頼りない男
「アンタ、大騒ぎしてた割によく寝てたわねー」
朝の身支度を整えながらローザが呆れた声を投げてきた。
「……それ言わないでよ」
わたしはベッドの上で顔をこする。昨晩はあの家族の異常性を説きながら震えていたはずなんだが、布団に入った途端に睡魔に飲まれてしまった。暗くなってからのこの館は本当に不気味だったので、夜中にトイレに行きたくなったらどうしよう、などと怖がっていたというのに、トイレどころか一回も目が覚めなかったのだからどうしようもない。
「しっかし朝でも暗いわね」
わたしは少なすぎる照明に文句をつけながら『ライト』の呪文を唱えていった。本日も残念ながら曇りである。窓からの日差しは頼りなく、気温もローブを羽織って丁度いいくらいだ。
ドアノックの後にあの陰気なメイドが入ってくる。今日も最初から不機嫌顔だ。
「朝のお湯をどうぞ」
湯気の立つホーローのボウルを受け取りながらローザが笑顔を返す。
「ありがとう、ミセス、ええと……」
「モーリーン・アビントンでございます。モーリーンで結構でございます。朝食も今、こちらにお持ちしますから」
「ありがとう、モーリーンさん」
頭を下げて出て行くメイドを見送ると、
「形式にうるさそうで、意外と緩いのね」
と、ローザが息をついた。彼女には色々、粗が見えるんだろうか。庶民には細かいしきたりはわからない。
支度を終えて廊下を出たところで、わたしは固まる。扉を開けてすぐに見えたのは、向かい合わせになった二人、ヴィクトリアがヘクターに何か言いかけているところだったのだ。どこかすがるような顔が、わたしとローザを見た途端に憎々しげなものに変わる。ふん、そんなに気に食わないですか。
「みんなもう下で待ってるわよ」
鼻をならすとヴィクトリアは踵を返す。こちらも朝からご機嫌麗しくない。
「あらあ、ごめんなさいね」
ローザの声かけにも反応せずに行ってしまった。
「……何かあったの?」
わたしはヘクターに小声で話しかける。
「いや、まだ何も……」
そう言うとヘクターは頭をかいて黙ってしまった。わたしの不機嫌なオーラを感じ取ったのかもしれない。困った顔に思う。この人が悪いわけじゃないんだけどなあ。わたしは頭を振り、顔を叩いた。
階下に降りると、ヴィクトリアの話通り、みんなホールでお待ちかねであった。アルフレートやイルヴァまできちんと用意をして待っていた。紅茶が美味しかったのでお代わりしたのがよくなかったかもしれない。
「イルヴァ、珍しいじゃない。ちゃんと起きられたんだ?」
わたしの質問にイルヴァは大きな瞳をぱちくりさせ、首をかしげる。
「んー、なんかヴィクトリアさんが夜中もうるさくて眠り浅かったかもです」
「夜中? 何してたの?」
「わかんないです。でも動き回ってた気がします。お腹空いたのかと思ってお菓子出したんですけど、断られちゃいました」
そう言って「食べます?」とカラフルなブリキ缶を出してきた。「キャラメルナッツバー」と書かれた缶にわたしは首を振る。
揃ったところで表に移動することになる。今日は村に行ってとりあえず現地調査だ。一日の流れを確認しあっていると、ホールの奥から人影が現れる。
「事件を解決しに行くのね」
五女ヒルダが、祖母の手を握りながらやってきたのだ。まだたどたどしい言葉が可愛い。
「解決できるかはわからない。でも精一杯やってくるよ」
シリルの答え方に苦笑してしまう。そんな難しい言い方で通じるかしら。しかしヒルダはにこりと笑った。
「がんばってきてね」
「ヒルダはお家で応援していましょうね」
祖母オフィーリア・クレイトン夫人はそう語りかけた後、ヴィクトリアに向き直る。
「あまり無理はしないでちょうだいね」
「お気遣いありがとうございます」
ヴィクトリアは丁寧に答えると、膝を折って挨拶した。孫と祖母の会話じゃないみたい。上流社会って大変だわあ。そんな感想を抱いてしまう。
扉を開けると霧の中に栗毛の馬と馬車が待っていた。そちらに行こうとしたところで、カイがこちらをしげしげと見ているのに気づく。
「この前から思ってたけど、あんたら荷物少ないよな。いつも必要なものは現地調達か?」
ぎくり、とわたしとローザは肩を震わせる。実はわたし達の荷物でかさばるものはフローラちゃんの中であり、そのフローラちゃんはローザのポケットだ。フローラちゃんの存在は極秘!というわけではないものの、やたらに言う気にはなれない。一つは一応、防犯のためということと、もう一つは自慢話になってしまいそうだからだった。今考えるとあの冒険の報酬としては破格、というかフローラちゃんの存在自体がすごすぎる物だと気付いたからだ。
「余裕あっていいねえ」
自身も随分身軽な装いのカイが、そう呟きながら馬車に乗り込んでいった。今回も荷馬車を改造した簡易バスだ。見覚えのある御者が帽子を上げて挨拶する。わたしも乗り込もうとステップに足を乗せた。ふと感じた視線に館を見る。最上階、三階の窓からこちらを見ているのは長女ウェンディだろうか。昨日と違って髪を下ろしているのに加えて、全員よく似た顔の家族なので確信は持てないものの、多分そうだ。頭を下げて挨拶しようか迷う内に、すっと消えてしまった。
またも歓迎されない客、という立場なんだろうか。わたしは霧で湿り気のあるベンチに腰掛けて、一人ため息ついた。
動き出した馬車内、隣に座ったアルフレートにあれこれ聞きたいものの、さすがにヴィクトリアの前でクレイトン家の人たちの話はしにくい。内容も「素敵な人たちね」ではなく、「気色悪いよね」なのだから。嫌い合ってる仲でも、マナーだけは守りたい。
「何も知らないね」
抑揚のない男性の声と、ばたん、と目の前で閉められる扉にわたしはショックを受ける。ある程度覚悟はしてきたものの、こんなにはっきりと拒絶の態度を取られると、見習いには辛いものがある。失踪したという村人の、家族を訪ねて三軒目になるが今の所、門前払しか受けていない。一人目はトマス・ライト。35歳の男性。村の穀物倉庫番をやっていて、母親と二人暮らしだった。二人目はアン・ミラー。27歳の女性。独身で両親と暮らし、羊の世話などを手伝っていたらしい。どちらの家族も話は聞けていない。
そして三人目はここ、村の最西端に住む大家族の五男、13歳の男の子ジョン・デイビーズだった。さっきのは父親だろうか。
「もう意味ないんじゃない? 他の方法考えましょうよ」
ヴィクトリアは『だから言ったのに』とでも言いたげな態度で深く息を吐いた。標高の高い屋敷周りだけかと思っていた霧は、村の方にまで伸びていた。昨日と同じ陰鬱な表情に戻ってしまった村は、見るからに閉鎖的であった。ちらほらと朝の仕事で出歩く村民を見るものの、こちらの存在に気づくと静かに家に入ってしまったり、露骨にジロジロと見てくるのだ。
「やり方を変えるのは賛成だ。家族がいなくなっているのに加えて、連日聞き込みがあるんで疲弊してるのかもしれない。その状況で押し掛けても迷惑だろう」
シリルの堅苦しい意見に、盗賊二人は何か言いたそうだ。そこにアルフレートが静かに割って入った。
「駐在員とやらを探すか。さすがに非協力的な態度は取らんだろ」
みんなその意見には頷く。泥濘む道をぞろぞろと歩くことになった。わたしはブーツを底の厚い頑丈なものに買い換えてきてよかった、と安堵した。
村の入り口に戻ることになったが、そう広い村ではないのですぐに駐在所にたどり着く。物置小屋と言われても納得する作りの建物だ。開きっぱなしの引き戸の中に粗末な机と椅子があり、そこに座る小太りの男がこちらを怪訝そうに見た後、お辞儀した。
「こんにちは」
わたしの挨拶に警備隊の青いシャコー帽を被った男は立ち上がる。
「こんにちは、なんだい、君らは?」
「学園から来た冒険者だ」
アルフレートの言葉には露骨に顔が解れる。こちらにドスドスとやって来ると、アルフレートの手を握らんばかりに詰め寄った。
「学園からの派遣か! よかった、見捨てられたかと思ったぜ」
「見捨てられた、とは穏やかじゃない言い様だな。この村はやっぱり何かあるのか?」
アルフレートは聞きながら、さりげなく男の伸ばした手を振り払う。
「当たり前だろう? こんな気味悪い村は無いってのに、派遣されるのは俺一人。どう考えてもおかしいぜ」
「気味が悪い、ね。なぜそう思うのか聞きたい」
村を見渡すエルフに、男は再び身を乗り出した。
「まずは住んでる奴らだ。自分の家族が、隣人が、近所の奴がもう何人も消えてるってのに、どうも冷静だしよ。いつも生気の無い顔でフラフラしてるだけだ。だって原因が未だにわかってないんだぜ?次は自分の番かも、とか思わないのかよ。それなのに派遣されたのは俺だけ! あーもう、上の奴は何考えてんだよ」
「田舎の農村に回される人材はそんなもんじゃ無いのか?ローラス警備隊だって万年人手不足だ」
「だけど事件のあった場所には十人単位で行くのが普通だ。それなのに事件発覚してから『一人で行ってこい』だと。それも意味がわからんし、よりによってその『一人』に選ばれるなんて本当についてねえ」
「君の前任は? 事件発覚前は別の人間がいたんだな?その男はどうした」
その質問には男はピタリと動きを止める。しばらくしてからもごもごと答え出した。
「確か……首都に帰ったはずだ。多分、そうだ」
確か、多分、と繰り返す駐在員の男をフロロが鼻で笑った。
「そういうの曖昧でいいのかよ。あんた大丈夫か? 普通、引き継ぎとかあるんでねーの?」
生意気な態度に少々むっとしつつ、男はうなずき返す。
「引き継ぎも何も、来たらもういなかったんだよ。俺が頼りないのは事実だけど、この村がおかしいのも本当だ。ここに来てからやたらと私物が消えるし、夜は見回りの村民が松明片手にウロウロしてて不気味なんだよ」
そこでアルフレートの耳がピクリと動いた。
「私物が消えたとはお気の毒に。できたら何が消えたのか細かく教えてもらえないだろうか」
妙な食いつきだ、と思ったのはわたしだけでなく男もだったらしい。少し面食らいつつ、指折り始めた。
「一番痛手なのが持ち込んだシェリー酒だ。それにつまみに考えてた燻製の海産物。あと服も何枚か。ソード類や弓矢、魔晶石なんかの肝心の物は無事だから上にも報告しにくいんだよな」
「ぜひ報告したまえ」
アルフレートはそう言ってポンポンと男の肩を叩いた。わたしも質問に加わる。
「他には何かなかった?」
「他は……ああ、そうそう時々鈴の音がするんだよ。うるさいほどじゃないけど、気味が悪いんだ」
「鈴の音?」
そう食いついたのは意外にもヘクターだった。男はまたも自信なさげな顔に戻る。
「多分、鈴の音だ。間延びした、寂しい音で……。笛……にも聞こえるかな? いや、鈴だろうな。まあ、なんせ実物を見てないんだ。村民の何かの合図なのか、モンスター避けの効果を期待してるものなのかも知れない」
鈴や笛の小さい音でモンスター避けになるんだろうか?クマやオオカミならまだしも、ゴブリンとか余計に寄ってきそうだけど。
他に質問の声が上がらないのを見て、男は村の奥を指差した。
「昼、まだなんだろう? 少し行ったところにある『竜の爪亭』に行くといい。村で唯一の飲み屋なんだ」
そこで一度姿勢を低くして小声になる。
「店主は最近、他所から来た人なんで村民よりは話を聞けると思う。ウェリスペルトから田舎暮らしをしたくて来た人なんだ。同郷だと知ったら喜ぶぜ」
正直、昼ご飯の心配をしていたわたしは胸をなでおろす。この雰囲気じゃ、まともなお店がなさそうだったもの。
お礼を言うわたし達に駐在員の男は手を振りながら言う。
「また来てくれよ。なんだか不安なんだ」
体格の割に頼りなさげなその様子に、わたしはローザに耳打ちする。
「ただ一人の警備隊がこれじゃ、解決するものも解決しないわよね」
頷くローザの後ろから、アルフレートが入ってきた。
「あの男が無能なら生き残るさ。……無能ならね」
突然の物騒なその言葉に、なんだかぞくりとしたわたしは『有能だったら?』と聞けなかった。