消えた仲間
バレット邸の前に戻ってきたわたし達は全員、ある一点に目がくぎ付けになる。
「鍵が無くなってます」
イルヴァの言う通り、外門にくくり付けられていた頑丈な錠前は無くなっていた。
「……帰ってきてるってことよ」
ローザが自分に言い聞かすように呟いた後、チャイムを押す。しかしまたしても応答はない。フロロが「どうする?」と言うも皆黙ってしまった。
鍵が消えているのだから誰かいるはずなのだ。でも応答は無い。それに出掛けるのにあんな錠前を一々付けるなんて不自然だ、という考えが巡ってしまっていた。霧のような状態だった不信感が一気に象られていくような感覚。
ヘクターが門に手を伸ばす。さして力を入れた様子にも見えなかったが、門は鈍い音を立てながら開いていった。
「すいませーん」
わたし達が見守る中、ヘクターは屋敷に向かって声を投げる。そしてゆっくりと玄関扉に近寄っていった。ドアノブに手を掛けると少し躊躇するように動きを止めるが、そのままノブを回す。
「あ……開くみたいだ」
少しずつ扉を開け、顔だけを中に入れ様子を見る。が、彼はそこで固まってしまった。ローザがわたしの腕を取り握ってくる。
「……なんだよ、これ」
呟くヘクターの言葉に、アルフレートが前に出た。ばっ!と扉を大きく開ける。
開かれたドアの先、中の様子にわたし達は息を飲んだ。わたし達が見たもの、それは昨日までとは似ても似つかない屋敷の中だった。
扉を開けると広い玄関ホールがあったはず。左右に廊下が伸び、仕立ての良いカーテンが揺れていたはず。重厚な棚には花が飾ってあったはず。
全てがなくなり、不気味な一本道の廊下が縦に伸びるのみに変わっていたのだ。無機質な灰色の壁はどこまでも続くかと思われるほど長く伸び、奥の方は真っ暗だ。
「ライト」
アルフレートが呼び寄せた光によって、ある程度奥まで照らされる。その瞬間、わたしは心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥った。悲鳴を上げそうになる前に、横にいたローザが息を飲む音が聞こえる。
「だ、大丈夫!?」
わたしにもたれかかって来たローザに声をかけ、逆に自分自身は落ち着きを取り戻す。再び視線を前に戻すと、奥の様子を再度確認した。
「……今度ははっきりと血、よね?」
「ライト」の呪文によって照らされた範囲の壁に赤黒いシミが見えるのだ。まるで痛手を追った人間が壁に倒れかかりながらも奥へ進んで行ったように見える。
ローザに肩を貸しながら、わたしの頭にある事が思い出された。……そういえばエルフって夜目が効くのよね。このエルフ、わざと見せつけやがったな。
「……奥に進もう」
ヘクターが口を開く。その言葉にフロロは黙って先頭に行く。敵がいるかもしれない、という合図だ。
「ごめん、もう大丈夫」
ローザが青い顔はしているものの、立ち上がった。
自然とゴブリンの洞窟に入った時と同じポジションで屋敷内に入るわたし達。すなわち先頭にフロロ、続いてアルフレートとイルヴァが続き、ローザにわたし、最後にヘクター。こんな状況でも後ろにヘクターがいると思うと心なしか安心する。
恐る恐る汚れた壁を見ると、乱雑に筆を擦り付けたような赤い模様の中、はっきりとした手形も見えた。
しばらく進むと壁も綺麗になる。が、倒れた人影が見えないところを見ると、どこかに運ばれた後なのだろうか。
「誰の血なのかしらね……」
ローザの小声の質問にわたしは眉を寄せた。
「普通に考えたらバレットさんか……。あんまり想像したくないわね」
わたしは猫達の愛くるしい姿を思い出し、身震いする。
「そうじゃなくて……違う人間だったら?」
わたしはローザの言う意味がわからなくて首を傾げた。
「やっぱり村の人の言うような人間だったら?バレットさんが」
ぞくっ!ローザの言葉にわたしは背筋が寒くなる。
「……変な事言わないでよ」
「怖いこと考えちゃったのよ。怒らないでよ?」
こんな青い顔で言われても怒る気になれない。ローザに続きを促すとこくり、一度頷いた。
「あの見たこと無い種族の猫達、元々は消えた村人だったりして」
「……科学者の研究の成果で生まれたってことか?」
アルフレートの受け答えは少々あざ笑うかのようだった。わたしが「怖いこと言わないでよ」とローザのわき腹を突くと、
「だから『怖いこと』って言ったわよ!」
と怒られてしまった。
突然フロロが立ち止まる。話す余裕の出てきていた気持ちがまた一気に冷える。
「……何だこれは?」
アルフレートも耳に手を当てて先を睨んでいる。何も聞こえないけど、と返そうとした時、わたしの耳にも低い唸りが聞こえ始めた。
ぎりぎりと不快な金属音に混じって獣のような声もする。うーうーと連続する響き。初めて聞く音だが不安しか呼び起こされない。
「敵?何?もうやだ……」
ローザの目にはすでに涙が浮かんでいた。
「多分、遠い所から反響してる音だな。だから直ぐにご対面とはいかないだろうけど、それよりこの建物の広さだろ……」
眉間を寄せるフロロの言葉に頷く。直進しかしてきていないけど、どこまで続くのだろう。
「これって何で出来てるんだろうね」
わたしは左右に伸びる不思議な色合いの壁を手でなぞりながら歩く。青みの入った暗い灰色。表面は細かいヤスリでもかけたかのように滑らかだ。
「さあ……」
とローザも壁に手を伸ばした時だった。ゴン!!という衝突音にびくりとする。前を見るとイルヴァが額を押さえてしゃがみこんでいた。
「ちょ、ちょっと、大丈夫?前見なさいよ、ちゃんとー」
ローザが言うとイルヴァは珍しく涙目のまま前を見据える。そして「あれ?」と言いながら、今額をぶつけた壁を両手で確認する。
「どうした?」
ヘクターが聞くが、イルヴァは混乱したように頭を振った。
「えっとお、フロロとアルフレートがいないです」
イルヴァの言葉に顔を合わせると、はっとするわたし達。辺りを窺うが二人の姿が見えない。フロロはともかくアルフレートは隠そうと思っても隠せないような派手さがあるというのに。
「ど、どこ行ったの?」
わたしが聞いてもイルヴァは首を振るだけだ。
「いないですねえ」
「いないのは見れば分かるわよ!どこ行ったのか聞いてるの!」
「落ち着いてローザちゃん……ぶつかったぐらいだから前見てなかったんでしょ?だってここ曲がり角よ?」
そう言ってわたしは右の方向を指差す。そう、ここは右に曲がるしかない長い廊下の角になっていた。
「違いますよお、だって今まで前にいて、真っ直ぐ進んでいったんですよ?あの二人」
「真っ直ぐって言っても、壁の中すり抜けて行ったとでも言うの?」
ローザの言葉にイルヴァはまた首を振った。
「うーん……壁も無かったんです」
「はあ?やっぱり曲がっていったんじゃないの?」
ヘクターが言い合う二人に割って入る。
「落ち着いて、イルヴァ。ようするに二人の後を続いていた君が、同じように真っ直ぐ行こうとしたら壁が現れたってこと?ここはトの字の廊下になってた?」
ヘクターがゆっくり言うとイルヴァはしばし考え、頷いた。
「それしか考えられないですよぉ、いくら暗くても目の前の人が右に曲がったらわかります。第一あの二人消えてるじゃないですかぁ」
「……二人が進んだ時点で壁で遮断されたわけね」
わたしが言うとイルヴァはわたしの顔を指差す。
「それです、それ」
「でも……そういう音した?壁が急に現れたら結構な音がすると思うけど……」
ローザの疑問を聞いて、わたしは前に出て問題の壁に手を当てる。
「……僅かだけど魔力は感じるわ。多分そういうトラップなんでしょうけど……フロロが気づかなかったのが痛いわね」
「多分、さっきまでの音に気を取られてたんだな」
ヘクターが言うと、ローザは思い出したかのように体を震わせた。
こんな時になんだが、一番乙女な反応をするローザに段々腹が立ってくる。これは嫉妬だろうか?
ここで闇雲に進む前に、と四人で話し合うことにする。わたしは深呼吸すると、皆に問いかけた。
「聞いてもらっていい?いくつか可能性を言うからおかしい点を指摘して。
1、入り口の血痕はバレットさんの物。彼には何らかの敵がいて、襲撃を受けた。それで敵を翻弄するために、予め施してあった屋敷の仕掛けを作動させて、……この屋敷の変貌のことね?……奥に逃げた。
2、この屋敷の変貌も敵のやったこと。バレットさんは奥に捕らえられていて、敵はわたしたちの目を翻弄するために屋敷を改造した。
3、入り口の血痕はバレットさん以外のもの。バレットさんは噂通りのマッドサイエンティストで、血痕を残した人物をこの奥に連れて行った。屋敷の改造は侵入を拒む為。
……こんぐらいかしら」
「2は無いわね。あたしたちがいなくなってすぐに起きたとしても、こんな大掛かりに建て替えられるとは思えないわ」
ローザの言葉にわたしは頷く。
「理由も無いしね。この家から連れ去ればいいだけの話しだし」
わたしは自らの考えを否定することになった。
「……3も無いんじゃないかな。俺たちに依頼してる時にわざわざ騒ぎを起こす理由がわからない」
ヘクターの意見にローザが反論する。
「わたしたち自身が目的だったら?若い人間の身体が材料として欲しくて、この奥でおいでおいでしてるんだったら……?」
こ、怖い事ばっかり言うなあ。確かに彼が『若い若い』を連呼してたのは覚えてるけど。
「それこそ来た日の夕食かなんかに薬でも仕込んどきゃ良いだけの話しじゃない」
暫く考えた後、結局のところフロロとアルフレートとはぐれた以上、二人と遭遇できるまでは帰れないという結論になった。先に進めばそのうち二人とも再会できるかもしれないし、とにかくこのままにするわけにもいかない。
右に曲がってから歩いた歩数を一応数えてはいるものの、距離感は掴めそうにない。マッパーの勉強もするべきだろうか……。
「あ、今度は二股に別れちゃってますよ」
イルヴァの言葉に前を見ると、T字路が現れた。
「……また右に行ってみよっか」
わたしの言葉に三人とも頷く。答えも無ければヒントもないのだ。迷う前に誰かが提案した方が良い。しかしこの無機質な灰色の壁に覆われた中をひたすら歩くのは、中々精神的に辛いもんがある。いつもは喧嘩してばかりだが、こういう時にはいて欲しくなるのがいなくなった妖精二人だった。