エルフの歌声
ここプラティニ学園はローラス共和国最大の『冒険者育成機関』である。
なんでも故プラティニ氏が50年近く昔に「これからは育成の時代だ!」と数々の戦果をあげてきたモンスターハントをやめて、故郷ローラスの古い町、ウェリスペルトに戻り魔導師協会と冒険者ギルドを総合したようなものを作ったのが始まりらしい。
ローラスも王政から共和制に移り『侵略戦争は悪である』という風潮になってきた現在、人と人との争いは減ったものの、世に蔓延るモンスターは増加の一途を辿っている。ここローラスの一都市、ウェリスペルトでもたびたびモンスターによる被害を受けていた。
人と交われない種族達から人類を守る為に存在するのが剣や魔法に長けた冒険者なのだ。
でもそんな救世主的な目標ではなく、この学園に通う生徒達の間では古代遺跡や未知の土地へ到達するような、旅物語に憧れて冒険家を目指す人の方が多いと思う。わたしもその一人だ。
ファイター(戦士)、シーフ(盗賊)といった冒険者グループには欠かせない職業全ての学び舎としてウェリスペルトに門を構えるここに、わたしはソーサラー(魔術師)の卵として入学した。魔法のまの字も無い両親から生まれたのだが、わたしの才能に気付いた近所に住む占い師に学園に通うことを勧められ、わたしもそれを希望したのだった。
しかし、今現在といえば入学当初の希望や輝いていた日々も消え失せていた。
まただ、またやってしまった。
そんな思いから沈みきった気分でわたしはとぼとぼと歩く。次の授業は教室でのわたしの一番好きな世界史の時間だ。でもそんなことはどうでも良かった。
グラウンドの脇を歩きながら真っ青な空を眺め、真っ黒いローブが訳もなく憎たらしい気分になっていた。
「リジア!」
校舎の入り口に向かうわたしの足が止まる。見上げれば二階の窓から金髪に青い目の美しい顔が覗いて、わたしに向かって手を振っていた。ヴィクトル・アズナヴール、通称ローザちゃん。そしてわたしの学園内での唯一の親友だったりする。
「ちょっと待ってて」
そう言い終えるとローザは顔を引っ込めた。わたしは学園の時計塔を見上げる。半世紀前の学園創立から時を刻み続けている荘厳な姿が、次の授業まで少し間があることを告げていた。
「まーたやっちゃったの?」
ローザが校舎入り口から現れるなりわたしに聞いてくる。
「またやっちゃったよ……。ファイアーボールの実習だったからシャレになってなかった」
肩を落とすわたしにローザは「おおふ……」と呻いた。そして、
「ちょっと座んなさいな」
と校舎脇にあるベンチを勧めてくる。
「そう落ち込むこともないわよ。また皆から色々言われたかもしれないけど、あたしの予想だとリジアの事を『羨ましい』って人もいると思うの」
わたしの隣りにぴったりと座り、ローザの言った台詞にわたしは首を傾げる。彼女、いや彼、いややっぱ彼女の綺麗な青い瞳を覗き込んだ。
「ほら、制御出来ないぐらい魔力が大きいってことは、ゆくゆくは凄い大魔女になれるかもしれないってことよ!魔力が大きい人はそれだけ強い魔法も使えるんだし、どんなに唱えても疲れないってあたしも羨ましいわあ」
「ロレンツはちゃんとコントロールして制御出来てるし、わたしは大きい魔法ほど暴走が酷くなってるよ」
わたしの間を置かない答えにローザは頬を引きつらせる。そして大きく溜息をついた。
「そんなこと言わないで、ちょっと前向きになってくれなきゃ……」
そこまで言うとローザはわたしの顔を覗き見る。
「何だかいつも以上の落ち込みようね。何かあった?」
「いやあ……騒ぎにファイタークラスの人まで駆けつけちゃったから、恥ずかしくて」
そう答えるとローザは「ふうん?」と曖昧に頷いた。
実は『ファイタークラスの一人に好きな人がいる』というのを、わたしは親友である彼女にも言っていない。そしてこれが今回の酷い落ち込みの理由だった。先程の集団の中にちらりと見えた銀髪の少年は、あの騒ぎにどう思ったのだろう。とっさに隠れてしまったけど、きっと周りから「誰の仕業か」は聞いただろうし。
「ああー!もうやだ!穴に入って一生出たくない気分」
わたしが頭を抱えた時だった。空気がちりちりと震えた気がした。次の瞬間、右手に見えていた隣りの校舎の窓が次々に割れていく。
「ひい!」
ローザの野太い悲鳴が聞こえたのも一瞬のことで、すぐに別の雑音にかき消される。
「な、に、よ、これ……」
きっとわたしのうめき声も聞こえていないだろう。両手で必死に耳を塞ぎ、うずくまる。肌までひりつかせる不快音の波。辺りに響き渡る巨大な音の波は、脳髄までかき乱すような破壊力を持っていた。頭を抱え込んだ体勢のまま地面に這い蹲り、ただただ耐える。
「終わった……?」
ローザが動き出すのを見てわたしも恐る恐る耳から手を外す。何の音もしない学園内に鼓膜がイカレたかと不安になる。が、
「あっちの校舎って『バードクラス』の、よね?」
ローザの声にほっとする。わたしは彼女の指差す先を見て顔を歪めた。
「また『あのエルフ』じゃないわよね」
「他に何があるのよ」
ローザの呟きに近い返事を聞く。わたし達は顔を見合わせると、隣りの校舎に駆け出した。
植え込みを乗り越え、散乱するガラスの破片を避けながら問題の校舎に近づく。光を遮るものが綺麗さっぱり無くなってしまった窓から中を見ると、見知った姿が現れた。
「なんだ、暇人共」
そう言って翡翠色の瞳で睨んでくる一人の青年。真っ白の肌に少々目つきは悪いが美しい顔。黒い髪から覗く耳は人のそれより大きく尖っている。そう、彼はエルフ族である。
「なんだ、じゃないわよ、アルフレートおおお!」
わたしの怒りの声にアルフレート・ロイエンタールはひょい、と肩を竦めた。エルフには珍しい黒髪が揺れる。真っ黒に見えるが日に透けると深い藍色をしていた。人間とは色素が異なるのかもしれない。
その彼が細身の体の脇に抱える楽器を見て、わたしは身を乗り出した。
「あんた『また』歌ったのね!?なんで余計なことするのよ!」
彼の抱える小さめの銀のハープ。その美しい装飾が哀れに見える程、彼は酷い音痴なのだ。いや音痴、などという言葉に当てはめていいものか。歩く鼓膜破壊機器であるアルフレートはわたしと同じように学園で疎まれている一人である。
「さっき、演習場から派手な爆音がしたなあ。何だったんだ?」
しらじらしい質問と共に目元に手を当て、窓の外へ視線を動かすアルフレートをわたしは押し戻す。
「そんなのはどうでもいいの!何で歌ったのよ!?窓ガラス割るの何回目?」
その質問にアルフレートは校舎の中を指し示す。ローザと一緒に差された先を覗き見ると、アルフレートが立つ後ろに見える教室に一人の教官が倒れていた。
「大変!」
ローザが悲鳴を上げつつ校舎内に侵入する。その後をわたしも追う。
泡を吹いて白目を剥いている哀れな教官にローザが治癒の魔法を唱える。その光景を前に、
「『呪歌』のテストだったんだ」
アルフレートはつまらなそうに言い放った。ならしょうがない……のだろうか。わたしも似たような状況で先程の騒ぎを起こしたのは間違いない。わたしはもう一度アルフレートを見る。
「他の生徒は?」
「テストは一人ずつだったから、隣りの教室にいる」
その答えに嫌な予感がしたわたしとローザは顔を見合わせた。
うめき声を上げるまで意識を回復させた若い教官は一先ず置いておいて、隣りの教室までやってくる。扉の上部にある小窓までもが綺麗に割れていた。
「……ああ」
ローザが絶望したように膝をつく。開いた扉から見える教室内には、テスト待ちだったのであろうアルフレートのクラスメイト達が、楽器を手に持ったままの姿で倒れていた。全員が引き付けを起こしたように崩れている姿はホラーだ。
「緊急事態よ……。リジア、プリーストクラスの子達を集めて来て。授業始まる時間になっちゃうけど、この状況じゃ教官も許してくれるでしょう」
ローザの指示にわたしは頷き、その場を駆け出そうとする。
「アンタも行くのよ!」
ローザがアルフレートのお尻を蹴飛ばした時だった。
「学園の二大破壊王が今日は大活躍だね」
子供のような甲高い声にわたしは窓を見る。窓枠に座り込む可愛らしい姿が四つ。全員がにやにやとこちらを見ていた。就学前の子供ほどの背丈に猫のような耳、尻尾が生えた彼らは『モロロ族』という種族だ。その中の一人、茶色い髪にクリーム色の耳をしたモロロ族が廊下に降り立つ。
「この時期にあんまり悪目立ちしない方がいいんじゃないの?」
「どういう意味よ、フロロ」
わたしはモロロ族のリーダー格である彼の名前を呼ぶ。フロロはその丸い顔ににやーっと笑みを浮かべた。
「五期生に上がったっていうのに暢気なもんだね。今年からいよいよパーティ組み始めるっていうのに」
フロロの言葉に漸くはっとする。そうだ……、今年からわたしは学園の五期生に上がったんだ。そろそろ実際に冒険に赴くパーティを組まなきゃいけない時期じゃないの。
「果たして『破壊王』と組んでくれる奇特な人は見つかるのかねー!」
そう叫びながらモロロ族四人は廊下を駆けていく。
「ちょ、待ちなさい!野次馬ばっかしてないで呼びに行くの手伝ってよー!」
わたしは思わず追いかけるが、足の速さなら数いる種族の中でもトップクラスのモロロ族に追いつくことは出来なかった。「うきょきょー!」という腹の立つ笑い声が遠ざかっていく。
仕方が無い、このままの足でプリーストクラスに向かうか、とむかむかした気持ちで校舎の出口を目指す。ごおん、とお腹に響く音で鐘が一度鳴る。まずい、予鈴だ。無責任だけどプリースト達を呼んだら、自分は授業に駆け込まなきゃ。
見えてきた表の明かりに廊下を曲がりかけた時、わたしは慌てて足を止め、身を隠す。校舎の入り口の開け放たれた扉の前にいるのは、先程のモロロ族に囲まれた銀髪の少年の姿。その長い足にまとわりつくモロロ族の一人一人の頭を撫でると微笑む。わたしはその光景にぽーっと見とれてしまっていた。
彼らがいなくなってからふと気がつく。……アルフレートがいない。わたしは再びむかむかとしながら走り出した。




