夜を駆ける
見回したところで抜け道、隠し扉などがあるわけもなく、途方に暮れる。ハーネルがいつ戻るかもわからないので、脱出の為にきびきびと動き回る気にもなれなかった。
「どうしよう……」
何度目かわからないため息をつきながら壊れた樽に座り込んだ。これだってあの獣人が帰ってきたらまずい体勢だ。跳ね起きてまた人形の顔に戻れるかしら、などと考えるとリラックスも出来ない。落ち着きなくまた小屋を見る。
あちこちから表が覗けるような酷い状態の納屋ではあるが、無理やり破壊するとしても相当な音が出るだろう。ハーネルがどこまで行ったかわからないのでそれは危険だった。とすると道は一つか。
「鍵開けの呪文か……」
わたしはまたため息をつく。後悔の深いものだ。嫌な汗をかいてる額を抑え、頭を振った。何度も「覚えておけば」と思うのに習得していないからだった。
正確に言えば覚えてないわけではない。呪文はすらすら言えるし、呪文形態もかなり理解しているはずだった。でも使えない。集中力と制御が出来ないためにわたしには習得できていないのだ。
どうする?やっぱり何か攻撃の呪文で壁をぶち破るか。それとも……。
何度も同じ案、思考を繰り返していた時だった。
「誰かおるんかね?」
くぐもった声がこちらに語りかける。周りに家はなかったはずだ。明らかにわたしに対する声かけだ。
「いるわ!……ちょっと待って、さっきの獣人はまだいる?」
答えながらわたしは声の方向へ駆け寄る。板壁の隙間から覗くと、扉の前にいるのは先ほどこの小屋を教えてくれた老夫だった。老夫は怪訝さを色濃く出した顔を擦りながら首を傾げる。
「……いないみてえだけども、あんたら何もんだ? 何してんだね?」
捕らえられてる側にそんな疑惑の目を向けないでほしいわ、と思いつつもわたしは大声にならないよう、なるべくはっきりとした声で答える。
「さっきの男に捕まったの!お願い、そこの鍵を外してもらえない?」
しかし返事はない。また隙間から覗くと、考えるような困ったような顔が見えた。聞こえなかったわけではないらしい。しかし南京錠や閂に手を伸ばす素振りもなかった。続く沈黙にわたしはもう一度口を開いた。が、かぶさるように老夫の声が聞こえる。
「でもあんた、自分から入っていったじゃないか」
ぐ、とわたしは詰まる。見ていたわけか。
「お、脅されたの! あの男の姿見ればわかるでしょ? ねえ、お願いだから開けてくれない? あいつが戻ってきたらまずいのよ」
また沈黙に戻ってしまう。焦りの気持ちをツメをいじることでごまかしていると、
「……なんだか関わったらまずそうだねえ」
その言葉と後ろを向く姿にわたしは扉に飛びつく。
「ち、ちょっと待って、お願い!」
自分でも情けないほど悲痛な声が喉から飛び出す。しかし老夫は何度か振り返りながらも丘を下りて行ってしまう。
「嘘……」
へたり込んで暫し呆然とする。「普通この流れだと助けてくれる展開じゃないのか」とか「ケチケチすんなよ、減るもんでもなし」など罵倒したい気持ちはあるものの堪える。あの老夫は悪くない。誰でも『巻き込まれたくない』という感情は持つものだ。
しかしまずい状況が打破できないことには変わりない。さて、どうするかと腕組みすると、わたしはまた一人呟いた。
「とりあえず様子見るか……。急いでハーネルと鉢合わせる方がまずいし。逃げ出したの見られたら、今度こそ殺されるかも」
後ろ向きな案ではあるが、これが一番現実的だった。わたしは再び壊れた樽に腰を下ろすと、意識のない間に疲弊しまくった足を揉んだ。
「村の名前くらい聞いておけばよかった。聞いてもわかんないかもしれないけど」
シリルならわかるに違いない。でも彼はこの場にいない。はあ、と息つく。またしても仲間とはぐれてしまったわけだ。今回は連れ去られたわけで、厳密にははぐれたわけではないが。
しかし、とわたしはハーネルの様子を思い出し、身震いした。まさに手負いの獣。原因は多分アルフレートとの戦闘なんだろうが、それだけ激しい戦いであったのならアルフレートの方も心配だ。それにハーネルは現れたのにアルフレートは見ていないのだから、生きているとは思うけど無事に、なのかどうかわからない。
「『俺は生き延びてやる』、ねえ……。なんでわたしが必要なのかしら」
呟くことで、一つの仮説が浮かび上がる。もしかしてわたし達の戦力を削るつもりで来たのに失敗したから、リーダーであるフォルフに首切られる寸前とか?あまり「ボス」って雰囲気ではなかったけど、フォルフとハーネルならフォルフの方が圧倒的に力が上だと思う。そのフォルフのご機嫌を取るのに「上質な餌」であるわたしを連れてきた、なんて有りえそうじゃないか。
「餌、餌ね……。やっぱりこの体質だろうなあ、ああ……」
わたしは呻く。よく考えてみりゃわたしって超優秀な「マナ集約装置」になるんじゃないの?今までよく悪い人に目をつけられなかったわ。マナが大量に集められるんだとしたら、ラグディスでマナかき集めたみたいなこと、それこそ邪神降臨だってお助け出来るじゃないの。
そこまで考えると、わたしは勢いよく立ち上がる。
「そうだ、邪神降臨……、八人の魔女伝説だ。マリクが討った魔女たちは邪神降臨の儀式をしてたのよ」
わたしは鼓動が早くなるのを感じながら、扉に張り付き取っ手に手をかける。何度か押して引いてを繰り返すが、当然ながら開くことはない。飛び出していったところで何もできないのだが、居ても立っても居られない気持ちになっていた。
「よし、やっぱり強行突破しちゃおう」
多少の怪我は想定内、としてやってみようじゃないか。囚われのお姫様は似合わない。今までも何とかなるさ、でやってきたんだ。
善は急げ、と唱える呪文を考え出した時だった。土を踏み込む音がする。わたしはハッとして顔を上げた。ハーネルかと身構えるが、なかなか入ってくる気配がない。何よりあの威圧する存在感を感じない。わたしは外を見るために扉に近づいた。
「……誰かいるの?」
外から聞こえてきたのは先ほどの老夫とも違う甲高い、子供の声だった。
「いるわ。……あなたは? 村の人?」
沈黙が続く。驚き、こちらの様子を伺う気配がする。鼻をすする音に続いてまた声がする。
「じいちゃんが『教えてやれ』って……」
わたしは先ほどの老夫の顔を思い出す。すでに暗くなってきた空の下でよくわからないが、隙間から見える顔は輪郭などが老夫に似ている気もする。10歳前後の少年が困惑と好奇心を混ぜたような瞳をこちらに向けていた。
「えっと、何を教えてくれるの?」
「小屋の左側、壊れてて空いてるよ」
少年の言葉にわたしは振り返る。小屋の、少年から見て左側、煤けた色の木板の並ぶ中、明らかに浮いている箇所があった。
「奥の方、釘が取れてるけど無理やり立てかけてあるだけの部分があるでしょ? それ外せば普通に出られるよ」
「わかった! ありがとう!」
浮いた木板に飛びつきそうになるが、もう一度扉に戻る。
「あのさ、黒い獣人はいない?」
わたしの質問にはすぐに答えが返ってくる。
「いないよ。もうとっくに村から出て行った」
ほう、と息つく。よっぽど魔女の呪文を信用しているのか。確かに効果は抜群だった。ただ効き目の切れるのが早かっただけだ。わたしの抵抗力のおかげなんだろうが、我ながら自分の体はどういう仕組みなのだろう、と疑問に思う。その辺もアルフレートに聞いておきたい気もする。
わたしは教えられた通り木板を外すと、少し屈みながらノソノソと小屋を出る。念のために元通りに塞いでおけば、ハーネルが戻ってきても小屋を開けるまではバレないことになる。
木板を戻すと小屋の陰からこちらを覗き込む少年に話しかける。
「ありがとう! いつかお礼するわ。ここって何てところ?」
「トポの村……いいよ、お礼なんて」
少年に「そういうわけにいかないわよ」と答えながら、少し落胆する。やっぱり聞いたことがない村だ。リーツコッグまでの道のりを、誰か大人に聞いた方がいいかもしれない。
「村の中にお店ってある?」
「雑貨店があっちにあるけど、本当に小さいよ」
「ありがとう、行ってみるわ。……あなた、名前は?」
尋ねると頭をかいた後に「トビー」と答える。トポの村のトビーか。覚えやすい。
「トビー、本当に助かったわ。でも、しばらくはあの小屋に近づかないで。危険だと思う」
素直に頷く少年にもう一度お礼を言うと、わたしは教えられた雑貨店の方向に足を向けた。
「リーツコッグの村へ行く方法を教えてもらえない?」
わたしはブリキのバケツと琺瑯のヤカンの間にある、埃の被ったチョコレートバーにお金を払いながら年行った女店員に尋ねた。白髪だらけのしばった髪を撫でながら老婆は答える。
「リーツコッグ? 行商に行ったり、買い物に行く若いのの馬車に乗せてもらうくらいかね。基本、この村からは徒歩だよ。乗合馬車なんて洒落たものはないからね」
わたしはガクッと肩を落とす。乗合馬車が洒落てるかどうかは別として、徒歩しかないのか。人の馬車に乗せてもらうとしてもこの時間だ。明日まで待つか、待っても出かける人がいるかどうか。それなら無理してでも今から村を出るか。でも夜の街道は魔物もうろつき始めるし危険だ。それでもこの村に滞在し続ける気も起きない。
「わたしってやっぱり都会っ子だったんだわ。情けない」
額に手を当て唸るわたしを、不思議そうに見た後、老婆は言う。
「もう店じまいなんだ、ごめんよ。ベンジャミンの飲み屋に行ってみな。あそこならもしかしたら行商人が来てるかもしれない。彼らなら馬車もあるから相乗りをお願いできるかもしれないよ」
表にある切り花や箒を片付け始める老婆に、わたしはお礼を言うと飲み屋の方向へ向かい始めた。歩きながら思う。一人でこんなに行動するのって初めてかも。
ハーネルの陰や先行きに不安を抱きながらも、妙な高揚感に包まれていた。
『ライト』の魔法の街灯もない村は、家からもれる明かりしか道を照らすものはない。それだけにベンジャミンの飲み屋とやらはすぐに見つかった。飲み屋というか普通の民家の前にテーブルや椅子、ベンチ、酒樽が出してある。そこで村の人々が酒盛りをしているものだった。かろうじて店と判断できたのは、酒樽に立てかけられた『やってます』の看板が見えたからだ。
お酒を飲むわけでもない、小娘一人で赤ら顔の大人に話しかけるのはいくらわたしでも緊張する。何て声かけようか、誰に声をかけるべきか。というか店員はどれなの……。などと迷っていると、こちらの存在に気づいたおじさんの一人が「あらま」と呑気な声をあげた。
「こんなとこでお嬢さん一人、どうしたの?」
「いや、ちょっと……」
わたしは言い淀む。また切羽詰まった状況を説明すれば、警戒されるかもしれない。
「リーツコッグに急いで戻らなきゃいけなくて。誰か行商の人いません? 馬車があったら乗せてもらえないかな」
「リーツコッグには行かないけど、ブレージュに今から向かうから途中までどう?」
答えてくれたのは大柄な女性だった。麻のマントを羽織り、大きなリュックを傍らに置いている。真っ赤な口紅が濃い顔立ちにとても似合っている。男勝りな格好なのにとても色っぽい。
「なんだよリリアナ、もう行っちゃうのか」
おじさんたちがそう残念がる中、立ち上がるリリアナと呼ばれた女性は酒樽の上にお金を置いた。
「だから言っただろう、もともと一杯だけだよって。あたしみたいな貧乏商人は足で稼がなきゃいけないんだ」
そう言ってリュックを背負うと、わたしの方を見る。オレンジの大きな瞳に長い睫毛が瞬いていた。
「で、どうすんの? 来るの、来ないの?」
「あ、行きます行きます! お願いします」
駆け寄るわたしの背中に手をまわすと、急ぐよう促された。早足でついていきながら彼女の顔を見上げる。
「……あんた、昼間に妙な獣人と一緒にいた子だね? 何があったか知らないけど、早いとこ村を出た方がいい。警戒されるだろうし、村の人に迷惑かけるかもしれないよ」
わたしは恥ずかしながらリリアナに言われてようやくハッとする。警戒されるかもしれない、とは考えていたが、迷惑をかけるかもしれないとは思いつかなかったのだ。村の人と呑気に話すわたしをハーネルが見たとしたら、どういう行動に出るかは想像できたことじゃないか。
「さ、お乗り」
リリアナが指さすのは小さな荷台のついた馬車だった。栗毛の馬が飼い主を見て一度鳴く。幌をかぶせた荷台にたくさんの荷物が乗っている。その間にお邪魔させてもらうとしゃがみ込んだ。それを見て、リリアナは馬に跨る。
「さあ行くよ」
「お願いします」
荷物の間に縮まるわたしを振り返り見て、リリアナは小さく笑うと馬の腹を蹴った。あちこち不備が出始めている木柵と形ばかりの門をくぐり、村を出る。あっという間に夜の闇に飲まれ、蹄の音とフクロウの声が耳に響くのみになる。
「霧が出てきたね。ひどくなる前に大きな街道に出ないと」
リリアナが呟く声に、わたしは胸がざわつく。それを振り払うようにわたしはリリアナに話しかけた。
「リリアナさんは商人なの?」
「そうだよ。親父の後を継いだ、一応二代目だけどね。たいした基盤もない商人の二代目だから働きづめなのさ。あんたは冒険者? まさか一人旅?」
「いや……実ははぐれちゃったから、リーツコッグに急がなきゃいけなくて」
「おや、そりゃ大変だったね」
リリアナがちらりとこちらを振り向いた時だった。夜を震わせる獣の咆哮に周囲の木にいる鳥が、一斉に飛び立つ。
「何だい!?」
リリアナの驚きの声に馬も足を速める。それを諌めようとした手がわたしの顔を見て止まった。
「……急いだ方が良さそうだね」
そう言って、厚手のグローブに包まれた手が手綱を握りしめた。