夢から覚めたら
真っ黒な闇を漂う浮遊感から開放されると、背中にひんやりとした重力を感じる。延々と暗闇の中でもがいていたけど、どこからどこまでが現実なんだろう。
肩を揺する振動にゆっくりと目を開けると、こちらを覗き込む顔があった。
「ああ、起きた。大丈夫そうだよ」
にこりと笑う学園長と、隣に並ぶ青白い顔のローザである。いつも以上に引き締まった顔はとても美しかった。
「ほんとーーーーーーーに心配したんだからね」
ほうと息吐くローザの後ろに目をやると、相変わらず巨大な黒水晶は存在しているが、その様相はまるで違っていた。取り巻く闇が消えている。ただ沈静化した今の方が、ぬらぬらと黒く光る気味の悪い鉱石だと感じた。静まり返る古代の祈りの場には邪神は降りていない。どうやら助かったようだった。
「ごめん、ローザちゃんこそ大丈夫だった? 駐在の人たちは?」
「大丈夫、無事に治ってるわ。まだフレオさんの方は栄養状態がかなり悪いから、戻ってきたトカゲちゃん達に預けた」
そういやニーム達を放ったらかしだったな、と起き上がろうとすると手で制される。
「ゆっくり起き上がって。腕も治したばかりだから」
学園長の言葉にはっとして腕を見た。両腕とも特になにもない。痛みも無ければ傷跡も、疼きさえ無かった。ただ服は酷い有様だ。あちこちがほつれ、または破れて肌が見えている。このカットソー気に入ってたんだけど、と親指大の穴を触りながら眉を寄せる。こんな生活送ってりゃしょうがないか。
「腕、どうかなってたんですか? ……いいや、やっぱ聞くのやめとく」
嫌な予感がしてわたしは質問を中断した。聞いても気持ちのいいものではないだろう。言いつけ通りゆっくり起き上がると、徐々に周囲の様子がわかってきた。みんな無事だったようで既に起き上がっているアルフレートやフロロ、わたしと同じように起き上がりつつあるメンバーが大半でほっとする。まだ倒れたままのヘクター見て慌てて駆け寄ろうとするが、彼の腕を取る学園長が笑顔で頷いている。安堵の息が大きく漏れた。
あの混乱で石の兵士はもちろん、鉄巨人も消え去ってしまったようで、踏み込んできた時よりもさらに広く感じる。篝火や魔法陣といった儀式に使われていたものも、跡形もない。ただ、アルフレートとフロロが話して指差す先を見てぞわり、一瞬恐怖が蘇る。
藍のローブに身を包んだ魔女たちがまとまって倒れていた。その姿はやけに薄く、風化する手前のような儚さである。顔をこちらに向けて倒れている一人と目があった……気がしてしまった。実際には目は固く閉じられ瞳は見えないし、ついさっきまで動いていたのが信じられないほど肌はすでにかさつき、ミイラのようだ。
「……死んでるの?」
わたしは恐る恐る近づき、アルフレートに尋ねる。
「儀式を途中で失敗させた者は死ぬ」
簡潔な答えが返ってきた。そうか、ならあの行動でよかったのかな。まとまり無く倒れている彼女達を見ても作り物のような気がしてしまう。あの儀式を目の当たりにしてもなお、本当に魔女だったんだろうか、なんて考えてしまうのだ。まだ小さなヒルダの伏せる姿を見て、今更胸が痛んだ。
「クレイトン卿はどうしたんですか?」
ヘクターの声に後ろを振り向く。見ると起き上がった彼が学園長に尋ねていた。学園長はヴィクトリアの方をちらりと見る。少し離れたところにいる彼女はまだローザの治療中だ。
「……首都に行くそうだ。家族が待ってるそうだからね。ただ、ここに戻ることは『許可しなかった』。大丈夫だよ」
やや小声の、色々含みのある言い方だが、あの後、屋敷に残った二人の間で様々なやり取りがあったことは想像に難くない。
何か言いたそうなヘクターに学園長は一言、
「悪い人じゃないんだけど、誘惑に弱い人だったからね」
と苦笑した。カイがふらりと現れ、アルフレートの隣に立つ。
「当主がいなくなるんじゃ大混乱だぜ。これから更に不機嫌になるな。なんせクレイトンはヴィクトリアの家だけじゃねえ」
ヴィクトリアの方を見ながら言う彼に、アルフレートは「私に情報売らんか?」と持ちかけていた。全くもってしょうがない。
「無事だったか!」
大きな声と共に入ってきたのは警備隊員の集団だった。新しく見る顔ばかりである。どうやらようやく人数割いてやってきたようだ。その中心にいるのはあのトカゲ兄弟である。
「現場の保全を頼むぞ。……ああ、彼らは功労者だぞ? 丁重に扱い給え」
てきぱきと指示するニームに笑いそうになる。本当にお偉いさんだったわけだ。
「いやはや、あの時逃げておいて正解だったようだ。我々が残っていたら悲しいが、岩に叩きつけられてバラバラだった」
「時は退くことも英断ってね。まあ後でじっくり話聞かせてやるよ。飯のおごりでな」
フロロからの提案にはトカゲたちは喜んで頷いていた。ニームがわたしの顔を見ながら言う。
「戻りながら話さんか? 上はもう安全だ」
わたしは全員が起き上がり、元気な様子を見てから頷いた。歩くと体中が痛い。怪我、ではなく筋肉痛だ。もっと鍛えなくちゃなあ、とため息つきながらホールを出ようとした時だった。大きな扉に目が止まる。ここに侵入した際に通った黒い扉である。
「あ……ここの鍵だったわけだ」
わたしはローブの内ポケットから駐在員フレオの隠していた、あの古代人の鍵を取り出す。鍵穴らしきくぼみはちょうどこの鍵の丸い部分と同じ大きさだった。入れたらどうなるんだろう、という好奇心もわくが、やめておく。全員が閉じ込められても困る。
そしてふと、気づく。鍵は駐在所にあったのに、ここは開放されている。ということは開けてから落としたことになる。そして落とした人物が開けたことになる。だから見つかってはまずかったのか、そもそも鍵の持ち主を見つけたこと自体が、フレオにとって『まずかった』のは間違いない。正義感溢れる警備隊員が命を落とさなかったことだけは本当に良かったと思う。同時に哀れなジョセフにあらためて哀悼を捧げた。
「まーったくびっくりしたなんてもんじゃないわよ。ずっと揺れは収まらないし、それどころかドカーン!とデカイ爆発みたいな振動するわ、いきなり下から暴風が吹いてくるわ、真っ暗闇になるわ、ほんの一瞬だけど魔法も使えない状態になるわ、で下に行ってみたら全員倒れてるんだもん。心臓止まるかと思った。しっかしそんな危ないやり方、よくやったわね? 魔女が嫌がってるからとりあえず近づいてみよ、なんてさあ。もし黒水晶が爆発するとかだったらどうしてたのよ。あの大きさの魔石よ? あたし達どころかここら一帯吹き飛びました、なんてこともあり得るかもしれないじゃない。結果はまあ良かったのかしらねえ。リジアに気を取られて儀式中断しちゃったんでしょ? 儀式失敗の代償は死、か……。それだけ常人には出来ない魔法なんでしょうけど」
降りる時よりも心持ち明るくなった感のある通路を今度は登りながら、ローザの話を真面目に聞いてるのはメンバーの内、何人なのか。
「お前は本当にうるさいな」
アルフレートの舌打ちにようやく中断する。「それだけ心配したのよ!」との叫びを付けて。
「イワンとフレオのことだが」
ニームが二人の駐在員の名前を出す。
「二人を襲ったのはやはり『竜の爪亭』マスターだったようだ。襲われた後、何も言わずにあの牢屋へ入れられていたらしい。フレオの方の話はもう少し詳しく聞きたいところだが、彼の状態が回復してからだな」
一同はちょうど牢屋の並ぶ通路に戻ってくる。鉄鎖や拘束具が掛かる壁を見て「何の部屋なのかしら」とつばを飲んだ。駐在員二人が入れられていた牢屋に残る赤黒いシミを見て、よく助かったな、と思う。
「結局、あのマスターは何者だったのかしらね」
わたしが言うとニームも頷く。
「それはこれから捜査しよう。ウェリスペルト出身の冒険者というのも怪しいものだがな」
それに割って入ってきたのはアルフレートだ。にこにことしながら、
「彼の上の名前はわからんが、ファミリーネームならわかる。クレイトンだよ」
と、サラリと言う。一瞬静寂が訪れるが、「えええ!」「ううぇ!?」「はあ?」などの声で溢れかえった。中でも顔を真っ赤にして詰め寄るのがヴィクトリアだ。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ! あんな人うちの親戚にはいないわよ! 少なくとも私は知らない!」
「知らないだろうな。君の伯父貴も気づいていない。なんせ彼の直接のご先祖がクレイトンから追放されたのは『あの絵』からして革命期前……ああそうだ、卿の話によると四世代前の人物だったな。顔を合わせたことも無い遠い親戚のことなんぞ知らなくても無理はない」
「絵……屋敷の地下にあった肖像画ね?」
わたしはアルフレートとクレイトン卿の会話を思い出して言った。わたし自身は見れなかったが、最初に威厳ある当主の肖像画を見た部屋ではなく、なぜ一枚だけ物置に置いてあるのかは気になったのだ。アルフレートは頷く。
「目鼻立ちとおでこの形がよく似てたよ。……あの当主像が並んでいた部屋には女性や子供の絵すらあった。なのに別部屋で乾燥豆と酢漬け野菜と一緒にされてる絵があったら『こいつは誰だ?』と思うだろ? だから聞いたんだ。そしたら卿は『四世代前の当主の兄弟で、とても破天荒な方だったと聞いている』と言った。我々の前ということでかなり控えめに言ってこれだ。意訳すれば『超問題児でした』ってことだな」
「それで何か問題起こして絶縁された兄弟がいて、マスターはその孫の孫……か何かってこと?」
わたしはぞくぞくとしてくる。
「そういうことだ。もう一つ、ずっとあの妙ちくりんな店の名前が気になっていた。まあ飲み屋の名前なんて大抵妙ちくりんなものばかりだが、どうも引っかかっていた。それであの絵を見た時に思い出したんだ。我らが勇者マリクを描いた伝記に、少々出てくるクレイトン将軍というのがいるが、彼は火竜の爪にやられて死んだんだ」
「それに引っ掛けて、自ら、に、匂わせていたのか」
ニームが呻いた。わたしもマリクの伝記は読んでいるが、クレイトン将軍も言われて「そういえばそんな人物もいたっけな」と思い出す程度だった。
「たぶん気づかれたら気づかれたで面白い、程度の茶目っ気だったんだろうがね。そもそもなぜ魔女に加担したのかはわからん」
「復讐とかかしらねえ。あんまりいい身の上じゃなかったとして、実は名家の血を引いてるなんて事実をしったから、こじらせちゃったとか」
ローザの説が近い気がする、とわたしも思う。
「お父様に言った方がいいかしら……。そんな危ない人がいるなんて、一族みんなで共有するべき情報よね」
青い顔のヴィクトリアに、首を振ったのはフロロだった。
「もう戻らないはずだぜ、あいつ。あの男、アサシンギルドのメンバーだわ。短剣見たっしょ? あの刃の部分が蛇みたいなの。あれ、ギルドのメンバーが持つ武器なんだわ。アサシンギルドの奴はヘマやらかした土地には戻れない。……もうこの世にもいないかもね」
また静寂が訪れる。リズウが「こわいこわーい!」と叫んだ。もう二度と関わり合いになりませんように、と祈ることにしよう。
「いやはや、とにかく貴重な情報、ありがたく感謝する」
ニームが疲れの濃い声を出しながら帽子を取ってみせた。
出口が見えてくる。すっかり日が昇っているようだ。逆光に目を細める中、人間のシルエットが浮かび上がった。
「おかえりなさい」
ほっとした笑顔で声をかけてくるのはヤン神父。ジョン少年も一緒である。
「村には今のところ被害者は確認されていません。大多数の人間がかなり衰弱した状態ではありますが」
「うちの家族もみんな無事だったみたいなんだ。本当にありがとう」
ジョンはお礼を言いながら目に涙を浮かべる。もうマリュレーを出て行く必要もないし、これからは家族で暮らすことになるんだろう。
わたしは安堵して軽くなる心とは裏腹に、疲労で重くなった足を持ち上げて最後の段を登りきった。