消える住民
部屋を出て行く男衆を見送りながら、わたしはヘクターに声をかける。
「雨上がったみたいだし、散歩しない?」
平静を装いながらも心臓はバクバクだ。わたしの手汗など知らないで、ヘクターは爽やかに、
「いいね」
とだけ答えた。内心ほっとする。ここで断られていたら屋敷の裏の崖からダイブしてたかもしれない。
みんなにからかわれる前に素早く階下へ移動することにする。ホールへ向かう途中、向こうから執事の男性がやってきた。
「ええと、アルドリッジさん」
先ほど聞いた名前を使ったわたしの呼びかけに、笑いながらひげをさする。
「ホルスで結構でございます」
「じゃあホルスさん、少し散歩に行きたいんだけどいいです?入っちゃまずいところとかあったら聞いとこうと思って」
「お客様に禁止事項はございません。ただ納屋は埃まみれになりますし、牧舎は足が汚れますよ」
茶化すような言い方に、わたしも笑う。
「じゃあ気をつけるわ、ありがとう」
お礼を言って後にする。他の使用人の姿が見えないけど、裏方なんだろうか。ホールの奥にはさらに大広間があるというし、掃除も大変そう。サントリナのお城もメイドだらけだったもの。
玄関を出るまでに、あの陰気なメイドと鉢合わせなかったことにほっとする。扉の向こうは雨上がりの冷たい風が吹いていた。高原の上、茜色に染まった空を黒い雲が急スピードで流れていくのが見える。心が澄む景色と空気に、わたしは深呼吸する。
「こっちの方に行けば村が一望できるんじゃないかな」
そう言って歩き出すヘクター。彼の背中に向けて、わたしは尋ねた。
「昨日、どこ行ってたの?」
振り向いてきょとんとするヘクターにわたしはつっかえながら続けた。
「ええと、昨日の夕飯の時、ヴィクトリアに連れられて行っちゃって、どこ行ってたのかなって」
「ああ、その話……」
ヘクターも答えにくそうに口ごもる。その反応にわたしは鼓動が早くなり、固くなった手を握りしめた。二人でいい雰囲気になったとか、ヘクターもヴィクトリアを気に入ったとか、そんな答えや情景が浮かんで脳内を暴れる。しばらく言いにくそうに頭をかいていたが、ヘクターは顔を上げてわたしを見る。
「なんか、変わってる子だね、ヴィクトリアって」
少し予想と外れる回答にわたしは首をかしげる。よくわからない。
「変わってる……?」
性格悪いの間違いじゃなくて?と言いそうになるが、それは慌てて抑える。ヘクターはしばらく「うーん」と唸っていたが、意を決したように腕組みを解く。
「昨日、みんなとはぐれた後は『ごめんなさい、もういいから』って言われて、一人でどっかいっちゃったんだよね。特に会話らしい会話もなかったから、どうしても怒らせた理由とかも浮かばないし、よくわからなくて」
「え、ええ……」
なんだそれは。わがまますぎる、というか意味がわからない。無理やり引っ張っていってそんなオチかい。
「そんなことされてよく怒らないね?」
正直な質問に、ヘクターは頬をかく。
「いや、実はそっぽ向かれてそのまま行っちゃったんだけど、もしかしたら泣いてたっぽいんだよ」
「ううーん」
ますますよくわからない。そんな気まぐれに付き合わされて、それでも怒らないってどんだけ人がいいんだろうか。しかし泣いてた、とは……。やっぱりヘクターにアピールしてるのはわたしをイラつかせるだけなんだろうか。泣いてたっていうのは、本当は泣くほどヘクターが嫌いとか?いや、ちょっと現実的じゃないし、そもそもこの人をそんなに嫌う人間なんて想像つかない。
そこで例の緑頭がパッと浮かんだりする。……元気かなあ、アントン。まあ、あの不愉快な男は関係ないので忘れることにする。
再び歩き出したところで、ヘクターが口を開く。
「ごめん、アルフレートみたいにうまく話せないや、俺は」
「うまく、話す?」
「うん、だって色々事情を聞いた方がいいんでしょ?」
頭をかくヘクターに笑いそうになる。わたし達にとっては、彼らのパーティー解散危機の事情を探る、というのが今回の趣旨だ。それを言っているんだろうけど、確かにヘクターやイルヴァには向いてなさそう。
「その辺は頭脳派に任せてください」
わたしはそう言って胸を張った。隣を歩くヘクターが、笑っているのが気配でわかる。先ほどまでの憂鬱な雨雲も去り、気持ちのモヤモヤも晴れたわけだ。そして今度は薄暗い中に見た村が、綺麗な朱に染まった姿を見ることができた。
「すごい綺麗」
山の上から眺める農村は、そんな陳腐な言葉で済ませるのは失礼なほど美しかったが、第一声はこれだった。
「あれは教会だね。村で一番大きいな」
ヘクターの指差す先にあるのは山型をした石造りの建物。フローの教会らしく三つの丸が描かれたシンボルがかろうじて見える。
「あれは納屋かなあ?あっちは動物がいそう。羊か牛?鳩小屋もある」
わたしも村を指差してあれこれ尋ねる。分かったところでどうということはないのだが、こんな会話が心地いい。村人も遅い活動を始めたようだ。ポツポツと動く影が確認出来るのと、家の煙突から狼煙のように煙が伸びている。わたしはのどかな景色に伸びをした。
その時、ヘクターの手が素早く剣柄にかかる。腰を落とした臨戦態勢で林の方を見つめる姿に、わたしは固まった。
「……ごめん、気のせいだったみたいだ」
そう呟く彼の額には、この一瞬で汗が滲んでいた。わたしはバクバクと波打つ心臓を手で押さえる。徐々に遅まきながら恐怖が湧いてくる。
また高原からの風が頬を撫でていくが、そこには飛び立つ鳥すらも存在しなかった。
テーブルの上の蝋燭の炎が怪しく揺らめき、壁や天井に不可思議な模様を作り出す。ずらりと並ぶクレイトン家の女性たちと、共に囲む夕食の時間である。
「やっぱりアーロンは今日も戻らなかったわねえ。ごめんなさいね、色々と話もあったでしょうに」
クレイトン夫人が主人の留守を詫び、
「いやいや、自分たちの足で回って情報をかき集めてこそ、冒険者ですから」
アルフレートが機嫌よく、食前酒にシャンパンを傾ける。わたしは出されたスープを口に含み、思わず吹き出しそうになった。
……ぬるい。味は申し分ないが、なぜこんなに猫舌仕様なんだ。みんなも思うところは一緒なのか、微妙な顔をしている。配膳に回る人間が少ないのではないかと思う。相変わらず顔を見せるのは執事のホルスさんとあのメイドだけなのだ。上流階級の使用人事情はよく知らないが、ローザちゃんところやバクスター邸でももう少し人がいたんだが。
わたしは正面の席の三女トレイシーをテーブルに並ぶ蝋燭越しに窺い見る。相変わらず生気のない顔でスプーンを動かしている。表に出たことがあるのだろうか、と真っ白な肌に思う。
その隣、長女のウェンディに視線を移す。するとちょうど彼女が話し出すところだった。
「お父様も、なにもヴィクトリアを巻き込まなくても良かったと思うのだけど」
苦笑交じりのセリフにヴィクトリアは曖昧な笑みで返していた。従姉妹を案じるようなセリフだが、今更言われても困る、といったところだろうか。それを見てからカイがグラスを持った手を下す。
「巷じゃヴァンパイア伝説まで復活してるみたいだが、あんた達から見て現実的な話はなんだと思う? オーク、トロル? デュラハンやらレイス? それとももっとヤバイ奴?」
長女ウェンディは奇妙な髪型の男をジロジロと見た後、質問に答えた。
「あまり大型のモンスターじゃないわ。家畜が多いからモンスターの被害も度々あるけど、そんな化け物が出るならもっと早くから大騒ぎになってるはず」
「なるほどね、じゃあアンデット系が影から忍び寄って住民を襲ってるなんてことは?」
「それこそあなた方の方がお詳しいんではなくて?」
カイの少々不躾に始まった話に、ウェンディはあくまでも冷徹に返していた。
「もし明日、村へ行ってみるなら駐在所に行ってみるといいわ。主人は役に立たないと憤慨していたけど、常駐の警備隊がいるから。見晴台も一応あるのよ」
夫人の提案にはみんなも頷く。何かしらのモンスターの仕業、というのがやっぱり可能性は高いのか。
「それより」
そう言ってナイフとフォークを置いたのは次女のアイリスだ。
「もう直ぐ村では豊穣祭があるから、その準備が始まってるわよ。都会の人から見たら退屈な農村の祭だけど、良かったら見て行ったら?」
そう言って、うふふと笑う。反応を見るようにこちらを一巡して見る彼女の視線は、舐めるようだった。窓は閉まっているはずだが、生暖かい風が首を撫でた気がしてわたしは腕をさする。
「オルカの笛に呼ばれたのよ」
三女トレイシーが不機嫌そうに言った。夫人が「これ!」とたしなめた。
「なんです、それ?」
わたしが聞くと、また不機嫌そうに答える。
「知らないわ、村の人が言ってる昔からある話。子供を連れていくんですって」
「しかしいなくなってるのは子供だけじゃないだろう?」
アルフレートが突っ込むが、
「だから知らないって言ってるの」
そう言ってまた黙ってしまった。
「ちょうどいい、どんな人が何人いなくなってるのか聞いとこうぜ」
フロロがそう言ってくちゃくちゃのメモ用紙と鉛筆を取り出す。ウェンディがそれを見て答え始めた。
「最初は三十代男性だったはず、村の穀物倉庫番をやっていた人。住居は……」
フロロは頷きながらメモしていった。
そのやりとりが終わると、しばらく食器の鳴る音だけが響くが、すぐに五女ヒルダの可愛らしい声が沈黙を破る。
「おばあちゃま、眠いの」
「あらあら、お行儀の悪い子。仕様がないわねえ」
その会話を受けて、メイドがヒルダを部屋から連れ出していった。子守も兼ねているんだろうか。それなら疲れてあの態度になるのも頷ける。
四女カミラがそれをじっと見て、自分も続くことにしたらしい。そうっと椅子を降りると、素早く廊下に出て行った。
食事も終わりに近づき、お茶が欲しいな、と口元を拭いた時だった。目の前の光景のある部分に気づいた時、ぞわりとする。トレイシーの前にある皿の上、先ほど出されたメインディッシュのステーキ肉がある。出された時と違うのはその肉が、細切れになっている。ひたすら細かく、ミンチ状になったそれは、真っ赤な肉汁が皿に池を作る中に浮かび、溢れださんばかりだ。ずっとナイフを動かしていて、ひたすら切っているだけだったのか。
口に合わなかったとしても、こんなことするだろうか?菜食主義とか宗教的な理由で食べられないとか色々考えるが、昨日今日で菜食主義に目覚めたならまだしも家族や使用人が知らないとは考えにくい。
そして気づく。執事のホルスが素早く片していく皿は、クレイトン側のものはほぼ手がつけられていない。わたしは今度は嫌な汗が吹き出てきた。
急いでみんなの顔を見回す。蝋燭の炎に照らされた顔は普段とは違った顔色には見えるものの、具合が悪そうには見えない。毒を盛られたわけではないのだろうか。遅効性ならわからないが、何よりそういうものに敏感そうなフロロが平気で食べていた。今もデザートを頬張っている。
ではなぜ?そもそも最初から食べていなかったのだろうか。間の蝋燭やたくさんのグラス類で遮られていてよく見えなかった。
おかしい、絶対におかしい。なぜみんな気づかないの?どうしてわたしだけ?わたしは目の前に座る彼女達に、視線を送ることも怖くなっていた。