ミステリーな夜
「イケると思ったんだよ」
応接室のソファーに座り、ふてくされた顔でコーヒーを飲むアントンの頬を、渋々といった様子で治療してやっているのはローザ。
「馬鹿につける薬にする為にも、治さないでいた方が良いんじゃないの?」
ぶつくさ言うローザにアントンは、
「お、俺だってオカマに頬に手当てられたりしたくねえよ!」
と言い返す。ある意味何も様子の変わらないアントンに微妙な安心感を覚える。そんなアントンの頬にもう一度セリスの鉄拳が入り、倒れたところを足で押さえつけられていた。
「馬鹿につける薬は無い、って上手いこと言うわよねええええ!あんた見てるとホントそう思うわ!」
ぐりぐりとアントンの頬を踏みつけるセリスの目は完全に据わっている。思わず身を縮めるわたし、ヘクター、フロロ。
サラもこのくらい感情を表に出すことが出来れば、きっと拗れなかったに違いない。
「他の皆は?」
わたしが小声で尋ねるとフロロは上を指差した。
「もう部屋戻った。イリヤは『サラの様子見てくる』って言ってたけど」
アントンの肩がぴくりと動く。その様子に気付いたのかいないのか、ローザがぱんぱんと手を叩いた。
「さ!あたし達も休むわよ。その前に、仲直りして」
そう言ってアントンの背中を押す。
「『殴ったこと』を謝りなさい」
ローザの上手い言い方に感心する。アントンはふて腐れた顔のままだったものの、
「『殴って』悪かったな」
と胸を張る。絶対思ってないだろ、という突っ込みは今は不粋に違いない。
ヘクターも「いや」と言って苦笑する。悪い空気はとりあえず断たれた、と言っていいようだった。
「なある程ねえ……、親に関する因縁だったって事か。そうなるとやっぱり、アントンの事は責めにくいわね」
化粧水をパタパタと顔に付けながらローザが感想を漏らす。
ローザに割り当てられた部屋は机にレースが乗っていたりと既に『ローザ仕様』になっていた。わたしはベッドに仰向けになりながら、枕元にあったポプリを手に取る。
「やっぱりそう思う?わたしもさ、百パーセントヘクターは悪くないって言えるけど、アントンも可哀相だな、って初めて思ったんだよね……」
わたしの言葉にうんうん、と頷いていたローザが振り返る。
「……親に関することだとさ、冷静に成り切れなかったり、考える前に体が動いちゃったりするものよね」
そして「動けなくなる、って場合もあるわね」と付け加えた。アントンに『呪縛』という言葉が浮かんだのはわたしもだ。
「話し聞いた様子だと、アントンのお母さんから相当言われたっぽいわよね、ヘクター。きっと……やり場のない怒りをぶつける相手になったんじゃないかしら」
ローザは乳液を染み込ませるように顔を手の平で覆いながら、眉間に皺を作る。
「ヘクターは『話しを聞いた』しか言わなかったけどね。まあ、ああいう人だから」
わたしはゆっくり答えると、枕に顔を埋める。ローザが毛布を掛けてくる。自分も毛布に入り込みながら笑顔を向けてきた。
「ま、サラの事はあたしに任せてよ。明日、皆が湖に行ってる間に話しするから」
「……今日は何してたの?」
「そ、それは言いっこ無しよ」
ほほほ、と笑うとランプを消す。真っ暗になると急に眠気が襲ってきた。明日、皆笑って過ごせるかな、なんて考えながら眠りのまどろみに落ちていった。
「ふうん……」
ローザの寝言が耳元でした。わたしは少し夢から引き戻される。が、直ぐに眠りに落ちていく。しかしばたばたと騒がしい音が聞こえた気がして、また目が覚めていった。
薄目から見る静かな様子の室内に、気のせいか、と眠る体勢に戻った時だった。ガラスの割れるけたたましい音に跳ね起きる。
「な、何!?」
ローザが悲鳴のような声を上げた。他の部屋のドアが次々に開く音。仲間と思しき話し声もし始める。わたしとローザは顔を見合わせると、廊下へ飛び出した。
寝る前の出来事のせいか、また喧嘩?なんて事を考えてしまう。でもさっきのガラスの割れる音はそんなレベルじゃなかった。廊下に出るとすぐ、騒ぎの方向が分かる。皆、集まり出していたからだ。
廊下の突き当たりにある窓が派手に割れている。その前に膝をついているアントンの様子に息を飲んでしまった。
肩から酷く血が流れている。ぼたぼたと音を立て、赤い染みが広がる早さに傷の深さが現れていた。
「ち、ちょっと……」
駆け寄ろうとしたローザに後ろから止めが入る。
「私がやるわ」
淡々と言ったのはサラだった。素早い詠唱と複雑な印を組み合わせると、サラは血まみれのアントンの肩に躊躇なく手を当てる。アントンは一瞬呻くが、直ぐに安堵の表情に変わっていった。
「何があった?」
廊下を見渡し言ったのはアルフレート。彼が見るのはアントン、ヴォイチェフ、フロロの三人。アルフレートより先に廊下にいたのがこの三人って事か。フロロが手を挙げる。
「俺は廊下が騒がしくなったんで飛び出してきたんだよ。黒ずくめの何かが二人いて、俺がきた時はそいつらが窓から逃げるところだった。アントンは既にこんな状態だったな。正直、俺より二人も早く出て来てるなんて驚いたね」
フロロが言うのは自分の察知能力には絶対的な自信がある、ということだろう。事実、いつも危険にいち早く気付くのは彼だった。今も侵入者が逃げる前に廊下に来ていたということは、あのガラスの割れる音の前に気付いていたということだ。
じゃあアントン達は?という皆の視線に気が付いたのか、彼は不愉快そうに舌打ちした。
「俺は便所に行こうとしただけだ」
アントンがそう吐き捨てる。顔色も大分良くなっていた。
「あっしも騒がしくなったんで出て来たんでさ。あっしの部屋の目の前なもんで、早かったんでしょうな」
にやりとヴォイチェフが笑う。アントンがその彼を指差した。
「このオッサンが追い払ったんだよ。あいつら暗がりにいきなり切り付けてきやがった」
ヴォイチェフが?と驚くが、あの肉体を見るにやり手だったのかもしれない。
「全員いるよな?」
デイビスが一人一人を指差していく。
「ファムさん達は……?」
わたしが一階に寝ているはずの三人を口にすると、階段からばたばたと三人がやって来た。
クララさんが廊下の惨状を見て悲鳴を上げる。
「あ、大丈夫です。怪我人の治療もしてます」
とわたしが言うと三人共、大きく息を吐いた。
アルフレートが割れたガラス窓を確認する。
「侵入もここからだったみたいだな」
アルフレートは暫く目を色々な場所に動かしたりしていたが、
「一晩に二度も襲ってきたりはしないさ。今は寝ておくんだな」
そう言って部屋へ戻ろうとする。
「おい、そんなんでいいのかよ!?何が目的の奴らだったんだよ」
アントンが塞がった傷を撫でながら反論すると、アルフレートは鼻で笑う。
「お前が目的だったんじゃないか?襲われたのはお前だ」
「な、何でだよ!」
顔を赤くするアントンに同情してしまう。アルフレートの煽りは性質が悪い。アントンだけに個人的な何かがあったとしても、こんな所で襲われるのも変な話しだ。
「見回りにでも行くか?」
デイビスが困惑顔で提案するがヴォイチェフが首を振る。
「暗がりの馴れない場所でうろついても、相手に良い襲撃のチャンスが増えるだけでしょうな」
「私が明日、朝一で城に報告に参ります」
オグリさんも動揺いっぱいの顔だが、そう言って手を挙げた。
そうなると他にどうすれば、というのも浮かばない。他の皆も納得いかない顔だったが、何か出来る訳でもない、という様子で押し黙る。
「まとまって休まないか?」
ヘクターが男女別に二部屋にまとまるよう言うとヴェラが安堵の息を吐いた。不安だったのだろう。
ばらばらに動き出す中、
「イルヴァ」
ヘクターがイルヴァに鞘に入ったロングソードを投げる。
「俺のサブだけど、ハンマーよりは振り回しやすいだろ」
「ありがとうごさいますう。イルヴァ、ソード下手クソですけどねー」
半分寝ているような顔でイルヴァは受け取ったソードを振り回す。花瓶ががしゃんと割れた。……不安だ。
アルフレートがわたしの前を通り過ぎる瞬間、素早くフロロに耳打ちしていく声が聞こえる。
「ヴォイチェフを見張れ」
フロロは露骨に顔を歪めた。
昨日のような快晴とはいかなかったが、暑さは充分な翌朝、
「あっしは残ります。お嬢さん方だけじゃ不安でしょう」
屋敷の前に集まったわたし達を見回し、そう言ったのは怪しい男ヴォイチェフ。
昨晩の事態があったものの、エミール王子との約束があるのでとりあえず湖まで行ってみようか、となったのだ。しかしアルフレートの言葉を聞いていたわたしは彼に訝しげな視線を送ってしまう。
「メイド達の心配もあるからな。それで良いんじゃないか?」
当のアルフレートはそう言うとさっさと歩き出す。林の中の道を行く彼の後ろ姿を見ながらわたしは軽く頷いた。
「じゃあ、お願いします」
「承知」
ヴォイチェフの返事を聞くと全員歩き始める。屋敷に入っていく謎の男を見ていたヴェラがわたしの方へ駆け寄ってきた。
「昨日のは何だったんですかね……?」
「さあ、普通に考えたら物取りでしょうね。お金持ちの別荘に入ってきた泥棒っていうのが自然かしら」
わたしはヴェラを納得させるよう答える。それは成功したようで隣を歩く彼女はしきりに頷いていた。
物取りだとすると、偶然鉢合わせたアントンにいきなり切りかかったり、寝ぼけていたとしても剣士であるアントンを打ち倒すような相手だったというのが引っかかるんだけど。だってアントンの傷は右肩だったんだもの。ヴォイチェフが彼の言葉通り、騒ぎにいち早く気がついて出てきていなかったら、と考えると少し怖いものがある。別荘地に現れる泥棒にしては随分と武闘派じゃないか。
皆のサンダルの音を聞いているとイルヴァがきょとんとした声を出した。
「フロロがいませんね~?」
言われてわたしはメンバーを見回す。集まった時には昨日と同じメンバーがいたはずで、フロロも水着姿で参加してたはずだけど。
わたしはアルフレートに追いつくと小声で話しかける。
「見張りってこと?」
「うちのシーフは優秀だねえ」
茶化す言い方のアルフレートにわたしは眉を寄せた。
「何なの?ヴォイチェフって……、ローザちゃん達だけで大丈夫なの?」
「……私は奴が『敵』だとは一言も言ってないがね」
その呟きに思わず足が止まる。後ろを来ていたイリヤが「おうっと!」と大きな声で驚いた。わたしは目を丸くしているイリヤに謝ると、またアルフレートに追いつく。
「味方ってこと?というか、昨日のはわたし達の敵?」
「敵なんかいないさ。ただ、既に色々と動き出しているんだろうな」
遠くを見るようなアルフレートにわたしは溜息をついた。全然分からん。
林を抜け、視界が明るくなると同時に目の前に湖が広がる。まだ早いからエミール王子は来てないかな、と見回していると右手からオグリさんの乗った馬が駆けてくる。早朝から出ていたオグリさんは少々お疲れに見えた。
「一応、城には報告して参りました。物取りかもしれないので敷地内外の見張りを増やすそうです」
馬を降りてオグリさんはそう語った。そして「ですが」と付け加えた。
「揉める雰囲気になってしまったので、さっさと帰ってきてしまいました」
肩をすくめるオグリさんはファムさんにやっぱり似ている。
「揉める?誰と誰が、何で?」
セリスが聞くとオグリさんは少し間を置いてから話し出す。
「皆さんを城に戻すべきか、このままにするべきかを」
「危ないからってこと?まあそうは言ってもわたし達は冒険者だしね」
わたしはそう言って頬をかく。普通のお客様なら物取りが出た別荘なんぞ、早々に引き上げるんだろうけど、傭兵身分のわたし達には物取りを引っ捕らえるなんて役目もあるわけで。
「物取りでは無かった場合、王子を狙う暴漢だったなんて事も考えられます。その場合は皆さんは巻き込まれたことになります。王子を始めとした何人かが『城へ戻ってもらうべきだ』と」
オグリさんはそこで話しを止めた。アルフレートが「他には?」と続きを促す。
「『このまま様子を見るべき』という意見があります。暴漢が皆さんに対しての恨みなどでやって来た者だった場合、城に戻す訳にはいきませんから」
「は、はっきり言うなあ」
イリヤが脱力したように肩を下げた。確かにわたし達狙いの奴らだったら、そんなのに追われてる冒険者を城に匿うわけにいかないだろうな。
「で、オグリさんは何て?」
デイビスは少し面白そうだ。オグリさんもにやっと笑う。
「『ラグディスでの英雄ですが、彼等は子供です。冒険者の卵にそういった事情があるとは思えません』と正直に申し上げさせていただきました」
「つまりはラグディスの件の恩を念押しして、我々の潔白さを証言してくれたわけだ。おい、この切れ者に皆感謝するんだな」
アルフレートが笑うとオグリさんは軽く頭を下げる。
でも城での騒ぎになってしまったということは、今日は王子は来れないだろうな、なんてことをわたしは考えていた。