マリュレーに潜むもの
アルフレートを待とう、と決断を下したローザが、一番迷いを感じていることは明らかだった。村で一番賑やかな通りにある宿の中、窓の外の景色を眺めながら頬を指で叩いている。ローザとアルフレート、性格はまるで真逆の二人が、癖は似ているのだった。
「どうして勝手に移動しちゃうのよ。せめて朝まで待っててくれたらいいのに」
いらだたしげに声をぶつけるのはヴィクトリア。相手のカイは、ローザの見ている窓とは違う通りに面した窓を眺めながら、あくびをした。
「教会の敷地内を何人もうろついてて、ノコギリの音までしたら、そりゃ逃げるだろ。村の人間ぶっ倒していいなら別だけどな」
それを聞いてわたしは焦る。
「の、ノコギリ!? 強行突破じゃない! 何が目的なのかしら。本当に神父さんが邪魔だっていうの?」
当然だが答えはない。問題の神父さんは疲労してしまったらしく、隣室で横になっていた。泥棒騒ぎで連日、気が張っていたのに加えてこの騒ぎではしょうがない、とカイは言っていた。護衛にはクソがつくほどの真面目人間シリルが付いている。
「でもだからって……屋敷に連れてくるとか考えなかったわけ?」
尚も続けるヴィクトリアにカイは鼻で笑ってみせる。
「あの屋敷に? あの家族は偽物だ、ってお前が言ったんだぜ? そんなとこに連れてっていいのかよ」
「だからってこんな来たこともない村に来る!? それに屋敷には私達だっていたのよ!?」
「お姫様よろしく守って欲しかったんならシリルがいただろ。勝手に、っていうなら俺だってそっちが二手に分かれたことは知らないぜ。それに黙って来たわけじゃない。手紙を残しただろうが」
「もらってないわよ!」
叫ぶヴィクトリアにローザが何かを広げて見せる。クリーム色をした一枚のメモだった。
「手紙ならあるわ、ここに」
宥めるような声にヴィクトリアは押し黙る。俯く顔が耳まで赤くなっているのには触れないでおいてあげよう。
「あの飲み屋のマスターから受け取ったのよ」
「わたし達も彼に言われて来たの」
ローザとわたしの会話にカイが入る。
「店の前、片付けてたマスターが見えたんでな。まあ知り合いってわけじゃねえけど、他に頼めそうな奴もいないしよ。どこかに隠れたいって言ったら、この村を勧められたんだ。……あの新しく来た駐在員は頭固そうで、神父を連れてく、なんて言ったら、こっちが逆に捕まりそうだし」
「イワンか。彼は頭は良いんだが、融通が利かない。賢明だったかもしれん」
ニームが腕を組み唸った。他の兄弟たちは村を見に行っている。ついでにリーツコッグの復興状況を報告するためだという。ローラス警備隊って意外と忙しいんだなあ、と失礼な感想を持ってしまった。
ローザがため息と共に組んだ腕を下ろした時、部屋の扉が開いてイルヴァが入ってくる。
「お腹空きました」
両手で抱えるバケツポップコーンは何なのだろう。
「全くしょうがないわね」
ローザが二度目のため息をつくと、カイが「しっ」と人差し指を唇に当てた。そして自分の見ている窓を指差す。わたしはそうっと彼の元に近づき、窓の外を覗き見た。
「あ」
思わず声が漏れる。白ローブである。宿の前の通りを向こうから歩いてくる。体格は小柄で男女のどちらかもわからないし、もしかしたら幼いかもしれない。陰気に項垂れるような体勢なのは、頭を覆うフードが脱げないようになのか。
「何か探してる?」
ヴィクトリアが眉を寄せる。フードの人物はキョロキョロと通りを窺った後、宿の正面にあった食堂とカフェの間の細い路地に滑り込んだ。そしてローブの袖から何か取り出すと、その手元に持った物で食堂の壁に模様を描き出す。わたしは息を呑んだ。落書きの現行犯を見たからではない。その描かれた模様にだ。
「卵型に稲妻の入った黄緑のマーク。あれのことね」
わたしの話からしか聞いていないローザが感嘆するような声を出す。カイが頷いた。
「何個か気づいたんだ」
「何を?」
わたしは口元に笑みを作る盗賊の顔を見上げる。
「まず落書きの意味。あの『楡の木会』の連中がつける印は、ローラス固有じゃないもの、つまりあいつらが排除したい物につけてる」
「固有じゃないって……ずいぶん古そうな食堂だけど」
ヴィクトリアのずれた感想に首を振ったのはトカゲのニームだ。
「看板に小さくケニスランド料理とある。メニューは魚の揚げ物、タルタルステーキにプラムプディングか。ケニスランド人のご主人が経営でもしてるのかな?」
「その通り。んで、隣の落書きを逃れたカフェは小麦のクレープ屋だ」
カイの話に思い出す。確かクレープ自体は西方の国のものだが、ローラスに入って本来そば粉の物が小麦にで作られるようになったはずだ。ということは時代は関係なくローラス発祥なら容認なんだろうか。基準も印を描く本人によってバラバラな気がしてならない。つい最近になってやり始めた、まだ手探りの活動なのかもしれない。
「これで4つ目。この村では俺が見た限りで4つ印を見つけた。この意味わかるか?」
問われた全員がカイを見る。その顔を見回し、カイは答える。
「マリュレーの村には印が無かった。一つもな。ということはマリュレーには印も必要ない、排除するべきものがない、あいつらの物なんだよ。マリュレーは『楡の木会』の本拠地だ」
わたしとローザが肌が泡立った腕をさすり、ニームは深く息を吐き出す。
「お、伯父様一家は……?」
ヴィクトリアの喘ぎには、カイはすぐ答えようとしなかった。しばらく口元を触りながら仲間の顔を見て、答えた。
「だから消されたのかもしれない」
ふらりとするヴィクトリアをカイが受け止める。それをゆっくり除けながらヴィクトリアは顔を上げた。
「大丈夫。……だけどひどく疲れてしまったわ」
その言葉にわたしは彼女に部屋の隅のベッドを勧める。ヴィクトリアがベッドに腰掛け、足を上げるのを見てパーテーションを広げた。
「みんなは飯行ってきてくれ。帰りに何か摘める物でも買ってきてくれよ」
カイの促しとイルヴァの熱い眼差しを受け、わたし達は出かけることにした。
カリカリベーコンとアスパラガス、チェリートマトに大量のチーズをぶちまけたピザ、豚肉と山菜のパスタ、ひき肉とトマトのグラタン……。テーブルに並ぶのはどれもローラスっぽさが入り込んでいるものの、フィオーネ料理である。
「白身魚のパイ包みでも頂きますかね。私はサントリナの出なので」
苦笑しながらメニューを頼むのはヤン神父だ。少し回復したらしく、顔色も問題なさそうに見えた。
「リーツコッグは扇状地なんだ。だからまれに大雨が続くと今回のような災害が起きる。でもその分、土地が肥えていて野菜が美味い」
その説明をしながら山盛りのサラダに食らいつくシリル。
「繁盛してるわねー。フィオーネ料理屋が儲かってるんだから、リーツコッグじゃ影響力少ないのかしらね」
ガヤガヤとうるさい店内を見回し、ローザの言うのは『楡の木会』のことだろう。わたしは頷いた。
「そもそもが無理ある主張だもの。食べ物に限らず外国の物がガンガン入ってきてるってのに。いよいよこの大陸にも汽車が走る時代よ?」
言いながらブレージュの街で見た落書きを思い出す。あれは汽車の登場に沸く人々に向けての『警告』だったってわけか。
「なんか似てないか?」
ヘクターがポツリつぶやく。「何が?」と問い返すローザの顔を見た。
「自分たちにしか意味がわからない変な落書きを残すところとか、自分たちの主義主張を広めたいのか隠したいのかわからないところとか」
「それ、わたしも思ってたんだけど……やっぱり背景についてると思うのよ、サイヴァ教団が」
声を低くするわたしにローザ、神父の手が止まる。
「だって八人の魔女は伝説じゃサイヴァ信者なんだし、それにフォルフとハーネルがいるんだもの。それしか考えられない。問題はなんで『楡の木会』なんて仮面をかぶる必要があるのかってこと」
「警戒されるから?」
パッと答えたローザにわたしは「それよ」と頷く。
「サイヴァ教団のままじゃ警戒されるだけで信者が集まらない。だから全く違う団体を名乗って、マリュレーに本営を築く。住民はフォルフたちが考えた至高の考えの元、結束して秘密を共有する。自然と閉鎖的になるし信者数も一定保たれる。あと分からないのが……」
「分からないのが?」
ヘクターの合いの手に再び頷く。
「マリュレーにこだわる理由よ。伝説とアルフレートの話が本当なら、魔女たちはわざわざアルケイディアから渡ってきたマリク達に討たれ、またあの村に復活してる。なぜなの?」
「邪神復活の儀式に向いてるとか? まあその辺は話が突飛すぎるし、あたし達にはわかりようがないわね」
ローザの疑問に答えるのが、クレイトン氏の書斎だったかもしれないのだ。フロロが戻らない今、カイに潜入をお願いしたいが、どのみちわたしやアルフレート、ローザといったある程度知識のある人間が帯同しなくてはならない。
「なるほど、そういう話なわけか。リジアは頭がいいのだな」
突然のシリルの感想に、わたしは顔が赤くなり、周りはふふっと笑うのだった。
食後に各自お茶や濃いめのコーヒーを飲む中、わたしはヤン神父に向き直る。
「それで、懺悔に来た村人に覚えはあります?」
神父はカップの取っ手を指でいじった後、ふうと息ついた。
「覚えはもちろん。ただ殺人の告白などではもちろん無いし、しっくりこない人物です。もちろんあなた方に隠し立てする気はないのでお話しますけどね」
そう言ってカップを傾ける神父にわたしは少し意を削がれる。これで犯人確定!事件解決!とは思ってないが、勢みにはなると思っていたのだ。
「デイビーズ家の父親、息子さんが行方不明になっている方です。懺悔は『選んだ道への迷い』でした」
わたしはローザと顔を合わせる。なるほど、確かにしっくりこない。家を訪ねた時に見た顔も、覇気のないものだった。裏で暗躍しているようには見えないし、一連の犯人になるような重要人物の匂いもしない。
「他にはいます?」
わたしは念のため再度質問する。
「他は飼い犬が死んだのでお祈りしてほしい、という方と、お姑さんとうまくいかないという相談に乗ったくらいでしょうか……。すみませんね、思い出したらお教えします」
「気にしないでください」
ヤン神父にそう声をかけつつ、わたしは首をかしげる。なぜ『竜の爪亭』マスターは神父が知っている、と思ったのだろう。勘違いなのか、それとも本当に今の話に出た中に懺悔が含まれていた?
「『選んだ道への迷い』か。息子を必死になって探さなかったことへの後悔か、『楡の木会』に参加したことへの後悔とか?」
ヘクターが頬をかく。
「そもそも楡の木会が何なのかがわからないしね。サイヴァ教団の関わってるのが本当だとしても、楡の木会はどこまでそれを知ってるのか」
ローザの言った疑問にわたしが思考に傾いた時だった。
「聞いてみるのはどうでしょう」
神父の言葉にわたし達は一斉に彼を見る。
「直接伺ってはいかがでしょう。妙な疑いをかけず、素直な疑問もぶつけてみたら、答えも返ってくるかもしれません」
邪気のない柔和な顔に目を瞬かせる。何を言い出すやら、とも思うが、案外いい案とも思える。
「あの、まずいでしょうか」
返事のない場に気まずくなったのか、神父がおずおずと聞いてくる。わたしは急いで首を振った。
「思いかけず大胆な方だったので驚いたんですよ」
わたしの返しに、ヤン神父はにこにこと笑っていた。
「……聞き込みするならちょうどいい人たちがいるじゃない」
店の入り口を見ながらローザがつぶやく。見ると、首都に報告を送る、と言って分かれていたニーム達が、ひょこひょこと入ってくるところだった。