告白
珍しく一人部屋を占拠することになったブレージュの夜。わたしは疲れ切った足をベッドに上げ、今回の旅を思い返していた。
そもそもの始まりは「伯父の依頼の元に行くヴィクトリア達を助けること。そして彼女たちに冒険者パーティーとしてのあり方を見せ、考えさせること」。教官からはっきりと言われたわけでもない、おこがましいテーマではあるが、これはうまくいったんだろうか。
どう見てもパーティーの不調和を作り上げていたヴィクトリアの態度も、実は一番仲間を思ってのことだったし、崩壊の決定打だったはずの「四人目の仲間フラヴィ」も脱退は勘違いだったわけだ。
わたしとヴィクトリアの確執も、ローザちゃんを巡るっていうどうもズレた物で、判明してからはわたしもヴィクトリアには強い態度をし難い。彼女の方も以前の過剰なまでのツンケンした態度は無くなってしまった。
全て歯車の掛け違いから起きた故障で、直してやればぎこちないながらも動き出す。人間の心でも同じなのだなあ、とまた一つ勉強になった。そしてその直す作業は、大掛かりな楽しいイベントを催すのでも無ければ、命を賭ける戦いをするのでもない。ただ相手の話をきくだけでいいのだ。
レモンの浮かんだ冠水瓶からコップに水を汲み、喉を潤す。食べすぎた胃が少しすっきりする気がする。気泡の入らないガラスコップは大きさといい母が欲しがっていた物だ。これもブレージュの名産なんだろうか。どこかに工房でもあるのなら、お土産に買っていきたい。わたしはもう一度、張りのある綿のシーツに身を沈めた。
わたしは母に旅の話を詳しくはしたことがない。しても心配をかけるだけだろうし、最近の話は特に出来ない。
『どうやら生まれつきのトラブルメーカーで魔法も上手くなりません、ってさ』
なんて話して旅を続けさせてくれる親なんていないと思う。それでもわたしは旅を続けたい。それが若人ながらも実感したわたしの生きがいであり、自分自身を理解出来ることになると思うから。
ふとアルフレートの話を思い出す。わたしの祖母、アルマ・ファウラーもまた『目』であったとのことだ。それに彼の話しぶりだと、探し求めたわけでもないのに、わたしの一族はアルフレートに出会い続けているんだという。なぜなんだろう。
口を開けば憎たらしいことしか言わないエルフだけど、彼は強く、賢い。わたしが今までに出会った人の中でも誰よりも。その彼に導かれる形で、わたしは自分を見つけられるんじゃないか。
わたしは自分の仲間が誰ひとりとして、自分の体質を知った後も抜けようとか、態度を少しでも変える人がいなかったのが嬉しかった。本当は一人ひとりに感謝の言葉を贈りたいくらいだけど、彼らはそれに困惑するだけなんだと思う。きっとそれは彼らにとっても特別なことじゃなくて、改めて言われても反応に困るだけだと思うのだ。
「少し甘え過ぎな考えかしら。でもそうだと思うんだよなー」
独り言を口に出した時だった。こつん、と窓から音がする。半分空いて潮風が入るアーチ窓の下、どんぐりが落ちているのに気づいた。わたしは起き上がり、通りに顔を出す。
はっとして息をのむ。通りから二階のこちらを見上げているヘクターがいたからだ。
「出てこれる?」
小声だけどわたしの耳には心地よく響くその声に、わたしは何度も頷いた。
「遅くにごめんね」
駆け下りてきて息の荒れるわたしに、ヘクターは謝罪から入った。
「向こうに面白い所があったから、そこまで歩こう」
申し出に躊躇なく頷いた。誘われた時点で断るわけもなく、面白い所と言われれば更に気になる。月明かりと街頭で照らされるブレージュはまだまだ喧騒が続いていた。飲食店からは笑い声とチェロの音が聞こえてくるし、中心部の方から歌声も響いてくる。
「魔女、怖かったよねえ」
わたしは通りに並んでいる、今は閉店中の薬草店を見て口を開いていた。ここは白魔術を扱う魔女の店だろうけど、世間ではまだまだ魔女といえばマリュレーの八人の魔女のような呪術を扱うイメージが強いと思う。アルフレートの話では「ローラスは魔術師に対する偏見は薄い」、とのことだったけど、それでも健全で明るいイメージを持つ人はいないのではないか。
だからこそあの八人の魔女のような事件は起きて欲しくなかったんだけど、と残念に思う。
「でも貴重な体験だったよ。伝説の魔女になんて普通に生きてても会えない」
そう笑うヘクターの顔には嘘がない。常に前を向いている彼らしい意見だった。
「こっちこっち」
手招きされる方についていく。坂になっている路地裏は暗いし静かで、妙にドキドキしてしまう。
「ずいぶん、急な、坂ね……」
「うん、あと少しだよ」
息の荒れるわたしの手をヘクターが取る。触れる肌に「グローブ外してきてよかったなあ」などと思っていた。その内にもどんどんと細い道を上り、角を曲がる。
「なんだかすごい所通るのね」
両サイドに建物が塞がるので場所が掴めないが、二人並んで通るのもやっとな細い道。あっちに曲がったりこっちに曲がったり、一人ではもう帰れないかも。
「こっちだ」
そう言ってヘクターが掴んだのは左側の建物に付いた梯子だった。こちらが驚いている間にどんどんと登っていってしまう。慌てて追いかけると、登りきったヘクターがこちらに手を伸ばしていた。その手を目指して足を運び、掴む。
最後はぐいっと持ち上げられる形で登りきり、前を見るとブレージュの街の夜景が広がっていた。ぽんぽんと浮かぶ明かりが海辺まで続いていて綺麗だ。
「ラシャの教会の屋上みたいなんだよね、ここ」
いたずらっぽく笑うヘクター。白のタイルが敷き詰められて、四隅にある大きめの鉢に花が植わっている。修行に疲れた僧侶が休むんだろうか。街を望む形でベンチが備え付けられていた。座るヘクターに倣って隣に腰掛け、彼の顔を見る。真っ直ぐ海を見る目があった。そこに映るのは、彼の目指す物は何なのだろう。
わたしの視線に気づくと照れたように笑い、姿勢を直す。何か話たいんだろうな、と気づいたわたしはゆっくりと待った。
「リジアにはちゃんと言っておこうと思って」
重大な雰囲気にわたしは鼓動が早まる。「うん」と短く返すだけになった。急な展開であんまり覚悟出来てないし、嫌な話じゃありませんように。
「俺、今回の旅が終わったら一度パーティーを抜けるつもりだったんだ」
「え……」
急転直下、手足が冷たくなる。ヘクターはそのまま続けた。
「学園で学年関係なく、ファイターを集めて部隊を作ってるんだ。ローラスだけじゃなくて近隣の国まで遠征して魔物の討伐に向かうチームだ。暇はないし過酷らしいけど、何より修行になる」
そんな話は前から噂程度には知っていた。学園長の意向ではなく、国からの要請で作られた、謂わば国軍と変わらない、とローザちゃんが愚痴っていたっけ。ただ軍と比べれば自由は利くので、動かしやすいとの話だった。でもプラティニ学園に来る生徒が目指しているのは冒険者であって傭兵ではないはずだ。あまり関係ない話だと思っていたのに。
耳に膜でも貼ったような、ぼーっとする感覚。相槌を打たなきゃいけないのに、声が出なかった。こういう時ほど喧騒は無く、痛いくらいに静かだ。
「俺はみんなに比べると、明らかに実力が足りてない。いつまでもアルフレートに頼ってちゃいけないんだろうけど、実際には寄りかかりっぱなしだ。これからどんどん厳しい旅になるなら、一度きちんと鍛え直したかった」
「そんなこと……」
そう口に出してしまったが最後、目から大量の涙が溢れ出す。慌てて押さえ、顔を伏せるがしゃくりあげる息までは止められなかった。
「うわっ」
ヘクターの慌てふためく声。優しく背中を撫でられる。そして腕を取られ、顔を上げるように促された。
「……い、行かないで」
掠れて酷い声が飛び出す。鼻水まで出てきた。ひっどい顔してるだろうなあ、と思う。目の前のヘクターの顔までぼやけているが、驚いた顔をしているのはわかる。
「行かないで、みんな、ヘクターが必要なの。……ううん、わたしがそうなの。あなたがいないと、わたしは壊れてしまう」
言いたくなかった本音だった。こんな弱い自分を見せて、嫌われるのが怖かった。重いんだ、と手を振り払われる気がして言えなかった。それを今、口にしてまで、彼に行って欲しくなかった。実力が足りてない、なんて嘘だ。そんなこと言ったら、足手まといでしかないのはわたしの方じゃないか。
しばらく困ったようにわたしの背中を撫でていたヘクターが口を開く。
「いや、違うんだ」
「は?」
問い返すわたしの手を握り、ヘクターはこちらを真っ直ぐ見た。
「抜けようと思って『た』。思ってたのは本当。でも今は違うかな、って思い直したんだ。……ごめん、紛らわしかった」
そう言って頬を掻いた。
「力不足は常に感じていた」
ぽつり呟く声にわたしは「そんなこと!」と反論するが、首を振って遮られてしまった。
「……だからとにかく強くなりたかった。でも、リジアの周りにトラブルが起きるならリジアの周りにいるのが一番いい。それには打算的な意味もあるんだと思う。でも、何よりも……君を守りたいんだ」
それを聞いた瞬間、何かが自分の中で弾け、また涙が音を立てる勢いで溢れ出す。また「うわ」と慌てだすヘクターから顔を伏せ、
「紛らわしいよ、もう」
と口ごもった。顔はおろか耳まで真っ赤になってるのが自分でもわかる。
「うん、ごめん」
ヘクターがわたしを引き寄せる。そしてそのままわたしのおでこに口付けた。軽い音に思考が働かなくなる。
月明かりの下、ヘクターの腕の中に収まる自分の影に気づいた時、人を引きつける力まで働くのなら、この体質も悪いものではないかもしれない、と思い始めていた。
〜第七話 冒険者は魔女の宴に踊る fin〜