バーサーカー
「……もう疲れたよー」
わたしは痛む足を引きずるように押し進めながら呟いた。虚しいかな、人は疎かモンスターにまで会わない始末。ただ自分のライトが照らす中をひたすら歩き続けてきた。一体外の時間はどのくらいになっているのだろう。物語なんかでは『表に出ると思った以上に時間が流れていて』なんてよく出てくるものだ。相当遅い時間かもしれない。お腹も空いたし、喉も乾いた。
「ちょっと休もうかな……」
良いタイミングで現れた古い木材の山を見つけ、わたしは腰掛けた。
「はああ~……」
足の裏がじんじんと痛い。足を伸ばしたことで急に睡魔がやってくる。いかんいかん。
……これって、ダンジョンで迷った、なんて格好いいもんじゃなく『遭難』したって言わないか?自分が白骨になった姿を想像し、頭を振った。
もう誰でもいい、モンスターでもいいや、生き物に出会いたい。……やっぱ話しが通じる方が良いかな?皆は今どうしているだろう。ローザ、イルヴァ、アルフレート、フロロ……。ヘクターとヤッキさんは無事なのかな。ヘクターが一緒だもん、大丈夫だよね。……もしかしてもう、フッキさんが見つかって、町に帰ってたりしないよね?ああ、駄目だ。どんどん不安になる。
ヘクターの銀色の髪を思い出し、不覚にも涙が滲んで来た。どうしよう、もう会えなかったら。でも今会うのも恥ずかしいな。髪もドロドロ、体中泥と汗まみれだ。……なんてこと考えてたら、向こうからやってきてくれたりしないだろうか。
ぼんやりと考えていると、向こうから朧げに見えた光に一瞬にして頭が覚醒する。ヘクターかもしれない。違うかもしれない。でも、明かりを持っているということは人であるということだ。わたしは立ち上がった。よろよろと近づいていくと光の大きさが少しづつ大きくなっていく。
シルエットがはっきりしてくると、わたしはこんな状態でも会いたくない人間もいるのだな、と知る事になった。
「げ、お前かよ」
向こうもわたしを見て露骨に顔をしかめる。細身の体にカタナを差し、手には魔晶石の『ライト』を持っている男。緑色の頭は見間違えようが無い。アントンだ。向こうにも分かるようにわたしはがっくりと肩を落とした。
「こっちの台詞よ。ようやく会えた人影があんただったとは……」
もはやアントンに対してではなく自分への独り言のような声しか出ない。それでも彼にはばっちり聞こえていたようで、アントンは目を吊り上げる。
「可愛いげのねえ女だな」
アントンの言葉にデイビスから聞いた話を思いだした。話に出てくるアントンの好きな子って、可憐で弱々しい子だっけ。ファイタークラスにそんなタイプがいること自体不思議だが、だからこそ良く見えたのかも。
なんてどうでもいいことはさておき、とわたしは先に進もうとする。アントンが来た方向に行くのは嫌味っぽいがしょうがない。
「おい、そっちは行くな」
「……なんでよ」
わたしが睨むと意外にも真顔で答える。
「危ないんだよ。色々と。まともに進めないと思うぜ」
そう言われてわたしは困ってしまった。アントンが危ないという所をわたしが無事潜り抜けられるとは思えない。が、来た道を引き返すとなるとアントンと同行することになる。うーん。
「大体でいいから道案内しろよ。来た道ぐらいわかんだろ?あんたが来た方には目的の物は無いってことなんだろうから」
アントンの方が大人、というまさかの自体にわたしは密かに歯軋りした。ここは大人しくしたがっておいた方が良さそうだ。
「わかったわ。分岐には全部印が付いてるから、迷わないと思う」
わたしは疲れた足を隠しながら、颯爽と歩き出した。
「纏めて来い!うすのろどもがっ!」
アントンがおっそろしい叫びと共に振り回した刀が、ワーウルフの腕を切り落とした。数では圧倒しているワーウルフ達もアントンの勢いに押されっぱなしだ。わたしはバーサーカーと化したアントンをただボンヤリと眺める役になっていた。だって下手に手を出すと怒られるし。
ワーウルフの吠える声が怒りというよりは悲鳴に聞こえ出した時、アントンにも疲労の色が見え始めたことにわたしは気が付いた。少し躊躇した後、わたしは呪文を唱えだす。残り二匹になったワーウルフが同時にアントンへ攻撃を繰り出した。一匹はアントンの返り討ちに会い、もう一体に向けてわたしは呪文を放つ。
「ライトニング・ボルト!」
電流がわたしの手の先から伸びる。激しい光と弾ける音がワーウルフに絡み付き、体が跳ねた。そこへアントンの刀が走る。体の中心を貫かれ、ゆっくりと地に伏せるワーウルフ。
アントンは肩で息するのを隠すようにわたしから横を向いた。それを見るとわたしもどこを向いていいのか分からなくなってしまう。はあ、この空気、何とかならないかな。妙に殺伐とした雰囲気に押し潰されそうだ。わたしも疲れを見せないようにしているのは同じだけに声を掛け辛かったりする。
「助かった」
ぽつり、呟いたアントンの言葉にわたしは顔を上げた。アントンはただ空を見つめたままこちらを見ようともしないが、わたしは苦笑すると「いえいえ」と返す。
「行くぞ」
ぶっきらぼうに言うとさっさと歩き出した。わたしは少し距離を置きながら彼の後をついていく。足が痛くて妙な歩き方になっている今、この方が気が楽だ。しかしセリス達三人に続いてアントンに会うとは。あとはサラとヴェラに会えればフルコンプだわ。などと考えていてはっ、とする。
「そういえば、なんでサラ達と一緒じゃないの?」
わたしの質問にアントンは忌ま忌まし気に舌打ちした。
「変な魔法陣に飛ばされたんだよ。……あの盗賊、何の役にもたたねえ」
あれにひっかかったのか……。それにしてもヴェラって……色々心配になる娘だ。わたしはあのトラップを踏んで、行き先がこの廃坑内への移動で済んだことを慰めようか迷う。その時だった。
うぉーん……うおーん……うおーん……
微かな風と共に広がる音。羽音にも似た不気味な音色。
「な、なんだよ、これ」
アントンがわたしを見るが、わたしにも答えようがない。音は耳からお腹の底に入ってくるようだ。心臓の鼓動が早まる。なんだろう、この音、すごく不安になる音だ。鐘の音のような綺麗さも無い。人口的にも感じるが、すごく無機質な音。音は徐々に大きくなってきた。わたしは不安から手を固く握る。
わたしとアントンはただ立ったまま成り行きを見守っていた。それしか出来なかったからだ。音の発生源など見当たらないし、たぶん坑道全体に響いているんじゃないだろうか。
「……止まった」
急に音が止んで、わたしは逆に不安が増す。次の展開が起こるような気がして。しかし静まり返ったままの坑道内に、アントンの溜息が響いた。
「何もねえみたいだな……」
アントンも不安はあったようで、刀を握りしめていた。わたしは頭に残った音の残骸に首を振る。まだ聞こえているような気がしてしまうのだ。それに、妙に体がだるい。疲労感はとっくにピークまできていたのだが、それに加えて無気力感が湧いてきていた。
これって……精神力の減退?わたしは嫌な予感に仲間の無事を祈るしかなかった。
ぱちん、とアントンがカタナを仕舞う音が響く。
「少し休まないか?」
たった今倒したグール達を見下ろしながらアントンが提案してきた。わたしは首を振る。それを見てアントンが露骨に顔をしかめた。
「俺が休みたいわけじゃねえよ。あんたの足が痛んでるのは俺だって気が付いてるんだ」
アントンはまくし立てると、わたしの足を指差す。それでもわたしは首を振った。アントンが何か言おうとするのを手で制するとグールの動かなくなった山を指差す。
「どんなに疲れていても、こんなのを目にしながら休むなんて御免よ」
そう言い放つと先に見える岩場を指した。
「あっちに行きましょ」
「可愛くねえなあ」
けっと悪態つくアントン。可愛くない可愛くないうるさいな。
わたしはなるべくグール達の山から離れるとゆっくりと腰を下ろした。冷たい岩肌が気持ち良い。わたしがブーツを脱いでいると隣りにアントンが座る。ゆっくりと唱えるわたしの呪文を聞いて少し驚く。
「回復も出来るんだな」
「出来ないよりマシ、って程度のね……『キュアネス』」
白魔術の一番基礎の魔法を唱え終わると、足に当てた。こんな呪文でも大分楽になってくる。
「あんた、あいつの前でもそんな態度なのかよ」
わたしの半分あぐらをかいた状態がお気に召さなかったらしく、アントンは眉を寄せた。足を治してる間ぐらい良いじゃないか。
「さあね……。まああんたより数倍良い人だから、こっちの態度も良くなるわよ」
アントンの言う『あいつ』をヘクターだと解釈して答える。
「良い人、ねえ」
にやりと嫌な笑いを浮かべるアントンをわたしは睨んだ。
「良い人よ。いつも皆の事を考えていて、優しい。……つーか女に振られたぐらいでネチネチと、女々しい奴ね」
ふん、とわたしは鼻を鳴らす。が、アントンは一瞬の間を置いた後、
「はあ?何の話ししてんだ、あんた」
呆れたような顔をした。あ、あれ?違うの?ちょっとした弱みを握ったつもりでいたわたしは内心、動揺する。くそう、イリヤにデイビス……、と理不尽な恨みを持つわたし。誤魔化すように反対の足を治療することにする。
「おい……」
アントンが苛ついたように声を出した時、わたしは動きを止めた。
「……何か聞こえない?」
「はあ?おい、誤魔化すなよ」
「違うわよ!本当に聞こえるんだから」
「……さっきの音じゃないだろうな」
アントンが言うのは先程の不気味な音の事だろう。しかし、わたしの耳に聞こえてきたのはもっと聞き覚えのある人の声だった。
「ヤッキさんだわ!」
彼の必要以上に元気な声が一瞬、聞こえてきたのだ。ヤッキさんがいる、ということはヘクターが一緒にいるはず!
わたしは思わず駆け出した。……つもりだった。後ろからの力にがくん、とひっくり返りそうになる。
「ちょっと……!」
わたしはアントンと自分の右腕を掴む彼の右手を交互に睨んだ。信じられない彼の行動にわたしはパニックになる。腕を振り払おうとするわたしと、それを拒むアントンとで争っていると背後から声がかかった。
「リジア」
呟くような声でも、はっきりと響くヘクターの呼び声。わたしは掴まれる腕はそのままに振り向く。一番会いたかった人の姿にわたしは思わず涙ぐんでしまった。
「ど、どおしたんすかあ!?」
ヤッキさんの驚いた声を聞いてヘクターがはっ、としたようにロングソードに手をかける。わたしはアントンの行動の意味が少し理解出来てきたことで更に動揺した。
「な、何か物騒なこと考えてない!?」
わたしがアントンに叫ぶと、彼はにやりと笑う。しかしアントンの暗い目の光にわたしは背中が冷える。
「リジアさん、無事だったんすねえー!」
駆け出そうとするヤッキさんに、後ろから声が響く。
「リジアの手を放すんだ」
ヘクターの声に、はしゃぎかけたヤッキさんの動きが止まる。静かで冷静な、でもとても冷たい声にわたし、そしてヤッキさんもヘクターの顔を見た。その目にあるのは怒りなのだろうか。アントンといい戦士の真剣な目には言いしれない力がある。見てはいけないような、そんな気持ちにさせる。
「良い顔するじゃねえか」
アントンは笑うような声でそう言うと、わたしの腕を引っ張った。
「な、何……」
抱きつかれる形で背中に腕は回されて、わたしは混乱する。
もしかして、連れ去られる!?
そう考えた時、わたしは今まで以上のパニックを引き起こすことになる。アントンが口を突き出し、顔を近づけてきたのだ。
『ぎゃー!』
わたしと、なぜかヤッキさんの悲鳴が重なる。わたしは渾身の力で腕を振り回すとアントンの顔を引っ掻いた。
「いってえ!」
アントンの力が緩み、体が自由になる。その動きは少しわざとのような気がしたが、わたしはヘクターとヤッキさんの元へ走った。
「危ないっす!」
ヤッキさんの悲鳴混じりの声にわたしは後ろを振り向く。アントンが刀を抜いて迫って来ているではないか。ち、ちょーっ!まさか斬られる!?
わたしが地面に転がるのと、剣がぶつかる硬質の音が響いたのは同時だった。慌てて振り返るとヘクターとアントンがお互いの武器を合わせている。
「その目を待ってたんだよ!」
アントンが吠える。激しい打ち合いが始まってしまった。
「り、リジアさん」
ヤッキさんに手を貸してもらい、わたしは震えながら立ち上がる。
わたし達は二人の攻防を見守るしかなかった。アントンが隙だらけにも見える体勢から刀を振り回すと、ヘクターがそれをソードではじく。彼の反撃もアントンの身のこなしに避けられる。
「な、何なんすか……、あの人」
ヤッキさんが震える声で聞いてきた。聞かれてもわたしにはどう答えていいのか分からなかった。わたしにも分からないからだ。アントンという人が。どうしよう、止めさせなきゃ。どうする?どうすれば……。
「ど、どうしよう」
ヤッキさんのあわあわとした声にはっ、とする。ヘクターの頬から、アントンの腕から赤いものが走っているではないか。二人の銀色に輝く刃が暗がりに光る度、赤い鮮血が飛び散った。一瞬頭が真っ白になるが、無意識のうちにわたしは呪文を唱え始めていた。
「くそっ」
アントンの呟きが漏れる。何度目かわからない金属のぶつかる音が耳に響いた。
「なぜ本気で来ない!?」
アントンが叫ぶのと、ヘクターの剣が空に弾かれるは同時だった。「きゃっ」という小さな悲鳴を漏らし、ヤッキさんが手で顔を覆う。
からん、とヘクターのロングソードが地面に転がる音。静寂が広がる。
「……くそ、良くて相打ちか」
アントンがわたしを見た。ファイアーボールをあとは撃つだけになったわたしは、涙でぼやける視界から二人の見ていた。ここで撃ったら4人とも巻き添えだ。それでも、わたしは撃つつもりでいた。アントンがどこまでわたしの考えを読んでいたのかなんてわからない。それでも彼はヘクターの首元に構えていた刀を下げる。
「くそっ」
最後に吐き捨てるとアントンは暗がりの道を走っていってしまった。逃げるように去って行くアントン。それをわたしは目で追うことも出来なかった。
彼の足音が聞こえなくなってから、ヘクターが溜息をつきながら剣をゆっくりと拾いあげる。ぱちん、と鞘に仕舞うと首を振った。そしてわたしの方を見た。わたしは魔法を破棄する為に手を振るような仕種をする。ばうん、という音に弾ける光と煙のようなものが漂った。それを見届けてから、ヘクターがわたしの手を取る。
「……怪我は?」
少し赤くなっているわたしの手首を見て、顔をしかめる。自分こそ血だらけじゃないか。わたしは頼りない自分の回復呪文を唱えると、ヘクターの頬の傷に当てた。その手を更にヘクターに取られる。
「……ごめん」
わたしは背中に感じる彼の腕と、耳元に響く声でようやく体に血が通い出すのを感じた。
「ごめん」
わたしを抱きしめながら再び謝るヘクターの上着を、わたしは強く握りしめた。