リーダーさん、フォローする
「壁伝いに歩いていけば、そのうち出口が見つかると思うんだ」
ヘクターの提案にわたしは頷いた。暗くて距離が掴めないせいかやたら広く感じるが、やがて部屋の角に行き着き安堵した。方向を変え、また歩いていく。
前を行くヘクターがこちらに振り向いた。
「大丈夫?寒くない?」
「平気、ここ暖かいし」
そう答えて再び歩く。再び壁が垂直に交わる箇所にたどり着き、指を差して頷き合う。するとまたヘクターがわたしに尋ねてくる。
「疲れたら遠慮しないで言ってね」
それを聞いてわたしは思わず吹き出した。戸惑った彼の顔にわたしは手を振る。
「いや、だって。すごい心配されてるからおかしくって…」
わたしが笑うとヘクターは頬を掻いた。
「ごめん、その何ていうか、今まで体育会系に囲まれてたから気遣い足りないかも、って不安になるっていうか。リジアみたいな女の子は周りにいなかったし……」
そこまで言うと、慌てて振り向く。
「いや、偉そうだったよね?」
わたしは首を振った。
「ううん、ありがとう。でも大丈夫だよ。足引っ張ってないか不安だけど」
それを言い終わる前に前を行く彼の頭が振られる。顔を見なくても笑顔だろうと思う。包む空気まで柔らかい人だ。
「実はね、ゴブリンの洞窟にいた時から武器持つ力が無いのは……弱いなぁ、って感じてたの」
ふっと本音が漏れる。ヘクターは後ろ歩きのような形になりながら、わたしの顔を見ていた。
戦う力がないのはもちろん、わたしの場合さっきの状況でも泳げない、体力ないっていうのが浮き彫りになっちゃったし。肝心な魔法の腕に問題があるのだから、せめて普段の行動ではお荷物になりたくないのだけど。
「これは誰が出してくれたの?」
彼の指差す先に「ライト」の光がふわふわと浮かんでいる。
「これくらいは……」
自慢にもならないし、と言おうとするが、ヘクターの声に遮られる。
「俺一人だったら真っ暗な中で途方に暮れてたんじゃないかな」
大袈裟、というか嘘だと思う。彼なら一人でもきっとこの部屋から這い出ていたはずだ。でもそう言ってくれる事が嬉しかった。
「ファイタークラスの奴ってさ、教官から毎日のように言われてるんだよ。……『魔術師に魔法を使わせるのは最終手段である』って。ナイト気取りかよ、馬鹿にすんな、って思われちゃうかもしれないけど……」
初めて聞く話だった。わたしは芽生え始めていた焦りが、少し減るのを感じた。ヘクターがふっと笑う。
「まあさっきみたいに突き飛ばされるのは、ちょっとショックだったけどね」
言われたわたしは顔が真っ赤になった後、血の気が引く。そうだった、すごい失礼なことしたのを忘れていた……。
せめて足手まといにならないように、なんて言ってるくせにやってることは足を引っ張る行為そのものだ。これから一緒に行動したいなら恥ずかしがってる場合じゃないんだよね。顔合わせただけで動揺してる場合じゃない。こういうのはきっと慣れることが大事なのだ。
そう思ったわたしは、
「手繋いでいい?」
ポロッと思いついたまま口に出して、すぐに後悔する。ぶは!とヘクターが吹き出した。
「なななな何言ってんだろうね!ごごごごめん!違うから!そうじゃないから!」
自分でも何を言っているのかわからない。しかしヘクターは、「はい」と言って手を伸ばしてきてくれた。それを握ると軽く握り返される。思わず卒倒しそうになった。
「……恥ずかしいと鼻血が出る、って感覚が今なら分かるわ」
ガンガンと頭に血が上るのが分かる。ヘクターが「え?」と振り向くが、慌てて「何でもない」と首を振った。
これは先々を見据えた上で重要な練習なのだ。立派な冒険者になるために乗り越えなければならない問題なのだ。と自分に言い聞かせ続ける。しかし周囲が暗くて良かった、とにやける顔で思った時だった。
ヘクターの足が止まる。わたしの耳にも水が撥ねる音が聞こえていた。下がるよう手で合図され、わたしは壁際に逃げる。水面に見える黒い影が高速で動き始め、ざあ!と魚人が顔を出した。
「グゲグゲ!」という声が二重に聞こえてはっとする。プールの縁に掴まりよじ登ろうとするのは二体に増えていた。
再び長い爪を振り回す魚人とヘクターの打ち合いが始まるが、明らかに先程より防戦に回っている。不気味な雄叫びと共に爪がヘクターへと伸びるたびに息が止まりそうになった。
これはいくらなんでもぼーっとしてるわけにいかないわよね!?と混乱する頭で必死に呪文の詠唱を思い出していく。半分くらい無意識で紡いでいった呪文を口に出して腕を突き出す。
「ファイアーボール!」
ゴブリンの身の丈ほどありそうな巨大火の玉が熱風を撒き散らす。重そうにぶわり、と飛び始めた火の玉を見て、魚人二体とヘクターは目を見開き、同時に左右へ飛び退いていた。
耳がおかしくなりそう。彼方へ飛んでいったファイアーボールが起こす爆発音に、唱えたわたしがくらくらする。かなり遠くでの爆発だったと思うのだが熱気が襲ってきた。お腹に響く振動にしゃがみ込み、耳を塞いでいると、
「……!」
魚人達が何かを叫び、水中へと飛び込んでいった。これは堪らない、という判断だろうか。
ヘクターがわたしの腕を掴んで走り出す。
「出口が見えた!」
その叫びの通り、暫く走り続けるとぽっかりと開く通路の入り口が見えた。今も横に広がるプールに再び黒い影が蠢き始め、走る速度を上げる。
通路に滑り込むのと同時に背後からざばっ!と水面の弾ける音がする。続いてべたり、と濡れた足が着地する音。
先に見える階段をヘクターが指差した。急いで駆け上がると、水面から上がったと思われる魚人がついてくる気配はない。あの見た目からして水辺からは離れたくないのかもしれない。わたしは荒くなった息を整えると、改めて深い息を吐いた。
「……ごめんなさい」
身を起こすなりわたしが言った言葉にヘクターの目が丸くなる。言い訳にはならないようにわたしは続けた。
「さっきの魔法、部屋があれだけ広くなかったら危なかったと思って」
ヘクターは一度にこっと笑うと、わたしの手を取り歩き始める。
「リジアはさ、何かしなきゃいけない、って思い過ぎてるよね」
そうかもしれない。さっきもあの場をどうにかしなくては、というより自分も何かしなくては、と思って夢中になってしまっていた。
「『何もするな』なんて言わないけど、『何もしなくていいや』って思われるように俺も頑張るし、戦闘は一先ず俺に任せて。二人で一緒にリジアにしか出来ないようなことを探していこうか」
「は、初めての共同作業って奴ね!」
いきなりテンションの上がるわたしを不思議そうな顔で見ていたが、ヘクターは「そうだね」と頷く。ちょっと意味が通じなかったようだ。
会話が途切れ、前に続く暗い廊下を眺めるだけになる。どさくさに紛れちゃってまた手を繋いでるけど、急に恥ずかしくなってきた。このまま他のメンバーと合流出来たら、嬉しいけどこの状態を見られてしまう。でも離すのはもったいない。
うーん、と考えていると急に目の前が明るくなった。ぐっと後ろに手を引かれる。
「……火!火事!」
廊下のいっぱいいっぱいに広がる炎に叫ぶ。突然燃え広がったということは、また何かの罠を作動させてしまったのだろうか。一本道だったのにどうしよう。
しかし濡れた衣服の冷たい感触が、目の前の光景に対して違和感を覚えさせた。少し考えてからわたしは炎の中に腕を突っ込む。ヘクターが「わ!」と驚いている。
「……幻影だわ」
今も突っ込んだ腕に赤い炎が纏わりついているというのに熱さは微塵も感じない。イリュージョン、という古代語魔法が頭に浮かんだ。視覚と聴覚だけに働く幻影魔法だ。微かに空気を揺らすような爆ぜる音といい、本物の炎にしか見えないがこの魔法では熱を作り出すことは出来ない。
わたしが炎の中に飛び込んでみせるとヘクターは眉を下げて頭をかく。
「なんか変な感じ……」
彼の目には火に囲まれて平気な顔をしているわたしが写っているのだろう。わたしが手招きするとすぐに向かってくるものの、体を包む炎を不思議そうに見ていた。
幻影の炎が上がる一帯を抜けるとまた暗い廊下に戻る。
「すごいよ、リジア。よく分かったね」
ヘクターに褒められて照れくさいが嬉しくなる。確かに「イリュージョン」の魔法を知らなかったら、もうちょっと時間が掛かった問題かもしれない。
「でも本物の火だったら服乾かせたね」
にこにこと言う彼に半分首を捻りながら頷いた。「それじゃあ突っ切って来れないよね」と突っ込んだ方が良いのだろうか。
迷っているうちに言い出すのも妙なタイミングになる。まあいいや、と思いながら現れた廊下の角を曲がる。
「何だ、これ」
ヘクターが言うのは曲がった先に広がる不思議な造りの通路の事だろう。わたし達から見て右側はこれまでと同じ灰色の壁だが、左側はガラスで覆われている。ガラスの向こうにも同じような廊下が伸びており、左右対称になっているようでこちらと同じ位置に廊下の角が見える。
わたし達が曲がってきた角と対照になる位置から現れた二人組みに息を呑む。
「アルフレート!フロロ!」
ガラスの向こうの廊下を何食わぬ顔で歩く彼らは、わたし達など見えないかのようにそのまま素通りしていった。
「ちょ、ちょっと!何、無視してんの!」
そう叫びつつ彼らの真横のガラスにへばりつくが、こちらをちらりとも見ない。演技とも思えない二人の態度に『実は自分達は既に幽霊でした』なんて考えが浮かんでしまった。