クレイトンの動き
我々8人、そしてトカゲの5人が囲むのは早朝の宿のテーブルだった。『夜食の余りとトーストなら』という主人に甘えさせてもらい、徹夜明けの食事である。体も心もボロボロ……といった具合が肌にも出始めている。鏡見たくないなあ、と頬を撫でながら考えていた。
「じゃあ村人は自分から出て行ったってことか?」
シリルの質問には落胆の色が濃い。カイが「英雄になり損ねたな」と茶化した。
「子供の方が単純に洗脳しやすいからな。それに正義に燃えやすい。若者も同様だ。ある程度の年齢を過ぎると駄目だ。捻くれる」
というアルフレートに、
「じゃあアンタはどうなんのよ」
とローザの突っ込み。それを無視するアルフレートの横、ニームがのっそりとした動作で立ち上がった。
「すまないが先に休ませてもらう」
「大丈夫?」
ふらふらとした様子のトカゲたちにわたしは声をかける。彼らも夜通しわたしを探してくれたというのだから、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「実は我々は、人間以上に日光を浴びないと大変、不調になるのだ。つまりそういうことで、早く寝ておきたい」
目をシパシパさせながら答えるニーム始め、兄弟5人とも眠そうだ。食事もそこそこに揃って階段を上っていった。残されたメンバーは疲労からか、会話も盛り上がらずにただ皿を眺めながら手を動かすのみになり、沈黙が広がる。それを破るのは、やけに元気なアルフレートだ。ヴィクトリアに目線を向けると、
「そろそろ御宅のお家事情を聞いておきたいかな」
と切り出す。ヴィクトリアは一瞬、眉間に皺寄せたものの「わかったわよ」とため息ついた。
「……伯父様とうちの両親の関係は少し話したと思うけど」
そこまで話すと、スプーンを置く。そしてヴィクトリアは全員の顔を見回した。
「今、うちの両親がやってる仕事は母の実家の商売を基本にしたもので、そこから色んな分野に手を出しつつ事業規模を広げて、って風なの。父の腕がいいというよりは、一番は母の実家の力ね。その次に大きいのは『クレイトン』の名よ」
「腐っても元侯爵様だもんな」
カイの軽口に、ヴィクトリアは反発するどころか大きく頷いた。
「その通りよ。実際の仲はどうあれ、父にはクレイトン家という大きな後ろ盾があった。それはどんな優れた演説より強いものよ。父はそれをうまく使ってた。直接、本家の力を借りることは無かったけど……今まではね」
「伯父貴の直接的な助力が必要になったってことか。具体的には?」
アルフレートの問いに、またヴィクトリアの口が重くなる。言葉を慎重に選ぶように考え込む様子を見せていたが、また口を開いた。
「とても大きな商談をまとめるのに、クレイトン家への口添えをお願いされたらしいの。内容は『汽車の技術協力に乗らないでほしい』ってもの。クレイトン家からは融資などの働きかけはするな、ってこと。私も理解できないのよね。だって汽車がローラス中を走るようになったら、どう考えても私たちの暮らしにはプラスになるでしょう?それに反対してほしい、ってお願いだもの」
これに答えたのはローザだった。
「確かにそうなんだけど、新しい技術に反対派は必ずいるわよ。汽車ならコルバインバスの運営会社だとか、海外製品が大量に入るのは困る国内生産者だとかね。多分、ご両親の商談相手はそういった関連の人だと思うわ」
「ああ、なるほど」
わたしも唸る。今現在、ローラスの物資運搬役は大型の馬コルバインが動力の馬車だ。それが汽車に変わったとしたら、バス会社には当然痛手になる。海外製品が溢れれば、国内生産者には競争相手が増えることになるわけだ。それ以外にも車体を作る会社だとか御者、いろいろ思いつくな。
「その口添えをしてみたら、けんもほろろな結果だったわけか」
アルフレートの質問にはヴィクトリアは首を振る。
「父からの話、っていう時点でかなり拒否の反応が強かったみたいだけど、内容に関してはどっちつかずな、曖昧な態度だったみたい。だから何とか懐柔できないかって父は私に頼んできたのよ。……私が探してたのは伯父様が何か動くつもりがあったのか、あればどういうスタンスなのかってこと」
「ふうん……クレイトン卿も弟の頼みは聞きたくないが、保守思考だったってことか、もしくは汽車は楽しみだが弟への情も捨てられなかったのか、どっちだろうな。……もしくはそのどちらでもないか」
アルフレートは言いながらヴィクトリアの表情を眺めていたが、彼女からの返事はなかった。それどころか、
「というか、やっぱり話す必要あったの? この情報いる?」
と機嫌を損ねてしまった。
「いらない情報なんて無いだろ。何か関連していたら面白いじゃないか」
そうせせら嗤うエルフに、わたしはヘクターと顔を見合わせてから肩をすくめた。
「夕方まできっちり休む。それからマリュレーに戻ろう」
食事をあらかた終えたテーブルを前に、ヘクターがみんなを見回した。異論は出ない。黙って頷くか、これから起こることへの準備に伸びをする。そのメンバーに向かい、わたしも声をかけた。
「みんな聞いて。ハーネルと魔女の会話で近々何か起こす気なのは明らかだった。それが何か、明らかにすることと阻止すること、それにクレイトン一家を探し出すことが最重要よ。でも一番は自分たちの安全を守ること。みんな笑顔で学園に戻りましょう」
それに一番最初に答えたのはヴィクトリアだった。
「もちろんよ」
力強いその声に、ローザが小さく拍手し、わたしは安堵する。吹っ切れたのか元気が戻ってきたようだ。
「おっし、部屋戻ろうぜ。そろそろ限界だわ」
カイが大きくあくびする。それに同意しながらテーブルに硬貨を置いた。ぞろぞろと階段を上がるわたし達に突き出た腹とヒゲが立派な店主が、エプロンで手を拭きながら出てきて、
「まいどあり」
と言った。愛想は悪いが親切な店主だった。きいきいと軋む段を登りながらオムレツの味を思い出していた。
部屋の並ぶ階に来ると、アルフレートの足が止まる。
「……何か臭うな」
「え? そう?」
わたしとローザは犬よろしくクンクンと鼻を動かすがよくわからない。イルヴァは自分の体の匂いを嗅いでいる。
「イルヴァ、昨日はお風呂入れなかったです。臭います?」
「違う、花の匂いだ」
「花の? 魔女のお茶みたいな?」
自分でもなぜこの単語が出てきたのかわからない。しかしアルフレートは首を振った。
「いや、あれは……違う、バラの匂いだ」
アルフレートから出るのが珍しい「バラ」の単語にわたしは思わず吹き出す。ローザが「あら、いいわね」と微笑んだ。前を歩いていたヘクターが男子部屋を開け、後ずさりする。
「うわ……」
「ちょ、ちょ、ちょっと何よ」
ローザがヘクターを押しのけ、部屋を覗き込む。そして同様に呻いた。
「……何これ」
それを聞いて残りも扉に飛びついた。シリルとカイの足の間から中を覗き込んだわたしは、
「何これ」
ローザと同じ台詞を吐いていた。部屋の中に溢れるのはバラ、バラ、バラ。宿の安テーブル、衣装棚には総レースのクロスが敷かれ、ガラス製の花瓶が鎮座していた。そしてそこに色とりどりのバラが飾られている。扉が開かれた今、バラの香りはアルフレートでなくとも匂う。みずみずしく意志の強そうな、しかし儚さも感じるバラ特有の香りは、いやでも目を覚まさせた。
ローザが振り返り、ヘクターやカイの顔を覗き込んだ。
「あんた達が頼んだサービス? 女子部屋に送るつもりが間違えてない?」
「ち、違……」
慌てて手を振るヘクターに代わり、わたしは答える。
「違うわよ、ローザちゃん」
そして部屋の中に入り、中を見回した。入り口からは影になる部屋奥に進む。火の入っていない暖炉の前、備え付けられたソファに身を沈める人物に声をかけた。
「遅いわよ」
「文句はおっちゃんに言ってくれよ」
ニヤニヤと笑いながら振り返る猫耳男、フロロは隣で澄ましている学園長を指差した。
「やあリジア、こんな所にいるだなんて探すのに苦労したよ」
にこり、と笑うと学園長の顔から後光が差す。眩しい。
「俺だってみんなが心配で、すぐに戻りたかったんだぜ? それをこのおっちゃんが『そんなことよりここで頼みたいことがある』なんて言い出してさあ」
なんだかこの憎まれ口も懐かしい。思わずにやけてしまいそうになるのを恥ずかしさから堪え、フロロを睨む。
「どうせあんたのことだから、見返り要求してるんでしょ?」
それに答えたのは学園長だった。
「ではこれで、例の学園の隠し部屋は不問にしましょう」
にっこりとした輝く顔にフロロは肩をおとす。
「本当にひでえ男だな。ある意味、アルよりサディストだぜ。で、なんでこんな村に来てるの? マリュレーにいないもんだから1日潰したんだぜ?」
「その質問には私が」
そう言って前に出たヴィクトリアだったが、学園長を目の前にすると顔を赤くする。
「……本当に似てるわね」
ごにょごにょと私に呟く彼女に、何と突っ込めばいいやら。呆れるわたしにヴィクトリアは咳払いすると、
「我が家の事情も含みますので、ご迷惑かもしれませんが」
そう前置きした上で、旅の始まりからの話を語り出した。
「フロロ君からも大体は聞いていたんだけど、幾つか新展開もあったみたいだね」
学園長はゆったりと立ち上がる。
「伝説の魔女八人、密教の集会、邪神降ろし、笛吹き男と誘われる村人……」
部屋を歩きながら数えるかのように言葉を出す学園長を、みんな見守る。なんだか授業でも始まったみたい。
「あんたは聖職者でもあるわけだろ? 魔女に憤りみたいなものを感じる?」
カイの少々不躾な質問にも、学園長はいつもと変わらない柔和な、しかし堂々とした笑顔で答える。
「実はフローはサイヴァへの対応を明確に示していない。自分の信者に害があるような時は除き、普段は基本的に放置なんだ。フローは実に女性らしい気まぐれを見せる女神でね。それゆえにひどくそそられる」
「お父様のそれ、本当に理解できないわ……」
呆れの境地で睨むローザを座らせると、学園長はまた話し出す。
「対してサイヴァへの攻撃を明確にしているのが至高神ラシャだ。光の神らしい正義を掲げ、サイヴァ教の存在自体を許していない。今回もサラ君がいればよかったんだけどね。まあ、彼女は別件で忙しいわけだから、我々が頑張らなきゃいけないね。フローの考えとは別に、私自身がローラスに害となることを許す気はない」
はっきりと口にした言葉に、身が引き締まる。そうだ、邪神降ろしなんて本当に成功するのか知らないが、黙って指くわえて見ているわけにはいかない。どこかピリッとした空気に変わる室内、学園長は窓枠に手をつき、しばらく表を眺めていたが、またこちらへ振り返る。
「こちらの話もしておこうかな。……フィオーネに行っていたのは、陸続きの地形を活かして汽車を繋げないかという相談」
タイムリーな話題にわたし達はお互いの顔を見る。ここでも汽車の話題になるとは。アルフレートが「ふーん」と唸った。
「お偉いさんの集まりなんていうから経済的な話だとは思っていたが、まさかここでも汽車の話とはね。推進派はフィオーネ側か?」
「その通り。ローラス側にももちろん大きな旨味はあるがね。でも実は大きな問題があって、すんなりとは行かなそうなんだ。その理由がこれだ」
学園長が胸元から取り出したのは、カラカラに乾いた植物だった。どこか見覚えのある色と葉の形状に、わたしは指をさす。
「それって……ランフィネって植物です?」
「おや、よくわかったね」
にこりとする学園長に、わたしは何か嫌な予感がする。魔女が好きな植物……なんて話を聞いていたからだろうか。
「特に味はないけど、煮出すと独特な匂いがするからね。昔からハーブティーに使う人はいる。フィオーネやローラス南部では『無くても困らないけどあったら使う』程度に親しまれてきた」
「それ、要らねえじゃん」
カイが言うと学園長は頷いた。
「そう、無くても困らない。栄養もろくにないんだ。ただ最近、あることがわかってきた。摂取しても、そのままだと軽く高揚する程度のものなんだが、強いマナに触れると強力な幻覚作用を生み出すんだ」
「そ、それだ」
思わず呻くわたしを見て、学園長は話を止める。アルフレートが口を開いた。
「それがローラス側には大きな問題になるってことは、今は主にフィオーネから流れてきてるんだな?」
「そうそう、そういうことだね。あそこは厳格な光の神信仰の国であると同時に、アサシンギルドの力が大きいっていう顔もあるんだ。裏の顔と表の顔が違う、お付き合いするにはかなり慎重にならざるをえないお隣さんだね」
「アサシンギルド?」
わたしの疑問にフロロが体を起こした。
「盗賊ギルドより反社会的活動がより強いギルドだ。密造酒、危ないお薬製造やら殺しまで禁止事項のないギルド。とってもタチ悪いってこと」
「そ、そう、もういいわ」
「よくねーって、そこの潜入を頼まれてたんだぜ? 成果はその草一本、っていう情けないもんだけどさ」
舌打ちするフロロに、また学園長が笑顔を向ける。
「十分すぎるほどですよ。ギルドとランフィネ、それにローラスへ渡る荷物の関連性を裏付けたかったんだから」
学園長はそう言ってフロロを慰めた。