魔女の休息
翌朝の朝食の席、アントンが急に低い呟きを漏らす。
「ローラスに帰りたい」
呆気に取られると同時にわたし達だけの席で良かったと思う。
「……確かにそろそろお家が恋しいですよねえ。まだ五日もあるなんて信じられない」
ヴェラがぼーっとした顔で頷いた。ナイフにささった目玉焼きの黄身が皿に斑点を作っている。ぼたぼたという音で気がついたのか「おっと」と言ってすくい上げた。
「購買のミルクパンが食べたい」
アントンが再び真顔のまま呟く。
「学園の購買の?アレあんた『まずい』って言ってたじゃない」
セリスの問い掛けにもアントンは「食べたい」と返すだけだ。これは重症だな。
「意気揚々と乗り込んできて『ミルクパン食べたいから帰ります』はねえだろ」
デイビスが呆れたように言うのには同情の念を送ってしまう。彼が意気込んだ経緯にはアントンの怪我があったというのに。
「それどころか失礼よ。元々は王妃様のお誕生日会に招かれたから来たのよ?」
サラがフォークを置いて身を乗り出すとイリヤが「ああ、そうだった」と呟く。何か駄目だな、この人達。
どこか抜けたデイビスパーティの会話を聞きながらの食事も終わり、ばらばらに席を立つ。アルフレートがフロロを手招きし、それをフロロが嫌そうな顔で見る、なんていつもの光景を横目に部屋を出ようとすると後ろから声を掛けられた。
「リジア」
ヘクターの少し囁くような声にどきどきとするが、壁際に寄ると彼の話しを聞く。
「今日も町に出ないか?」
「いいけど、どうしたの?」
「……ちょっと付き合って欲しいんだ」
にやにや顔のローザとセリスがヘクターの後ろを通っていく。恥ずかしいけどやばい、嬉しい。心臓が口から出そうで上手く発声出来ないわたしは、黙って頷いた。
「じゃあ後で」
そう言って部屋の方向へ去っていくヘクターを暫し見届けると、わたしも自分の部屋へと走る。何度か躓きそうになりながらも部屋に着くと、ドアを開け放った。
中にいるのはベッドメイクを終わらせた直後らしきファムさんの姿。いつもの冷静な顔に怒涛の勢いで今しがたのことを説明していく。
「デートよ!」
「デートですね」
「デートだ!」
「素晴らしい」
叫ぶわたしと静かなファムさんの声が繰り返される。一度頷き合うと、わたしは衣服を詰めたカバンに飛びついた。
「ああ、そのカバンの中身はこちらに」
そう言って立派な衣装棚を差される。ぼさっとしてる間にやってくれたらしい。本物のアンティークの衣装棚にわたしの衣類では釣り合わないが、今、気にする問題ではない。
「ありがとう……着替えて行くのって気合入りすぎで引かれるかな!?良いよね、別に!」
上の段のハンガー掛けから衣服を引っ張り出すわたしの横から、ファムさんが黙って手を伸ばしてくる。下の段の引き出しになっている部分をがらっと開けると、わたしの持ってきた下着が並んでいた。
「気合を入れるならこちらから、かと」
「……それはちょっと先走り過ぎじゃないかしら」
どうにか赤面を抑えながら言うが、ファムさんはびしりとわたしの顔を指差した。
「リジア様、こういうのは実際に『役立つか』どうかは別なのです。問題なのは『こんなところから気合を入れている!』という過程なのですよ」
「おお……何か説得力あるわね」
わたしは思わず唸る。少し考えると引き出しから自前の下着を取り出し、ベッドに並べていった。
「実はわたし『使い道』は無いけど下着は好きなのよ。上下揃いは基本よ!どう?かわいいでしょ」
わたしは胸を張りながら並べた下着類を指し示す。が、ファムさんは眉間にしわ寄せた。
「なんだかいかにも女の子は好きだけど男受けはいまいち、な下着ばかりですね」
ファムさんの言葉が胸にさくっと刺さる。そこを突かれると何も言い返せない。
「……まあ今回はしょうがないでしょう。せめて服のラインに響かないものにするべきだと思いますけど」
ファムさんはフリルの多い下着を持ち上げて首を振る。そして打って変わった素早い動きで振り向くと、再びびしりとわたしの顔を指差す。
「では最低限の工夫で男を虜にさせる魔法を教えて差し上げます。……実はリジア様はそれをお持ちなのですよ?」
肩を掴み、耳元で囁く声にわたしは目を瞬かせた。
「……何だろう?わたしにも使えるお色気術ってことかしら」
チビで胸が無くてもいけますかね?と余計な事まで言いそうになる。ファムさんはにっこりと微笑んだ。
「かなり強力かと。あなたは知らぬ間に仕込まれていたのですよ。それを今解放してやりましょう」
そう言って指の長い手がわたしの頭に伸びてくる。わたしは思わず目をつぶってしまった。
待ち合わせ場所の一階階段下に来ると、ヘクターがわたしを見て目を丸くする。が、それも一瞬のことですぐに「行こうか」と足を進め始めた。
『第一段階』は合格、といったところだろうか。わたしは腕を組み、唸る。
ファムさんが言った魔法とは簡単な事で、単に『髪を下ろす』事だった。確かにわたしは普段から髪を結い上げていることが殆どだ。動き回るから、という理由と単にあれこれいじるのが好きだからなのだが、
『男性は単純に長い髪が流れる様がお好きですよ』
とファムさんは語った。加えて、
『顔を合わせた際にほんの少しでも反応があれば、それは魅了されたと思って大丈夫。褒める言葉が無くてもがっかりしないことです。逆に手放しで褒めてくる男性には注意して欲しいですね。私はお勧め致しません』
とのことだ。しかしそれ程、計算高くなれないわたしは手放しで褒めて欲しかった。言って貰わないとどう思われてるか分からないじゃないか。
内心がっかりとしながらヘクターの後ろをついて行く。昨日と同じように城を出ようとすると、
「よう、お出かけかい?」
裏門の見張りをしていたのは眠そうな顔をしたヤニックだった。どうやらわたし達が帰った後も酒盛りは続いたようだ。
「若いのには城に篭りきりは退屈なんだろう?」
はは、と笑う門兵にヘクターは頭を振った。
「ちょっと用があるんだ。俺はこの町出身だから」
ヘクターの言葉にヤニックは目を見開くと、嬉しそうに笑う。
「なんだよ、そうだったのか。じゃあ同郷じゃないか」
まだ何か続けそうな様子だったが、後ろを気にするように伺うと「また飲もうぜ」と話しを終わらせた。
そのまま表に出ると、強い日差しに晒される。まだ乾いていない道を見るに、昨夜の雨は遅い時間だったようだ。
何も言葉が無いまま歩き出すヘクターに少し驚く。先程のヤニックへの言葉といい、行き先は決まっているらしい。その展開にわたしは驚きと共に戸惑っていた。
歩く速度も少し速い。わたしは彼の背中を見ながらはや歩きになる。
『一緒に歩いている時、何も苦労が無ければそれは相手の優しさです。彼はあなたに合わせて歩いています。なぜなら身長差を考えても明らかに歩みの速度が違うからです』
ファムさんの話を思い出す。こちらは自信があっただけに、一気に浮かれた気持ちがしぼんできてしまった。いつもはそんな事ないんだよ、とファムさんに報告する時の言い訳を今から想像してしまう。
綺麗な水の流れる水路にアーチ型の橋が掛かっている。そこまで来るとヘクターがこちらを向き、足を止めた。
「ごめん、一人でせかせかして。ちょっとぼーっとしてた」
苦笑する顔は少し緊張しているように見える。わたしに対して、というよりこれから先に待つものへ慎重になっているように思える。
今度はゆっくりと歩き出す。町の景観を眺めるわたしとは違って、ヘクターは真っ直ぐ前を見て歩き続けていた。知っている町だから、いや知っている町だからこそ懐かしい町並みを見たりするものじゃないのかな。
暫く道なりに歩いていくと明らかに住宅街と分かる道へ入る。一般住宅も花を置く家庭が多いようだ。日差しが関係しているのだろうか。
ヘクターが一軒の家に寄って行くのに気がついた。クリーム色のペンキを塗った木の柵に囲まれた、一際植物の多い家。屋敷の大きさはそれ程でもないが、空色の建物と白の窓枠が可愛らしい。
「俺のおばさんの家なんだ」
背の低い門を開けながらヘクターがわたしを見た。「そうなんだ」と答えながらもドキドキとする。まさか親戚と会うことになるとは。
ドアのノックを鳴らし、暫し待つ。すぐに一人の女性が顔を出してきた。四十代前半くらいだろうか。ショートにした金髪の美しい人だ。少しヘクターにも似ている。羨ましいことに美形一族なのだろう。
女性は目を見開いてヘクターを見る。
「まあまあヘクター!あなたいつも急に来るのね!」
「ごめん、忙しかった?」
「そんな事はどうでも良いわよ!それよりもっと頻繁に顔を見せて欲しいわ!」
そう言いながら中に入るよう扉を開け放つ。わたしの顔を見ると、
「こんにちは、可愛らしいお嬢さん!おばのコリーンよ」
と軽く抱き寄せられた。少し似ているだけなのにドキマギする。背もわたしより大分高い。
「部屋、見ていってもいい?」
上に上る階段に足を掛けながらヘクターが尋ねると、コリーンは大きく頷いた。
「当たり前でしょう?あなたの部屋、そのままよ」
それを聞いてわたしは理解する。階段を上っていくヘクターの後ろ姿とコリーンの顔を見比べる。少し振り向きわたしを手招きする姿に階段を上り始めた。
きいきいと木の音が立つ。そう、ここは彼の生家だったのだ。
白い壁紙の部屋には少年らしさが詰まっていた。隅に転がるサッカーボール、棚に並ぶ切れ味は期待できそうにないナイフ数本、壁に掛かった大きな世界地図。
「可愛い」
チェストの上に飾られていた犬のぬいぐるみを手に取り、感想を漏らす。かなり不恰好だが顔に愛嬌がある。手作りだろうか。
「……子供の頃、同じクラスの女の子に貰ったんだ」
ソードを腰から外し、ベッドに立て掛けながらヘクターが答える。
「あー……そうなんだ」
と答えるわたしの顔は無理に愛想笑いを浮かべようとして、自分でも歪んでいるのが分かった。ヘクターがふ、と笑う。
二人して少し小さいサイズのベッドをソファー代わりに座る。綺麗に洗濯されたカバーの匂い。そして部屋の中も埃の匂いが無い。『そのまま』とコリーンは言っていたが、彼女が整えていることは明白だった。
「コリーンがこの家を買い取ったんだ。『生まれ育った家を無くすには、あなたはまだ若すぎる』って」
そう語るヘクターの雰囲気は普段のものに戻っていた。
「コリーンはうちのじいちゃんの姪っ子。じいちゃんの妹の子なんだけど、この家を随分前から気に入ってて、俺の面倒もよく見てくれたんだ」
「それじゃあ、『もっと顔を見せて』って言うのも分かるね」
実際『母です』と紹介されても違和感の無いコリーンは、ヘクターの事が可愛くて仕方ないといった空気だった。
わたしはベッドの脇にある出窓から表を見る。花壇と植木鉢が並ぶ庭の隅に大きな犬小屋があった。
空になって長い様子と家の中に犬の気配が無い事に、わたしは尋ねるのを躊躇う。その時、頭に違和感を感じた。
「犬がいたんだ」
ヘクターがわたしの髪をいじる。何度も指通りを確かめるように絡ませる。ヘクターの言葉に予感する。これは彼の『核』だ。今まで触れたことのない、一番の本質が漏れ出している。
「親父が拾ってきた大型犬で、ろくに家にいないのに一番懐いてた」
そこまで言うと出窓に腕を乗せた。目線は庭を見ているが、犬小屋を見ているのかどうかは分からない。
「どんどん体が弱っていって、いよいよ危ないなって話しになった晩にいなくなったんだ。……じいちゃんの話しだと親父の所に行こうとしたのかもしれない、って」
寂しげに語る顔は初めて歳より幼く見えた。
「……初めて憎たらしくなったんだ。『なんでこんな時くらいいないんだ』って、初めて親父の事を憎んだ」
青い瞳がわたしを見る。
「おかしいかな?この町にいたくなくなったのも、この家に帰りづらいのも、犬の事を思い出すからなんだよね」
わたしは黙って首を振った。「全然」と呟くだけになってしまったが、ヘクターは小さく頷く。手がもう一度わたしの髪に伸び、指が微かに首筋に当たった。
『二人ともご飯食べて行ってー!』
階下から聞こえたコリーンの声にヘクターがびくりとする。そういえばさっきからいい匂いがするな。
「……いい?」
ヘクターからの問い掛けに「もちろん」と返した。
「やだ、あなた今お城にいるの?」
サントリナ城に滞在している旨を話すとコリーンは目を丸くした。テーブルに並ぶパンは裏にある窯で焼いたのだという。
「まあ、ちょっと色々あって」
そう言葉を濁すヘクターに「すごいわねー!」とただ感心していた。
「国王様にも会えるの?王太后のグレース様は元気なのかしら?そうそう、イザベラ様も今はサントリナ城にいるんだっけ?あ、パン美味しい?」
興奮気味に話すコリーンの質問に一個一個頷いていく。ヘクターがテーブルの席から見える台所を指差した。
「懐かしいね、あれ」
それにコリーンは振り返ると、笑い出した。
「ああ、あれ?あの鍋ね!……あのお鍋ね、ラナさんが一度派手に焦がして使えなくなったんだけど、見た目が可愛いから、って飾ってたのよ。私も何となくそのままにしてるのよね」
コリーンは笑いながらわたしに説明する。ヘクターが「ラナはばあちゃんの名前ね」と付け加えた。二人の指す先にはキッチンとこちらを隔てるカウンターに置かれたホーロー鍋がある。
「確かに捨てるのは勿体無いくらい可愛いですね」
赤い鍋を見てわたしが言うと、コリーンは嬉しそうに笑った。
「でしょう?やっぱり女の子は話しが分かるわね!」
そう言い終わると「お茶淹れよう!」と立ち上がる。忙しないのは嬉しいからだ、と甘えることにした。
キッチンから鍋を移動する音とコリーンの声が聞こえる。
「しかしお城ねー!びっくりな出世だわ!」
「そういうのじゃないよ」
苦笑するヘクターにコリーンは声を被せてくる。
「何言ってんの!……でも王室もいつまでも騒がしいわよね。お世継ぎには欠かないっていうのに、相変わらず何かしら騒ぎが起きてるんだから」
腰に手を当て、お湯が沸くのを待つコリーンにわたしとヘクターは顔を見合わせた。
「……なんかそういう話しあるの?」
何気ない雰囲気でヘクターが尋ねる。コリーンはカウンターに肘をつくと眉を寄せた。
「王室なんてもの自体がそういうものなんだろうけど、いつも事件起こしてるじゃない。大抵は根も葉もない噂なんだろうけど。エミール王子がラグディスの認定式で騒ぎ起こした、って話しが今は話題になってるわよ」