さらば混沌の地
警備隊が用意してくれた、という馬車の元に行くため山を降りると、ごった返す人の多さに驚いてしまった。マリュレーの寂しい広場に集まっているのは茫然とした顔の村人、それを介抱するラシャ神官、人の波を規制したり聞き込みに走り回る警備隊員の姿だった。頭が痛むようで丸くなって座り込む男性や、泣いている乳児をひどく疲れた顔であやす女性を見ると、彼らを責める気も無くなる。
「大半が村に来たところまでは覚えているが、豊穣祭や儀式といった単語すら抜け落ちてる。こうなると聞き込みははかどらないし、このような現象の後では、人々の後遺症も心配なのだ」
ニームが説明しながら首を撚る。
「しかし魔女は全員死亡が確認されたわけで、残るは例の酒場の男となったわけだから、今後の捜査を考えると卿を温情で放っておくわけにもいかないかもしれんなあ」
「……あと一人いるわ」
わたしは呟く。頭に浮かぶのはあの赤毛逆立つ男、フォルフの顔だった。彼は今回どういった役割だったんだろう。結局最後まで出てこなかったのは拍子抜けだった。少なくともハーネルの敵討ちにくるような、彼らはそんな間柄ではないことは確認された。
「『七人』とやらか」
ニームが目を細める。わたしは頷いた。
「大丈夫、その者達がどんな力を持っているのかわからんが、我々も協力するのだ。相手が人間であるなら必ず追い込むぞ!」
ニームの掛け声に兄弟たちも「おいえー」などと口々にはしゃいだ。わたしはまた頷きつつも考える。相手は人間、なんだろうか。フォルフやアルダは力だけ見れば妖魔や悪魔の方が近いんじゃないだろうか。むしろ人間以外である方がいいのかもしれない。彼らがわたしと同じ人間であるなら、誰しもが何かをきっかけにあのような悪魔のような力を手にできるのかもしれない、ということになるのだ。
「フラヴィ!」
シリルの叫びにわたしは思考から戻る。びくりとしたのは呼ばれた本人ではなく一緒にいるヴィクトリアの方だった。
座り込む村人を治療していた手を止め、フラヴィが立ち上がった。はにかむ笑顔でこちらに小さく手を振ると、シリル、カイの元へ歩いてきた。わたしはヴィクトリアの背中を押す。
「ちょっと何すんのよ!」
「いいから逃げないの! バッドエンドにはならないわ!」
わたしはそのまま騒ぎ続けるヴィクトリアを彼らの元まで押していく。フラヴィを目の前にすると面白いように大人しくなった。そのまま気まずい沈黙が続く、と思ったが、ヴィクトリアの方から口を開く。
「あの……フラヴィ、ごめんなさい、私のワガママのせいでパーティーは崩壊しちゃうし、あなたが呆れて抜けてっちゃったのもしょうがないと思う。あなたはいつも『話し合ってわかり合おう」って言ってたけど、そんなの綺麗事だと思ってた。私は正論をぶつけて相手に分からせたかった。それでリーダー顔してたなんて……」
もじもじと話をするヴィクトリアの声を遮るように、
「ごめんなさい! ヴィクトリア」
フラヴィが深々と頭を下げた。「は?」と固まるヴィクトリアの手を取り、フラヴィは続ける。
「黙って勝手に旅に出ちゃって驚いたと思う。でも今日のミサにはどうしても参加しなくちゃいけなくて。驚いちゃったよね? それに来てから気づいたの。私がいないと人数三人でしょう? 他に旅に行くにも教官に止められてるんじゃないかって思ってたから、みんながここにいて驚いたわ。そもそも黙って来たのも『彼』に反対された、なんて子供じみた理由だったから恥ずかしくて……」
話を聞きながらヴィクトリアは「は?」「え?」などと呟いていたが、
「……彼?」
と言って眉を寄せる。するとおもむろにシリルがフラヴィの手を取った。
「黙っててすまん。俺たち、学園卒業したら結婚するんだ」
きりり、と宣言する。フラヴィもにっこり笑って、めでたしめでたし。世界一馬鹿らしい流れとなった。のだが、
「……は、は、反対よ! 何でアンタなのよ!!」
ヴィクトリアの頭が噴火し、青空の下に絶叫が響き渡る。無気力の塊であった村人の中にもこちらを見る者がいるくらいだ。なぜかシリルに掴みかかるヴィクトリアを抑えつつ、カイが割って入った。
「お前なあ、全部勘違いでした、丸く収まってハッピー、じゃだめなのかよ。寂しいなら俺が結婚してやるよ」
「お断りよ! あんたと結婚したらうちの資産持ち逃げされるだけじゃないの、このねずみ男! 大体、私はフラヴィがいてくれたらそれでいいの! そこの間抜け顔もいらない! 手握るな!」
ぎゃーすか騒ぐ四人を見て、ローザが微笑む。
「仲良さそうじゃないのお。少なくともあたし達と顔合わせた当時と比べれば大分改善されたわ」
「改善……してるのかしらねえ」
わたしはカイに思いっきりビンタしているヴィクトリアの暴れっぷりを見て引いていた。まあ会話もろくに続かないよりは、喧嘩出来る方がいいのかもしれない。
これで本来のわたし達の旅の目的は達成、と言ってもらえるだろうか?と教官の顔を思い出していた時だった。
「あの、学園の子たちかな?」
話しかけてきたのはラシャ神官の一人である。ブラウンの髪に白髪の入る渋いおじさま。少々疲労した様子から、彼もまた今回のミサに参加しにやってきた信者であることは明白だった。
「そうですけど……」
答えるわたしをじっと見た後、中年の神官は続けた。
「私の娘も学園に通っているんだ。知らないかな? サラ・ワグナーというんだが……」
「サラのお父さん!」
驚いたわたしは思わず声が大きくなる。言われてみれば目元が似てるかもしれない。
「サラのお友達かな? 恥ずかしながら最近、サラと顔を合わせていないんだ。今日もどこにいるのかわからない始末で、ここに来ればいるかな、なんて少し期待してたんだが、結局会えず仕舞いでね。えーと、……君達には何か言ってないかな?」
わたしは隣にいるローザと目を合わす。やっぱりサラも本来なら今日のミサに参加する予定だったんだ。
「あの、聞いてないんですか? サラは今、仲間の両親を探すためにシェイルノースの方へ行っているはずです」
わたしの答えにサラの父親はとても驚いた様子で目を開ける。そしてそのまま口を少しあけたままの体勢で黙ってしまった。
「えっと、今そこにうちの学園長も来てるんで、お話していかれます?」
わたしが言うと慌てたように手を振り、
「い、いや、結構だ。ありがとう、もう行かなくては」
そそくさと人混みの方へ行ってしまうサラ父に、わたしとローザは再び目を合わせる。
「何か、言っちゃまずいっぽかったわね」
「ってより、サラとあのパパさんの関係性でしょう。旅してることも知らないってまずくない? サラってお父さんと暮らしてないの?」
ローザの質問には「さあ」と首をかしげるしかない。家の事情を話すことはなかったもんなあ。話さない、ってことは「何も問題ない」としか考えなかったし。
広場の人混みに消えていくサラの父親の背中を見送り、わたしはデイビス達の一人ひとりの顔を思い出していた。
「かんぱーい!」
全員揃ってグラスを傾ける。約束通り、ニーム達とごはんである。マリュレーではまともな店が無いので、ブレージュまで戻っての宴となった。時刻はすっかり夜。ここまで我慢したのだから、と思いっきりのごちそうを運んでもらう。まずはよく冷えた葉野菜と生ハムを、甘めのドレッシングで頂きながら生搾りオレンジをぐびりと飲む。イルヴァはいきなりローストチキンにかぶりついている。大食い娘がお菓子だけでよく我慢したもんだ。
マリュレーを離れた途端にこの暑さだ。やっぱりあの一帯は黒水晶の影響で気候がおかしいんじゃないだろうか。わたしは心地よい暑さに冷え切ったグラスを何度も傾けた。
食事を頬張るメンバーにはフラヴィが新たに追加されている。めでたくメンバーに復帰となったからだ。にこにことシリル、カイ、そしてヴィクトリアの顔を見て「美味しいね」と声を掛けていた。確かにこの彼女が抜けた時点でギスギスしだすはずだわ。
「で、あの黒水晶どうすんの?」
フロロが学園長の顔を見る。ロゼワインをゆったりと口に含んだ後、学園長はテーブルに向き直った。
「ラシャ教団の管軸になるでしょうねえ。それに伴ってクレイトン邸を教団の方で買い取る方向になると思う。でもマリュレーの村はフロー教徒が大半なようだから、その辺は便宜を図ってもらうよう少しお話させてもらったよ。何よりあの神父の肩身が狭くなるような結果は避けたいからね」
「は、早いな」
ニームが感嘆、といった風に呟く。ローラスの農村は大抵が農耕の神フロー信仰なので、勢力図が変わっては困る、といった牽制が強いのだろう。
「あの儀式って邪魔が入らなければ成功してたと思う?」
「無理だろうね」
わたしの質問にあっさり答えた学園長。わたしは面食らいつつも頷く。
「まずリジア達の邪魔が入らなかった場合を考えると、単純に力対力の戦いになっていたわけだね。サイヴァ対ラシャ、神様同士で戦ったらどうなるかは分からないけど、今回は単純に信者の数が違いすぎる。サイヴァ側は魔女達と騙されて集まった普通の村人連合。方やラシャ側は邪神降臨阻止に集まった司祭達だ。それにそもそもが神を降臨させる術はとてもとても難しい、成功率も低いものなんだよ。ほんの少しのきっかけで失敗に繋がるくらい、ね。だからこそ準備期間も長いんだけど。
でも今回、実際に止めたのは君たちだ。ラシャ教団もそこは認めているよ」
学園長の話に、ローザも機嫌よくレモネードを飲み干しながら同調する。
「そそ、突入直前にラシャ神官たちと少し言い合いになったのが、結果的には良かったのよ。あれがいいアリバイになったようなもんだわ」
「残念ですけど、その通りだわ。特にローザちゃんの宣言が神官たちには効いてましたから」
フラヴィも笑顔で首を振っていた。
「ま、村の復興には全力を掛けてくれるはずだから、あまり他所のことを言うのは止めとこうかな」
そう言って学園長は椅子に深く座り直した。
「言っとくけど俺はフローにも興味はないぜ。手柄立てたのは俺たちであってフロー教団でもないからな」
フロロの「そこんとこよろしく」という言葉にはローザは苦い顔だ。同意に頷くわたしを、ヴィクトリアがじっと見ているのに気づく。
「何?」
「いや、結局リジアが何やって、あの結末になったのかな、って。よくわかんないままなのよね」
何と答えるべきか口ごもるわたしの代わりに、答えるのはアルフレートだった。
「集中の途切れによる呪文の暴発。つまり自爆だよ」
「自爆?」
問い返すヴィクトリアにアルフレートは頷く。
「魔女達は『目』の存在であるリジアには気づいていた。それがマナを大量に集める集約装置になることも。だからうまいこと使うために村周辺には置いておきたかったわけだ。
ただひどく扱いにくい存在で、儀式の中心に来られるのは困る。降神の儀の邪魔になるし、黒水晶に近づくとどうなるかは魔女も知らなかったんだろ。もしかしたら大量のエネルギーのぶつかり合いによって水晶を破壊されるかもしれない。その結果、呪文を中断したことによる儀式の失敗を誘発できた。魔女たちが黒水晶に吸い取られたのは儀式失敗による副作用なのか、サイヴァからの怒りなのかはわからん」
ふむふむ、と聞いていたヴィクトリアだったが、おもむろに手を挙げる。
「ごめんなさい、『目』って何?」
「歩くトラブルメーカーだと思えばいいよ」
軽く答えるフロロにわたしは手元にあったフォークを投げつけた。
しばらくの間、カイの馬鹿話しに笑ったり和やかな話題に移る。魚介と香味野菜の合わせ方が絶妙すぎて口に運ぶのを止められない。ビネガーの代わりに名産のレモンを使ったマリネも最高。食後にはレモンのシャーベットも忘れないようにしないと。締めはやっぱりレモンたっぷりのチーズタルトか、濃厚なクレームブリュレでもいいな。
そんな中、もくもくと七色の芋虫を口に運んでいたニームが長い溜息をついた。
「儀式の様子など大変細かい話を聞けて有り難い。しかし調査書を書くとなると魔女のことを何と書くか……。上から『何百年も前に死んでる者のせいにするな』などと怒られそうだ」
「リインカーネーションは知ってるか?」
アルフレートの質問にニームたちは首を振る。
「復活の儀よね。最高位の神官が『成すべきこと』を自分に課して、達成されなかった場合に死後、また記憶そのままに転生する、これまた最高位の呪文よ」
ローザの説明にみんなして「へえ」と感心げだ。なんだかおとぎ話みたい。
「その通り。神と対話をし、自らの『成すべきこと』を伝えることが出来る最高位の神官が、その約束を果たすまではあなたの奴隷になりますよ、って神に誓うっていう謂わば呪いだ」
アルフレートの言葉には、
「すごい乱暴な言い様ね……。まあ大体合ってるけど」
とローザも眉を寄せつつ頷く。にこにこと笑っていた学園長がナイフとフォークをゆったり置いた。
「私、『今回』の魔女たちの身元、知ってるかもしれないなあ」
全員が一斉に学園長を見る。ニームなど椅子の上に飛び乗ってしまった。
「フィオーネでの学会や会合で何度かお見かけした学者さんがいるんだけど、その方の家族が界隈だと有名だったんだよ。『全員、似すぎ』って」
それを聞き、わたしはごくりと喉を鳴らした。
「学者……、民俗学の学者の家族って話、本当だったんだわ」
クレイトン卿の話を思い出す。彼はでまかせに騙された、って言い方してたけど、本当の話だったわけだ。
「メイドまでそっくり、なんて一家はそうそういないだろうからねえ。まあ間違いないだろうね。
……それよりさっきのリインカネーションの話だけど、一個追加があるんだ。あの呪文はね、『力が強い者ほど、転生後に記憶が早く蘇る』んだ」
わたしは学園長の言葉を頭の中で何度も反復させ、意味を考える。そして思い至った。
「それって……」
「そう、彼女たちのリーダーは一番小さな子だね」
わたしは一番末っ子、ヒルダの愛らしい笑顔と、地下神殿で出会った時の憤怒の顔を交互に思い出していた。
「私からも追加があるぞ」
アルフレートが鼻を鳴らす。
「呪文の説明は聞いただろ? じゃあ魔女たちは『成すべきこと』を『成した』のか?」
全員が静まり返る。一人面白そうにエルフは続けた。
「違うだろ? 次の復活は何百年後になるだろうなあ。私の生きてる内だといいんだが。いや、実に楽しみ」