魔女の住処
伯父が変装していた、という事実だけで察することがあったのか、ヴィクトリアは大雑把な説明だけでも、
「わかったわ」
と頷いていた。声は力ないし本気で呑み込んだわけではないだろうが、今は時間もない。その方が助かるのも事実だった。シリルの方が目を白黒させたまま、起き上がるまで時間がかかる始末で、途中で会ったラシャ教のプリースト二人のことまで話せるような雰囲気では無くなってしまった。
「これのことだと思うの」
ローザがそう言ってジョンのローブの袖をめくり上げた。二の腕のかなり肩に近い部分に藍色の刺青があった。例の卵型にイナズマの入ったマークである。
「これって……」
言い淀むわたしにジョンは小さく頷いた。
「活動に使ってたマークだよ。『マーキングする上で忘れないように』って意味でつけられた。『じきに取れるから心配しないように』って言われたんだけど、取れたら死んじゃうのかな、僕」
言い終わるなりポロリと涙が溢れるジョン。ずっと気を張って我慢していたものが溢れたようだ。わたしまでもらい泣きしそうになってしまった。何も知らない人が犠牲になるのは理不尽すぎるではないか。
ヤン神父がジョンの背中を摩りながら、
「何とかならないものでしょうか」
と懇願する。何とかしたいのはこちらも同じこと。そのために今、動いている……はずなんだが、未だに根元が見えてこない。
「こすっても取れないけど、刺青のような彫り物でなくインクで書かれたらしいの。多分、まじないの力が入ってるんじゃないかと」
ローザがそう言ってマークを軽くこするが、話の通り綺麗なままだった。
「これは……ラハ=サド語の結び文字かもしれない」
クレイトン卿が眉を寄せ、ジョンの腕をとる。実際に覚えている言語は大した量ではないが、種類だけはそれなりに覚えているわたしは首をひねる。全く聞き覚えがない。
「ラハ=サド語?」
「古代語の一つで、サイヴァの力がもっとも強いと言われる南西の大陸で使われてた言語だ。『〆』とかの意味が強いかな。結界や魔法陣作成の際に、一番最後に描かれる文字だ。ラハ=サド語自体は今じゃ普通に使う者はいないだろうけど、サイヴァ信者の間では伝えられている、とは聞いたことがある」
卿の説明に、へえ、などと頷いていると、
「何これ!」
ヴィクトリアが叫ぶ声に、みんなびくりとなる。見ると自分の黒いローブの袖をめくり上げているヴィクトリアが腕を必死にさすっていた。嫌な予感にわたしは駆け寄り、彼女の腕を取った。ヴィクトリアの真っ白の二の腕にジョンと同じマークが描かれている。ぞわりとした物が体に走り、わたしは唾を呑み込んだ。
「やられた、多分今さっきだな」
シリルも自分の腕を眺めて呟く。こちらは普段取り冷静な声に戻っている。よくわかってない、という可能性もある。
「い、生贄のマークだとかって言ってたわよね? 私も殺されるの?」
「まだ決まったわけじゃないから落ち着いて」
そう答えながらも、わたしは無意識に唇を噛んでいた。儀式を止めるのは決意していたものの、仲間からも犠牲が出ると焦りが加速する。
「とりあえず、ジョンとヤン神父はフローラちゃんの中に戻って。ヴィクトリアも心配なら入っててもいいわ。この中なら安全かもしれない」
ローザの提案にヴィクトリアはすぐに首を振った。青白い顔ながらも、
「私もみんなと行くわ」
と力強く答えた。
フローラに手を伸ばすジョンの動きが止まる。クレイトン卿をじっと見ると近づいていった。
「領主様ですね? 僕、何度か挨拶したことがあります」
「そうだよ、最近は村にも顔を出さずに、申し訳なかった」
「いえ、みんなアーロン様はご病気なんじゃないか、って心配してたんです。元気なようで、よかった。……あの、領主様、僕たち」
そこまで言うとしばらく顔を伏せ、黙ってしまう。そして意を決したように再び顔を上げた。
「僕らが村をめちゃくちゃにしてしまうかもしれないんですね。でも、本当に村の人はサイヴァを呼び出す儀式だなんて知らなかったんです。楡の木会のことも、参加はしててもお祈りする神様はみんなフロー様のままでした。もし無事に済んだら、マリュレーに残ることを許してください」
それを聞き、みんな黙ってしまう。目に見えてショックを受けたのは、言葉を受けたクレイトン卿本人で、目を大きくした後、唇が震えだす。
「私の方こそ、すまない、本当に。こんなことになって」
続きが言葉にならない卿を不思議そうな顔で見た後、ジョンは神父と供にフローラちゃんの中に戻っていった。
「それじゃ村まで戻る、ということでいいかな?」
ニームの問いかけにわたし始め、何人かが頷いた。
「じゃあ辛気臭いとこ出ようぜ」
「戻るのも辛気臭い場所だがな」
フロロとアルフレートの会話にみんなが苦笑した時だった。地下の廊下を流れる空気が動く。フロロの顔が真顔に戻ったことからも、わたしの勘違いではないと思う。
「……玄関が一瞬開いたな。誰か入ってきたぞ。……魔女じゃない。そんな気配じゃない。でも、これは」
ぶつくさ言うフロロに全員がそろそろとついていく。上への階段が見えてくると、そこに足を踏み出しながらこっちを見る顔があった。
「やっぱりあんたらか。よかったぜ、無事だったんだな」
そう言いながらほっと肩の力を抜く人物。逆立てた髪が緑に染まる、こんな頭をしているのは一人しかいない。盗賊のカイである。わたしも敵ではなかったことに大きく息を吐き出した。彼の額に巻いたバンダナが汚れている。
「魔女ども追いかけ回すのに急斜面、転がり落ちるような下山したからな。すっかりいい男が台無しだぜ」
肩をすくめる仲間に、ヴィクトリアは「自分で言わないでよ」とため息ついた。
「それよりその魔女どもが戻ってこなかったか?」
カイの質問はあべこべのようでヴィクトリアでなくとも「は?」と声が漏れる。こちらの様子にカイはおちゃらけた雰囲気を引っ込めた。
「こっちじゃなかったのかよ。山の方へ戻ったからてっきりこっちかと。くそっ、無理しても馬使うんだった」
爪を噛むカイにわたしは尋ねる。
「ちょっと待って、魔女たちは村へ行ったんじゃなかったの?」
「村に行った。それは俺も見たんだ。村の広場で豊穣祭の挨拶なんかをして、また馬車に乗ったかと思えばそのまま東側の出口に向かっちまったから、てっきり館に戻るのかと思ったんだよ。下りと違って追いかけるには無理があったんだ」
カイの話はもっともなのだが、せっかくの尾行の意味が無くなってしまった。ここに来て魔女たちの居場所が掴めていないのは痛手すぎる。
「館に戻るつもりなら最初に全員揃っては出て行かないだろ」
シリルの憮然とした声に、
「知らねえよ、俺は魔女じゃないし」
言い返してから自分でも子供っぽいと思ったのか、カイは頭を掻いた。突っ込んだシリルも後悔したのか揃って頭をかく。
「東っていうとタラールの森だな」
ヘクターのつぶやきにニームとトカゲたちが「それだ!」と手を叩く。
「じゃあどっちにしろ、わたし達も山を降りなきゃ」
わたしの言葉にまた全員が動き出した。
地下を出る直前だった。アルフレートが階段を登らず倉庫と見られる部屋に入っていく。そして中からクレイトン卿に声をかけた。
「これもご先祖かな?」
「どれ……そうだ、四世代ほど前の当主の兄弟だ。とても破天荒な方だったと聞いている」
「へえ、顔がそんな風にやんちゃな感じだな。……どうもありがとう」
そう言って部屋を出てくる。わたしも少し覗いて見たくなったが、
「早く登ってよ」
すぐ後ろにいたヴィクトリアに急かされてしまった。
階段を駆け上がり、ホールまで走る。そのまま館を出ようとした時だった。
「我々はここまでで」
学園長がクレイトン卿の腕を引っ張り、ホールへ戻す。そしてわたし達にいつもの笑顔を向けた。
「ここから先は君たちで頑張りなさい。私はクレイトン氏とお話しながら待つことにするよ。大丈夫、彼はしっかり守るから」
その提案に一瞬戸惑うが、頷いて飲み込む。単純に考えれば、卿を守るのと同時に監視するのだろう。それにわたし達も学園長が一緒にいれば、どこまでも頼ってしまうかもしれない。
「ああ、そうだ、馬はあるか?」
アルフレートが聞くとクレイトン卿は顔を上げた。
「裏の厩舎に代えの馬がいるはずだ。馬車は魔女たちが乗って行ったようだから無いと思うが」
「十分だ。我々には便利な『箱』がある」
アルフレートの指差しにわたしは半目になる。フローラがそこにはいたからだ。ここに全員が入って、馬に乗れるのはアルフレートだけだし、ううーん……。まあしょうがないか。
「それじゃ行ってきます」
ローザが珍しく名残惜しそうな顔を父親に向ける。それににこりと微笑むと、学園長は手を振った。
「しっかりやりなさい」
その言葉を最後に館の扉が閉まる。閉まる寸前に見えたのは背の高いクレイトン卿の、青白い顔だった。
「うう……きつかった」
満員のイグアナから脱出したわたしは、さして久しぶりでは無いはずの地面を懐かしむよう足踏みした。そして肌に触れる空気の変わりように周りを見る。
「ここがタラールの森?」
「そうだ。中心部までは来て見たが、魔女の家とやらは見つからん」
アルフレートが馬を降りながら答える。彼の呼び出したウィスプが辺りを照らしてはいるものの、今にも周囲の闇に飲み込まれそうだ。夜の森は当然ながら恐怖を感じる。風が吹くたびにざわめく木々の音はゴブリンの声にも聞こえるし、巨木のモンスター「トレント」が襲いかかってきそうな気配にビクビクする。月明かりも薄雲に覆われていては頼りない。昼間は癒しを感じる森の木は、暗闇に浮かぶシルエットだけになるとどうしてここまで不気味なんだろう。
「おい、探し物の専門家」
そう言ってアルフレートが声をかけたのはフロロだ。言われたフロロは「無茶言うなよ」と眉を寄せている。そんな二人に待ったをかけたのはシリルだった。
「アムトラに『戦闘の方向』を聞いてみる。答えがあるかは保証できない」
表情に自信の無さが出ている。必ず答えてくれるわけでは無いんだろう。それでも胸元のロザリオを掴むと、目を瞑って神の名を唱えだした。
「アムトラって面白い神様ね」
そう関心げな声を上げたのはローザだ。確かにこんな使い方も出来るなんて面白い。戦いを司る神、と言うと荒々しいイメージを持ってしまうが、シリルのおかげでアムトラのことも少し理解できた気がする。
3度目の強風にわたしがローブの紐を結い直し、トカゲたちが帽子を被り直した時だった。
「来たぞ! こっちだ」
シリルが月の方向を指差す。カイが肩を抱き寄せ「やるじゃんよ」と褒める。シリルは無表情だが照れているらしい。また頭を掻いている。
「急げ、時間が無いぞ」
ニームが小走りに駆ける。アムトラの加護を実感できるまで、そう時間はかからなかった。すぐにアルフレートが声を上げたからだ。
「あったぞ」
しかしわたしの目には鬱蒼と茂る針葉樹しか映らない。アルフレートの目が良すぎるのだ。夜目の利く彼の背中を全員が追いかける。そして次第にわたしにも見えてきた。
「あ、あれなの?」
風が吹けば飛びそうな屋敷。いや、掘っ建て小屋といった方が良さそうな小さな家である。かろうじて形が残っているのは大部分が石造りだからだ。決して今も人が住む雰囲気は残していない。
アルフレートに追いつき、改めて目の前に建つ魔女の家を見る。崩れ落ちそうな屋根、ガラスの無い窓、腐った扉……。これを見ると魔女が復活したというのは嘘なのでは無いか、という疑問が頭を擡げてきた。
「魔女の家、ってのは間違いなさそうだぜ」
そう言ってカイが持ち上げたのは、金属で出来たエンブレム。彼の頭ほど大きなそれは、黒十字を丸で囲む形を彫ってある。そう、サイヴァの紋章である。