エルフの手品
正面扉には鍵もかけられておらず、室内の明かりもそのままだった。人がいるということなのか、すぐに戻ってくるということなのか、慎重になる必要はあった。
「学園長、いますか〜……」
小声で呼びかけてみるものの、当然のように返事はない。ヴィクトリアたちを探しているのだと思うけど、目星はついてるんだろうか。
「こっち行ったことないよな?」
フロロがホールの正面奥を指差した。確かに左右の部屋は食事やサロンに入ったけど、建物北側は入ってない。ぞろぞろと移動する最中も、みんな口数は少なかった。トカゲたちのパタパタという間の抜けた足音が気を紛らわせてくれる。
「捉えられてるとしたらどの部屋にすると思う? というか、やっぱり家を空けるかな?」
振り返り質問するわたしを全員が見てくる。ニームが顎に手を当て唸った。
「単純に考えれば鍵のかかる部屋、だろう。縛られていたらそれも必要ない。魔女たち全員が出て行ったのは儀式を始めるのに全員行かねばならんから、だろうな」
「そうなんだけど、何か引っかかるのよね」
わたしが答え終わった時、奥からコツン、と音がする。びくりとするわたしを追い抜かし、フロロが先頭に立つ。
「さっきから人の気配はするんだよな。……ただ妙な音がずっと反響してて分かりにくい」
「反響? バンダレンの廃抗の音みたいなのかな」
「うーん、近いかもしれない」
フロロの返答にわたしは歩みが一層慎重になる。タージオ山の音は造形師ビョールトの幽霊の笑い声だったはずだけど、同じような幽霊でもいるんだろうか。それにしちゃフロロ以外には聞こえないなんて、ずいぶん小声だ。人の気配は学園長のものだといいんだけど。
ホール奥の廊下を歩き、無人の部屋を何個か通り過ぎる。窓のない空間は息がつまる。なんとなく首元を触っていると、大きな扉にぶつかった。フロロが聞き耳を立てた後、ゆっくりと開いていく。
「やあ、また広い部屋だな」
テーブルと椅子の並ぶ部屋をニームが感嘆の声を上げながら歩いていく。確かに広いが、ホールよりはプライベートな空間に思えた。天井は高くないし、調度類もさほど華美ではない。しかしここ最近は使われていないのか、積もるほどではないが埃臭い。こういうところの掃除が忘れがちなのよね、と思いながら壁に並ぶ額縁と、それにはまる絵をぐるりと見た。歴代の当主と思われる人物たちの肖像画である。ヴィクトリアがいれば簡単な説明でも聞けたのだろうけど、残念ながら知らない人が並んでいるだけである。いてもこんな昔の人のことは知らないかな?
時計回りに描かれた順が新しくなるはずだ。絵の技法や人物の服装などからそれはわかる。わたしが全てをざっと見終えた時、
「さあ答え合わせだ」
と、アルフレートが手をこすり合わせる。彼のテンションの上がりと比例するように部屋の中を漂うウィスプの数が増えていった。わたし達がキョトンとして見ている中、アルフレートはテーブルの上にあった読書用と思われるルーペを取る。そして暖炉の上に飾られた一番大きな肖像画に近づいて行った。
「これは誰でしょう?」
アルフレートが指す人物は額縁の中、気難しい顔をこちらに向けている。茶の髪はウェーブしながら肩まで伸び、ミンクの毛皮にかかっていて、ビロードの質感が見事に描かれたマントは全体像が見えないのが残念に思えた。
「誰って……クレイトン家の当主でしょ? 多分、服装からして相当古いわよね。二、三百年は前かも」
わたしの答えにアルフレートは大きく頷く。
「そうだ、絵の大きさからいっても一族が一番力の大きかった時代の当主かもしれんな。そしてこの中で一番『特徴を捉えている』と思ったんだ」
「……会ったことあるの?」
なぜか尋ね方が恐る恐るになるわたし。アルフレートはゆっくりと首を振ると、また肖像画の人物を見上げた。
「こいつに会ったことはない。しかし、問題の人物にはお前たちも会っているぞ」
自信満々な顔にわたし達は目配せし合う。ニームが首を捻りながら尋ねた。
「よく意味がわからんぞ。我々も会っているかな?」
「君ら兄弟も全員だ。……こうすればわかるかな?」
アルフレートは絵に手を伸ばす。そして描かれた人物の目元に、持っていたルーペを当て、口元には自分の指をつける。その瞬間、わたし含め何人かが「あっ」と叫んだ。
「執事のホルスよ! でも、そんなことって……」
理解し始めた脳と信じられない気持ちが交錯する。しかし絵の中にいる人物は面長の顔に下がり気味の目尻、突き出し気味の薄い唇といい、ホルスそのものだったのだ。ルーペはモノクル、口元の指は髭の代わりというわけだ。イルヴァがぽかんとした声を上げる。
「執事さんの絵だったんですか?」
「ち、違う、そうじゃなくて、いやそうなんだけど……」
混乱するわたしを遮るよう、アルフレートが「それは」と言う。彼の視線が部屋の入り口に動いた。
「卿が説明してくださるだろう。ねえ?」
扉の手前に立つ大きな影に、一番近くにいたローザが後ずさった。いつからそこにいたのか、若干震える手でろうそくを持つ男ホルスが扉から陰鬱な顔を覗かせていたのだ。
「卿!? この男がクレイトン卿だというのか。しかしなんでまだ、そんな格好を?」
ニームが現れた男と絵画を見比べる。何も言わないホルスの代わりに後ろからやけに明るい声が答える。
「やあ、よくわかったねえ。相変わらず賢いなあ」
「が、学園長」
ホルスの後ろからやってきた学園長が部屋に入ると、なぜか室内が一気に明るくなった気がした。
「やっぱり君らに任せてよかったね。僕は前に会ったことがあるんだ。だから言い逃れはできないぞ、って連れてきたんだけど、必要なかったかな」
この館の主人かのように慣れた動作でアームチェアに腰掛け、足を組む学園長はそのままホルスにも「どうぞ」と椅子を勧めた。ホルス、いやクレイトン卿はため息をつくと、観念したように椅子に腰掛けた。その彼にわたしは尋ねる。
「まず確認させて。ヴィクトリアとシリルはどこです?」
「地下室だ。大丈夫、怪我もしていないし、魔法のようなものも受けていない」
クレイトン卿は話し方はもちろん、声まで変わったように思えた。アルフレートが同じテーブルに着くと手を組み、身を乗り出す。
「で、なんでそんな格好してる?」
「……今回のことが終わったら、『アーロン・クレイトンは死ぬつもりだった』からだ」
「ふうん……まあいい、こっちも時間がないんだ。罵倒したいことは山のようにあるが、今は質問だけにしてやる」
だんだんボルテージの上がってくるエルフにローザが慌てて「ちょっちょっと」と止めに入る。が、逆ににらみ返されてしまった。
「うるさい、こいつは卑怯で陰湿で、擁護に値しない人間だぞ。……あんた、自分から魔女を招き入れただろ?」
低音で、地を這う蛇のような声にクレイトン卿はびくりとし、しばらく一点を見つめたままになる。そして額に浮かんだ汗を拭うと首を振った。
「違う、最初は向こうからやってきたんだ! フィオーネの学者の家族だと聞かされて、滞在を許してしまった。……まさかこんなことになるなんて」
「フィオーネの学者?」
わたしが聞くと、榛色の目がこちらに向いた。
「同じ民俗学の学者だ。顔も知ってる。その人物の手紙を持って訪ねてきたんだ。学者の妻と母、五人の娘たちと侍女! カントリーハウスのでの夏の過ごし方を知らないから是非滞在させてもらえないか、と。最初は私の家族とも上手くやっていた。でも、一月経ってもそのままの彼女たちに妻が不安がっていたんだ」
一度、唇を舐める。嫌な過去を思い出すのだろう。額の雫が増えていく。
「気づいた時にはもう遅かった。使用人がどんどん減っていったのだ。最初はメイド、次にフットマン、コックと。理由も親の病気や引き止めようのないものばかりだった。
妻の不安が頂点の時に『タラールの森の八人の魔女』だと告げられた。そんな大昔の者がいるはずない、という私に彼女たちは遠慮なく力を見せてくれたよ。……子供達を操り、妻に飛びかからせたり、ホールに三つ首の野犬を呼出したり。
しかし彼女たちは私たちが怯えきった後は害を加えるわけでも、命令するわけでもなく、ただいないものかのように扱った……。私や家族に恨みがあるわけでもなく、単にこの屋敷が必要なようだった。それでも反抗はできなかったのだ。屋敷内を当然のようにうろつく魔女たち。妻と子供を人質に取られた状況みたいなものだろう」
「あんたの本物の家族は今どこだ?」
「首都に所有してる家に移動させた。儀式の話を調べて恐ろしくなったんだ」
それを聞き、アルフレートは嬉しそうに目を細める。
「それだよ、それ。使用人棟に書斎を移したな? サイヴァ教について調べた物があるなら是非拝見したいね。案内できるか?」
尋ねる口調だが、半分命令だ。クレイトン卿は一瞬、惚けた後は意味が飲め込めたようで立ち上がる。ろうそくを手に出て行く彼の後を、全員でついていく。学園長はただニコニコと最後尾からついてくるだけだ。
ホールまで戻ってきた時だった。アルフレートが口を開く。
「さて、もう一度聞くぞ? なぜそんな格好をしている?」
前を歩くクレイトン卿はちらりとアルフレートを振り返り見たものの、震える唇からは言葉が出なかった。
「言いたくないなら言ってやる。儀式を最後まで見ようとしてたな。州議員アーロン・クレイトンは最後まで村人を救う道を探しにフィオーネまで渡り、現場にはいなかった、なんてシナリオを描きつつ、実際はこの場で邪教徒の儀式を見て、その後の地獄もじっくり眺めるつもりだったんだ」
アルフレートの言葉に卿は学者なのだと改めて思い出す。卑怯だと言った理由も飲み込める。わたしの胸もざわつき始めた。
「ち、違う、本当に違う。ヴィクトリアが……来るだなんて言い出すから……」
かぶりを振り、手を動かすたびに手に持つ火が揺れて影が動く。彼の弱さを体現するかのように歪んだ。わたしは呻く。
「ヴィクトリアが来て、何が問題だったんです? 伯父と姪として会えばよかったのに」
「弟からの手紙で大体の事情は知っていた。ヴィクトリアは純粋に私の家族を心配してくれていたんだろうが、それでも顔を合わせればダンバリー鋼鉄への資金提供の話はしてきたはずだ。魔女たちの前でそれは非常に良くないことだった」
「ダンバリー鋼鉄?」
ローザの疑問にアルフレートが頷きながら答えた。
「……新しい鉄道の工事を請け負ってる会社の一つだな? ローラス=フィオーネ間の鉄道はサイヴァ教にとっては推進したいもののはずだ。そればっかりはまずいと踏んだか」
クレイトン卿は苦しげに頷く。
「もちろん両国家にとって大きな橋渡しになることも、大半は純粋な利益になることも知っている。しかし今は現実を知らない人間が多すぎる。魔女の術は恐ろしいものだ。私は肩書きだけの無能だったが、最後の悪あがき程度はできる。第二第三のマリュレーを作ってはならんのだ」
「なにマリュレーはもう終わった、みたいな言い方してるんです! まだわかんないでしょうが!」
思わずわたしは怒鳴っていた。トカゲ兄弟がびくりとし、ヘクターの後ろに隠れる。それでもわたしの頬に血は上ったままだった。
「ご家族が第一なのは当然です、わかります。それでもあなたはここを守る義務があるでしょう!? 村の人を見捨てる気!? 大体が心配して駆け付けた姪に対して何もしてないじゃない!」
彼の話した内容が全て事実だとしても、他に方法はあったはずだ。少なくとも姪を騙してまでここに残る理由があったとは思えない。ヴィクトリアが本当に伯父一家を心配し、心労を重ねてきた姿をわたし達は見てきた。その彼女をだます必要が本当にあったんだろうか。
結局は、好奇心に勝てなかったのではないか。そこの弱さを魔女たちに付け込まれたのだ。
「ヴィクトリアを庇うなんて、ああ、嫌だ……」
ギリギリと歯を鳴らすわたしの頭を、ローザが「よしよし」と撫でてきた。