危険な緑
「バンダレン行きが決まったよ」
先程まで学園にいたヘクターが言った言葉にわたし達は色めき立つ。
「えっ本当に?」
ローザが聞くとヘクターは頷いた。
「明日、依頼人に会いに行けってさ」
「どんな内容だ?」
アルフレートが本を置きながら問い掛ける。
「バンダレンの楽器屋まで依頼人が発注した楽器を取りに行くんだってさ。まあようするにお使いだね」
「へー、でもいいんじゃない?バンダレンに行ってみたかっただけなんだし」
フロロが金属の塊にネジ回しを突き刺しながら感想を漏らした。
「……明日からいなくなっちゃうの?」
ミーナの寂し気な声にわたしは彼女の頭をそっと撫でる。
「お土産、何がいい?」
わたしが聞くとミーナは「いいよ、そんな」と首を振った。
「じゃあそのかわりあたし達がいない間、家に来てフローラの面倒みてよ」
ローザが何気ない振りで提案したのはミーナが気を使わないように、だろう。ミーナがわたし達がいない間もこの家に通う良い理由付けになる。
「うちに来れば本もあるし、魔術書も多少揃ってるわよ」
「ありがとう」
ローザの言わんことがわかったのかミーナは興奮気味に礼を言う。わたしは出来たばかりの一番弟子の熱心さに満足し、シフォンケーキを頬張った。
「……この時期に楽器を発注か。嫌な予感がするな」
アルフレートが呟く。
「なにそれ、なんで?」
わたしが聞くとアルフレートは「いや、別に」と言ってそのまま押し黙ってしまう。嫌なエルフ。
「じゃあミーナ、いきなり自習になっちゃうけど頑張ってね」
わたしはミーナの肩を叩いた。
「うん。そういう約束だったんだし、リジアも頑張ってね」
笑顔を見せるミーナ。わたしはミーナに土産話をすることを、早くも楽しみになってきた。
夕闇に染まりつつある町に出て、皆と別れる。わたしとヘクターはバスに乗る為に学園の裏口まで戻って来た。
「リジア、ちょっと待っててくれない?」
ヘクターからの申し出にわたしはきょとんとしてしまう。
「いいけど、どうしたの?」
「明日依頼人に持っていく書類がまだ出来てないんで、夕方もう一度来るように教官から言われてるんだ」
あらら、教官もいい加減だな。と思いながら私は頷いた。
「わかった。待ってるよ」
わたしの返事を聞き、ヘクターは申し訳なさそうに裏口に入っていった。ヘクターが悪いわけじゃないのにな。あの人の良さはどこから生まれたのだろう。
夕闇の赤に染まる学園の校舎は綺麗だ。元が白を基調としているからだろう。いまだまばらに残る生徒の影を何の気無しに眺めていた。ふと、背後に生まれる人の気配。わたしはバス待ちの人かと思いベンチを立とうとする。
が、相手の顔を見て少し戸惑った。どこか見覚えのある顔だったからだ。染め物かどうかわからないが目立つ緑の髪に鋭い目つき、背は高いがひょろりとした体つきのその人物はわたしの顔をまっすぐ見ている。
「あんたがリジア?」
唐突にされた質問にわたしは一瞬言葉に詰まった。
「……そうだけど」
わたしの答えを聞くと相手は嬉しそうに口元を上げた後、腰に刺した細身の曲刀を鞘から出したり引っ込めたりを繰り返し、がちゃがちゃとした音を道路に響かせる。……こえーよ。
「へえ~、そっか。なんだ、噂に聞くより可愛いじゃん」
わたしは褒められたことより、噂の内容が気になって素直に喜べない。どうせ校舎を破壊した回数を大袈裟にしたような話だ。
「俺は学園のファイタークラスにいるアントンだ」
「ああ……」
やっぱり学園の人か。どおりで見覚えがあるはずだ。
「あんたら今度、バンダレンに行くんだろ?」
「はあ……」
いきなり何だろうか。相手の不躾な態度にもイライラするが、相変わらずがちゃがちゃとうるさい手元が気になってしょうがない。
「不運だったな。きっと今回は上手くいかないぜ」
「はあ……。……はああああ!?」
生返事でやり過ごそうと思ったが、アントンの失礼さに声が荒れてしまった。何なの、この人。
「あんた魔術師としての腕前は酷いんだってな。俺の仲間が言ってたぜ。あといっつも変な格好の女いるだろ?」
アントンの言葉と彼の剣柄の擦り合う音が、わたしの頭を掻き回す。頭に血が上り過ぎて大事な血管が切れるんじゃないかと思った時だった。
横から伸びた手がアントンの剣柄を握る腕を掴む。耳障りな音が止んだ。
「……くそ」
アントンが自らの腕の動きを止めた相手を睨み対する。
「本当に嫌な奴だな、あんた」
ヘクターを睨むアントンの言葉は氷のようだった。わたしは初めて味わう空気に足下が重くなるような感覚がした。
「離せよ」
気配を感じずに近寄られたことが悔しいのか、アントンは噛み付くようにヘクターに言い放つ。
「……まずは柄から手を離せ。それがどういう意味の行為かわかってるのか?」
ヘクターの声にわたしは手が冷たくなった。初めて聞く彼の怒りの口調。表情もわたしが見たことのないものだった。
「へええ、この子はあんたの何なの?珍しくキレてるね」
「無防備な相手の前でやることじゃないからだ。お前を同じ戦士とは思いたくない」
二人が睨み合う時間は随分と長く感じられた。わたしは息苦しくなってしまう。アントンの手が柄から離れた。ヘクターの手の力が緩んだ瞬間、アントンはばっ、と腕を振り払う。
「……やっぱりムカつくな、あんたは」
アントンが吐き捨てる。が、すぐににやりと口角を上げた。
「まあいいや。あんたの弱いところがわかった気がするしな。……またな、リジア」
アントンがわたしに手を上げるが、わたしは顔を背けてしまった。とてもじゃないが仲良くする気にはなれない。それでもアントンは笑みを崩さぬまま踵を返す。学園内に戻っていくところを見ると、わざわざ今の騒ぎを起こしにやって来たということだ。
「大丈夫だった?」
ヘクターはいつもの口調に戻っていた。少し気まずそうなのは気のせいだろうか。
「うん、何か……変わった人だね」
『ムカつく奴』と言いたかったが、ヘクターが気にしそうで止めた。そういう人だからだ。
バスの中、長い沈黙に戸惑いつつわたしは聞いてみた。
「アントンって、どういう人なの?」
ヘクターは座席の手摺りにほお杖をつき、考える姿勢のままだ。
「まあ、ちょっと……」
歯切れが悪い。その後の言葉は続かない。……気になる。ヘクターに嫌悪を現にする相手にも驚いたが、それ以上にヘクターの様子に戸惑ってしまった。少なくともわたしは彼がこんなような態度になる人間を知らない。何て声を掛けるべきか。「合わない人っているよね」「犬猿の仲ってやつ?」など頭に浮かんだが止めた。どうも安っぽい。
ぽんぽん、とヘクターが頭を撫でてきた。……嬉しいけどどうもごまかされている気がしてしょうがない。
翌朝、わたしは一人学園の校舎にいた。残りのメンバーは依頼人に会いに行っているが、「レポートの提出がある」と適当なことを言って残ったのだ。探す人物はファイタークラスにいる為、不慣れな場所に入るのは勇気がいったが恐る恐る足を進める。すれ違う生徒とやたら目が合うのはやっぱり部外者然としているからか。自分でも挙動不審で怪しいなと思いながらうろうろしていると、目的の彼の姿を見つけた。赤毛のクリスピアンくんである。都合よく一人でいるところを突撃することにする。
教室の前で窓から身を乗り出し、ぼんやりと外を眺めるクリスピアン。彼の背後までそろりそろりと忍び寄り、両手で目を隠す。
「だーれだ?」
甘い声で囁くと、クリスピアンはふっ、と口元に笑みを作った。
「んー?キーラだろ?」
わたしの手を取り、ゆっくり振り向くクリスピアン。わたしの下衆なにやにや顔を見たのか彼の顔が引き攣った。
「うお!びっくりした!」
「キーラじゃなくて残念ね。ほほほ」
キーラとはわたしのクラスメイトの美人さんだ。クリスピアンとは同じパーティーを組んでいる。焦りを見せていたクリスピアンが一瞬にして悟りを開いたように冷静な顔に変わった。
「……よく考えたらキーラがこんなことするわけないな……」
わたしもそう思う、と思ったが口にはしないでおいた。
「どうしたの?わざわざこんな所まで」
わたしは辺りを伺ったあと、クリスピアンの腕を取る。
「ちょっと来て」
「お、おい」
人気の少ない廊下の突き当たりまで来ると腕を放し、向き直った。
「ちょっと聞きたいことがあるのよ」
わたしの言葉にクリスピアンは頭を掻きつつもワクワクとした様子が顔に滲み出ている。
「何、なに?男がしてもらったら嬉しいことは、とか?」
「違うわよ……」
自分がそうだからって人を年がら年中、恋愛観ばかり考えていると思わないで欲しい。わたしは少し声のトーンを落とした。
「……アントンって人知ってる?」
クリスピアンは少しきょとんとする。
「アントンって……緑色の頭の奴?同じクラスだけど」
ということはヘクターともクラスメイトということだ。
「何、あいつ何かしたの?」
真顔に戻るクリスピアン。彼の言葉といい、顔の表情といいアントンが普段からどんな人物なのか、少し伺えた気がする。わたしはどこから話そうか、と頭を捏ねくり回した後、昨日の夕方の出来事を一から順に話してみた。
「で、珍しく機嫌が悪くなっちゃったヘクターを見て動揺しちゃったわけだ?」
わたしの話しを聞き終わったクリスピアンはそう言ってわたしの顔を覗き込んだ。言い方には不満はあるものの、「まあね……」とわたしは頷く。クリスピアンは大きくため息をつくと腕を組んで考え込んだ。
「……実は俺もアントンがなんであいつにやたら絡むのか謎なんだよね」
「じゃあ普段からなんだ?」
わたしの問いにクリスピアンは頷く。
「そそ、しょっちゅう、というかほぼ毎日?過剰なライバル視っていうのかな……、顔を見れば突っ掛かるし、組み手の時間になれば真っ先に相手になろうとしたりね。仲良くなりたいのかと思えば遠征なんかで乱闘戦になったりしても絶対にヘクターには手を貸さなかったり」
ふう、とため息をつく。
「あまりにもあからさまなんで皆引いてる状態だね」
「止めさせたりしないわけ?」
わたしは少しむっとしてしまった。
「『可哀相でしょ!』って?女の子はそういうのあるけど、男は無い無い。アントンが皆を扇動するようなことがあったら問題視するだろうけどさ。まさかガキじゃあるまいし、そんなことはしないなあ」
確かに……子供のイジメじゃあるまいに、大騒ぎする方がおかしい気もするけど。
「ヘクターって一言で言えば『いい奴』じゃん?人が良いだけじゃなくて、ちゃんと周りとの悪ノリにも乗ってくれるし、かと思えば天然なところあるし。単なる優等生じゃないから溶け込んでるけど、とことんムカつく奴はいるのかもよ。簡単に言えばやっかみ、なのかもしれないけどさ……。人間の感情なんてそんな簡単に分類できるわけじゃないと思うしね。そりゃあヘクターが眉寄せる相手がいるなんて信じられないだろうし、初めてみる態度にびっくりしちゃうかも知れないけど、俺はあいつの人間らしい面が見れたと思って嬉しいけどね」
クリスピアンはそこまで言うとわたしの睨むような視線に気づいたのか動きを止める。 「え?何?」 焦る彼にわたしは言った。 「いや、まともなことも言うんだな、と思って」 ひどいあんまりだ、と煩いのは無視する。 わたしは昨日のヘクターの顔を思い出していた。そりゃあわたしだってヘクターがいつでも笑顔で完璧な聖人君子だなんて思ってないけど……。思っていたのだろうか。無意識のうちに。
「でも、人から嫌われるのって、傷つくよ?」
「だから恋は辛いのさ」
クリスピアンから返ってきたとんちんかんな答えにわたしは肩を落とした。
「まあ、何かあれば相談のるよ。あんまり俺と仲良くするとあいつがヤキモチ焼いちゃうかも!あ、それが目的っ?」
「……あんまり調子のるとキーラにばらすわよ」
わたしが言うとクリスピアンは慌てたように両手を振る。
「ごめんなさい!何をばらすのか全然わかんないけどごめんなさい!」
わたしが話しを聞けたことのお礼を言うと、クリスピアンは何度も「いえいえ、また何かあったら是非」と繰り返した。