
「大丈夫?」
「あ、ありがとう」
先程までのアントンとの行中を思い出し、扱いの違いに顔がにやけてしまった。
「疲れたっすね。足に来てるんじゃないっすか?」
ヤッキさんが声を掛けてくれるが、わたしは疲れが飛んだような気持ちになりヤッキさんの肩を叩いた。
「大丈夫!がんばりましょう。きっとその内フッキさんに会えますよ」
「そ、そうっすか?」
わたしの押しに引いたのか、ヤッキさんは頬を掻いている。
少し大きな段差が現れ、ヘクターがわたしの手を取ろうとしたのか手を伸ばしてきた時だった。三人同時に顔を上げる。
うぉーん……うおーん……うおーん……
「まただ……」
不快音の連続にヘクターが眉間に皺寄せる。ヤッキさんが不安そうにわたしとヘクターの腕を取った。
「何なのかしら……」
答えなど返ってくるわけがないのだが、わたしは口にせずにはいられなかった。それ程、人の不安感を煽るような音だ。ヤッキさんがぎゅっと目をつぶっている。先程の時より音が大きくなってきた気がする。発生源が近いのか?わたしが辺りを見回したその時、正体不明の音をかき消す爆発音がする。一瞬にして霞む視界と熱気にわたしは声にならない悲鳴をあげた。爆風に体を取られそうになる。
「……う、く……」
奥歯を噛み締めながら、ゆっくりと目を開けていった。もうもうと立ちこめる土煙。ぱらぱらと小石の粒が地面に落ちる音。徐々に視界がクリアになっていくにつれて、爆発の原因がわかってきた。歩いていた通路の少し前方、大きな横穴が出現しているのだ。そこからひょい、と顔を出したのはよく見知ったエルフの顔。
「あ、アルフレート!」
わたしはふいに出現した彼の名前を叫んだ。が、
「……ちっ、ここじゃなかったか」
それを無視して顔を引っ込めるアルフレート。おい!
「ちょっと、アルフレート!」
わたしは未だ煙が漂う横穴から顔を出すと、さっさと立ち去ろうとするエルフの男に呼び掛けた。
「なんだ?」
普段と全く変わりない様子で聞かれ、わたしは頬がひくつく。
「なんだ、じゃないでしょうが。せっかく再会出来たっつーのに!」
「再会って、大袈裟なやつだな。たかだか一日別れてただけじゃないか。同じこの廃坑内にいるのは分かってるというのに」
「そういう問題じゃ……って、一日ぃ!?」
わたしは時間の流れにぎょっとした。そりゃ足も痛むはずだわ……。
「見ろ、お前がギャースカ騒いでいる間に音が止んでしまったじゃないか」
アルフレートの舌打ちにわたしは辺りを伺う。本当だった。いつの間にか音は止んでいたのだ。
「音の発生源でも探していたのか?アルフレート」
ヘクターも穴を通りやって来る。
「早いとこ何とかしておかないと、あれは少々まずそうだからな」
アルフレートが言った答えにわたしとヘクターは顔を合わせた。
「あれ、何なの?」
わたしが聞くとアルフレートはわたしの顔をじっと見てくる。その眼光の鋭さにわたしはのけぞる。
「……お前は大丈夫そうだな。まあ化け物じみた魔力の持ち主だから当たり前か」
その言葉に潜む意味に、わたしはヒヤリとした。
「魔力を……奪うの?」
アルフレートは黙って頷く。わたしの頭にローザ、サラ、セリスが順に浮かんでいった。
「大変……、大丈夫かな」
人の体に宿る魔力は生まれつき個人差があり、全く無い人もいる。そしてなぜか『持っている』人間は魔力を消耗すると疲労感に襲われるのだ。激しい消耗では意識を失うこともある。魔力を持たない人間にはなぜ無関係なのかは分かっていない。
「かなりグロッキーになってるかもしれないな」
アルフレートは淡々と言う。
「そんなこと冷静に言わないでよ……。どうしよう」
「だから今、発生源を探していると言ってるだろうが」
アルフレートは「馬鹿め」とわたしを睨むとまた歩き出す。わたし達はヤッキさんを呼び寄せると慌てて後を追いかけた。 「頭痛いっす、ぐふう……」
ヤッキさんはわたしに腕を引っ張られながらぼやく。
「フロロも心配だな」
ヘクターがわたしの顔を見た。フロロも音楽的なものでは無いにしろ、とにかく耳が良い。わたし達以上に音のダメージは受けているはずだ。わたしはセリス達といる時に出会った鎧の男の言葉を思い出す。化け物がいる、その言葉からこの世のものではない生き物が魔力を吸い込む光景を想像してしまった。
それを肯定されるかように少しすると、一人のローブ姿の人間が倒れているのを発見してしまった。一人うつ伏せに倒れる男性を見てわたしは息を飲む。ヘクターが抱き起こすとアルフレートが手を出した。その手は淡い光で包まれている。男性ののど元より下辺りに突き付けると光が男性へ吸い込まれていった。魔力譲渡だ。驚くような技では無いが、不器用なわたしには出来ないことだったりする。
男性がゆっくり目を開ける。わたし達の顔を見回すと慌てて起き上がるが、ふらついている。
「すまない……、魔力が減退するような感覚はあったんだが、倒れてしまったんだな」
「あなたはもうリタイヤするべきだ。ここにいると危ないぞ」
アルフレートが言うと男性は困ったように頬を掻いた。
「そうしたいのはやまやまだが、すんなり出られるかどうか……」
「ここからまっすぐ、脇道に入らず進んで突き当たったら右。その後の三つ又を左に行ったら崖の上だが空を仰げるさ。『レビテーション』ぐらいは使えるのだろう?」
「え、え、え?スマン、もう一度頼む」
男性の返答にアルフレートは露骨に嫌な顔をするが、嫌味な程ゆっくり言い直す。
わたし達は頭を下げながら来た道を戻っていく男性を暫く見届けた後、再び歩き出した。
「気をつけろ、何かいる」
アルフレートが坑道の奥を見てわたし達に言った。わたしは彼がこんな風に注意を促すことが滅多にない為、必要以上に固く身構える。かなり広くなった先の方にうごめく影があった。
「何すかね、アレ……」
不安そうなヤッキさんの声にわたしは振り返る。
「ヤッキさんはここでわたしと一緒にいましょう」
残りの二人に丸投げするような発言だが、それが一番なのだからしょうがない。案の定、二人はわたし達を手で止めるようなそぶりの後、ゆっくりと広まった奥へと進んで行く。ヤッキさんがわたしの手を震える手でぎゅっと握る。何とも乙女な反応にわたしは逆に少し冷静になった。
「犬……?」
ヤッキさんの呟きにわたしは背筋が凍る。あのでかさで犬の姿といったら、魔界の番犬ケロベロスがまず浮かんでしまったからだ。物語の中で歴戦の勇者が苦戦するような伝説のモンスター。近寄るだけでマズイんじゃ……。それでも暗がりに進み続ける二人にわたしはこくん、と唾を飲む。アルフレートは暗がりで目が効くはずだし、きっと大丈夫、だよね。
突如、ぶおお、というような獣の声が響いた。息を吐く度に小山のように大きな犬のシルエットが浮かび上がる。吐く息が発光しているのだ。威嚇するように地に足を踏ん張る姿は美しくもある。
「わわわ、何ですか!大丈夫ですか!二人は!?」
ヤッキさんがじたばたと暴れるがわたしには答えようがない。ケロベロスなのか、別のモンスターなのか。ケロベロスなんて見た事もないのだから咄嗟の判断などつかない。
かっ、と一段と激しい光が広がった。魔物の口から青白い炎のようなものが吹き出される。この炎を吹き出す能力が小さな頃に読んだ本の挿絵を思い起こす。これって、やっぱりケロベロスなの!?
わたしがヤッキさんの手を握る力を強めるのと、アルフレートの作り出したシールドのようなものが炎を四散させるのと同時だった。ほっと息をつくとアルフレートが踵を返し、こちらに帰ってくるではないか。それを横目で見ていたヘクターも慌てて後ろ向きに下がる。
「ち、ちょっと……」
わたしが予想外の事に動揺しているとアルフレートがわたし達のいる通路に帰ってきた。
「やばいやばいやばい」
「ちょっとお!自信満々に出て行ってそりゃないでしょ!大体ヘクターを見捨ててこないでよお!」
「あんなのいるなんて聞いてないぞ」
「誰が知ってるんだ!あんなのいるって!」
わたしとアルフレートが言い合ってるとヤッキさんが間に入る。
「違う道を探しましょうよ。あんなの危ないっす!」
そう言ってヘクターにも必死に「帰ってこい」と手招きした。その時、後ろから声がかかる。
「何とか出来るかもしれないぜ」
聞き覚えのある声にわたしは一瞬固まった後、勢いよく振り返った。そこへ首が折れるんじゃないかと思う程の勢いで抱きつかれる。
「リジア!」
「イルヴァ!無事だったのね!」
わたしが顔を上げると珍しくイルヴァが顔を歪ませていた。
「良かったですう。リジアが岩にぺちゃんこにされたと思っちゃいましたあ」
「だから言ったろ?絶対無事だって」
そう言いながら姿を現したのはデイビス。後ろではセリスが手を振っている。
「はあい、リジア。大丈夫だった?」
わたしは笑顔で頷くと、始めに発言した人物を見た。
「どうにか、ってどうするの?イリヤ」
わたしの言葉にイリヤが前に出る。頬を掻きつつわたし達を見回した。
「半々ぐらいの確立だと思って、あんまり期待しないで欲しいんだけどね」
そう言いながらもイリヤの顔には自信のようなものが浮かんでいるように見える。彼は肩を竦めた後、奥にいる魔物を覗くように前を見た。