悪魔の旋律
「かっこいいこと言うじゃないか」
よく知った声で皮肉を言われ、わたしは扉の方向に振り向いた。アルフレートが腕を組み立っている。
「アルフレート!ど、どうしたの、それ」
彼のクリーム色のマントに大きな穴が空いているのだ。
「町外れのウォンの家に行ってきたんだよ。後悔したがね。ウォン本人が出かけたんでその隙に、と侵入したらウォンのコピーだか知らんが襲いかかってきた」
動きはアンデットのようで『中身が無い感じ』だったが、と付け足して笑った。
「で、どうしたの?」
「破壊してきた」
あっさりという。
「じゃあ、もうウォンは復活できないんじゃないの?……今、意識を持ってる体はどうなのかしらないけど」
「そうだろうな」
アルフレートが言うとエディスさんが立ち上がる。
「……お願いです。マルコムを助けてください。……ずうずうしいお願いなのはわかっています。今晩、ウォンとマルコムは屋敷で会う約束をしているんです。その時、マルコムは協力を断るつもりだと言っていたんです」
「協力、ってもうマルコムさんに出来ることなんて無いんじゃ……」
わたしが言うのを遮り、エディスさんは首を振った。
「悪魔が手に入らないと知った彼は、新しく要求してきたことがあるんです。……それが」
エディスさんがおずおずと指差したのはなんと、わたしの顔だった。
がたんっ、と椅子が倒れる音がしてヘクターが立ち上がった。その彼の肩をアルフレートが叩く。
「落ち着け」
「わ、わ、わたし!?な、なんでまた……」
エディスさんに詰め寄ると彼女は困ったように目を伏せた。
「私も少し聞いただけで『面白い人間を見つけた』としか……」
確かになぜウォンがわたし達を襲うのか謎ではあった。最初の戦闘の「ホールド・ウィップ」でわたしの動きを封じようとしたことも、ずっと不自然だと疑問に思っていた点だ。
「リジアは確かに面白いですけどねえ」
イルヴァの緊張感のない台詞にわたしは睨んで抗議する。面白いだけでじいさんと融合させられてたまるか!
「ウォンの研究所を吹っ飛ばしてきたんだ。もう何も出来ないはずだ。問題はマルコムの方だろう」
アルフレートに言われて全員、はっとする。
「まさか、口封じか見せしめに殺されたりってことはないわよね」
ローザがおびえた声を出した。
「わからんぞ。とにかくバクスターの屋敷に戻った方がいい」
アルフレートが部屋を出て行く。他のメンバーもそれに続き、わたしは部屋を出る時にエディスさんに声を掛けた。
「エディスさんはアンナの元にいてあげてください。あとは、わたし達に任せて」
エディスさんは頷くと、深く頭を下げた。
バクスターの屋敷は暗いまま明かりが灯る気配が無い。前庭に人が倒れている姿を見つけて、わたしは慌てて駆け寄った。わたし達も知っているメイドのおばちゃんだ。眠らされただけのようですーすーと寝息を立てている。ほっと胸を撫で下ろし、イルヴァに頼んで木陰に運んで貰った。
「こんなことするなんて、騒ぎを起こす気満々じゃない」
わたしは鼓動が早くなるのを感じた。
「急ごう」
ヘクターに言われ、わたしは立ち上がる。屋敷の玄関を開けると、中も暗闇に包まれている。フロロが耳を立てて辺りの音を拾う仕草をした。
「こっちだ」
駆け出す彼の後ろ姿を全員が追う。
「こっちは何があるの!?」
昼間、屋敷内に張っていたフロロにわたしは質問した。
「たしか……ホールみたいになってた」
「広い方が最終決戦にふさわしいじゃないか」
アルフレートがふふん、と笑う。調度品が並ぶ様子が美しい廊下を走り抜け、家の中にしては大きな扉が見えてきた。フロロがドアノブに飛びつくが、首を振った後、懐から針金を取り出す。その様子を見てイルヴァがフロロの肩を叩いた。下がってろ、というジェスチャーをすると力一杯ウォーハンマーを振り下ろす。
バコン!と凄まじい音を立てて扉が吹っ飛んだ。怖い。
「う……」
中の光景を見て、思わず私は呻いた。普段は音楽ホールとして使われていたらしき部屋はグランドピアノが鎮座してあり、形いい長椅子と綺麗な絨毯が目にとまる。
しかし今、この部屋の主役となっている姿は巨大な刃を肩あたりから指の方向に向かって生やした半モンスターの男、賢者ウォン。腕自体が刃と化した彼はわたし達を見て不敵に笑った。
ウォンの足元に倒れているのは髪を自らの血で染めたマルコムだ。床に彼の血が円を広げていくのがわかる。
「あの女の居場所は吐けない、研究室の場所は知らないなどと役立たずなこと言うものでね……。実に残念だよ、マルコム。君のことは赤ん坊の頃から知っているというのに、こんなに使えない人間に成長するとは。……まあいい、『もう一つのお目当て』が自ら飛び込んで来てくれたようだから」
ウォンはわたしの目を見遣る。ヘクターとイルヴァがわたしの前に立ちはだかった。ナイツに守られるお姫様状態に少し焦るが、今のウォンの言いように眉をひそめる。あの女とはエディスのことか。ということは彼は事情を知る人間は全て消すつもりだということだろうか。それよりも研究室って……何のこと?それに『もう一つの目的』という言い方が引っ掛かる。わたしの方がオマケってこと?
「冷静になった方がいいぞ、冒険者諸君。今ならまだマルコムは息をしているぞ。君らの行動がマルコムのこれからを左右するのだから」
そう言って、腕の刃をマルコムの喉元に突き付けた。息を飲むわたし達とは対象的に、アルフレートがずずいっと前に出る。
「人間風情が駆け引きで上をいこうなどとは笑わせる」
思いっきり悪役らしい台詞を吐くと、上着のポケットをまさぐった。と、アルフレートは何かを取り出す。
「それなら我々が駆け引きに使うのは、これだ」
手を掲げた先にあるのは握り拳大の黒いガラス玉だった。なんじゃそりゃ、と思ったが、光りが当たると気味の悪い模様が見える。それはまるで人間の脳みそのように見えた。ただのガラス玉ではない。
ウォンの顔色が明らかに変わった。始めは驚愕の表情を浮かべていたが、次第に露骨な怒りへと変わる。
「私のオブシディアンハート……貴様っ!エルフ風情がっ!コソコソと嗅ぎ回りおって……!」
「ほほー、オブシディアンハートというのか。これは君の心臓かな?それとも精神体か、魂とでも言うべきか?」
ギリギリとした強い歯ぎしりの音。わたしとローザは顔を見合わせる。
「……知ってどうする!?単なる長寿の上に胡座をかいた生き物が、貴様等の知識がいかに腐りきっているかを教えてやりたいものだ!」
思い切りの罵倒と口の端から漏れる唾液に気味が悪くなる。部屋にウォンの吐き捨てる悪態だけが響き渡った。
「虫けらのくせにっ、私に……私以外の下等生物が……許さん、許さんっ!殺してやる、殺してやる……殺しテヤル……殺すコロスコロス」
呪いの言葉を吐き続ける彼の声がだんだんと人間のそれとは掛け離れていくのがわかる。明らかに声帯からして人の物ではない声に、わたしは身震いしていた。今まで会ってきた中でも彼の人間離れの度合いは酷くなっている。
「がああああアアアアっ!」
耳を覆いたくなるような一吠えと共に、ウォンがアルフレートの方へ飛び掛かる。がしかし、空気が弾ける音をたててウォンの体はアルフレートの直前で止まった。アルフレートのシールドだろう。自分だけに事前準備をしているところが彼らしい。
次の瞬間、アルフレートは手に持っていた黒い球をフロロに向かって投げつけた。
「ほいっ」
「げえっ、俺かよ」
ウォンの標的がフロロへと変わった。やっぱりこの黒いガラス玉が重要らしい。獣のような咆哮を上げながらフロロに向かって刃を次々と繰り出していく。
「ちょ、ほっ、はっ、とっ!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、それらをかわしていくフロロ。その間にわたしとローザはマルコムに向かって走り出した。
「援護お願いね!」
ローザの言葉にわたしはウォンの動きに注意を払うことを忘れないようにする。ローザは血溜まりを気にもせずに、マルコムの脇に座り込んだ。
「どう?」
「意識が無いけど、息はあるわ」
ローザの言葉を聞いてわたしは風のシールドの呪文を唱え始める。ローザも神聖呪文の詠唱を始める。複雑な呪印とルーンの組み合わせがマルコムの傷の深さを窺わせる。わたしは腰の短剣を引き抜くと、床に突き刺した。
「ウィンド・リフレクト」
圧縮された空気の壁が短剣を中心に広がっていく。ウォンの攻撃をかわせる程の威力は期待出来ないが、無いよりいい。
「ありがと」
お礼を言うローザの額には玉のような汗が浮かんでいた。ローザの体力も気にかかる。わたしはウォンの方へ目を向けた。
「くそがあ!」
ウォンが自分の攻撃を避け続けるフロロに吐き捨てる。その間にもヘクターとイルヴァが武器を振り上げて攻撃いるのだから、それらを受け続けているウォンの体は人間のものではない。……少し間抜けな光景にも見えるな、と思った時、
「邪魔だ邪魔だジャマだジャマダ!」
ウォンの周りに黒い霧が集まりだした。不穏なマナの動きに私は思わず立ち上がる。
「危ない!」
そう叫ぶわたしの声と被せて、アルフレートの呪文が完成した。
「コントロール・スピリット」
無数の光の精霊が部屋に漂い始める。それは次々と黒い霧に飛び込んでいき、消えて行った。大半の黒い霧はそれで消えていき、残りがヘクターとイルヴァに向かって襲いかかるが、二人とも難なく避けていく。床に触れた霧が酸のように床板を溶かしていくのを見て、わたしは安堵すると共に背筋が寒くなった。
ヘクターが踏み込んだ。フロロの方へ目を向けていたウォンの一瞬の隙をついて、彼のロングソードがウォンの肩を貫く。
「がっ……」
ウォンが苦悶の表情を浮かべるその顔に向かって、イルヴァのウォーハンマーが振り下ろされた。次の瞬間のグロッキーな光景を想像したわたしは思わず目を伏せる。みしり、と嫌な音が部屋に響いた。
「ぐ、が……」
ウォンの声が聞こえてわたしは恐る恐る目を開ける。顔が不自然に曲がった老魔術師がふらりとよろけている姿があった。先ほどの聞き覚えのある叫び声からして、今のウォンはデーモンとの融合タイプだろう。体の頑丈さは感心すら覚える。もしかしたら純粋なデーモンより強固なんじゃないか。
「ところでさあ、これって何なの?」
尻尾をふりふり、フロロがウォンに向かって尋ねた。ウォンは目を見開く。
「オマエには無用のモノだ……。さあ、カエセカエセカエセカエセ……!」
「そんな言い方されたら返せないなー」
挑発するような台詞を言うフロロにウォンは怒りを現わにした。
「いいからよこせ!」
フロロに腕の刃を振り下ろす。
「じゃあ返してやるよ」
フロロが黒い球を投げつけた。ウォンの振り上げた刃に向かって。一瞬のことなので目で追えなかったが、ウォンは驚愕の表情を浮かべていたはずだ。
ウォン自身が、彼の望むものを叩き割った。
「がああああアアアア!!」
何度目かのウォンの咆哮が部屋に響き渡る。
「クソックソックソッ!死ぬのか?死ぬのか!?シヌノカアアアア!」
鳥肌が立つような叫びを上げながら、のたうちまわる賢者ウォン。その彼と、ふと目が合った。ぞわり、背中に冷たいものが走る。
「……体、からだカラダカラダからだ……アタラシイから、だ、ダ……」
ウォンの体が宙を舞った。わたしは目をつぶる。後ろからローザが抱きしめてくるのがわかった。どんっという音と共に顔に何か生温い感触がした。うっ、気持ち悪い……。
うっすらと目を開けていくと、目の前で黒い魔術師がわたしに手を伸ばす姿があった。胸の真ん中から剣を生やした彼は、ゆっくりと地面に落ちていき、倒れる。その体から黒い粒子が漂いだして少しずつ薄れていく。徐々にその存在を小さくしていき、賢者ウォンは消えた。後ろから彼を討ったであろう人、ヘクターは剣先を見つめるとゆっくりと立ち上がった。
「ま、また消えたけど……」
わたしが渇いた喉から声を搾り出すとアルフレートが首を振る。
「今回のは本当に滅んだってことだ」
わたしはオットーの町で、霧のように消えて絶命したデーモンを思い出した。
「……う」
背後からの声にわたしは慌てて振り返った。
「マルコムさん!」
マルコムは胸の辺りを摩ると少し呻く。
「あ、まだ完治してないから、動かないで」
ローザが諭し、彼を優しく横たえる。ローザの呪文の詠唱は歌のように美しい。
「……君らに助けられたのか、面目ない」
「何言ってるんですか、あなたに死なれたらエディスさんに合わせる顔ないですよ」
わたしが言うと、マルコムは眉間に皺寄せた。
「……エディスは?」
マルコムが部屋を見渡す。
「町の酒場でアンナと一緒です。大丈夫、無事ですよ」
わたしが言い終わる前に勢い良く起き上がるマルコム。
「一緒にいるのか!?……っつ」
「だからまだ起きないで!」
ローザが押さえつけるがマルコムはその手を取る。
「だめだ……、一緒にいたら駄目なんだ!アンナを、アンナが危ない!」