美しい姉、再び
一頭引きとはいえ大型の馬であるコルバインのスピードは早い。全員がゆったり出来るほどの荷台を悠々と運んでくれる。アルフレートとフロロは御者席にいる。物珍しい馬車に乗れるのが嬉しいらしい。わたしは豪快に寝息を立てるローザとイルヴァを眺めながら今回の旅を思い返していた。
「アンナと何話してたの?」
ヘクターに聞かれてわたしは汗が噴き出す。
「いやっ大したことじゃないよ」
思わず声が裏返り、ヘクターは不思議そうに首を傾げた。誤魔化すようにわたしは窓の外の景色を眺める。帰りは行きと違って、ウェリスペルトまで直線の道のりだ。周りの景色も大分違うように見えるのは気のせいか。スピードが速い分、土煙もすごい。乗る前に窓の開閉を禁止された訳がわかった。
「リジア」
ヘクターに呼ばれ、わたしは振り返る。いちいち緊張してしまうんだよなあ、いまだに。
「何?」と言おうとしたわたしの口が止まる。ヘクターの顔がいつになく真剣なものだったからだ。心臓が跳ね上がった。
「リジアに謝っておきたいことがあるんだ」
わずかな間、わたしは「何かあったっけ?」と頭をフル回転させる。だめだ。思いつかない。
「え?え?何?」
「昨日、酒場の上で話した時のこと」
昨日……、ああ、酒場のベッド借りたのって昨日のことだっけ。随分昔に感じてしまう。色んなことが起こり過ぎて、時系列がめちゃくちゃになっているな。
「あの時、深く考えずにリジアの話しを『よくわかる』なんて言ったと思う。あの場ではそう思ったのは本当なんだけどさ」
ああ、わたしがよくわからないことを口走ってた時のことか。よく覚えてるなあ。というか恥ずかしいので触れないで欲しかったり、と思いながらわたしは頷く。
「……ウォンがリジアの体を狙ってるかも、って話しになった時」
少し誤解されそうな言い方にわたしは吹き出しそうになったが、堪える。真面目な話しなのだ。
「俺はすごく嫌だな、って思ったんだ」
真剣に話すヘクターにわたしは顔の温度が上がってくるのを感じ始めた。
「上手く言えないけど、そんなことは絶対に嫌だなって思った。今までいい加減に剣を振るっていたわけじゃないけど、そんなことからだけは絶対にリジアを守らなきゃいけないと思ったんだ」
「うん、……ありがとう」
擦れた喉から必死で声を出すわたし。
「なんとなく、リジアが言ってたことはこういうことだったんだろうなって思ったんだけど、違った?」
そういうことだよ。わたしは言いたくても言えなかった。声を出したら涙が出そうだったからだ。それにしてもこの人、あんな会話をそんなに真剣に聞いていてくれたのか。改めてヘクターをいい人だと、わたしは感じた。
「本当の話しなんだろうな」
学園に戻ったわたし達がメザリオ教官に報告にいって、彼が言った第一声がこれであった。反論しようとしたわたしを教官は手で制する。
「ああ、いい、わかっているから。本当のことだっていうのはもうわかっている。ただ、それでも言いたくなったからだ」
ふー、とやたら長い溜息をつく。
「わかっている、とは?」
ヘクターが聞くと教官は「連絡が入ったんだ」と言った。
「首都の方から悪魔の出現の報告が来たのと、フェンズリーのバクスター氏からも報告があった」
マルコムだ。わたしは別れてから二日しか経っていないが、アンナの顔を思い出して胸が熱くなった。
「詳しいことは今回もレポートにまとめてもらうとして、ごくろうだったな」
教官はそう言うと、わたし達の成績カードに「A+」と書き込んだ。
早く帰ろう、というわたしの発言はローザに却下される。
「フローラが心配じゃないの!?」
ああ……。言われて思い出したわ、というのは黙っておこう。
「ああ、そういや、そんな名目で旅に出たんだったな」
アルフレートが疲れた声を出した。
「イルヴァも早く帰りたいですう」
「まあ、ちょっと覗いて行こうよ」
イルヴァと対照的な反応をするヘクター。
「俺、もう泊まっていこうかな……」
「そうしちゃいなよ」
わたしはフロロの言葉に頷いた。というかわたしもそうしたい。ぶーたれながらもローザ宅に移動する一行。
「あら、おかえりなさい」
ローザの姉、カミーユさんが玄関ホールで迎えてくれた。綺麗なブロンドに美しい顔、はさすがローザの姉といったところだ。
「こんにちは。相変わらずお綺麗ですね」
わたしが手揉みしつつ言うと、
「ほほほ、若いうちからおべっか使うと録な人生にならないわよ」
とカミーユさん。あ、相変わらず素敵な性格でいらっしゃる。
「さ、早くフローラに会いましょ」
白を貴重にした素敵なデザインの廊下を歩いて温室へと急ぐ。
「フローラ!」
ローザが扉を開け放った。ひょこっとベビーベッドから、懐かしい顔が覗いた。
「あ、もう貰ってるのね、餌」
わたしはベッドの脇にあるお皿を指差す。細かく刻んだコマツナが、こんもりと盛られていた。
「……なんか大きくなってないか?」
アルフレートが少し嫌そうに呟いた。なぜ嫌そうなのかは謎だが、言われてみればそんな気がしないでもない。
「……入ってみる?」
フロロの言葉に全員が一瞬、沈黙したあと頷いた。
「期待してそんしたわね」
フローラの体の中にある小部屋にぎゅうぎゅうと身を寄せ合いながら立っていると、ローザが正直な感想を漏らす。
「まあこんなもんでしょ。外見だって大きくなってるのか微妙なところだったし」
わたしが言うと、フロロが「一足半!」と叫んだ。
「何が?」
「部屋の広さ。俺の足、一足半ほど大きくなってる」
あっそう。
「寝泊まりはキツイけど、荷物ぐらい置けるんじゃないかな」
ヘクターの言葉にローザも頷く。
「あ、それいいかも。着替えとか置いとくのにいいじゃない?」
「えーでも、何かかわいそうじゃない?動くのに重くなったりしないの?」
ぎちぎちに荷物を詰めこまれたフローラちゃんを想像して、わたしは言った。
「いや、ロボットだろ?これ」
冷ややかなのはアルフレートだ。確かに転移装置が付いてたり、中にいる分には生き物らしさが皆無だが。
「あんたのそういう冷淡な所が大嫌いよ」
「私はお前のそういう偽善的な所が大嫌いだ」
アルフレートに言い返され、ムキー!となるわたしをヘクターが「まあまあ」と止める。その時、微かに部屋が振動し始めた。思わず叫ぶ。
「何!?」
「フローラが移動してるんだよ」
フロロが制御室という名の実際は表が見られるだけの部屋を開け、指差した。窓の外の景色がくるくると動く。外で見た時よりも大分巨大化したコマツナが映ると、そこへ近づいて行った。
「お腹空いたみたいね」
わたしが言うとアルフレートが鼻で笑う。
「ほらみろ、重さを感じるぐらいなら、我々がこんなにぎゅう詰めでいる段階で動けるわけないだろ」
確かにそうだ。わたしが納得しているとローザが声をあげた。
「あたしたちも御飯にしましょ。お腹すいたでしょ」
当然、とばかりに全員が大きく頷いた。
上質なチーズに彩り豊なサラダ、こんがり焼けるロブスターとゆっくり煮込まれた牛肉のシチュー。相変わらずローザのお家で出される食事は豪華だ。フロロじゃないが、隠れて住みたいなんて考える。あ、でも隠れてたら御飯は出ないのか。
「しかし疲れたわねー」
ローザがロブスターのグラタンを口に運びながら呟いた。
「でも首都にはまた行きたいよね」
わたしが言うとイルヴァが何度も頷く。買い物食べ歩き、寺院巡りもいいかもしれない。
「私は気乗りしないな。もっと芸術や文化に触れられる都市がいい」
アルフレートが言った言葉に、フロロが「似合わねー」と笑った。
「リーダーは?」
ローザが言うとヘクターはぐっと喉に詰まらせる。
「急にリーダー扱いするなよ……」
ヘクターが水に手を伸ばした時だった。
「ヴィクトール」
ローザの本名が呼ばれ、カミーユさんが部屋に入ってくる。……本名が呼ばれる時、これは怒っている時だぞ、とわたしは身構えた。
「何でしょう、姉さん」
ローザも緊張で顔を引きつらせながら答える。カミーユさんの顔はにっこり笑顔だ。これが逆に怖い。
「あなた、今回の旅で自分の立場を忘れてたりしなかったわよね」
ローザの肩がびくん、と跳ねる。これはあれだ、『カマキャラ出したりしてないよな』ということだ。そして答えは『いいえ』だ。
「普段はお父様も大目に見て下さってるけど、お父様も付き合いがあるようなご家庭では話しは別よ?……どうなの?」
笑顔のまま詰め寄るカミーユさん。
「だ、大丈夫だと思います。お父様に恥を掻かせるなんてそんな……」
自分のことを『恥』だというローザは流石に可哀想だ。愛嬌があっていいじゃないか。しかしカミーユさんは目は笑っていない笑顔でローザに近づいて行く。
「フェンズリーのバクスター氏からわざわざご連絡があったわ。『お宅のお嬢さんに大変お世話になった』って」
しん、とする室内。マルコムだ。ローザちゃんの身元をアンナあたりから聞いて、連絡してくれたんだろう。『お嬢さん』という言葉を使ったのも、彼なりの配慮だったのかもしれない。今回はもの凄く余計な事だが。
「えっと、その、あの……」
ローザがじっとりと汗をかいているのがこちらにもわかる。
「あなた、未だに自分も立場がわかっていないようね!」
「ごめんなさい!」
鬼と化したローザの姉カミーユさんと、ローザの追いかけっこが始まった。
「あーあ……」
わたしは溜息をつきつつ、今度の旅は『依頼通りの内容』でありますように、と祈るのだった。
fin