兵士達の休息
部屋の中の空気が明らかに変わる。目の前に座る二人の厳しい顔にちょっとだけ動揺しつつもわたしは話しを続けた。
「……前にも話題にしたけど、アンリ幽王っていうのは宗教をとことん弾圧したのよ。で、その理由っていうのは彼がエメラルダ島になぜだかただならぬ執着を見せていたから、っていう説があるのね。土着信仰っていうのかな。神を排除して島に祈るの。そんなの上手くいくわけないから、反感買って失脚して、島に逃げた……って話し」
「島を信仰するの?なんでそんなに好きだったの?」
セリスの質問は尤もなのだが、そんなこと聞かれてもわたしも知るもんか。てっきり「すごい!」等の興奮の言葉を貰うかと思っていたわたしは不満に口を曲げる。
「変なのー。嘘くさーい」
尚も言うセリスにわたしは反論する。
「なら、これでどうよ。その本に書いてあったこの説の根拠がね、セントサントリナ近郊の小さな町に『一人のクーウェニ族が王はエメラルダ島に渡った、という話しを広めた』って文献があったんだって」
「トマリの先祖、いや……違うか。トマリの幼馴染の先祖とかいう奴だな?」
アルフレートの感嘆の声。わたしは頷きつつも考える。問題はその昔のクーウェニ族が語ったのは、文献だと『アンリ王の居場所』なのだ。トマリの言う財宝の鍵なんて話しではない。
しばらくテーブルを指で弾いていたアルフレートが顔を上げる。
「アンリ幽王は財宝を持って島に渡った、って説があるんだったな。じゃあ、あの玉はエメラルダ島への鍵なんじゃないか?」
「そっか!そうなるね」
わたしは手を叩く。きっとクーウェニ族の先祖の男は『財宝』と『鍵』の話は自分の身内にしか話さなかったんだ。盛り上がってきた空気にまたしてもセリスの質問がかぶさる。
「玉の力で島に渡れるの?海に投げ入れたら嵐が止むとか?」
「そ、そんなの知らないわよ。……あ、でも王弟もエメラルダ島にいる、なんて噂もあるんだっけ。じゃあ王族には伝わってる島への渡り方なんていうのもあるのかな?」
わたしの言葉にアルフレートの顔が何故か大きく歪む。
「王弟がエメラルダ島にいる?そんな話しは聞いてないぞ?」
あれ?言ってなかったっけ。わたしは頬をかく。アルフレートがどんどん顔を近づけてくるので、わたしは身を引いた。
「誰に聞いたんだ」
「ファムさん」
「呼べ」
ふんぞり返り指を振るアルフレートを見て思う。アルフレートって国王より偉そうだよな。
わたしが立ち上がり扉に向かおうとした時、ちょうどノックの音がする。しかし顔を出したのはファムさんではなく別の侍女の女性だった。黒髪をみつあみにした女性は扉の前にいたわたしに目を大きくしていたが「そろそろお食事ですけど」と口篭る。
「そいつでいい。こっちに来てくれ」
アルフレートのとんでもない横柄な言い様にこっちが気まずくなる。案の定、女性は困った顔でもじもじし出した。
「質問に簡単に答えるだけでいい」
「は、はあ」
アルフレートの顔を見ながら女性はおずおずと近づく。
「なんだ、まだ若いな。まあいい、国王の弟は知っているな?」
それを聞いた女性は「え」と声を漏らした後、わたし達の顔を見回す。その顔には「何なんだ、この人達」と書いてあった。
「王弟が国王暗殺未遂の事件を起こした後、エメラルダ島に行った話しがあるらしいな。知っているか?」
真顔で見つめるアルフレートに女性は部屋をきょろきょろと窺った後、口を開く。
「あの、私が話したとは言わないで欲しいのですが」
「もちろん、約束しよう」
「ありがとうございます。……えーと、誰が言い出した話しなのかは分かりません。きっと城で働く者、誰に聞いても同じだと思います。噂が出始めたのは王弟が何所に幽閉されたか、なんて話しが全く出ないのが原因だと思うのです」
この話しにアルフレートは満足そうに笑った。
「なるほど、何所にいるか分からないからエメラルダ島、ね」
「はい。それに……この国の何所かにいるなら王太后様が放っておきそうにないですし」
これにはアルフレートも「確かにあのばあさんなら通い詰めそうだな」と呟く。侍女の女性も頷いた。
「あとは……昔の王様でいたらしいじゃないですか。エメラルダ島に渡ったって人が。それからっていうものこの国では、王室から出た重罪人っていうとあの島のイメージが付きまとうんです」
「アンリ幽王?」
わたしが聞き返すと侍女は頷く。わたしはなるほどね、と息を吐いた。
アルフレートがわたしに視線を送ってくる。わたしが食事に向かうことを告げると、侍女は頭を深く下げて部屋を出て行った。アルフレートが小さく笑い出す。
「自分が話したとは言わないで欲しい、ねえ。あの女、きっと仲間の元に行ったら自分からぺらぺら喋りだすぞ」
その言葉にわたしにも彼女がお茶うけにでも、とこの面白い話を嬉々として仲間に話す様子が想像出来てしまった。
城に来た一日目と同じ、広いホールのような食堂に通される。奥の席にエミールが座り、護衛のように一歩引き、柱の傍にいるのがブルーノ、ヴォイチェフ。昼間と違って機嫌の良いフロロが椅子に飛び乗った。
家庭で作る料理とこういったプロの職人が作る料理で、決定的に違うのは見た目だな、と目の前の色鮮やかな料理に思う。
「母の誕生日まであと六日です。会の準備も整いつつありますから、是非楽しみにしていてください」
グラスを傾けながらエミールが微笑む。
「皆さん、退屈してないといいですが。湖もこんなに早く引き上げることになってしまって」
「あ、大丈夫、全然退屈じゃないよ」
わたしが返すとエミールは「そうですか」と安心したように笑った。そしてブルーノの方へ視線を動かす。無表情の仮面を被った男が前に一歩踏み出した。
「別荘を襲った集団を城の兵士が追っている。情報が入り次第、君達にも伝える」
「あ、どうも」
デイビスが呆けたような顔で返す。こっちも独自に追ってます、とも言えない。何だか妙な空気になってしまった。それを破るようにセリスが口を開く。
「王妃様も国王もいつご飯食べてるの?」
テーブルを示しながら尋ねる。暗にこの場にいないことを指してるのだろう。
「来賓がいない時は自室で取ります。定期的に一族で食事を取ることも、父から誘いがあれば一緒に取る日もありますけど」
エミールの言葉に皆の顔がお互いの方へ動く。なるほど、根本的な考えが違うのだ。両親と食事取らないなんて、王子可哀想……というのがそもそも庶民の感覚なのか。
その後は他愛ない会話をするのみで食事が終わり、名残惜しそうなエミールに就寝の挨拶を貰って部屋を出る。廊下と階段が交わるところまで出ると、デイビスが振り返り全員に告げた。
「飲んでくる」
はあ?という声が上がる中、デイビスは廊下の先を指差す。
「昼間、兵士の奴に誘われたんだよ。何か面白い話も聞けるかもしれないし。お前らも来る?……って飲めないか」
「私は飲める」
「俺も飲める」
アルフレートとフロロが手を上げる。
「じゃあ来いよ。あと、お酌してくれるような女の子連れてきてくれよ、って言われたんだ。誰か来ないか?」
「いやよ、そんなの」
セリスが顔を歪めて即答した。サラも嫌そうな様子だ。じゃあわたしが行こうかな、と自分の顔を指差す。
「……うん、まあいいか」
気になる沈黙の後に曖昧な返事をするデイビス。何それ、むかつくわね。
結局、兵士の詰め所とやらにお邪魔させてもらうメンバーはデイビス、ヘクター、アルフレートとフロロ、そしてわたしとなった。
「お酒の席に行くなんて心配だわあ。飲ませないでよ?」
ローザはわたしの顔を見ながら渋い顔だ。
「大丈夫だよ、俺もいるから」
そう答えるヘクターに更に顔をしかめる。
「アンタも飲まないでよ?酒の勢いにまかせて変なことしようとかそういう……」
「そ、そういう目で見てたんだ……」
ヘクターががっくりと肩を落とす様を、妖精二人がにやにやと見ていた。
何か文句のありそうなアントンが部屋に戻る組に引っ張られて階段を上がっていくのを見送った後、わたしはフロロの肩を突く。
「何か機嫌いいわね。うまくやったってことね?」
その質問にフロロはにやっと笑う。そして「早く出ようぜ」と先を指差した。それを受けて全員が早歩きになる。死角が無いように配備された兵がちらちらとこちらを見ていた。
本殿を出て夜空の下に出る。兵士の影は途切れないが、屋内と違って声は届かないだろう。
「で?ヴォイチェフの事だろう?」
アルフレートがヘクターに肩車させたフロロを横目に見る。フロロは何がおかしいのか鼻で笑うと声を潜め、話し始めた。
「あの野郎が変な動きするパターンが読めてきたんで、それが見えてきたらあえて撒かれた振りしたんだ。そっから……まあ言いにくい場所使って探っていったら、あいつが妙な場所に滑り込むのを見たんだな」
「何所に?」
聞き返すわたしにフロロは更に声を小さくする。
「ブルーノの部屋だ。……バカ!声出すなよ」
わたしとデイビスの息を吸い込む音に、フロロは素早く反応して釘を刺す。
「ふうん、じゃああの神経質そうなウサギは除外か」
アルフレートが面白そうに呟き、雲の流れの速い空を見上げた。「なんでだ?」と聞くデイビスにまた視線を戻す。
「あの胡散臭いカエル男はどう見ても身の回りの世話任せるような従者じゃないだろう?普段は……まあ隠密部隊か何かにいるんだろうが、そんな奴をわざわざこっちに引っ張ってきたのはなぜだ?」
「……護衛だ、俺達の」
ヘクターが呟く。
「そう、アントンは馬鹿だが腕は有る。それを軽くあしらうようなとんでもない奴らから、我々を守る使命があるんだよ。それを命じたのが、今分かったが、あのウサギってことだ」
「で、でも……」
わたしは反論しようとした口を閉ざす。そうか、城に滞在することを快く思わないのは犯人だけじゃない、って分かってたはずなのにな。わたしの脳裏にブルーノの歩く後姿が浮かんでいた。
城の正門、西側にある細長い塔を見上げる。昔からの城塞と同じく、見張り台を兼ねているらしい。デイビスが強いノックをした後、遠慮無く木の扉を開いた。
中の明るさに一瞬目を細める。扉付近にいた甲冑姿の兵士が手を上げた。
「おう、お前らか。上行けよ。もう始まってるぜ」
その口調にデイビスとヘクターが既に随分と打ち解けているのかが分かる。
「俺も早いとこ参加したいぜ。二日連続の夜勤だなんてついてねえ」
兵士は欠伸しながら外へ出て行ってしまう。他にも休憩中らしい兵が兜だけを脱いだ状態で、タバコの煙をくゆらせているその後ろを通る。言われた通り上へと向かう階段を上がる中、フロロが小声でデイビスに話し掛けた。
「もうこんなに馴染みになってるなんて、やるじゃんよ」
それに答えるデイビスも声を潜めている。
「……傭兵や城勤めになるにはどうするか、っていうような『相談』を持ちかけたんだ」
「なるほどね、筋肉ダルマには先輩面させるのが一番良い手だ」
偉そうなシーフの声にデイビスとヘクターは苦笑した。
階段を上りきるとすぐに扉がある。狭い空間にあれこれ詰め込んでいる造りなのだな、と思う。扉を開けるとむわっとした熱気が肌を襲った。お酒などの匂いもあるが、男達の集まりという異臭の方に身構えてしまう。
「おお!来たな」
「おー!待ってたぜ」
「エルフだ……」
という声が次々に沸いた。狭い円形の部屋に十人以上の兵士がいるように思われる。非番なのか鎧兜ではなく、ラフなシャツという姿だ。木のテーブルには既に空いた瓶がいくつも並んでいる。その割には赤い顔が少ない。全員見るからにお酒に強そうだもの。
アルフレートとフロロが気を配って……というわけでは無いのだろうが、ずかずかと奥へ行き、わたしはヘクターとデイビスに挟まれる形で手前の席につく。
「兵士になりたいなんて言ってたけどよ、お前ら冒険家目指してるんだろう?」
綺麗な角刈りをした兵士が座るなり尋ねてきた。
「いずれ、ですよ。そりゃあやるだけやってみるつもりだけど、そういう道も考えとかなきゃ」
答えるデイビスに兵士は笑う。
「まあな、冒険者っていうのはありゃ一握りの運が良い奴が続けられる職業だ。俺達の中にも冒険者学校出身の奴もいるぜ」
そう言ってグラスの中身を飲み干し、再びにかっと笑う。中々身に沁みる言葉だ。情報収集の目的でなくとも普通に楽しめそうな雰囲気に、わたしは肩の力を抜いていった。
「あとは仲間とは綺麗に別れるべきだ。後々まで協力してもらえるように、な。外部にも仲間がいるっていうのは良いことだぜ」
そこまで言い終わるとちらりとわたしを見てくる。
「彼女は?」
「彼女も一緒に、です」
指差す兵士の男にヘクターが答えた。
「宮廷魔術師みたいなやつを考えてるのか?それだとこの城じゃあ厳しいかもな」
男が意味ありげに笑うと、隣りに座る黒髪をきっちり撫で付けた男が声を上げて笑った。
「うちは厳しいな!なんせヴェロニカがいる。この城の魔法部門のお局様でよ、ヒステリーが酷いんだ!」
そ、それは嫌かも……。その前に冒険業を辞めるような事態が訪れて欲しくないけど。
そこから自然と城内に住む人間の話しになっていく。間に自己紹介を挟みながら彼らの話を聞いていく。角刈り頭の一際大きな男がヤニック、黒髪の二枚目な雰囲気の男がアルバン、彼等の向かいに座る金髪のやや物静かな雰囲気の男がブライアンというらしい。こちらの会話に参加しているのがこの三人。あとはアルフレートとフロロの珍しい異種族コンビに興味を持ったようで、二人に話し掛けていた。
暫くの間、ヤニックとアルバンの間で厄介な王室お抱え魔術師の話しが続く。つまみのナッツを頬張りながらヤニックがぼやいた。
「今言ったヴェロニカは王太后様のお気に入りなんだ。だからでかい顔してるものの、現王にも取り入ろうと必死だな。なんせグレース様がいなくなった時を考えると、後ろ盾が無くなっちまう。まあ王太后がすぐ亡くなるなんて事態もなさそうだが」
「先王の奥様は未だに元気みたいですね」
わたしの質問に、
「元気も元気!ありゃあエミール様の孫の代まで見るつもりだぜ!風邪一つ引きやしねえ」
「先王も歳は歳だったが、崩御の際は皆言ったもんだよ。『グレース様に吸い取られたな』ってな」
そう言ってヤニックとアルバンは大口を開けて笑う。ヘクターとデイビスが顔を合わせるのが分かった。
「そのヴェロニカって魔術師をお気に入りってことは、グレース様は魔術に興味があるのかしら?」
急な話題の転換は不自然か、ともう少し引っ張ることにする。ソーサラーらしい食いつきにブライアンが眉を上げ、肩をすくめた。
「嫁への対抗心、って感じたけどな、俺は」
「はあ?」
思いがけない答えにわたしは目を丸くして金髪の兵士の顔を眺めてしまった。