消えた村人
「……何か変じゃないか?」
固まっているわたし達にアルフレートが問い掛ける。珍しく真顔を見せ、目は射るように冷たい。その様子にまた背中がぞくりとする。
「精霊の様子が……変わっている。どうも変だ」
人間であるわたしには具現化していない精霊の姿は見れない。が、エルフである彼には精霊の姿が常時見えるのだ。様々な物質には必ず精霊の力が働いており、彼にはその変化が見える。精霊たちの様子がおかしい、というのは屋敷の中が何らかの変化をとげている可能性がある。
「な、なんか事件……とか、事故とか……」
アルフレートの嘘の無い様子にローザの顔も青ざめている。
「そこまで騒がしくは無いが……昨日とは明らかに違うな」
アルフレートはそう言うと腕を組み、顎を撫でた。
中に入るべきかどうするか、と考えるが門に掛けられた錠前を見ると躊躇してしまう。フロロが「開ける?」と錠前を指差すが、ヘクターが首を振った。
「イルヴァお腹空きました……」
あまりに弱々しい声に怒る気にもなれない。ローザが溜息をつく。
「しょうがない、何か食べに戻りましょ。もしかしたらバレットさんに通りの方で会うかもしれないし」
一度顔を見合わせると少し重い空気で歩き始める。後はバレットさんのサインだけ、って段階なのに。わたしはポゼウラスの実が入った皮袋を持ち上げて見た。
一昨日と同じ大衆食堂に入ると、あの明るい雰囲気の女の子が大きなテーブルを指差した。わたし達の様子を見てなのか、笑顔が不思議そうな表情に変わる。
注文を受けに来た彼女にバレットさんを見なかったか尋ねると、大きな目を更に見開いてみせた。
「バレットさん?屋敷にいなかったの?」
「そうなの。どこか出かけてたりしない?」
注文も交えつつ、わたしが聞くとウエイトレスは眉をひそめる。
「あの人買い物なんかも全部、一緒に住んでる猫みたいな子達に任せてるみたいだし……。村の人間も姿を見た事無い人がほとんどなのよ。私も村に初めて来た時見かけただけで、それから見てないぐらいだし。だからいない、って方がびっくり」
じゃあ居留守、なんて言葉が浮かぶ。でも昨日までの歓迎ようを思い出すと随分な対応の変わりようだ。
「どうしよう、これ置いていく?」
ローザがポゼウラスの実が入った皮袋を指差す。少し考えてからわたしは首を振った。
「依頼人のサイン貰わずに帰ることになっちゃう。教官がそんな言い訳聞いてくれると思えないよ」
わたし達の暗い空気とは対照的に騒がしい食堂を見回すと、アルフレートはゆっくりと水の入ったグラスを置いた。
「……失踪した人間がいるって言ってたな?」
アルフレートが言うとウエイトレスの彼女は目をぱちぱちさせ頷いてみせた。
「どうする?入ってみる?」
ローザが目の前の家屋を指差し尋ねる。村の入り口に近い位置にあるが、商店の並ぶ通りから離れているので随分と寂しい道にある。
先程ウエイトレスの女の子に聞いてやって来た一軒のお家。バレット邸に入るのを最後に失踪してしまったという一家の家である。
失踪した、という村人は全部で六人。今、目の前に見ている家の四人家族と、他にカップルが一組ということなので件数に直すと二件、ということだ。
「雰囲気が……不気味じゃない?」
わたしはそう零す。形はごく普通の民家だが誰も住んでいないからなのか、暗く寂れた雰囲気が道にまで漂ってきている。
ここに来たのは単なる時間潰しとほんの少しの疑念から、だった。もし本当にバレットさんが村人の失踪に関わっているなら何か痕跡があるかもしれない。しかしメンバー全員、あまり当てにしている様子もなく、わたし自身もただ疑惑を晴らしたいという気持ちの方が強かった。
躊躇の無い様子でフロロが玄関まで歩いて行き、扉に手をかける。
「あ、鍵掛かってないな」
その呟きと同時にぎい、と扉が開かれた。イルヴァの影から恐る恐る中を見るとがらんとした室内が見える。入ってすぐがキッチンだったらしくシンクとオーブン、タイル張りの壁は残っているものの他の生活感をうかがわせる物は無い。
「なんだ、家具は何も残ってないじゃないか」
ずかずかと入っていったアルフレートが室内を見回し、眉を寄せた。わたしもそろそろと後に続くと埃の臭いがきつい室内を見ていく。
「本当……テーブルだとか椅子だとか、棚ってものも無いのね。あ、でも跡は残ってる」
わたしの指差す先には重い家具が長年置いてあったであろう痕跡が、床板の傷になって表れていた。生活の場であった名残を見ると急に寂しい気持ちになる。
ここの家の家族構成は夫婦に子供一人、祖母がいたということだ。元々祖母のいた家に息子夫婦がやってきて、数年は幸せそうに暮らしていたらしい。それがふ、と消えてしまったのだ。
「鍵かけてないもんだから盗まれたかね?」
隣りの部屋を覗き込みながらフロロがぼやく。そちらも何も無いらしい。
「遺族が持っていったとかも考えられるな」
アルフレートが言うとローザがいきおいよく振り返る。
「い、遺族って……死んじゃってるみたいじゃな……」
言葉の途中で止まってしまったローザを全員が見る。不自然なポーズで固まるローザの視線の先、彼女の足元を見てわたしも息を飲んだ。
「何それ、血?」
フロロが言うのはシンクの前にある茶色のシミ。大分古いのか色も擦れているし、液体のものを何か零したのだという程度にしか分からない。が、ぶわりと鳥肌が立ってしまった。アルフレートも唸る。
「精霊がざわついている。……事件、事故現場っていうのはこんな風に何年経っても精霊の落ち着きが無いんだ」
わたしとローザが手を取り合って飛び上がる。それを見て目の前のエルフはにやー、と笑った。……絶対楽しんでる。
「だ、台所ってものは汚れるものよ。血の跡だったとしても鳥か何かでしょ!」
わたしは声を上ずらせながらも胸を張った。
次にやって来たのは若いカップルが住んでいた、という家。先程の家族が住んでいた家よりも小さく、隣りの家同士もくっついていた。住んでいた期間は短く、一年くらいだという。
まず目を奪われてしまったのは扉についた大きな傷跡。細長い傷の周辺の木が酷くささくれ立っている。
「刃物の傷だな。ソードとかより小さい……包丁みたいなもの無理やり差し込んだらこんな感じじゃない?」
フロロが扉を撫でる。ローザが「見に来なきゃ良かった」と呟くのには、わたしも同意だ。どちらの家も何故、雰囲気が普通じゃないのだろう。
「こっちは鍵掛かってるか」
ドアノブを回してフロロが残念そうな声を上げる。そして郵便受けの蓋を押し上げると中を見て、首を振った。
「中入るまでもないかもな、こっちも。一部屋しかないし、がらんどうだ」
そう言って振り向くフロロを見ている時、
「あら、どうしたの?」
左手から掛かった声に全員がびくん、となる。見ると垣根から顔を出すおばさんの顔があった。隣りの住民らしい。受け取ったばかりと思われる郵便物を手に持っていた。
「あ、えっと……ここの住民の方がいなくなった、なんて聞いて」
わたしがしどろもどろ答えると、おばさんは周りをきょろきょろと見る。そしてこちらに身を乗り出してきた。
「……そうなのよ!ローラス警備団の捜査もいい加減でね~!単なる引越し、だなんてそんなわけないじゃないのねえ」
不謹慎だ、と怒られるのかと思いきや、おばさんのツボを突く話しだったようで、聞いてもいないのにべらべらと喋り出す。
「住んでた二人もちょっと変わってて、挨拶もしないしどこかこそこそしてるし、消える直前に騒ぎ起こすし、絶対に事件に巻き込まれたのよ」
「騒ぎ?」
アルフレートが聞き返すとおばさんは何度も頷く。
「夜中にね、突然男の人の大声が聞こえ始めて『殺す!』とかそんな声よ!?主人にも止められたから見に来れなかったんだけど、朝起きたらその傷があったのよ!」
「声ってその住んでた男性の方じゃなくて?」
わたしの問いには首を振った。
「住んでたのはまだ二十台前半の若い子でしょう?もっと年寄りの声ね」
わたしは思わず「うぇ」と呟いてしまった。アルフレートがそれを手で制するともう一度質問する。
「『直前』って言ったな。ということはその騒ぎの後もカップルは生きていたと」
「まあ、ね。……でも次の日じゃなかったかしら。あの研究家、とかいう大きな屋敷に住む方?その家に入るのを最後にいなくなっちゃったのよ。それを見たのも飲み屋の常連の人でね、その日も飲んだ帰りだったから警備団もあんまり信用しなかったみたいなの」
どう反応すればいいのやら、というわたしにおばさんは慌てたように付け足した。
「でもその研究家の方が犯人っていうのも乱暴な話しだしね。だって親しい様子もなかったもの。まあ村の人、誰とも親しくないんだけど」
そう言い終わると「洗濯終わらせなきゃ」とわざとらしく呟き、家の中に入っていってしまった。
取り残されてぼーっとするわたし達。するとイルヴァが欠伸しながらヘクターに尋ねる。
「で、どうしますー?」
「ええ?俺?」
ヘクターは明らかに『だからリーダーなんて』といった顔をした。
「とりあえずバレットさんの屋敷に戻ってみよう。そろそろ誰か戻ってきてるかもしれないし」
「確かに他人から聞いた話だけで疑っててもしょうがないわね」
ローザ、そしてわたしも頷く。
「また行ってみて、反応なければ中覗いてみればいいんじゃない?」
「リジア、大胆」
フロロが呟く。わたしはにやつく彼のおでこを軽く突いた。
「しょうがないじゃない。わたし達が帰ってくるの知ってていない方がおかしいんだし。ちょっと気になることあるのよ」
わたしの言葉にヘクターが反応する。
「何?」
「うーん、バレットさんだけならまだ寝てるのかも、とか考えるけど、あの家の猫たち全員が出てこないのが、ね」
何しろ昨日の朝早くにもわたし達より早く起きていた働き者だ。買い物もあれだけの人数全員が出かけるとも思えない。そう考えながらわたしは白猫のタンタを思い出していた。