嫌味なメガネ
わたしは不器用な人間なのだろう。
三期生に上がる日、年度初めの学園に登校するバスの中で初めて彼を見かけた。驚くほど綺麗な顔の少年に、わたしは初めて人の顔をじっと見るのが恥ずかしいと感じた。目が合うかもしれない、と考えただけでもう一度彼の方を振り向き見ることが出来なくなってしまった。
二週間後、クラスメイトの噂好きが話しかけてきた。
「ねえ、今年からファイタークラスに入ってきた人で、びっくりするくらいかっこいい人がいるの知ってた?」
とっくに知っていた。なぜならわたしが会った日が、彼の初めての登校日だったのだから。
話しをしてきたクラスメイトは一期生の時も同じクラスで、初年度の恒例行事『懇談合宿』の時も一晩中、恋愛話をしているような子だった。好きな人を聞かれたわたしは「全員好きな人がいる」という事実に面食らっているような遅れた状態で、無理やり近所の生まれたばかりの男の子の名前を出すような有様だった。十二になったばかりの歳の苦い思い出だ。
転入生の話題に盛り上がるクラスメイトに、曖昧にしか返事が出来ないわたしだったが、一つ誇らしいことがあった。住宅地と少しずれた場所に家があったわたしは、通学路が同じになる同級生がいなかったのだが、噂の彼とはよく行き帰りが同じになった。同じバスを使っている、というだけで優越感に浸れたのだ。
「ヘクターって剣の腕前も凄いんだって!」
一月後、クラスメイトの噂話で初めて彼の名前を知ったわたしは、早くも優越感が崩れ去った。この頃になると何かしら理由をつけてファイタークラスの校舎に入り込むクラスメイトが沢山出てきた。わたしはそれを羨ましく見ながらも、興味が無い振りをした。「話し方が優しい」「目が綺麗」など騒ぐ声の中、「でもちょっと近づきがたいよね」という意見にほっとしたわたしは、きっと褒められた性格ではないだろう。
魔術師科二クラスとファイタークラスには見えない壁があった。前者には女の子が多く、後者は男の子ばかりだからだ。それに目指すものが180度違うというのは共通の会話が生まれない。でもきっと彼がソーサラーを目指す人物だとしても、わたしはずっと話しかけられないままだったに違いない。現に噂話の輪にも入れず、彼と仲良くなった女の子がいないかどうかに耳を澄まし、いないと分かるとほっとしているような嫌な子だった。
二月後、わたしも初めて彼の声を聞いた。帰りのバスの中、彼が席を譲ったおばあさんは大きな荷物を抱えていた。
「どこまでですか?」
「悪いわ、そんな」
「いいんです、ちょうど俺も降りる所だから」
そう言っておばあさんの荷物を持ち、足取りのゆっくりなおばあさんと共に彼が降りて行ったのは、いつも降りるバス停の二つ前だった。帰ってから練習した「昨日見てました。偉いですね」という台詞が使われることはなかった。
背の高い彼は学園のどこにいても目立ち、常に遠巻きに見ている女の子がいた。それを更に遠巻きに見ているわたしに、彼に近づく機会など一生無いんだろうな、と思い始めていた。
人生何があるか分からないものだ。たった十五のわたしにそれを教えてくれたヘクターが、今隣りに座っている。緊張から話し掛けることはおろか、頭の天辺から指の先まで動かすことが出来ない。そのわたしの空気が伝わっているんだろう。彼の方も居心地悪そうに顔を触ったりしているのが、気配で分かる。
「やだお母さん、荷物忘れてるよ?」
そんな声と人の降りるばたばたとした雰囲気に顔を上げると、普段ヘクターが降りている停留所なのに気がついた。
「あ!ちょっと、こ……」
ここで降りなくていいの?と聞こうとするが、慌てて抑える。これじゃまるでいつも見ているのを教えるようなものだ。そして今の動きで初めて間近で顔を合わせてしまった。そのまま再び固まってしまう。
「あ、俺の降りる所は気にしないでいいよ」
そう微笑む顔に頭がくらくらする。なんでこんなにいい人なんだろう。せめて黙ったままなのは何とかしたい、と回らない頭から無理やり会話を引き出す。
「い、いつもはこんな遅いわけじゃないの。今日はたまたまで、何か色んなことがあった日だったから」
自分でも何言ってるのか分からない。漸く出てきた台詞が意味の無い自分語りとは。カバンの持ち手をぎゅうぎゅうと握りしめた。
「うん、知ってる」
「え?あ、そうかあ、はは」
汗をかきながらヘクターの答えに頷くが、少し首を捻る。何を知ってると言ったんだろう。もしかして『色んなことがあった』に対して言ってるんだろうか。もしや今日の演習場の騒ぎの事を……、と流す汗が冷や汗に変わった。
横目に見えた窓の外の景色に再びはっとする。自分の降りる停留所だ。
「あ!降ります!降りまーす!」
わたしは立ち上がり、いつもには無い大声を上げながら手を上げる。前に座るおねえさんにくすりと笑われてしまった。
「家、どっち?」
バスを降りるとすぐに聞かれる。ここまで来るとやたら遠慮する方が『嫌がってる』と取られるかもしれない。わたしは真っ直ぐ自宅の方向を指差した。
窓からの光に加え、役所の人が毎夕、街灯に施す魔法の光が足元を照らす。でもきっと変な歩き方になっているはずだ。学園の入学式、家に帰ると母親に「アンタ、足と腕が左右同じの出してたよ」と言われたことを今思い出してしまう。
停留所から家が近いことを今日より残念に思ったことはないだろう。何か会話を!と焦る内に家の前の通りまで来てしまった。
「あの、家そこです。すぐそこ」
「あ、近いんだね」
せめて最後くらいは会話を続けさせたい。しかし『ええ、近いしか取り得が無いんです』『近いだけで狭い家なんです』など、自分でも無いな、と思う台詞しか浮かんでくれない。せめてお礼だけは言い忘れないようにするぞ、と拳を握る。
「毎日長い距離帰ってるんだとしたら大変だな、って思ってたんだ。いつもカバンが重そうだったから」
「ありがとう……え?」
噛み合わない会話に思考が止まる。何の話をしたんだろう、とぼんやりしていると、ヘクターは軽く手を上げた。
「じゃあ、また明日」
言い終わるなり去って行ってしまう彼の影を見ながら、わたしはまだぼんやりとしていた。
翌日、わたしは頬杖つき教室の窓から見える景色を眺めていた。自習時間なので咎める人もいない。午前中の陽射し強い景色にひたすら酔いしれる。
なんて美しい学校なのだろう。白い校舎は光を反射し、輝いて見える。学園長の趣味で植物が多いのも良い。グラウンドには今日も鍛練を続ける戦士達の姿。
「素晴らしき我が学び舎よ……」
「何言ってんだよ、気持ち悪い」
その声に振り返ると、眉を吊り上げたロレンツが立っていた。
「何?」
「あのなあ、レポート出してないのお前だけなんだよ。折角の自習なんだから今終わらせてくれ」
溜息交じりの呆れた声に彼の手元を見ると、他の生徒が提出したらしきレポートが束になって積み上がっていた。わたしは慌ててカバンを探る。それを見ながらロレンツの御小言が続いた。
「こういう学科で頑張んないでどうすんだよ……。聞いたぞ、お前退学ちらつかされたんだって?」
ぴたりと手が止まる。なんで同級生からの言葉がこんなにも上から目線なのか、とロレンツを睨むが、それも直ぐに止める。
「……いいわ、許す許す。今日のわたしは機嫌が良いから!」
ぐふふ、と笑うわたしに「はあ?」とロレンツは顔をしかめた。
昨日のヘクターの言葉を思い出す。
『毎日長い距離帰ってるんだとしたら大変だな、って思ってたんだ。いつもカバンが重そうだったから』
そう言ったのだ。それは彼の方もわたしの存在を知っていたということに他ならない。今日の朝は同じバスにならなかったようだが、それでもわたしは見るもの全てが輝いているような気分だった。
「あー、やっぱこれからは会ったら挨拶しなきゃだよね!緊張するなあ。でもそっからお話し出来るようになるかもしれないんだし、今が頑張り時だ!」
浮かれるばかりに言葉をそのまま口に出していると、
「うん、レポート頑張れ」
ロレンツが水を差す。わたしは舌打ちするとカバンからレポートを引っ張り出した。
「じゃーん!『ワイツ王国とレエ男爵についての考察』。完璧よ」
受け取ったロレンツはぱらぱらとめくり、感嘆の声を上げる。
「おお!さすが!オカルトな歴史になると違うな!」
レポートの主題となったレエ男爵は「夜な夜なあんなことやこんなことやって変態ぶりを発揮しただけで無く、本気で金を作るべく錬金術にはまって怪しい儀式で悪魔を呼び出し、その悪魔に食われちゃった」人物である。わたしの得意な分野だ。
そう胸を張るも、ふと思い立つ。
「……話し掛けるにしても、こういう話題じゃ駄目よね。普通の男の子ってどんな話しが好きなんだろう」
「デーモンの出てこない話しだろうな。……そんな事より、お前達大丈夫なのかよ」
小声になるロレンツに首を傾げるが、言葉の意味を飲み込む。わたしの退学の噂を知っているくらいだ。パーティメンバーの話しだろう。
「う、うるさいわね。そういう自分は……と、そっか……」
わたしは抗議の声を途中で詰まらせる。彼、ロレンツは「研究科」に行く事が決まっている。研究科とは魔術師クラスにだけある制度で、通常の生徒のようにクエストで単位を取るのではなく、魔導の研究にのみ専念出来るクラスだ。そこの現研究員たちからのスカウトを受けたことは大変な名誉であり、ロレンツ自身も冒険活劇をするより研究に没頭する方が魅力的らしく、早々と進路が決まっているのである。
「来週まで時間があるっていっても、時間が経てば経つほど人材は減っていくんだぞ」
「……うん」
まとも過ぎるロレンツの指摘にわたしは気持ちが萎えていき、うなだれるしかなかった。