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タダシイ冒険の仕方【改訂版】  作者: イグコ
第七話 冒険者は魔女の宴に踊る
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捕縛

 相談を終えたシリルがすっきりしたのか背伸びする。ふうと息つくとこちらを向いた。

「折を見てヴィクトリアにも話してみる。彼女が怒るかどうかはわからないが」

「怒るかもね。でもそれはあなたが黙ってたことに対してで、責めたりはしないと思う」

 わたしが答えるとシリルは「だといいが」と苦笑した。話している間に日がだいぶ高く上がっている。噴水からの反射がきつく、シリルの顔を見るのにも目を細めるほどだ。

「とりあえず戻ろう。そろそろアルフレートを探しに行く、なんて話になってるかもしれないわ」

 わたしが宿の方向を指さすとシリルは立ち上がり頷く。次の瞬間、穏やかにしていたはずの彼の顔が強張ったように固まってしまった。胸に垂れるロザリオをぎゅっと掴んでいる。

「何、どうしたの?」

「……いや、アムトラが……どうも嫌な予感がする」

 言うなり踵を返し、歩き出す。かなり早足のペースにわたしは慌てて小走りに追いかける。宿までの道に入ると、わたしは堪らずもう一度問いかける。

「ちょっと、どういうこと?」

「早く宿に戻った方がいい」

 焦りの顔でこちらを振り向くシリルに思わず足を止めた時だった。曲がり角の先、裏通りからの強烈な気配に鳥肌が立つ。時が止まったかのように周りの喧騒が聞こえなくなる。目の前で目を見開くシリルと、全く同じ顔をわたしもしているに違いない。振り向くのにも恐怖を感じるが、相手の荒い息遣いに目が動く。狭い路地いっぱいに立ちはだかる黒い肌は、日陰に隠れてゆっくりと上下していた。

「くそ!」

 シリルが剣を抜き、わたしの前に素早く身を踊らせる。路地にいる相手、ハーネルはそんなシリルは見えていないかのように真っ直ぐわたしを見ていた。吐き出す息が視覚出来そうなほど荒く、重い。身体中に傷を負っているようだが、この圧倒的な威圧感はなんなのだろう。自分が小動物にでもなった錯覚に陥る。しかし彼がこの場にいるということは、アルフレートは?……まさか、そんなこと有り得ない。

 わたしがへたり込むのとシリルが野獣に踏み込むのとは同時だった。必死に剣を振るうシリルに声をかけたいが動けない。何度か鋼を打つ音がし、ハーネルの黄金の剣が光る。そして、ごう!と豪風のような雄たけびが響く。こちらの肌を震わせるほどの声にシリルの動きが止まる。その一瞬だった。世界が反転していくような衝撃に思考が止まる。

「待て!」

 シリルの声にようやく自分の身に何が起きたかわかる。足は地面を離れ、宙ぶらりんだ。ハーネルに持ち上げられた体は赤子のように動かない。まるでカバンを小脇に抱え込むように持ち上げられていた。

「え、ちょっと……」

 その一言がようやく口から出ただけで、わたしを抱え込んだハーネルは猛烈なスピードで裏通りを駆け抜け、村を出て行く。シリルの顔、村の様子、一切が確認できないほどあっという間の出来事だった。

 森に入ってからもものすごいスピードのまま駆けていく。たまに顔に当たる蔦や葉っぱに意識が覚醒してきた。同時にぬるりと手に触れるものがある。ハーネルの背中だ。思わず「ひいっ」と手を引っ込める。血だらけだった。

「あ、アルフレートはどうしたのよ! どこに行くつもり!」

 答えは返ってこない。

「なんでわたしなのよ! 美味しくないわよ! アルフレートを返せ、このー!」

 ジタバタしてみるが、わたしを抱える腕はピクリとも動かない。突きすすむスピードが落ちる気配すらなかった。

 森を抜け、日差しの強い街道に出る。その一瞬だけ足が止まったが、また走り出す。再び森に入った時、低いつぶやきが聞こえてきた。

「……俺は生き延びる。絶対に生き延びてやるぞ」

 地面から這い出る悪魔のような声色に、わたしはまた身を硬くするしかなくなってしまった。せめて現在位置を確かめて、どこに行くつもりなのか洞察しないと。先ほど出た街道に標識はあっただろうか、なかっただろうか。しかし揺れる景色と恐怖のために思考が定まらない。

「誰か助けて……」

 情けない小声が、仲間の顔とともに溢れて消えていった。




「う……」

 目を覚ますと濡れた落ち葉の上に放り出された自分がいた。頬に張り付く枯葉が不快極まりない。顔を上げるとすぐ脇にハーネルがいたため、びくりとする。寝たふりを続けるか迷ったが、バッチリ目が合ってしまった。仕方なくのそのそと起き上がる。カチカチになってしまった体の筋を動かすのに苦労してしまう。

 大きな杉の木に寄りかかり、手と口を使って自らの体に包帯を巻いていたハーネルはその様子をちらりと見ただけだった。休息を取るのにも屋根があるところ、せめて洞穴でも探すのではなく、こんな森の一角だというのがこの獣人らしい。

 手についた濡れ落ち葉をつまみ取ると、わたしは意を決してハーネルに尋ねた。

「ここ、どこ?」

 わたしの顔を面倒くさそうに見ると、ハーネルは噛み締めていた包帯をプッと吐く。

「さあな」

 馬鹿にする口調に答える気はない、と現れていた。天候や植物の種類を見ても遠くまでは来ていないはずだが、どうにかとっかかりが掴みたい。

「あ、アルフレートは?」

 わたしの質問に、再びハーネルから殺気が漏れる。ぶわりと湧く黒い気配にわたしは後悔した。

「それを聞いてどうするってんだ? いいか、俺がお前を殺すのに一秒もかからねえ。死にたくなかったら黙ってろ!」

 怒りで盛り上がった二の腕から包帯がはだけ落ちる。すでに汚れたそれには、どす黒い血がこびりついていた。

 わたしは恐怖でまた体が固まってしまう中、思考だけは冷静さを取り戻しつつあった。今のハーネルの返事からして『アルフレートは生きている』。この獣人の性格からしてアルフレートを倒しているのだとすれば、にやけながらそれを言ってくるか、もっと匂わせているはずだ。

 それともう一つ。なぜかわたしを連れてきたことと、先ほどの呟きからして『彼が生き延びるためにわたしが必要であること』。理由はわからないが多分そうだ。それが分かったところで協力する義務もないしする気もないのだが、とりあえず命の危険は無いと見ていいはずだった。

 カサリ、葉を踏みしめる音にわたしは振り返り見る。濃紺をさらに煮詰めたような色合いのローブを着た人物が近づいてきていた。頭までフードで覆われているが、シルエットからして女だ。

「それが例の娘? ああ、なんだ……その子ね」

「そうだ」

 ハーネルとの会話からして救援が来たわけではないことに落胆する。が、どこか聞き覚えのある声だった。こちらを見る顔がフードの下から覗く。思わず声を上げそうになる。アイリスかトレイシーのどちらかだ。よく似た姉妹だが体格からしてその二人どちらかに違いない。やっぱり繋がりがあったのだ、とわたしはゆっくり立ち上がった。そんなわたしをハーネルが指さす。

「こんな子供でも変な動きしないとも限らねえ。俺がこのまま抱えていく」

「その必要はないわ。もうすでに仕込んである」

 女が指を振るのに嫌な予感がする。わたしは後ずさった。しかし何の意味もなく、女の指先から現れた小さな光がわたしを捉えた途端、わたしは猛烈な勢いで思考や気を削がれ、自我が消えていくのを感じた。

「これで命令すれば大人しくついてくるわよ。途中で術を解かない限り三日は持つ。……しかし確かに『中心部』に居られたら困る子だわね」

「だけどうまく使えばこれほど上玉の『餌』はねえ」

 脳に記録できたのはこの会話だけだった。その後は、わたしは自我を身体の奥底に閉じ込め、重い足を運ぶただの人形となっていた。




「じゃあそこの毛だらけの男の言うことをよく聞くのよ。私はもう戻るから」

「はい」

 その返事を藍色のローブの女にした瞬間、急激に自我を取り戻したわたしは暫し唖然としていた。その間にも女は踵を返し、今三人で歩いてきた街道を引き返していた。時刻は夕刻。朱色に染まる空に、橙の雲が彩りを添えていた。

「おら、行くぞ」

 ハーネルはわたしの変わりように気づかないのか、声をかけてくる。わたしは「はい」と答えると、なるべく朦朧としたままの演技を続けて彼の後をついていった。着いたのは寂しげな村だがマリュレーではない。しかしこのような農村が集まる一帯なのだから、すぐの特定は難しいものの、やっぱりみんなから遠くに来たわけではないことにホッとする。

 のそのそとついていくわたしをちらりと見ると、ハーネルは舌打ちした。

「操り人形になる薬ね。やっぱり魔女は気味が悪い手使いやがる。普通に連れていきゃいいのによ」

 その言葉に反応しないよう無表情に努める。しかし内心は焦っていた。操り人形、というと先ほどまでのわたし、それに先日のヴィクトリアがされた状態だ。彼女たちがそのような術を使うのも知っている。でも「薬」?それに術を使用した際の女の言葉、『仕込んである』とは?滞在中に飲まされたんだろうが、いつのことなのか、どれなのかがわからない。食事がやっぱり怪しいか。

 のどかな村を歩く獣人と無表情の少女、という異質な組み合わせを、当然だが村人が見てくる。しかし声をかけたり露骨に怪しむ顔は向けてこない。ハーネルがいるからだ。みんな急に現れた獣人を恐れている、というのがひしひしを伝わってきた。

 少し行くと農具を担いだ老夫にハーネルは声をかける。

「この辺に空き家はないか」

 横柄な態度と後ろにいるわたしに、答えていいものか迷っているようだったが、老夫は村のはずれを指差した。

「あの小屋は今はつかっ……」

「もういい、誰も近づけるなよ」

 言い終わる前にハーネルに押しのけられ、老夫は答えたのを後悔するように首を振りながら去っていく。何度か気にするようにわたしを見ていた。

 教えられた小屋に近づくのに乾いた丘を登る。足を踏みしめるたびに土煙が小さく舞った。小屋の様子は見るからにボロく、使用されなくなってから久しい事が伺えた。もともと住居ではなく納屋といった感じだ。

 ハーネルが乱暴に開け放つと、扉が吹っ飛んで行ってしまうのではという程、小屋全体まで揺れる。中には壊れた樽、端材、それに埃だけが舞っていた。

「入れ」

「はい」

 声が震えないよう気をつけながら、のっそりと入る。ハーネルはその様子を確認すると空を見上げた。

「三日か。まあちょうどいいかもしれねえな。……おい、そのままここにいろ。誰がこようと動くな」

「はい」

 扉がまた乱暴に閉められ、閂を下す音がする。小屋のあちこちから夕焼けの赤が漏れていた。どこで用意したのか、ご丁寧に南京錠を括り付ける気配までする。そして挨拶もなく去っていくハーネルにわたしは心臓が破れそうなほど高鳴っていた。最後の声かけすらない、というのはわたしが術にはまったまま、人形のままだと判断しているからだ、と自分に言い聞かせながら鼓舞する。

 ゆっくりと扉に近づき、隙間から表を確認する。黒い獣人が村の小さな道をゆったりと去っていく姿が確認できた。深く、深く息を吐く。

「……三日後って言ってたわよね」

 誰もいないことを確認するように独り言を吐く。操りの術が解けるはずなのが三日後。そしてそれが「ちょうどいい」と言っていたのだ。

「三日後に何かするつもりなんだわ。それまでわたしをマリュレー付近から遠ざけたい。そしてそれが……ハーネルの寿命を延ばすことになる?」

 単純につなぎ合わせただけのパズルのピースは意味不明なものだった。わたしは苦悩に、そしてもう一度助かったことへの安堵の息を吐き出した。

「……逃げなきゃ」

 当然の決意を固めると、わたしはもう一度表の様子を窺い、そして小屋の中を見回した。

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