おデブ魔法
「見えてない?」
ヘクターの呟きにわたしは立ち塞がるガラスを指で叩く。
「でもこんなにクリアなガラスなのに……」
そこまで言いかけた口が止まった。フロロが一瞬、こちらを見たのだ。そうか、二人共耳は良いのだから振動なら伝わるのかもしれない。
「おーい!妖精ども!こっちだこっち!」
わたしはガラスを両手でバンバンと叩いた。何度か繰り返すと、二人はこちらに目を向け指差しながら何か話している。が、やはりこちらの姿は見えていないらしく「なんだ?」といった顔だ。目の前にいるというのに目が合うことがない状況に、どういうこと?と眉間に皺が寄る。
「切ってみるか」
ヘクターが腰の剣に手を延ばした。その時、わたしはアルフレートのある動きに気が付く。何やら口を動かし、手も術の印を結んでいるように見える。流れるように次々と形を変える手を見て、ぞくりと背中が震えた。
「下がって!!」
わたしはヘクターを突き飛ばす。そのまま倒れこむと耳を塞いだ。
体を激しく揺さぶるような爆音と共に熱気が肌の表面をチリチリと焼く。
「うっ……くっ」
堪らず声を洩らすと、後ろからのん気な声が聞こえてきた。
「おや、リジアってば大ー胆ー」
少し懐かしいアルフレートの声に目を開けると、ヘクターを押し倒す形になっているのに気付く。思わず赤面するが、怒りも沸き上がってきた。
「なーにのん気なこと言ってんのよ!殺す気かっ!」
振り向くと濛々と上がる煙の中、アルフレートとフロロが顔を出している。今の衝撃で開いたであろう穴の周辺は真っ黒に煤けていて、呪文の破壊力がよく分かる。
目を吊り上げているわたしを見てなのかアルフレートが深い溜息をついた。
「邪魔されて気が立ってるのはわかるが、ああも騒げば……」
「違うわよ!」
わたしは慌てて立ち上がると、ガラスを指差した。
「あれだけ叩いたんだから普通、こっちに誰かがいるもんだと分かるでしょうが!……ってアンタ達、こっちが見えなかったの?」
わたしの言葉に顔を見合わせるアルフレートとフロロ。二人はこちら側に入ってくるとガラスに向かい、感嘆の声を上げた。
「おお!これはすごい」
「鏡じゃないねー」
しきりにガラスを触ったり叩いたりする二人を見て、ヘクターは向こう側へ行くとこちらを見る。
「おー、何だこれ?」
そう言ってわたしを手招きした。アルフレートに殺されかけた事が流されてしまったのは不満なものの、わたしも気になる。ガラスに開いた大男でも優々と通れそうな大穴を通り、ヘクターの隣に並ぶ。そして目の前のガラスを見てわたしは目を丸くした。
「鏡……?」
「だね。あっちからは透明なガラスだけど、こっち側からは鏡になってるんだ」
ヘクターの言うことは綺麗に整頓された事実だったが、わたしは首をかしげる。
「何の為に?」
「さぁ……アルフレート、何だと思う?」
再び鏡側へと来たアルフレートにヘクターが話を振る。アルフレートはしばらく首を捻っていたが、ぽつりと呟く。
「正直、いやらしい使い道しか思い浮かばないんだが……」
ぼ、煩悩だらけのエルフだなコイツ……。
「ところでなんで二人なんだ?」
アルフレートに指差され、わたしとヘクターは顔を見合わせると経緯を話し始めた。
アルフレートとフロロとはぐれてしまった後、行き止まりにあった見るからに怪しーい仕掛けにイルヴァが手を出し、わたしとヘクターだけ落とし穴に落ちたこと。プールのような水たまりに落とされて今も服が湿っていること。気持ち悪い魚人のようなモンスターに襲われたこと。
「仕掛けかあ、気になるな」
妙に乗り気なフロロと、
「それよりプールって何だ?何の目的なんだ?」
と答えようのない質問をするアルフレート。それに黙って首を振るとわたしは二人に尋ねる。
「二人が消えた時はいきなりわたし達四人が消えたみたいだったでしょう?」
「まあね……でもどうにもなんないから諦めた」
「あっさりしてんのね……」
フロロから回答にわたしは肩を落とした。
「まあ、闇雲に進んだって命の心配は無いだろうからな」
ぽつり、と漏らすアルフレートにわたしは「何それ」と食いつく。エルフは何とも悪そうな顔でにやりと笑うと、先の暗い道を指差した。
「進んでみようじゃないか」
言葉の意味を問い詰めても「まあまあ」と言って答えようとしないアルフレートを諦め、再び四人に増えた人数で歩き出す。暫く色々と歩き回り、一本道だが何度も角を曲がったので方向が分からなくなってきた時、ぴたり、フロロの足が止まる。この反応はもしかして、と喉を鳴らす。
「いるね、たぶん『また』ワーウルフだ」
また、とは?まるで会ったことのあるような言い方だ。二人で探索中に遭遇したのだろうか。でもワーウルフなんて凶悪なモンスターまでいるとは、何なのここは。
フロロの言葉にアルフレートが感心したように頷く。
「良い探査機だなあ。じゃあ次は良い用心棒に頑張ってもらうか」
そう言ってヘクターの肩を叩いた。
「失礼な言い方ね」
そう言うわたしにアルフレートは視線を動かすと、またいやらしい笑みを見せる。
「そうだな、どうせお前は役立たずのままなんだろう。少しは練習させてやるか」
嫌な予感に「え……」と固まるわたしをアルフレートが隊列の前へと押してくる。
「ちょちょちょ、ちょっと何よ」
「数秒後に鉢合わせだ。なに、ピンチの時はすぐに何とかしてくれる、彼が」
アルフレートはにこにことヘクターの肩を叩く。ヘクターが何か言いたそうに口を開くが、アルフレートの有無を言わせない空気に押し黙る。
「え、え、え、本気?」
焦りながらメンバーの顔を見るも「ほら!もう来るぞ!」とアルフレートに急かされる。
廊下の角からふ、と現れた獣の顔に悲鳴を上げそうになった。続けてもう一体。二体ともそっくりなワーウルフのコンビだ。
天井まで頭が届きそうな獣人は顔は狼そのものだ。毛むくじゃらの体といい人狼、というより、二本足で立つ獣というほうが近いかもしれない。
こちらを見ると一気に目を見開き、ぶわ!と獣の声を発する。その場にへたり込みそうになってしまった。腕力の高さを窺わせる発達した上半身といい、一撃もらっただけでわたしなど吹っ飛んでしまうに違いない。
パニックになりそうなわたしにフロロが大声で叫ぶ。
「火はダメだぞ!火系はやばいからな!」
その言葉を聞いて逆に「あ、そうか」と思う。急いで呪文を唱えていった。その間にもワーウルフ二体は軽快に歩み寄ってきている。
わたしをちらりと見てヘクターが腰の剣を素早く抜いた。わたしも大急ぎで唱えていた呪文を完成させる。指を突き出すと仕上げの言葉を叫んだ。
「エネルギーボルト!」
魔術師の術としては初歩の初歩。純エネルギーの塊を敵にぶつける術だ。咄嗟に浮かんだのがこれだった。一番制御に自信のある呪文でもある。現れた青い球体の光がみるみる大きくなっていく。
「で、でででけー!」
自分と同じぐらいありそうなエネルギー弾を見てフロロが後ろに跳び引く。指先から離れた魔力の塊はぶわりぶわりと不審な動きをしながらワーウルフの方へと飛んでいった。が、ひょい、とあっさり避けられる。
「ああ!そんな!」
悲鳴を上げるわたしの横でアルフレートはわざとらしく大きく息を吐く。
「何でお前の呪文は全部『デブ』なんだ?魔法使いじゃなくデブ使いだ」
「デブデブ言わないで、アルフレート!」
涙目になるわたしの横で空気が動く。騒いでいる間に向かってきていたワーウルフ達がこちらに腕を振り上げている。その次々に伸びた二つの拳をヘクターがロングソードで弾いていった。
「さ、こっからは彼のお仕事だ」
アルフレートに襟元を掴まれ、後ろに引っ張られる。
軽快に動き、ソードを振るうヘクターに比べてワーウルフ達の動きは単調で、闇雲な攻撃に見えた。その光景を前に、
「やるなぁ、応援歌でも歌ってやるか」
「止めて」
アルフレートののん気な声にわたしは即答する。アルフレートは渋々といった様子で出しかけていたハープを仕舞った。
引っ掻くように振るった腕を弾かれ、ワーウルフの一体が後ろによろける。そこへ素早くヘクターのロングソードが喉元へと突き刺さった。その一体はびくん!となるとそのまま倒れ、動かなくなる。その勢いで剣を引き抜くと、もう一体の腹あたりを切り付ける。
「ヴヴヴッ!」
唸り声を上げながらワーウルフはその一手をなんとか避ける。が、ヘクターの次なる動作の方が早かった。首元から下に下ろされた剣によって血が飛ぶ。廊下の壁に赤い染みが広がった。ずるり、と膝から落ちるとこちらも動かなくなる。
パチパチパチ、と思わず拍手するわたし達。ヘクターはやや照れ笑いだ。
「……アルフレートはなんで何もしないのよ」
丸きり自分のことは棚に上げたわたしの嫌味に、
「私が本気を出したらおまえ達の出番などないぞ?つまらないじゃないか」
そう澄まして答える。どこまで本気かわからない。
「さて、こいつらを見て思うことはなかったか?」
急に教官のような喋り口調になるアルフレートにわたしは目をぱちぱちとさせる。不審な点、という事だろうが実物を見たのが初めてのわたしにはわかりっこない。強いて言えば「何でこんなところに?」ということだろうか。
「……じゃあ、その転がってるものをよく見てみろ」
苛立たしげなアルフレートにわたしは「えっ」と固まった。実はさっきの血飛沫もあまり見ないようにしていたりと、死体の観察はおろか近づきたくもないんだけど。
顔を歪めるわたしの肩をヘクターが叩く。そしてアルフレートに向き直った。
「人形なんだ、そうだろう?」
「なんだ、気付いてたのか」
アルフレートはひょい、と肩をすくめて答える。ヘクターは頷いた。
「さっきの魚みたいなのもそうだった。切った感触が明らかに違うんだ」
「ええー!」
わたしはそう驚くと転がる二体のワーウルフを見る。飛び散った血飛沫といい、その血で固まった毛の質感といい、生き物としか思えなかったけど人形とは。動きだってあんなに滑らかでリアルだったのに。
暫く躊躇するが、意を決して獣に近づく。首元から今も赤いものを流している方の傷口を嫌々ながら凝視した。
「金属?」
思わずわたしは声を洩らす。皮一枚獣らしさを持っているだけで、中身は何かの金属で出来ているようだ。毛皮の中から光を反射する素材が覗いている。次に辺りに広がる血を観察する。臭いが無い、そう気がついたわたしは指先につけて光に当てた。
「本当だ……」
冷静に観察すればお粗末な作り物だ。本物よりもやけに色鮮やかなのは薄暗い中でも赤が目立つように、に違いない。たぶん全身に管を通し、斬ると派手に血を吹き出すんだろう。
「何で、何でこんな事を?」
そう正直な感想を口にすると、わたしは後ろにいる仲間の方へと向き直った。




