奇怪の始まり
いよいよ件の村マリュレーへと向かう朝、晴れの強い日差しが辺りを照らしてはいるものの、空を見ると西方向に不穏な厚い雲が揺らめいているのが見える。一雨来る前に着ければいいのだが。村行きの馬車を探す道すがら、わたしは空ばかり見ていた。理由は簡単、
「マリュレーに行ったら馬に乗せてくれない? 乗馬に興味あるんだけど、私、やったことないのよ」
ヴィクトリアがヘクターの腕を取る。そんなやり取りをなるべく見たくないからだ。困り顔ながらも強い拒否は見せないヘクターにもだんだんイライラしてくる。そんな女の子を邪険にする人じゃないし、そんな不満持つ権利もないんだけどさ。
気づくと下唇を噛んでいる自分がいる。その様子を面白がっているのか、ローザが顔を覗き込んできてからにやーっと笑った。
「そんなに恐い顔しないの。可愛い顔が台無しよ?」
「……なんか今回ローザちゃん緩いよね。一緒に怒ってくれないんだ」
言いながらも、八つ当たりだな、とは思う。それでもぶちぶちと言うわたしをローザは笑った。
「端から見てると面白いんだもの。だいたいヴィクトリアも本気なのかどうか」
そりゃ当人でなけりゃ面白いだろう。わたしだって他人事で二人を見ていたい。でも無理だ。だって、仲良くなられたら困るもの。本気かどうかではなく、今二人がくっついているのが問題なのだ。
泣きそうになる気持ちを破ったのはフロロの声だった。
「あ、これじゃね? マリュレー行きの馬車」
前を見ると、日を反射する白い帆布で荷台を覆った一台の馬車があった。ローラス産のやや寸胴な馬が二頭、前で鼻を鳴らしている。主要街道を通るコルバインバスの乗り場に比べて人も少なく、案内板も木の貧相なものがあるだけだ。
「荷馬車を改造したみたいだな」
シリルが中を覗き込む。他の乗客は今の所いないようだ。カイがさっさと乗り込んで行った。
「十分だろ。俺たちくらいしか行く奴もいなそうだぜ」
カイがそう言うのには理由がある。一つはマリュレーがいわゆる農村だということ。もう一つ、今現在、進行形で起きている失踪事件のためだ。丸きり理由もわからず人の消えていく村になんぞ、向かうのはよっぽどのもの好きか暇人だ。
と思っていたのだが、荷台の側面に沿って置かれた座席に腰掛ける我々に、妙な一団が混じっているのに気づく。人間なら二人分ほどの席を使って、腰掛ける同じ顔の5人組。小さなトカゲ族だ。
「大きな口の女でねか」
きょとんとした声をあげてわたしを見、目をパチパチとさせたのは、真正面に座るトカゲ。山高帽にカッターシャツ、茶のツナギズボン姿は昨日のあいつじゃないか。
「失礼ね! 別に口はでかくないわよ」
わたしが思わず言い返すと、五人は揃ってびくりとする。こっちがいじめてるみたいじゃないの。面倒な奴らだ。
「ええと、これマリュレー行きの馬車だけどいいの?」
フロロの質問に右端のトカゲが「いかにも」と答える。そのあと、五人揃ってウンウンと頷いた。何しに行くのかも気になるし、思いがけない同行者が何でよりによってこの人らなの。アルフレートの言った「妙なのには好かれるな」というセリフが蘇る。まあ、この人らもマリュレーに親戚がいるのかもしれないしね。
のんびりと動く馬車に揺られる中、カイがみんなを見回す。
「着いたらどうする?」
彼の質問は『村に着いたら事件にどう動くか?』と言っているんだろう。カイの隣に座るシリルが答える。
「聞き込みじゃないだろうか」
「よそ者の俺らとまともに話してくれるとは思えないぜ」
カイは頭を振る。そのシリルに彼は向き直った。
「一人一人当たっていけば心を開いてくれるかもしれないし、警備隊に見落とされてた何かが聞けるかもしれない」
「おいおい、いくら田舎の農村でも500人は超えるんだぜ? それを馬鹿正直に当たっていけって言うのかよ」
苦笑顔のカイにシリルは少しムッとしたようだ。
「子供を抜けばもっと人数が減る。それにこっちだって9人いるんだ」
「ガキの方がこういう事件の時は思いがけないこと知ってたりするもんだぜ?」
「じゃあ子供に聞けばいいだろう」
言い合う二人の間に割って入ったのはヴィクトリアだ。
「ちょっと! 9人ってまさか私を入れてないでしょうね!? 聞き込みなんて嫌よ! ただでさえ陰気な村をうろうろするのは嫌なのに」
そのキンキン声に男二人は黙ってしまう。その様子がさらに気にくわないのか、ヴィクトリアは二人をしばらく睨みつけると深く息を吐き、寝る体勢へ入ってしまった。
「……誰が悪い、っていうより、とことん3人の相性が悪い気がしてきた」
わたしは隣のローザにだけ聞こえるようにヒソヒソと耳打ちする。
「あんたもそう思う? あたしもそう思ってたとこ」
「相手を不快にさせないような気遣いもないのに、喧嘩する気もないんだもんな」
アルフレートがアルフレートらしくない評価を下す。こいつにだけは言われたくない内容だが、言ってることはまともなだけにわたしは頬が引きつる。そしてアルフレートは目を瞑り、「陰気、ねえ」と呟いた。
その時、馬車の中に一匹の蝶が迷い込んできた。ひらひらと優雅さを見せつけるよう、中の人間の頭の上を舞った後、息苦しいと感じたのか開きっぱなしの後部から出て行った。そんな中、トカゲの5人組が口からなのか鼻からなのか、シューシューと不思議な音をさせる。人間とは違う生理現象なんだろうか。フロロがうるさいと言わんばかりに耳をピクピクと動かしていた。
「……雨の匂いがしますねえ」
イルヴァが鼻を動かす。彼女は人間のはずなのだが、ずいぶんと野生が残る様子だ。しかし確かに彼女の言う通り、空気は湿っぽくて風も強くなってきている。いつの間にか緑に囲まれる風景になっていた馬車の外、鳥が暗雲の襲来をピーピーとうるさく伝えていた。
「もうすぐ村が見えてくるわよ」
馬車の奥からヴィクトリアが言うと、みんなつられて外を見る。
「あ、本当だわ」
ローザがつぶやく。森を抜けた後に広がる景色に、ぽつぽつと点在する家々が見えてきた。広い敷地にポツンと佇む小さな家や、ひっそりと身を寄せ合うようにある数件の家。遠目からだと無秩序に見えるたくさんの木の柵。当然だがモンスター避けになるような市壁はない。これでは近くにゴブリンでも住み着いたらそれだけで脅威になりそうだ。
「おじ様の屋敷はさらに奥、……あの遠くに見える山の上よ。御者にはそっちまで行ってもらうよう伝えておいたから」
ヴィクトリアの言葉に、全員が不機嫌な彼女に遠慮するかのように無言で頷く。そんな中、やっぱり空気は読まないアルフレートは一人彼女に話しかける。
「君は村にはよく来るのかね? 伯父を訪ねることは多い?」
聞かれたヴィクトリアは答えるのに躊躇、というよりは言葉を選ぶような間を見せた後に「実は」と口を開いた。
「伯父に会うのは本当に久しぶりなのよ。普段は手紙のやりとりばかりで……。本家の人たちはやっぱり特殊だから緊張するわ。伯父の屋敷にいるお祖母様に会うのも10年ぶりになるわけ」
「お祖母様は苦手?」
ニヤリとするアルフレートにヴィクトリアは苦笑した。
「正直に言って、そうよ。理由はやっぱり目上の人だから緊張するのと、私の母がよく思われていないから」
「そりゃ上手くいく方が少ない関係だからな」
「ううん、それもあるけど、母は旧貴族ではない商人の家系の生まれなの。力のある商人の家ほど貴族からは疎まれていたのは、あなたもよくご存知でしょう?」
「なるほどね」
アルフレートはふふ、と笑う。このアルフレートの謎のコミュニーケーション能力はなんなんだろう。癖のある人ほど能力を発揮するのもよくわからない。しかしヴィクトリアが普段以上にピリピリしていたわけは分かったような気がした。
「面白いねえ」
フロロが言うのはヴィクトリアの話のことなんだろうか。アルフレートのことなんだろうか。ただそうつぶやく彼に、カイがじっと値踏みするかのような視線を送っていた。わたしに見られていることに気づいたのか、こちらを見てニヤッと笑う。それに応えるべきか、わたしは曖昧な笑顔を浮かべるにとどまった。
……なんだかこの全員が様子を窺い合う空気に疲れてきたな。と、わたしは一人ため息をついていた。
「それでは御機嫌よう」
そう言って馬車を降りていくトカゲの5人組を見送ったのは、すっかり雨模様となってしまった空の下だった。誰もいない寂しい景色の村の中を、亜麻色の綺麗なトカゲたちがヒョコヒョコと歩いていく不思議な光景。誰もいないように見えるのは雨なのに加え、事件のせいで普段から出歩くのを控えているのだろう。手入れが悪くなってしまっている畑や牧草地を見てそう思った。雨雲のせいで今がどのくらいの時刻なのか窺えないほど薄暗い。それが村の風景を陰鬱なものにしているのかもしれない。ポツリポツリと浮かぶ明かりのマリュレーの村は、事件の話など聞かなくても寂しい村だった。
馬車は再び動き出す。村を見下ろす位置にある、クレイトン家の屋敷を目指すのだ。軋む車輪の音と御者の口笛を携えて、移動は続く。お腹が空いたが、こう誰もしゃべらない中だとお腹の音が目立っちゃうな……などと考えていた。
「あいつら事件を探りに来たな」
フロロの言う意味がわからず、わたしは眉を寄せる。ローザが馬車から遠くなりつつある村の入り口を指差した。
「あいつらって、さっきのトカゲ族?」
「そ、モクモク族ってやつらだよ。さっき、シューシューうるさかっただろ? あれ、あいつら特有の会話なんだわ」
説明するフロロに感心する。それを聞いてたのか。フロロが動物の感情をつかめるのは知ってたけど、ああいう異種族の会話も当てはまるようだ。
「何話してたかまではわかんないけどな、雰囲気だけは何となくわかった。多分、村の話と、俺らの会話について向こうも話してたっぽいな。こっちを怪しむわけじゃないだろうけど、『何しにいくんだろうね? こいつら』みたいな感じだと思う」
「お互い様だったわけだ」
アルフレートが笑った。わたしは頷きつつも尋ねる。
「でも警備隊にも見えないし、同業にも見えなかったけど、何者なんだろう」
フロロは「さあねえ?」と肩をすくめる。
「意外とやり手の捜査官とかだったりな。ローラスじゃ見たことないけどさ。向こうの大陸じゃ事件専門の捜査官がいるって話じゃん」
「アルケイディアとかパエルニスタとか、こっちでも有名だもんね」
わたしも本の中では、事件をバリバリ解決していく捜査官は見たことがある。でもやっぱりあのトカゲ達にそのイメージはわかないな、と首を傾げた。
「リジア、寒いなら席代わろうか?」
ヘクターが聞いてくる。腕をさするのを見たのだろう。ヴィクトリアの隣からそう声をかけてくる彼に、わたしは首を振った。なんだかご機嫌とりのように感じて、嫌になってしまった。上着を引っ張り出すのを中止しなくてはいけない。我ながら面倒臭い奴だ、と両手で頬をこすった。
「無理言って悪かったわね」
「いえいえ、またどうぞ」
ヴィクトリアと、金貨の収入を得た御者の男の会話を背景に、わたしは到着したクレイトン家を見上げる。いやはや、さすが領主様、旧がつくとはいえ貴族の威厳を今も感じさせる立派な邸宅である。王制時代に大流行りしたというパルミロ調の屋敷は、堅牢な作りながら細部に凝った彫像をはめ込んだ豪華なものだ。薄暗い雨の天気の中に見るのがもったいないと感じさせる。正方形のでかい建物に、毎度のことながら「何人で住んでるんだ」と貧乏人丸出しの感想になる。
「とんでもない敷地の広さね」
どこまでも広がる刈り上がった芝生を前に、ローザが目を丸くした。山の上とはいえ屋敷の周りは開けていた。
「じゃあさっさと挨拶済ませますかね」
ヴィクトリアは顔にかかる雨粒を手でよけながら、ふうと一つ息を吐き出した。しかしノッカーの重い音の後、しばらく経っても人は出てこない。こんだけの屋敷なら使用人が溢れていそうなものなのだが。
「……んもう」
ヴィクトリアが苛立たしげにもう一度ノッカーに手をかけた時だった。蝶番の軋む音をさせながらドアはゆっくりと開かれる。屋敷の暗い雰囲気に飲まれていたわたしはもちろん、ヴィクトリアまでびくりと飛び上がる。
「御用は?」
出てきたのは紙のように白い肌の女だった。黒いドレスに白いエプロンを見る限り使用人のようだが、とにかく覇気がない。落ちくぼんだ目、パサついた髪と肌。ただ視線だけは射るように冷たく、力がある。年齢も読めない。20代にも見えるし40過ぎにも見える。
「ヴィクトリア・クレイトンよ。伯父様に会いに来たわ。……話聞いてないの?」
「お待ちしておりました」
ヴィクトリアの言葉にゆっくりと頭を下げるとドアを大きく開く。ここに入らなきゃいけないのか、と薄暗い屋敷内にわたしは喉を鳴らした。