英雄
突如現れたモンスターの軍団は、命令でも受けているのか迷いもなくこちらに牙を剥いてきた。こちらを卑下するような笑い声を響かせ、地下神殿の柱の合間を飛んでくるインプの群れ。久方の食事を見つけた獣のごとく突進してくるオーク数体。それに混じって他の足音もどんどん登ってきていた。
「魔女が使役したな」
アルフレートはそう楽しげに言うと、素早く呪文を唱えだす。その間にわたしは上空を飛ぶインプに狙いを絞る。
「エネルギーボルト!」
青い魔力の塊が、うねる動きを見せながらインプの群れに突っ込んだ。何匹かを巻き込んで弾け、悪鬼の悲鳴を響かせる。初手としては悪くなかったはずだが、こちらに注目させてしまったのも事実だった。
「ストーン・サーヴァント」
アルフレートの呪文と床についた手に地面が揺れる。水面のように動き出した地面から、石の兵士達が次々に現れた。ゴーレムを小型にしたような兵士達は全部で6体。
「そこの小娘二人を守ってろ」
アルフレートの命令にぎこちないガッツポーズを見せると、いつの間にか現れていた骸骨のモンスター、スケルトン達に拳を振るう。気持ちいい乾いた音を立てて、次々と骨の戦士をふっ飛ばしていく。いきなり楽な立場になったわたしは頬をかいた。
命令を出したアルフレートはそのまま敵陣に突っ込み、触れるものを全て衝撃波で跳ね飛ばす。イルヴァも最初から全開でウォーハンマーをブン回し、カイが慌てて避けてたりする。
しかし油断出来ない状況がすぐにやってきた。わたしの腕を掴んでいたヴィクトリアの手が震える。地響きを立てて奥からやってくる影が、徐々に姿を表したのだ。
トロルかサイクロプスか、というほど大きな体をしたそれは、紫に光る肌からは煙が立ち、頭の両サイドから伸びる角は天井に突き刺さらんばかりだ。闇を湛えたような双眸は見ているだけで不安になる。
「デーモンだわ……。今まで遭遇した奴よりかなりでかい」
わたしのつぶやきにヴィクトリアが悲鳴に近い声で叫んだ。
「い、今まで!? どんな旅してたのよ、あんた達!」
どんな、とあらためて言われると、確かにひどい冒険ばかりだったなあと思う。デーモンどころか神の従属の悪魔に出会ったり、邪神降臨に付き合うのも今回が二回目だ。
ヴィクトリアの大声に反応したのか、インプが再びこちらに狙いを定めて急降下してくる。
「あ、ああ〜! ファイアー……」
「アイスジャペリン!」
わたしの悲鳴に被せて、ヴィクトリアが氷の矢を飛ばしてインプを討った。「やるじゃん」と言うわたしにヴィクトリアは涙目で詰め寄ってきた。
「ああああんたがファイアーボールなんて唱えようとするからでしょう!? 広いとはいえ地下でそんなもの唱えるなんて信じらんない!」
わたしとヴィクトリアが騒いでいる間にも、石の兵士達は黙々と周囲の魔物を倒していく。しかし無敵艦隊とはいかなかったようで、6体の内一体がオークの棍棒に倒れてしまった。岩を砕くような粉砕音の後、頭部をへこませた兵士は床に溶けるように消えていった。
石の兵士一体を葬ったオークは興奮の雄叫びを上げる。突き出た腹と膨らんだ頬が揺れ、豚のような顔からは唾液が飛び散った。恐ろしさと激しい嫌悪にわたしもヴィクトリアもぶるりと震える。
次に起こったことは本当に一瞬だった。オークの肩に飛び乗る影。まるで蜘蛛のような動きで素早く、しなやかに着地するとその影……カイはそのまま二本の短剣をオークの首に突き刺した。血しぶきを避けるよう飛び退く動きも動物のように素早い。カイはこちらを見てにやっと笑うと、またモンスターの群れに突っ込んでいった。
「あ、何かちょっとかっこいいかも……」
そんなことを呟くわたしを、ヴィクトリアはふん、と鼻で笑っていた。
一際大きな雄叫びが地下神殿に響き渡る。力を鼓舞するように一吠えしたデーモンは、前を見据えると対峙するように剣を構えるヘクターを見下ろした。そして頭上を飛び回るインプをうっとおしそうに見ると、一気に数匹を叩き落とした。声もなくインプ達は塵となって消えていく。
「ひょー主役の似合う男だね」
いつの間にか頭に乗ってきたフロロが前を見ながら口笛を吹いた。わたしはというとそんな余裕を持って見てられない。あんな自分の身長の何倍もありそうな相手と戦って大丈夫なんだろうか。ヘクターの剣の腕は信頼してるけど、あんな怪物の一撃でも当たれば死んでしまう。
「あ、あんたも協力してきてよ!」
思わずフロロに八つ当たりという名の懇願をするが、ひょいと肩をすくめられてしまった。
「アンデットに悪鬼相手じゃ俺の撹乱もあんまり通じないんだよなー」
そう言いながらジャケットからパチンコを引っ張り出し、上空へと的を絞る。ばちりと音がしてインプの一匹がよろけた。そして他のインプにぶつかり、もみ合いながら落ちてくる。そこへイルヴァのウォーハンマーが無慈悲な勢いで振り下ろされた。
「ヴァイスブレイド」
アルフレートの声が響き、ヘクターのロングソードが白く輝き出した。光に群れる虫のようにスケルトンが集まりだし、ヘクターに手を伸ばす。1匹はそのままヘクターの剣の一閃によって頭蓋骨を跳ね飛ばされる。カラカラと乾いた音が響き、また揉み合う骨の音で場が満ちる。ヘクターが勢いをつけてスケルトンの群れに飛び込んだ。そのまま体当たりするとスケルトン達の間を縫って行く。そこへ振り下ろされたのはデーモンの拳だった。ヘクターは飛んで避けるが、何匹ものスケルトンが吹っ飛び、粉々になっていく。
「うへえ、雑魚の悲しい扱いやね」
フロロの呟き通りではあるが、見ているこっちは気持ちいい。しかし二体目の石の兵士が溶けるのを目にして、わたしは慌てた。ちょっと悠長にはしてられないかも。
「カイ!」
ヴィクトリアが叫ぶ。カイがオーク相手に剣を振るうところへ、インプが急降下を掛けてきているのだ。インプの爪がカイに届く瞬間、振り向きざまのカイの短剣がインプの腹部に深く突き刺さる。小鬼の返り血を浴びるカイに、オークが棍棒を振り上げた。
「フレアランス!」
ヴィクトリアの手から真っ赤な炎の矢が飛び出す。鈍い音をさせてオークの胸部に突き刺さると、オークの体は一瞬の痙攣の後、そのまま燃えだした。その光景を見たヴィクトリアは、ふらりとして倒れ込む。まさか貧血じゃないだろうか。わたしだって未だにこういうのは慣れないもの。
「お、おい」
助けられたカイが救出に向かうというあべこべな状況に、石の兵士の残りが駆けつけた。
激しい破壊音にわたしは慌ててその方向を見る。柱の一つが崩れている。土煙が舞う中をヘクターが走り、彼の銀色の髪が揺れるのをデーモンの手が追いかける。そして深く息を吸い込む動作を見せたかと思うと、デーモンの大きく開かれた口に光が収縮しだした。一直線に伸びる光線にわたしは目をつむる。再び目を開けると直線に抉られた地面と、衝撃によって飛ばされたヘクターが見えた。慌てて駆け寄ろうとするわたしを、フロロが髪の毛を引っ張って止めてくる。
デーモンが足を踏み出す。すると、
「ブラウ・ファーレ」
アルフレートの呪文に空気が揺れる。彼の指先から放たれた青い矢が、デーモンの太ももに突き刺さった。痛みと怒りの咆哮を上げるデーモン。残りのオークを片付けるイルヴァ以外が動きを止め、身を竦める。その隙にヘクターが起き上がり、また駆け出した。
「いつまで湧いてくるのよ、この軍団! エネルギー・ボルト!」
ヘクターの方へ集中したいのに未だに取り囲んでくる骨の軍団にわたしはイライラとした声を上げる。石の兵士がいるとはいえ、そろそろイルヴァやカイも疲労してくるのではないか。見ると二人共、力強く武器を奮ってはいるが、返り血と土煙でひどい状態だ。わたしは崩れた神殿の一部に駆け上り、声を張り上げた。
「もう新たに奥からはやって来てないわ! 今いるのを片付けたらお終いよ!」
『おう!』
みんなの力強い声が応える。最後の一匹と思われるオークに、イルヴァがハンマーを振り上げた。対するオークも奇声をあげながら棍棒を振るい、イルヴァのハンマーとぶつかり合う。もう一度、と振りかぶったハンマーの頭が、瓦礫の中に突っ込んでしまった。
「……抜けません」
無表情のまま、うんうんとハンマーの柄を引っ張るイルヴァにこっちは焦る。
「ち、ちょっと! いいから逃げて!」
「だめです〜イルヴァの相棒ちゃんです」
「いいから後ろ! 後ろぉ!」
わたしの悲鳴が木魂し、状況を見て勝利を確信したのかオークは動作がゆっくりになる。イルヴァの頭目掛け、土色の腕が棍棒を振り上げた。
オークの側で、銀色の光が瞬いたように見えた。次の瞬間にはオークのひどく耳障りな悲鳴が轟き、肩口から吹き出る血で柱が汚れた。
「シリル!」
わたしは現れた人影に叫ぶ。オークの後ろにいる人物はまた剣を構え直すと、そのまま呻くモンスターの腹を切りつけた。
「シリルさん、ありがとですー」
相棒を救出したイルヴァがあらためてハンマーを振りかぶり、喚くオークの頭部に叩きつけた。致命傷だった、ということだろう。ひしゃげた頭のオークはその巨体を地面に沈める前に、塵となって消えていく。それを見終えること無く、イルヴァとシリルはスケルトン軍団の真ん中にいるカイとヴィクトリアの方へ駆け出す。
「シリル! あっちは大丈夫なのか?」
カイの質問にシリルは頷いた。
「細かい治療に移って、俺では役に立てそうになくなったから、ローザに任せてきた」
その様子を脇目に、わたしはデーモンの方へ走る。相変わらず人の頭に乗ったままのフロロが慌てて前髪を引っ張ってきた。
「おいおいおい、あっち行ってどうすんだよ! アルと兄ちゃんに任せておこうぜ」
「それをしたくないのがわたしなの!」
鼻息荒いわたしに諦めたのか、フロロは大人しくなる。わたしは崩れが激しい神殿の床に足を取られないよう気をつけながら、デーモンの方に近づくと柱の影に隠れた。
デーモンの攻撃を避けながら、というよりほぼ逃げる体勢になっているヘクターと、先程より怒髪の感が強くなっているデーモンがいた。
「いやはや立派なもんだね」
横からひょっこり現れたアルフレートにわたしは悲鳴を上げる。
「な、なんでアンタがここにいるのよ!」
「一人で大丈夫そうだな、と思ったからだ」
あっけない答えにわたしは顔が強張る。そんなわたしにアルフレートは前を指差してみせた。
ヘクターがデーモンの腕を目掛けて剣を振るう。それは大きく逸れて、折れた状態でかろうじて立っている柱を薙いだだけだった。しかしアルフレートの附加呪文のおかげか、刀身を光らせた剣は面白いように切れる。現に薙いだ柱も見事な鋭角を見せて崩れないでいた。
デーモンは再び口から光線を飛ばす。瓦礫をなぎ倒し、閃光と同時に小爆発を起こす。それを走ってよけながら、飛んできた破片をヘクターは剣で弾き返してみせた。
デーモンが腕を伸ばす姿は脅威でもあり、猫を捕まえようとする人のような滑稽さも見える。時々振るうヘクターの剣は殆どが空振りするが、たまに軽く薙いだ程度の当たりも見せる。そのたびにデーモンはけたたましく吠えるのだ。
倒れて斜めに生えた壁を駆け上がり、ヘクターはそこからデーモンに跳ぶ。振り向くのが遅れたデーモンは背中に飛んできたヘクターを嫌がるように激しく身を振るった。そのまま斬りつけるのかと思いきや、ヘクターはその流れのまま飛び降りる。そしてデーモンのくるぶし辺りに剣を叩きつけた。
身を捩ってふらついていたデーモンはもろに食らった足への一撃で、大きくバランスを崩す。続く光景にわたしは思わず悲鳴を上げそうになった。巨体の倒れる轟音と共に、鈍い重い破裂音が響く。もうもうとする土煙は地下の淀んだ空気ではなかなか収まらない。それが徐々に晴れてくると、鋭利な姿を見せていた柱が、倒れたデーモンの首から生えている、という光景が現れた。そしてその状態でもデーモンは怒り狂ったように手足をばたつかせている。凄まじい生命力だ。
わたしがごくりと喉をならしている内に、ヘクターはデーモンの胸部に駆け上り、勢い良く剣を突き刺した。今度こそ断末魔が上がる。この一連の動きを、わたしは瞬きも忘れて見ていた。
目の前にいるのはわたしの恋い焦がれている少年ではなく、一人の英雄になっていた。